元の話を知らない横だが、こんなテンプレ文章でドヤ顔しかできない自分の無い奴に、自分を好きだの嫌いだの言われたくないだろw
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20120801/1343822209
http://law-science.org/webronza10.html
違う世界に住んでいて互いにわかりあえない、その現場を目撃しているかのようだ。
中村氏の書いてることは、法律の世界に軸足をおいている人が(自分が住む世界の特殊性を自覚した上で)うっかり忘れがちになることを素直につづった感じで、個人的によくわかるんだけどねぇ。
悪いんだけど、何をしたいのか今ひとつ分かりません。
「欲望」と言い換えてもいいのかな。
男をつぶせばそれでいいの?
今回の同席はその準備段階?(録音って書いてあるし)。
もしあなたが社会的にそこそこの地位にいて、金銭面でもある程度余裕があるなら、
「適切な(≒半分グレーな)」弁護士を身銭で雇って、策を練り、男を社会的に抹殺すればいいんじゃないかな?
喧嘩の基本は「夜討ち朝駆け」です。
いろいろ頑張って下さい。
ラストで今までの話がどんでん返しするような話ってあるじゃん。叙述ミステリとかホラーとかそういうの。
そういうの読んで「多分こういうことなんだろうなぁ」って自分で思うんだけど、いまいち納得というか理解できなくて、ネットで評判(解説?)探すんだけどみつからないときってどうしたらいい? スッキリしなくて気持ち悪い。
横増田だけど、ちょっと何言ってるのか意味不明な文章だと思った
もっとひどく言えば、「自分を好きになれ」とかそういう誰かの受け売りのような言葉で救われる程度のことなら、あの
なんか良いこと風な受け売り書き込んで「愚痴なんて度々聞くのはうんざり。受け売りのアドバイスした。はい、おしまい
。もう愚痴るなよ。」という他人の嘆き切り捨て目障りに思ってスルーしたがる人は世間によくいるけど。
別に増田で度々愚痴るぐらいいいんじゃねと横増田は思ってるよ 愚痴を書き込んでいる間は生きてるとわかる
これまでにも数人の増田が嘆き苦しみを増田に書き残しながら増田から消えていった
中村弁護士は科学グループの人に下読みしてもらわなかったんですかねぇ。あんな粗忽な書き方したらバカにされたと怒る科学者が続出するのは火を見るよりも明らかなのに。何のために科学者と組んでプロジェクトやってるんだか。
こういうこと言う人って、プライド高くて批判に耐えられないのに、そのくせ自分を嫌ってるよね。
お前が嫌いなお前を誰かに好いてもらって、その「嫌いな自分への好意」に何の価値があるんだ。
お前が彼らの好意によってお前が好きな方向に変化したら、
彼らにとっての好きだったお前は影を潜めるんだぞ。
好意を持ってくれる彼らは離れていくかもしれないんだぞ。
嫌いな自分を好いてもらおうとするということは、嫌いな自分のままジレンマの中で生きるってことだよ。
だから、誰にも好かれなかろうが、年を重ねて自分が変容しようが、
電子書籍の漫画って、それこそ、紙の漫画とはまったく別物として進化していくんじゃないかと思うから、
紙とちがって、閲覧環境に差がありすぎるのが、漫画ではとにかく表現物としての完成度を追求していく際のネックになってる
既存のガラケー・一部のスマホに配信されてるコミックの場合はコマごとに見せるようになってたり、
大型の端末でも、見開きぶち抜きとか、これまで漫画の技法として確立してきたものがうまく機能してなかったりする。
一部の雑誌のコミックを2ページ表示形式で見られたりもするけど、どうも紙とは効果度が違う感がぬぐえない。
やっぱり紙の漫画のノウハウをそのまま導入して効果が発揮されてないんだよね。
見開き横断小回りとか、技法自体が端末の制約で不可能なものもあるし…。
マンガって、一番身近な娯楽なんだけど、かなり視覚的アートの世界だ。
マンガ描いてる知り合いが結構いるんだけど、書き手がトーンの選択やペン先の選択に苦心しても、
電子化ですべてつぶれたり、コマ分断されたり、作者の意図通りの表現ができないって言うのは、かなりの悩みどころらしい。
紙媒体の同人誌刷っても、印刷所のクオリティしだいで一喜一憂してたりする。
作品の完成度にこだわる漫画家ほど、電子書籍化を受け入れたり・技術的に対応してくのに時間を要しそう。
文章はフォントや文字組にこだわる人もいるけれど、おそらくマンガよりは電子化に際しての調整点は少ないように思う。
今はまだ、電子コミックに特化したページ構成を指導できる編集者や、書き手側の電子書籍向けのノウハウが確立してなくて、
年金を設計した当初の予想以上に寿命が延びすぎたってのはあるんだろうな。
それで福祉のバランスが崩れているってことなのかもしれない。
じゃあ「しつけ」でいう事を聞けるようになるのは何歳からか、と言う知識はある?
