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はてなキーワード: トラットリアとは

2022-08-24

anond:20220824101850

トラットリア大衆食堂っていうと違和感ある訳なんだよな

どっちかってとタベルナが大衆食堂っぽいと思う

トラットリアファミレスで言うところのロイヤルホストみたいなところ指している印象がある

anond:20220824101538

イタリアではトラットリア大衆食堂の分類だけど日本ではなぜかコースメインの高級店にそういう名前がついてることがあるので、その店はえからコース頼んどけよボケカスって感じの店だったんだろうな

イタリア料理の注文方法

トラットリアと書いてある店で、夜二人でドリンク前菜2種、パスタ一皿ずつと頼むのはおかしことなのか。

店員に嫌な顔をされ不快になった。

2022-08-23

すごくまずいパスタのお墓

美味しい店がほとんどない地元で、唯一まともな味の餃子屋に行こうとしたところ、満員で入れず、かといっていまから自分料理をするような時間でもなかったので、以前から存在を知っていた駅ビル地下のそこそこ口コミもよい(そういったことを信じてはいけない)イタリア料理個人店に入店した。

からは見えなかったが、扉を開けるとカウンター4席しか客席がない店で一抹の不安を覚える。少々お待ち下さいと、目の下が化粧かクマかで真っ黒なおばさん店員に言われて5分程無闇に待たされた時点で、即効帰って自分リュウジのバズレシピ見て邪道で美味しいパスタもつくってればよかった。

トラットリア(店名がトラットリアをもじった造語になっていたので正式にはわかりませんが)だったのでお腹も減っちゃったし適当に注文しても良いだろうと思い2人で冷前菜、温前菜パスタ2皿を注文したところ、「パスタパスタってなっちゃますけどいいですか?」と聞かれる。パスタが2皿でOKと答えると「うちはシェアして出してるのでパスタパスタってなっちゃます」とのこと。シェアしなくていいと伝えるも「うちはシェアしかできないので」とのこと。ランチもやってんだからシェアしないくらいできるだろうとは思ったが、まあ店の方針もあるだろうし、パスタを2皿という尋常でない注文方法をしているのであろう我々がおかしいのかもしれないのでここは「パスタパスタってなっちゃう」ことにしたがっておくことにした。

あえて頼んでなかったのに「お飲み物は」との圧があったのでビールウーロン茶を注文(います餃子屋に行きたい気持ちが止められていない)。もしかしたらその時点で我々がおかしな客だから嫌われていたのかもしれないが、自家製パンが異様に熱くカチカチで、私が家で作ったときにめん棒がなくて適当に伸ばしたので厚くなりすぎてしまったピザ生地と同じ味がした。温前菜のトリッパはオレガノを入れすぎて草と油の味がした。シェアされたパスタボロネーゼは煮込みすぎて繊維だけになった牛肉、かけすぎたパルミジャーノが混ざり合ってカルビーポテトチップスボロネーゼ味があったらこんな味だろうなという味。もう一つの冷製ジェノベーゼオリーブオイルと松の実をいれすぎ、冷製パスタなのに茹で時間通常どおりでやりましたか?というくらいのカチカチ麺のイタリア風油そばで、ラーメン屋みたいに終わった食器自分カウンターの上に上げる方式だったのでより一層ラーメン感が引き立っていた。今回唯一美味しかったのはレバーペーストの下に引いてあったルッコラです(レバーペーストは溶けたアイスクリームの食感)。しめて2人で8200円也。二度といかないです。

口コミサイトに悪評書いてもいいけど、コロナ飲食店が大変な中、潰れてほしいとは思わないし何なら店主に刺されるかもしれないのでここに。

居心地がとても悪いお店のすごくまずいパスタのお墓としてこの記事を捧げます

2019-10-21

高級レストランってなんだ

[B! 食] 「お腹が空いていないお客様」|黒ワイン|note

発展途上のお客様を大切に暖かく見守る、というのは、わかる一方で、自分はいいことをいっているように思っているんだろうけど、選民意識が透けて見える、といったブコメ感想にも同意だな。

