日本には察するという意味不明な文化があるためか、何らの意思表示や行動もしないくせに、望む結果にならなかった(得られなかった)場合にすべて他責(=自分の意図を「察する」ことができない相手が悪い、低能)で考える類の人間が一定数存在する。
自分は料理の結果を急ぐ傾向がある。1品作り終わると色々と作ろうと思っていた他の食材を無視し、その1品を食べて満足してしまう。洗い物なんかも、今欲しいものだけ洗ってあと残ってるものはほったらかし。結果、残りの食材を腐らせ洗い場からは異臭を発生させる。でもキッチンにiPadをおいたことでその症状が緩和した。
食べ物のレシピを映してる訳じゃなく、映画を見てるだけ。それでも映画をもうちょっとこのまま見ていたいという惰性で、料理をいつまでも続けていられる。嫌いな洗い物もちゃんと終わらせられる。
今日も僕は生きている。
生きていることは、いいことだろうか。生きることはそんなに大事なことなのだろうか。そういうことを思うことが、最近多くなっていることに気がついた。僕が生きている今日は、誰かが必死になって生きようとしても生きれなかった一日だから大事にしないといけないだとか、生きているだけで丸儲けだとか、いろいろ言うけれど、でも僕はもう生きていることがとてもしんどいというのは、これは動かせない事実なのである。
僕が好きなのは「考える」ということだ。わからないことがあったらそれがなんなのか考えて、みんなで色々と意見を言ったりして、少しでも正しい方向に進みたい、そういうちょっとした希望みたいなものが好きだ。正しいというとまた何を持ってして正しいとするかという問題が持ち上がるけれど、それはまたそれとして正しいってなんだろうかとか、そもそも正しいことを求めることは必要なのかどうかとか、そこからまた話を始めれば全部おっけーなのであって、別に僕が考えていることを肯定してほしいわけでもないし、全くもって違う意見の人が居たほうがむしろ楽しい。世界は僕が思うよりもっと広い。
しかしそれを「まあまあそんなに考えていると体が持たないよ」とか「賢く生きなさい」なんて言われる場合が多いもんだから、まあ僕としてはやって行きづらいってわけである。なんとなーく上手くごまかして生きている方が楽しいと、彼らはそういう。実際問題お金を稼ぐということは、一部の能力の秀でた人以外は少しは我慢とか、自分ではどうしようもならないことを受け入れて、それこそ「うまーく」やっていかないと回らないんだと。それも確かにわかるのだ。僕だってそのぐらいはわかるのだけれど、そうやってある意味で「ごまかして」生きていることって、どこにゴールがあるんだろうかとか、考えてしまうわけである。
なにかかっこいいと思う服を買ったり、美味しいものを食べたりすることは、たしかに楽しいのかもしれない。けれどそれって結局その瞬間が楽しいためにいろいろとやっているだけであって、服をかって何年もすればまた他の服が欲しくなるし、ご飯は食べて時間がたてばお腹が空く。そして食べればなくなる。当たり前だけれど、そう思うとそういった快楽を求めるために生きるんだっていうことを認めることは、一種人生に対して麻薬をつかっているというか、人生に向き合っているといえないんじゃないかと思うのだ。
少なくとも、僕にはそう思われて仕方がなくって、そうして僕は今日も少しづつ生きる気力を失っていく。やることはたくさんあって、家の掃除だったり、論文を書いたり、勉強をしたり、本を読んだり、仕事をしたり。色々あるけれど、結局もうそれらをやっていってその先にあるものが僕には価値があるものに思えないのだ。もう僕は十分に物質的にも恵まれているし、勉強もさせてもらってある程度は賢く(まだまだなのは重々承知だけれど)なったと思う。しかしそれゆえに見えることが多くって、そして世の中は僕が思っているよりももっと、せこいというか動物的であって、そのなかで僕は生きていける気がしないのだ。
いや、ちょっと違っていて、僕はこの世の中に適合することができなかったのだ。僕のふるまいは、僕から見てこの社会のと言うか、人間の行動として明らかに劣っていてるというか、それは嫌われたり除け者にされるよねといった行動、発言をしていることが度々ある。そしてそれを僕も自覚している。でもそれを修正することができないのだ。みんなは上手くやっているようなのだけれど、僕はどうしてもそれを直して、上手くやっていけないのだ。これは甘えだとか言われるのだろうけれど、でももう駄目なのだ。
そして今日もいちにち、親と世の中に与えられたお金と場所と社会的身分を貪って薄い薄い内容の一日を過ごしている。