どんなに幼くても親の動きを子供は見ている。乳幼児のときからでもだ。
大人と同じように公共の場では静かにとしつければ、わきまえる子になる。
ならない場合は発達障害の疑いもあるが、粘り強く親が躾をしていけば、ちゃんと育ってる。
騒ぐのが個性とのたまう親もいるようだが、違う。場所をわきまえて騒ぐことは個性と言ってもいいだろうが、総合病院でも電車でも大騒ぎさせっぱなしで、「言う事を聞ける年じゃないから」と躾を放棄するのはいかがなものか。
子供が騒いでいて親が注意しなかったらそいつは迷惑なやつで、周囲の私たちはただの被害者。ここで、周囲の私たちが子供に注意してやろうとはならない。
昔、菅原文太さんの雷おやじの会があったらしいけど、あれどうなったんだろう・・・。
最近全く聞かない。
(http://anond.hatelabo.jp/20120801062032
http://anond.hatelabo.jp/20120801231619 のつづき)
録音機材とガムテープを持っていこうかなと思っている。
多分ガムテープは使わないけどもあると面白そう。M男に使えるかもしれないし。
先日、仕事で数日間たてつづけに顔を合わせた時、あからさまに無視を決め込んでみた。
以前のように、相手が満足そうに自分の話をする時間を取らなかった。
ほかのスタッフとはいつもと同じように冗談を言ったりしていたので
大の大人が何しているんだ、と人に言うのが恥ずかしい状況であった。
ただ今までで一番ストレス少なく仕事が捗ったのでこれもありだろう。
男は何か異変のようなものを察したのか、
私が作り出した会話の輪の時にはその場にいても一切黙り込んでいた。
電話のときから会っていなかったので、男には私の態度がよくわからないものだったのではないかと思う。
ただ単に失礼な社会性のない女と映っているだけかもしれないが。
もしくは生理かな、とか。
もし万が一「この前の電話以来、俺を意識しちゃってる?」と思っていたらそんなミサワであるが。
狙って相手の気分を害するのは、なんとも言えない腹の痛みが伴う。
腹の痛みは陰湿さに比例するのかもしれない。
なんだかんだ嫌いを装っていても惹かれているのでは?と言うコメントがあったが、
私は本来嫌いな人はいないので、それは鋭いと思う。
ただあのメール以降は視界に入ってほしくないと思うようになっており
ここでの文章は自分の我を抑える訓練でもあるので、とにかく平常心、無我の境地、南無南無、ではある。
男は早い話、我の塊であり、それをあらゆる場所で振りまいている。
「見て!ぼくってすごいでしょ!?すごい人と知り合いのぼく、すごいでしょ!?」
ただそれが許される人柄ではないし人徳もない。
なので、人は離れていく。
本人が気づいていないのが幸せな点だろう。
私もまた我が強い。
「みて!わたしおもしろいでしょ?すごいでしょ?だからみんなひれ伏せよ!」
我を捨てろと上司に口酸っぱく言われている。
おかげで自分の話をする機会が激減した。我をぶつけることとコミュニケーションの違いがやっとわかってきたものの、
だから我を振りまく男を「どうしてあの人はよくて私はだめなの?ずるい!」と思ってしまっている。
なのでこの男をつぶしてやりたいというのは幼稚な嫉妬から発生しているイラつきである。
(注意されているうちが華なんだけれども。)
仮に第三の彼女に連絡を取るにしても、彼女に精神的な配慮をそこまでする気はない。
男の彼女がどう感じようと、そのあと感情が乱れようともどうでもいいというのが本音だ。
しかしそれでは理不尽なので、ここは形だけでもなんとかしないとと思っている。
ただ実名でプライベートなことをしゃべられることには同性として怒りを感じる。
産みたいという思いを汲み取らず堕ろさせたことにも怒りを感じる。
それをいまだに得意げにしゃべる様子をみると、ぶっつぶしてやりたくなる。
だから言い方次第で矛先を男に向けられると思う。
2番目の彼女にカミングアウトすることも候補にあがっているが、
こちらの彼女もどう傷つこうと、どうでもいい。
最終的な矛先はすべて男に向かわせるだけだ。
今回は今までのイラつきを一気に晴らせるチャンスであるかもしれないことに高揚感を覚えている。
ここに書くことで落ち着いて、実際は何もないこと、
私の器がでかくなって、この男の存在が虫ほどになることが一番ハッピーエンドであることは
うすうす気づいている。
どうにかそうならないもんかなぁ。
すべては私の我ゆえ。
そーなんだー、と思っている。
変えられないとしたら、根本的に失わせればいいのではと思うがどうだろう。
そうすれば本人の内部の問題だ。
精神構造をバグらせる感じというか、そこからまた精神が対応していく、みたいな。