たかイタ飯リストランテって、内心ではこんなに客を見下しているのかと思うと、怖くて行けないよ、と思われても、やむを得ないよ。

トラットリアだろうが、リストランテだろうが、味とサービスで互角に勝負してほしいわ。

それでもリストランテという誇りを大事にしたいなら、完全予約制にしたらどうか、と思ったり。

とはいえ、客に嫌味をいうのが珍しいかといえば、世界的には別に驚くことじゃないだろう。

ヨーロッパ特にフランスあたりでは、ダメな客は、嫌味どころか露骨差別されたりするからな。

映画プロヴァンスの贈り物(2006年英)」で、注文を取るラッセルロウが、「ねえ、サラダはノンオイルドレッシングベーコン散らして」とか頼んでいるアメリカ人夫婦に、

メニューを取り上げて、「マックが近くにあるからそっちにいって」と乱暴にあしらって立ち去るシーンがある。

そこまでの経験したことはないが、こちらが英語必死に頑張っても、フランス語でしか対応してもらえなかったことはあった。文句や苦情がでても、店ではなく徹底的に客のほうが悪いという文化のように感じる。

郷に入れば郷に従え、で、居酒屋には居酒屋作法があり、バルにはバルの、高級レストランには高級レストラン作法がある。


客の立場として、自分の話をする。カネに余裕ができて、ちょっと背伸びしておしゃれなレストランとか行き出した時期のことだ。

10年くらい前に、ひょんなきっかけで、イタリアワインちょっとした縁ができた。

俺は今でも全く素人なんだけど、知人つながりで、いろいろ機会が増えて、少しずつイタリアン面白さがわかってきた。

それまでイタリアンとかフレンチなど全く未知の世界だったが、いつのまにか日本トップレベルあたりで切磋琢磨している様子も垣間見る機会ができるようになった。

就職したばかりのときは、残業続きで、終電間際の駅前の街中華の半額弁当を買うがせいぜいだったので、まるで別世界に入った感じだ。

テーブルマナーは、失敗しながら教えてもらって身に着けてきた。

テーブルマナーリストランテに行かないと結局身につかないし、わからいから、お店の人に時には厳しいことを言われるのもしょうがないんじゃないかとも思う。

その意味で、冒頭の黒ワインの人のように、温かく見守るような店のほうが、ど素人にはありがたいね

それ以来、少しだけだが、グルメに目覚めた気になって、日本のみならず、世界の各地でグルメを楽しむようになった。

ヨーロッパミシュランガイド星付きの店も結構足を運んだよ。ヨーロッパでは特にスペインの星付きレストランコスパサービスクオリティに驚かされた。

どういう店がクオリティが高いのか、自分なりのスタンダードが次第に作られていくのが楽しくて。

俺的には、ペアリングメニューとかマリアージュ経験して初めて、ワイン料理のものに興味を持てるようになった。

10年前、興味をもつきっかけを作ってくれたソムリエの方は、先月残念ながら、お亡くなりになった。

その意味では、この世界サービスがどういうものであるかを一番手っ取り早く知る方法は、グルメの知人をもつことかな。

そして、ミシュランガイドに載っている店やその人の勧める店に、その人と行ってみることだと思う。

その理由は、

1.ミシュランガイド(星の数やいくつかカテゴリがあるけど、さしあたりどれでもいい)に載っている店はサービスにハズレがないと期待できる。

2.自信がつく。ちょっとやそっとのことでは、おどおどしなくなる。経験からサービス比較することができるようになってくる。

3.知人の紹介する店に連れて行ってもらうことで、作法を学べる。店の人に嫌な顔をされる前に。また一緒に食べることで、料理ワインに興味がわく。それも含めて舌が肥えてくる。

こうして慣れていくと、逆に、だんだんからなくなってきたことがあった。

それは高級レストランっていったいなんなの?ということだった。

高級レストランがあることは知っているが、その価値がよくわからなくなってきた。高級の定義はなんぞや。

例えば、ミシュラン・ビブグルマンで選ばれている店は、実は高級とか無関係だ。

トラットリアだろうが、カジュアルな店だろうが、洋食和食ジャンルわず、うまくてサービスがよくコスパのいい店が選ばれる。

そうしているうちに、次第に気が付いてきたのが、うまい店はミシュランだけではないこと。

ミシュランに関わらず、世の中には、料理や酒に情熱を注いでいるひとがいて、いっぱい埋もれた名店が潜んでいるということ。

家の近所のイタリアンスタッフと気が合って、最高!ってことだってある。

近年、ミシュラン獲得したけれど、お客様カジュアル雰囲気じゃなくなって敷居が高くなったと思われたくないから引き続き、予約はとらない方針でいく、という店もあった。

一方、記念日利用で、初見で高級なお店を選ぶこともあるんだけど、けっこうイチかバチかだ。

最近は、口コミ評判や値段、高級かそうでないかは、ほとんど当てにならないと思っている。

特にサービスが悪いっていう口コミは、本当に店のサービスのせいなのか、客が慣れていないだけなのか判断がつかない。

それと、例えば東京カレンダーみたいなマガジンがあるよね?デートの利用先に困ったお兄さんが読むアレ。

景色とか雰囲気重視だったら、ああい雑誌情報は役に立つと思う。高い金出して、雰囲気を買う。

でも味やサービスという点では、、当たりはずれはあると思う。ハズレというのは、コスパ的な意味に結局はなるかな。これで1人2万円はねーだろ!みたいな。

そう思っていても、東カレみてワクワクしながら期待値マックスで行った高級店であればあるほど、ガッカリ感は大きい。勢い、口コミで、その店をくさしてしまうこともあろう。

