2011年10月06日の日記

2011-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20111006151751

これ、よく考えたら、彼女コンサートに行きたい気持ちはたいして高くなかったかもしれないんだよね。

少なくとも自分チケットを取る程じゃないし、諭吉一枚と交換する事なんて考えてもいなかった。

元増田が乗り気だから「いいねーずっと行きたかったの!嬉しい♪」くらいは言ったかもしれないけど。

そもそも元増田は提案するときに「チケット一万円だけどいいかな?」と了解を得なかった。

彼女の可処分所得が多いというのは、元増田想像の域を出てなくて

実際に彼女デートにかけられる予算は少ないのに、割り勘の前提で元増田お金のかかるデートを計画しているのかもしれない。

もしくは、彼女は実は、一人暮らし元増田の為に部屋の掃除をしたりご飯を作ってくれてたのかもしれない。

たまの外でのデートくらい、普段の家事労働のお礼に元増田の全額負担でもいいんじゃない

彼女の言いたかった事かもしれない。

ただの下種の勘繰りかもしれないけど、彼女は意外と裕福だという自覚も実感もなくて

元増田が「彼女は裕福なんだからこのくらいの金銭的負担どうってことないだろう」と甘えているだけなんじゃないかと思った。

村上春樹ノーベル賞受賞ならず

1Q84とか綺麗な語彙ちりばめただけの無内容な本がノーベル賞なわけない。

http://anond.hatelabo.jp/20110220013933

言語云々より、WEB技術に関する基礎知識がなにより大事

セキュリティ対策って何?文字コードって何?セッションって何?HTTPって何?って人多すぎ。

(フレームワークは使えるけど、フルスクラッチだと掲示板すら作れない人達プログラマとして働いてる現状)

WEB開発の言語論争は自称ギーク()でミーハーエンジニアが、

俺って時代を先取りしてるぅ!と言い争ってるだけ、

学習コスト運用コスト、実績、を明確に示せるエンジニアがいないかビジネス案件が一向に増えない。

http://anond.hatelabo.jp/20111004220839

外側からみたらその通りだよね。

でも、せめて自分の事くらいは自分でっていうのと、完全にやる気がないのには決定的な違いがあると思うよ。

俺は文句言いながらやる人間だ。

しかし世間は文句言わないけど何もしない奴を好む。

どう考えても”やる人間”を上手く使う方が得だと思うんだが。

うそ

http://anond.hatelabo.jp/20111006151751

から、そもそも「彼女が行きたかったコンサート」のチケット代を奢る必要があんの? って話。経緯も経済力も考えずに「デート代は男が持つもの」と考えてる彼女はあり得ない。「実家が裕福」を持ち出す元増田もあり得ない。自分のことは自分でするって気概が感じられないって意味であり得ない。そんだけ。

だれだれだれだ

誰だ、レダレだ。

http://anond.hatelabo.jp/20111006173344

そんな君には、そんなこと関係ないんじゃない?

生活保護不正受給の結末

札幌視覚障害を偽って(自転車普通に乗ってたらしい)不正生活保護費を受け取っていたジジイへの判決

「証拠不十分により不起訴」だとよ。

まりアレか?札幌市視覚障害と言う確たる証拠がないゴミ生活保護費を渡し、

裁判所は証拠がなくとも生活保護は貰えるんですよと道を示したのか。

あほくさ。

http://anond.hatelabo.jp/20111006170157

それは、私に対する何か?

私にはキチガイ病院逝けとか言うくせに

http://anond.hatelabo.jp/20111006165825

漢方薬

女医が居る漢方クリニック

・手軽なのでは、中将湯 漢方薬ではないが生薬 薬局で買える

Steve Jobsスタンフォード大でのスピーチ

もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。

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ありがとう

今日世界最高の大学ひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学卒業したことがない。これが大学卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生からつの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。

最初の話は点を結ぶことだ。

私はリードカレッジ最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?

話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。

17年後私はたしか大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これから人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。

ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったか友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。

リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通クラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。

これらの何一つ人生現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初Macintosh設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初コンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体プロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。

もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ運命人生カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。

二つ目の話は愛と喪失についてだ。

私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってから人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。

数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。

当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。

次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初コンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリー制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。

Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。

三つ目の話は死についてだ。

17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。

もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事ものを残してどこかへ行ってしまからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。

1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まり対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。

一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。

これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。

誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。

あなた時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。

私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚人生にもたらした。まだ1960年代パーソナルコンピュータデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラ制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。

スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなた冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。

ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。

本当にありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20111006183702

一時服やら言動やら、なんか取り繕ってみたけど、不器用で駄目なんだわ俺。

多分、俺が解ってないだけで、女からするとダークでダメ男オーラ出してるんだろうな。輪から離れてくのが解るんだw

http://anond.hatelabo.jp/20111006183240

ちなみにチビはあんま問題にならないぞ。

俺の周りは俺よりチビでも結婚してるやつ普通にいる。

顔はまぁ程度によるが脱オタ程度の小細工しとけばほぼ問題ない。

コミュ力は慣れもあるからどっかでなんかしら頑張って多少なりとも成功体験積むしかない気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20111006182905

そうだなw

二十代の頃は合コンとか社会人サークルに参加したりもしたが、輪の中に入れないレベルなんだぜ。

多人数で盛り上がる→個人的な関係になる、な展開は俺にはムリなのを痛感している。

確かに、学校ってありかもな。

http://anond.hatelabo.jp/20111006182633

奇遇だなw

英会話スクールかいいと思うぞ。

嫌でも会話することになるし。

http://anond.hatelabo.jp/20111006182236

俺も163cm。

規模だけは大きい企業10年勤めてるんで金に困ることはないが、コミュ力もねえし女と飲み会で盛り上がれねえ。

ネクラでひかれるからその後の展開もないな。

もう、だめだ

死ぬんだったら、何もかもばらしてから死のう

みたいな気にならない事もない

http://anond.hatelabo.jp/20111006181458

清楚な方がいいにきまってるだろ。便器は臭くなるだけだし

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