いちばん男に望んでいることは、
仕事上では、自慢話ばかりして手も足も動かさないので、口も動かさないようにしてほしい。
そういう念書を書かせたい。
もしできれば、どうして俺こうなっちゃったんだろう、どうして人をちゃんと愛せないんだろう、って、
絶望させ続けたい。
若い頃にそういうことを思う分には、心の筋肉が柔らかいから対応できるけれども
50も近いとかなり心の柔らかさがなくなっているので
(ここでは彼女登場による修羅場によって保てなくなった”すごい俺”)
もし併せて感受性も硬化していたら大して応えないかもしれない。
としたら一連の私がやることも大して応えないわけだから
総量でいくと大したことのないことになるな。
そうしたら日常の愉快なひとこまになるのか。
やっぱりティッシュ完備で行為後拭きますか。計画子作りだと拭かなかったりするのかな。
童貞なんでその辺良く分からんのです。AVだと出されたままフェードアウトするので実際にやったらどうしてるのか気になって仕方ないんです。
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20120801/1343822209
を読んで。ぶくましようかと思ったけど、どう考えても100文字じゃ足らんので増田に。
http://law-science.org/webronza10.html
も脇が甘くて、たとえばid:locust0138さんが引用した、
科学者は反対だ。何より結果が「科学的に正しい」ことが最優先で、「適正手続き」は二の次だ。科学の知識も科学者内部での合意形成という側面はあるのだろうが、「科学的に正しい」答えは、たぶん、適正手続きからは出てこない。
の最後の「適正手続き」をカギ括弧でくくってないあたりなんか典型なんだけど、でも、この記述そのものは、実は憤慨すべき話でもない。ここで言う「適正手続き」というのは、中村弁護士の言う法システムにとってのものだ、ということが前提ではあるけど。
例を挙げてみよう。かつてアメリカの多くの州で、反進化論法というものが制定された。進化論は聖書を否定するけしからん言説であり、学校で教えちゃいかん、という法律だ。いちいち裏を取っちゃいないが、州議会でちゃんと可決され=まさしく「適正手続き」により定められた法律だろうから、したがって反進化論法は「法システム的に正しい」。
しかしもちろん、「法システム的に正しい」ことと「科学的に正しい」ことはイコールではないわけで、「適正手続き」を経たからといって、科学者が、進化論は否定されるべきです、なんて認識を持つようでは大いに問題である。「適正手続き」を経ようが経まいが、自らが「科学的に正しい」を思うところを突き進んでいってこその科学者じゃあないですか。
幸いにして反進化論法は、連邦裁で違憲認定された、すなわち法システムが備える別の「適正手続き」によって「法システム的にも間違い」ということになったわけだけど、言い換えれば、「科学的に間違い」なことが「法システム的に間違い」になるには、単に「科学的に間違い」であることだけでは足りなくて、別途「適正手続き」が必要だったわけ。もちろん、連邦裁違憲判決ルートだけじゃなくて、州議会で廃止というルートだってよかったんだけど、いずれにしても、何らかの「適正手続き」を通す必要があったのよ。
でまあ察するに、中村弁護士は、この「別途『適正手続き』が必要」というところを、科学者にわかって欲しかったんじゃないのかな(その目的に照らして、言葉の選び方などがあまりに不用意だったのは批判されるべきだけど)。別に科学者が一般的な用語法における適正手続きを軽視していると言いたい訳じゃなくて、法システム上の「適正手続き」を軽視していると。「科学的に正しい」ことを追い求める際の手続、たとえば査読誌への掲載とか追試による検証などに対して、それらは手続としての適正性を備えていないとか言いたい訳じゃなくって、それらとは別に法システムには「適正手続き」ってものがあるんですよ、と。
読めと言われても読めない名前があふれる
→DQNネームの人達が「あらゆるところで名前に振り仮名を付ける」スタイルを実行しだす
→DQNネームが多数派なので「あらゆるところで名前に振り仮名を付ける」がビジネスマナーとなる
→まともな名前の人にとっては読める漢字にわざわざ振り仮名をつけることが無駄、
一つを究めること。
一つを究めていくうちに、その周りのことも自然と身に付いてくる。
あれやこれやに手を出しても、結局そこいらにいるその他大勢の仲間入りするだけ。
「何でもできます」は「何もできません」と同じように見られる。
そういうエネルギッシュな人(以下、ギッシュの人)は以下の点でギッシュ出ない人に比べて生存・繁殖に不利であるから。