俺も、ご多分に漏れず、口コミで店の悪口を書いてしまうこともある。ブコメ感覚でね。

でも、そういう口コミを目にした店のスタッフが発奮して、よし!もっといいサービス頑張ろう!と前向きにとらえてくれるとも思えないわけで。

それに、「この店は味が落ちた」だのなんだの書く俺は、自分自身の体調や経験の変化を考慮していないわけで。

ムカついて書いては、しばらくして反省して消す、みたいなことを繰り返しているうちに、口コミ自体やめてしまった。

結局のところ、

グルメ世界に踏み込んではみたものの、知れば知るほど、高級レストラン価値がよくわからなくなり、別に高級にとらわれず、

その時々で、タイミングよく、うまいメシをいい仲間と食えればそれでいい、というところに、落ち着いてきている。

2019-05-17

おまえらスパゲッティ過小評価している

たとえば子供の頃。

給食献立にはもちろんスパゲッティがあっただろう。

子どもたちも大喜びの大人メニューだ。

ソフト麺」というのも多くの人の郷愁をそそるものらしい(私の地元にはなかったが)。

あるいは弁当に入っている小分けのスパゲッティに喜んだこともあったはずだ。

主役としても脇役としても存在感を発揮するニクい存在、それがスパゲッティなのだ

自宅でもスパゲッティは大活躍

レトルトソースを絡めるだけでもいいし、

イチから作ってもお手軽だ。

スパゲッティは米よりも保存しやすいし茹でるのも楽。

一人暮らしにも実家暮らしにもフィットする最良の友と言える。

いわゆる「中食」としてもスパゲッティは主役を張る。

コンビニには所狭しとスパゲッティが並んでいる。

同じ麺でもうどんそばよりも種類は多い。

大盛りミートソースペペロンチーノでがっつり。

野菜がたくさん入った和風パスタであっさり。

暑くなれば冷製パスタ、冬にはスープパスタ

弁当や丼よりも、融通の利くスパゲッティをこそ愛する者は多いのではないか

さらスパゲッティ外食でも強い。

ジョリーパスタ洋麺屋五右衛門鎌倉パスタ壁の穴ポポラマーマピエトロマンマパスタ

サイゼリヤカプリチョーザのようなイタリアンファミレスも忘れちゃいけない。

といってチェーン店けがスパゲッティじゃない。

リストランテ

トラットリア

イタリアンバル

違いはよくわからないけど、

カジュアルにもフォーマルにも愛されているのがスパゲッティだ。

まりスパゲッティ凄さというのは、間口の広さなのだ。

懐かしの給食おふくろの味一人暮らしコンビニ

オシャレにランチ、気軽に飲み会デートで使える高級店まで、

スパゲッティはそのすべてのシーンに寄り添っている。

牛丼は確かに身近な存在だが、「牛丼を食べた」というとそれは「吉野家松屋すき家に行った」とほぼ同義だ。

おにぎりを食べる機会は多いかも知れないが、それもコンビニおにぎりか、昼の手作り弁当が大半ではないか

寿司は、外食中食で強みを見せるが、「家庭の味」にはなかなかならない。

しかスパゲッティは違う。

家で、外で、コンビニで、専門店で、一人で、家族で、

人生のさまざまな場面でスパゲッティは現れる。

それこそが「文化的な豊穣さ」と言えるものではないだろうか。

ラーメンも同じく「文化」だろう。

戦国時代とも称される無数に存在する専門店から

カジュアルチェーン店

ご家庭で食べられる袋麺、

おなじみのカップ麺まで。

スパゲッティと比べると高価格帯は弱いかもしれないが、

それでも単なる「庶民の味」を超えて、日本に広がりを見せていると言える。

カレーだってそうだ。

給食で食べた甘口カレー

いつも食べてるレトルトカレーに、

ココイチゴーゴーカレーのお馴染みの味、

専門店カツカレー

インネパ店の本格カレー

アジアンカフェで食べるココナッツカレー

流行りのスパイスカレーに、

ホテルで食べる欧風カレー

日本人に愛され、そして「文化」にまでなっている国民食は、

ラーメンカレー、そしてスパゲッティ以外にない。

私はそう確信し、断言するのである

http://b.hatena.ne.jp/entry/4668800443334601858/comment/toksato

2019-01-26

anond:20190126100351

グリッシーニワインとか飲みながら食べるおつまみだな。イタリアの家庭なら大抵常備してて、トラットリアとかオステリアといった大衆的な飲み屋だと食べ放題テーブルに盛ってあると聞いた事がある。