僕はとても悔しくって、悲しくってしようがない。
いわゆる高学歴の人に「やっぱ頭いいんだね~」的な振りに対して
「そんなことないですよ」と控えめに返す→謙遜しちゃって嫌味だねw
「ええ、まあ…どうも」と軽く自認しつつ返す→鼻にかけてて嫌味だねw
共産主義に共感するけど暴力はちょっと・・・って人は大体キリスト教に行ったみたいだな。有名どころだとドストエフスキーとかキング牧師とか。神学者だとカール・バルト、アリスター・マクグラスなどなど。資本論自体かなりキリスト教とダーウィンの影響を受けているみたいだし、先祖返りだな。
当事者だからひしひし感じるけど、結局アニメ業界の人間ってのは甘ちゃんなんだよな
商業でクリエイターやるならビジネスライクにやらなきゃいけないのに
それが嫌で作家性だとかやりたい仕事ができるような環境を求めている
芸術家と産業の間にある曖昧な業界で、一生モラトリアム続けて適当にやってきたいロクデナシの集まりなんだよ
海外のアニメ製作会社は割り切ってやってるから、仕事のやりがいが少ない代わりにまともに働ける
日本のアニメだって、止絵で持たせたり総集編挟んだりしながらおもちゃの宣伝をやってた頃はもうちょっと環境もマシだった
それが段々ガイナックスに代表されるようなアニメ作りが好きで好きでしょうがないという連中が入ってきてからおかしくなったんだ
80年代のアニメーターの仕事とか、ちやほやされていい気になってるけどあんなんただのダンピングだ
その予算の中で勝手に頑張って勝手にアニメに要求されるハードルを引き上げたのはその後の世代の人間だ
そいつらの大半は売れる作品を作ろうなんて考えは毛頭ない、自分が気持ちよくなりたいということで頭がいっぱいのやつらだ。
注釈しておくとエヴァブランドを思いっきり活用してる庵野はよくやっている。しかし抜け殻のガイナックスがどうなってるかを見れば分かるだろ。
マニアに評価されるもん作っててもしょうがねえんだよ。そんなもん1作たりとも作ってはならない。
だけどヒット作で儲けた金をオナニー作品でチャラにしてしまう会社が大半なんだ。
搾取するまでもなく、やりがいだけで仕事選んでる連中なんだよ。
どれだけ待遇が悪くても、自分たちが好きなアニメを作れなきゃ生きてる意味がないという狂人連中なんだ。
しかしそれはただの自己満足だ。そんなのは、商売としても芸術としても間違っていて、そこを間違えるから人が死ぬんだ。
結局アニメクリエイターたちが誰かに搾取されてるなんてことはない。自分たち同士で互いに首を絞めて苦しんでるだけなんだ。
しかも本来それを止めるべきプロデューサーやらスポンサーまで一緒になって首絞め大会に参加してるから手に負えない。
間違いなく、その人は私自身にとっては今まで見てきた人(すれ違っただけの人も含めれば1000万はいるのだろうか)の中では一番好きなのだろう。
間違いない。もしこれを30年くらいでもかけて詳細な統計をとって答えを出したとしても、その人の名前が答えとして浮かび上がってくるだろう。
今まで生きてきて、そんなふうに所謂有名人を好きになった人といえば2人ぐらいいるだろうか。
でも、2~3年ぐらいでその炎は消えていったし、ピークは多分1年半目ぐらいだっただろう。
今はそう強い、とても強い興味を持ってもう3年目だ。ピークはまだまだ先なんじゃないかと思う。
今の自分の歳をを考えれば、恐らく今までの人生の中で一番だろう。何もかもが間違いない。間違いなく、100%そうらしい。思い込みか。そうね。
で、だからどうした!という話でもある。
有名人のその人は、これからもそれなりに有名であり続けるだろう。
もっと凄くなるかもしれない。わからない。それは未来の話なのでまったくもってわからない。
ただ、今の状況ではどんなベクトルにであっても差が広がるばかりだ。
わかってしまった。
好きなんです。
この好きって言葉の意味を何十行もかけて説明すれば誰にだって伝わるだろうけど、それは無駄すぎるのでしない。
好きなんです、どうしても。
で、どうしたいのか。
その答えは、決まっている。ここまでもし読んだ人がいるなら、決まってるだろう、としか言いようが無いと思います。
そうだよね、そうなんだ、そう、そう、はっはっ
でもさ!普通に考えたら無理じゃないっすか
可能性はゼロじゃないが、ゼロに近いゼロ……とまでは行かなくてもゼロの結構多い奇跡が起きれば0.0001ぐらいのゼロには近いと言えると思うんですよ。
ねえ、そりゃ、まあ、ですよね、はあ、そりゃさあ。
だからね、もし、もしもだよ、0.0000ワンチャンあるのかもしれないけどさ、
何かしら関わることは、出来るんじゃないですかね?
