食べログに口コミを投稿すると、そのお店のエリアとはまったく関係のなさそうな人から「いいね」されることが多々ある。
場合によっては全員が無関係エリアの事もある。これってどういうことなの?
あと特定の店の口コミのほとんどに無差別に「いいね」してる人もいる。かなり批判的な口コミにもいいねしてるから信者ってわけでもなさそうだし、全ての口コミが対象でもないのでボットやなんかってわけでもないのかもしれない。
食べログには謎が多い。
自分は武蔵野美術大学で学んでる者だが、ネットの絵描きクラスタで「デッサンが狂ってる」という言葉を聞く度に失笑を禁じえない。
彼らの言うところの意味によると、それは「人物の形のバランスがおかしい」ことを指すらしいが、真っ当な美術教育を受けてきた自分からすればあまりにも笑いを誘う言葉使いと言わざるを得ない。そもそも、「形がおかしい」のであれば、素直に「形がおかしい・形が狂っている・比が違う」等と指摘するし、例え横文字を使うのだとしても、そこは「プロポーションがおかしい・プロポーションが狂っている」と言う。
美術高校、美大予備校、現在の美大と通じて教育を受けてきたが講師・教授は皆こういう言い方をしてきたし、「デッサンが狂ってる」という指導をしている教師をかつて一人も見たことがない。
そもそも「デッサン」が「狂ってる」って何だ?字義通りに解釈するなら、鉛筆や木炭を駆使しモチーフを写実的かつ空間的な真実性をもって描出する一連の行為【デッサン】が【狂ってる】ということなのだが、それだと指し示す範囲があまりにも広すぎてデッサンの中の「何が」狂ってるのか分からない。仮に何が狂ってるのか指摘するなら、形・明暗・量感・動勢・空間・関係など、個々の要素に絞って指摘する。全体を指摘するなら「全体感に気を使え」や「個々の細部ばかりに気を取られるな」と言い、「デッサンの狂いを直せ」など決して言わない。
「デッサンが狂ってる」という言葉を違和感を覚えず使っているのは、恐らくは独学の素人か専門学校卒の半端絵描きのような、ロクに美術教育を受けたことがない連中なのだろう。そんな奴らが顔の見えないネットで専門家を気取って大手を振って「デッサンが狂ってる」などという身も蓋もない言葉を流行らせ、さもそれが正規の美術教育現場でも通用しているかのように吹聴しているのは噴飯ものだ。
まあ彼らがこれからもそういう間違った言葉使いをしていたとして、自分に何か悪影響があるわけでもなく別にどうでもいい。しかしまあ少なくとも自分を含む正規の美術界隈の人間からは「可哀想に、物を知らないんだな」と失笑を買い続けることだろう。それでいいんじゃないか。
周りの就活生の意識の高さと、人事様企業様お代官様って感じの宗教じみたセミナーに何回か参加して「こんなところにいたら俺はおかしくなる!!!!!!!!」と思って勢いだけで行ってきた。
で予約したんだけど数日したらなんかどーでもよくなったのでなんで予約したんだろと軽く後悔。
そもそももうあんな宗教じみたとこは行かずに自分なりの方法で就活してダメで心折れたら内科行けばよかったわ。
まあでも予約しちゃったので行ってきた。
結果は軽い胃薬もらって返されたよ!!!まあー当然だわ。飯も食えるし普通に寝るし。
でも正直心療内科の人と話すだけでこの先気が軽くなるんじゃと過度な期待をしてたけど、ぜんぜんそんなことはなかった。
俺がはぐらかしながら話してたのも悪かったんだけど、軽くなるどころか気持ち抉られたよ…。
「こうしなきゃ」って言うのは自分でもわかってて、でもできないから悩んでた事を話したけど、「でもやるしかないよ」と言われ「ですよねー」という感じだった。
まあただの甘えってことなんだろうな。ほんとなんで行ったんだろう…
こっちが金払ってるから優しくしてくれるんだろうなって感じで、まぁでもそりゃそうだよなー。
お仕事疲れ様です。
よくわかる。
アメリカもそうだし、ドイツやフランスなんかもそうだが、法律よりさらに基礎的なところに哲学や理念があって、それを実現するための現実的なルールとしての法律、という位置づけが明確になっている。
だから法律や政府の言うことは絶対じゃないし、根底にある哲学や理念に反していれば抵抗して変えていくことができる。
