「大人」には許可されている行為であって子供についてはパターナリズムに基づいて制約されているものの一つに、飲酒がある。
しかし、特に飲酒について顕著であるが、適切な経験を経ずに飲酒文化に触れた結果、若者だけで無鉄砲な飲酒文化を形成し、自らを害する例が少なく無い。大学生、うっかり急性アル中で死に過ぎ問題である。
近年は飲酒に対する私人間での制裁が強化され、問題行動は随分と減った。しかしそれは、飲酒経験者の減少の写像に過ぎない。母集団自体が縮小したのであって、飲酒大学生における問題行動の割合が減ったわけでは無い。
適切な飲み方というものがあるのだから、それを覚えた大人が、手本となって若者を導くのが望ましい。経験者による監督と指導である。
未成年への飲酒指導に免許制度を導入し、未成年者の飲酒は、免許を取得した有資格者の下に限って認める。
こうすれば、むしろ高校生のうちに学校の授業で飲酒を指導することもできよう。無茶な飲み方しか知らない大学生が、無茶な飲み方をする後輩大学生を再生産する愚を回避できる。
なので16歳と40歳の中身はほぼ変わりが無く、人として気が合うのも別に変じゃない
ただ中身は同じでも年数生きてる分、経験に24年の差があるのよね
学業なり仕事なりゲームだった場合、この24年って簡単に埋まる差じゃないことは誰でもお分かり頂けると思う
うん、で返信を始める話を見ていて思い出したことがある。文章の最初に名乗るということだ。
これだけだとピンとこないかもしれないが、私にとってはかなり違和感のあることで驚き、疑問に思った出来事だったので、思い出しながら書いていくことにする。
最初に気付いたのは、社内報を製作していた時のことだ。社員に投稿をお願いするコーナーがあった。
毎号掲載のお馴染み企画なんだけど、目的は社員紹介とか交流で、内容は趣味や旅行、食事会などさまざま。次号に寄稿する社員を今号の掲載者が指名してリレー形式で続けていくものだった。
大体同じ部署や支所、同期などに回していく人が多いんだけど、長く続けていくと「もう出たよ」という人が増えて行ったり、頼みやすさから、新入社員などの若手に偏ってくる。(そこからいきなり部長クラスに飛ばす猛者もいる……もとい良い雰囲気の職場も多く、案外スムーズに回っていた)
そうするとある時期から、本文頭に「こんにちは、新入社員の〇〇です!」のように名乗る投稿が見られるようになった。
掲載事項は上から順に、所属、氏名、写真、本文である。だから最初に見たときに「いや本文で名乗らなくても氏名すぐ横に書いてあるからわかるんだが」とびっくりしたのをよく覚えている。
"その人らしい"原稿を尊重する意図から、校正は誤字や文字数調整(もちろん了承はとる)だけにとどめ、できるだけ原文ママの掲載を基本としていたので、最初はそれでよしとした。次号からも似たようなものが見られたのはおそらく、前号を参考にしたからだろう。
だが、限りある誌面で、目的は社員の紹介だ。書くことがなくて文字数が少ない分には構わないが、最高でも100字(大体2~3文)しかないのに、なぜそんな無駄なことをするんだろうととても疑問だった。空白を埋めるにしても不自然すぎる。在籍期間の少ない社員にも過去号を参考に渡したため、掲載内容や誌面イメージがわかないということもないはずなのだが。
そんなこんなで、氏名は隣にあり被るので誌面の都合上掲載しませんよ、という方針に変更となったのだった。ちなみに、その後も本文に氏名を書いて「これが自分だ!」と主張してくるような社員はいなかった。
複数人でやりとりするDiscordサーバーに、いつも最初に名乗る投稿者がいた。
いやそのすぐ上に名前あるからわかるんだけど??と私はその時も謎だった。
あまりに理由が分からなかったので本人に尋ねてみると、「周りもそうしている」とのこと。
周りって?と聞くと、「バイトやサークルのグループLINEとかではみんなそう発言している」そうなのだ。
その例でいえば、理解できる。表示名が苗字どころか名前のローマ字だけ等だと誰が発信しているか分かりづらく、「●●学科△年の××です」と最初に名乗るのはスムーズな連絡のためには必要だと考えられるし、納得できる。
付け加えるように「メールとかもそうでしょ?」と言われたが、そりゃメールはメールアドレス(もしかすると表示名かもしれないが)→タイトル→本文→文末に送付主情報だから、先に名乗るのが親切の場合はもちろんある。これも分かる。
でもすぐ上に、メッセージを受け取る側がその人だと認識できる状態の表示名があるのにわざわざ名乗る意味とは?と訊いた時に、「確かに必要ないね。そういえばなんでだろう?」と本人も分からないようだった。本当にいつもの通りに文章を送っただけなんだと思う。
そういえば、先に話題にした社内報でも、名乗りで始まり「よろしくお願いします」で終わる文章はあった。あれもメールの形式に則ったものだったのかもしれない気はしている。
正直に言えば、どちらのケースも必要(もしくは求められているもの)・不必要なものの判別がついていないし、TPOに合わせた行動ができていない結果だなと厳しいことも思っている。もちろん間違ってはいないし、特にSNSグループのやりとりなんて文字数制限もない。それこそ"個性"にも見え得る一文、それは確かにそうなのだけど。
が、ともあれ、自分にとって身近なLINEなどのグループ内やりとりや、実際に使ったことが無いビジネスメールを模したつもりの投稿をみるに、これは現代ならでは"最近の若者”の文化なのではとも思うのだ。グループ内メッセージがある環境で育ってきたSNSネイティブな世代、というか。まぁ手元の具体例は一桁しかなく限られたものなんだけど。でもこれ、実は他でも見られるものなんじゃないかなって。
彼らが今後社会人になって、ビジネスメールに普段から触れていく状況になったらどうなるんだろう、ちょっと興味がある。これが普通になるのかもしれないよね。
……まぁ個人的には、近い場所で同じことを繰り返すのは無駄という思考(これは誌面作成や校正からの職業病に近いと思っている)を持っているし、結論や理由が簡潔にまとまっている文章が好きなのでこういうのが気になってしまうだけかもしれない(この投稿が冗長なものなのはどうかご容赦願いたい)し、否定的な気分ではあるんだけどね。それがこれからの文化ならば「そういうものなのか」と受け止める柔軟性はもっていたい。多分私はやらないけど。
税金を納めてればいいんやで
ほんまや。超恥ずかしい。
無人島や山中であってもそこに辿り着くまでに舗装された道を歩かざるを得ないし、そもそもそんな場所に一人で入っていけるほどに成長するのに様々な人に世話になっていることを忘れてはならない