いや、ちがうちがう、そうじゃない、あわよくば、とかじゃない。ちがうの、ちがうって。
ほんとにホントの奇跡の偶然の何かしらの運命のマッチングが発生してそういう奇跡の軌跡のたぐいの何かが起きないとも限らないわけじゃないけど、でも、けどけどさー
それはその時、それはまた別の話で、で、関わることはもしかしたら出来るんじゃないかって。
その方が確率少ーーーーしは高いでしょ?
いやいやいやいやいやいいやいやまってまって違うんですほんとに素直に何かしら、ってだけでいいていうか
いやいやいや聴いて聴いてそうじゃないんです、いいの、いいのよ、なんもない。ないんです、ないんす。9th
んなこたいいんです、今からの人生全部賭ければ、もしかしたら何か関わることがあるかもしれないでしょ?
あああーーーーだからまって」そういうのいいから、いいから、違うんだって、そうじゃない、いいの、いいからね、チャンスとかそういう話以前の問題、あああもういいんです、待って、その話待って、ぜんぜん、だから、違うんですよ、何かしら関わったっていう自負さえもてればいいの、あああああもういいから、自己満足、そうです、何か、奇跡が、とか、あわよくば、とか、じゃないんですほらさっきから言ってるじゃないです、あっいいんです、いいから、もう、いいの!!!!!って!!!!
その人の映画のスタッフロールの何百人、もしくは何千人?と羅列され続ける文字列の一つであればいいじゃん、って、ね、ほら
ね、だから、
そうなったら死ぬよ、それでいいでしょう。
いや、しらねっすけど、死ぬ必要はないんじゃないのと思うかもしれない絵けどそれはそれでそれはそれでさ。
きっとそんなことも、知られないような人生であっても、いつか人は死ぬし、ね、死ぬんだ。一人で死ぬの。死後なんて無い。ね。
そうでしょう、こうやって書きなぐっていられるだけで、じゅーーーぶんに良い人生なわけだ。
まだまだ死ぬことはないけれど、いままでの全部捨てればどうにか関われるなら、もしそういうことが起きたなら、いいじゃん。
別に死ぬ気なんてそうそう無いけどさ、大丈夫、別に死なないだろうよ。たぶんな。
ナ、頑張ろうよ。
いますぐ死ぬこと考えて実行するぐらいならさ、気を抜くとそうしちゃいそうだけどさ、
出来る限りすら出来ません。けどまあ。
Q.なぜドアノブは憎らしいのですか。
「ひねりがきいている」だからさ。
子供の頃、手が届かないし成長すると頭がぶつかるし適当なスナップでドアノブを開けられるようになっても別にああいいや分かりません。
触るものみなdisりたい、そんな夜に合う本がありましたら、教えてください。
増幅の方向でも鎮める方向でも。
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まずは、The Devil's Dictionary (English Edition)、落としました。毎晩寝る前に読んでみます。よく眠れそうです。
そして次は、死ねばいいのに。
5万人のクレカ番号流出という大惨事なのに集団訴訟呼びかけてた弁護士が逃亡・運営陣も逃亡で補償どころか謝罪もなしで終わったんだよな
や2糞
一番忘れたい人が、一番忘れられないんだよな。