一方、日本のように法律だけを輸入して取ってつけた国では、法律というのははじめからそこにあるもので、その根拠となる思想が何もない。だから頑なに守るしかできないし、不当なルールが放置される。
ようやく分かった。
どんなに説明しても理解できず、言葉の通じない人は、そもそも、そもそも戦力にはならない人だった。
何が正しく、何が違うのか?見分けられない。その時点で、もうダメ。
その人がそのモノを理解するには10年以上かかるか、もしくは、一生分からないか。
穴場スポットでもなんでもいいんだけど、ビジュアル的な珍しさとか綺麗さよりも「ストーリー」が大事かなと。
Wikipediaで東京各地の歴史でも調べて、歴史上の出来事や人物と関連する場所を歩いて回ったらいいと思う。例えば皇居周辺とか。
自動車の免許の例でいうと、まあ無免許運転者全体の数なんてわかるわけもないのだが、事故ったやつらの統計ならある
http://www.moj.go.jp/content/000105894.pdf
当たり前だが、意味はあるってこった
そんで車みたいに子供が言うことを聞かないなら殴っていい○×みたいな簡単なテストに答えるの?それで妊娠したら中絶強要とかパイプカットとか強要するの?意味あるのそれ?
FBIが裁判所と組んでアップルにiphoneのロックを解除できるようなソフトウェアを作れって命令を出し、話題になっています。
そのことの是非はとりあえず置いておいても、Appleの反論が羨ましい。民主主義と自由を基盤に置く、すごくアメリカらしい反論。
わたしたちは国を愛し、アメリカの民主主義を心の底から信じています。だからこそ、FBIからの要請に再考を促ししたいと思います。この要求が意味することを改めてよく検討することはすべての人の利益にかなうと信じています。
FBIの要求は正当な動機があると信じていますが、政府が私たちの製品にバックドアを作るよう強制することは間違っています。究極的には、この要求によって、政府がまさに守ろうとしている自由が損なわれるのではないかと恐れています。
We are challenging the FBI’s demands with the deepest respect for American democracy and a love of our country. We believe it would be in the best interest of everyone to step back and consider the implications.While we believe the FBI’s intentions are good, it would be wrong for the government to force us to build a backdoor into our products. And ultimately, we fear that this demand would undermine the very freedoms and liberty our government is meant to protect.
アメリカでは政府に「政府がやっていることは、民主的でないし、自由を損なうから、非アメリカ的で、間違っている」と言えます。つまり、民主的であることや自由であることは、政府の利益よりも上位にあります。
日本では、どうでしょうか。「政府がやっていることは、XXXだから、日本にふさわしくなく、間違っている」と、大多数の人が同意するような何かはあるでしょうか。政府の利益もしくは「(時の政府が考える)国益」よりも上位に存在するものはあるでしょうか。あえていうなら天皇制だけど、天皇制は歴史的にみても権力の暴走のブレーキにはならないのではと思います。権力を追認することでずっと生き延びてきた制度です。
あるのか知らないが。
毒親になるかどうかは本人に子育てさせてみないとわからないから。
ただそれでは被害を受ける子供が救われないので、国によっては虐待の疑いがある場合に親より行政に力を持たせていて、さくっと子供を引き離せるようになってる。だけどそれはそれで、些細な教育方針や文化の違いが増幅されて子供と一緒に暮らせなくなったりするケースもあるんで万能じゃない。