2017-09-10

珍しい野菜が売っている八百屋さん

中野ブロードウェイ地下の野方青果スーパーではちょっと見ない野菜が売っている。



ハスイモ

別名 りゅうきゅう

高知徳島名産品。

直径3〜4cmほどの半月状の茎。断面には多数の気孔があいている。

これ自体に味はないが、食感がいいらしい。



アシタバ

別名 八丈草

見た目はモロ葉っぱ。

名前は「とってもすぐに明日には新しい芽が生えること」に由来するという。

独特の癖があるらしく、天ぷら等にするといいらしい。



アンディーブ

別名 チコリ

手のひらサイズ白菜のようなルックス

オシャレカフェ等でたまにサラダに出る。

水分が多く、ちょっと苦い。



ビーツ

別名 火焔菜 こっちの名前の方がマイナーかも。

これもたまにオシャレカフェトラットリアなんかでサラダカルパッチョの付け合わせ等で供される。

でも一番有名な使われ方はボルシチかも。あの真っ赤な色はこれ。



週末にはセレベスを買ってきた。

インドネシア原産

見た目はデカいサトイモ。

そぼろ煮にしてみたが、味も食感もほぼサトイモだった。

意外とイケるな。



もうちょっと寒くなったら、ビーツを買ってボルシチを作ろう。

2016-09-10

君の名は。」の東京至上主義死ぬ気持ち悪い(追記有)

君の名は。」を観た。映画としては面白かったが、監督東京至上主義的発想がにじみ出ていて気分の悪い作品だった。以下ネタバレこみでどこが気持ち悪かったか書く。


まず、三葉が飛騨に住んでいるのに東京の話ばかりするところが気持ち悪い。飛騨は一応岐阜の一部であり東海地方であるテレビ名古屋ニュースが入るはず。ならば、まず三葉が向かうべき都会は東京ではなく名古屋のはずである。もちろん、東京名古屋では都市の規模に明確な差があるけれど、「カッフェ」はたくさんあるし雇用も最低限はある。実家の様子を見に行くことを考えれば名古屋就職するという選択肢も考えられるはずで、そこがすっぽり抜け落ちているのが不思議だ。小説版では三葉が名古屋のことを「大きな田舎」と表現する場面があるらしいが、当たり前だが飛騨よりは名古屋のほうが何倍も都会だ。三葉たちが困っていたのは「カッフェ」がないこと、雇用がないこと、訳のわからない因習があることだ。それらから逃れるためだけならば東京ではなく、岐阜市なり名古屋市なり富山市なり近くの地方都市に引っ越せばいい話である。(岐阜富山雇用が少ないかもしれないけれど)三葉が「田舎」を脱出したいという気持ちはわかるが、その向かう先が「東京」である必然性は感じられなかった。

次に、三葉たち糸森村の若者たちが最終的に三人とも上京するというのが気持ち悪い。繰り返し書くが、三葉たちが「田舎から脱出するなら名古屋に引っ越すという手段もある。それなのに三人が三人とも東京に出てくるのはなぜなのか?また、百歩譲って名古屋飛騨と同じレベルの「大きな田舎」だとして、「田舎」に彼らが残らなかったのはなぜか?糸森が消滅したとして、その地元愛着があるなら欠点はあれど飛騨に残るという考え方も抱けたはずだ。特にテッシーは親父が土建屋でその跡を継ぐという選択肢も考えられたはずであり、岐阜就職することもできたはず。東京に行った三葉と地方に残ったテッシーという対比もできたのに三人とも上京してしまうというのが腑に落ちなかった。

そして、彗星が墜落したあとの三葉とテッシー夫婦以外の糸森町民の姿が描かれないのも気持ち悪い。町は半分くらい吹っ飛んだが避難完了したはずで、三葉の妹やおばあちゃん、親父さんは生き残ったはずである。それなのにせいぜい三葉の親父さんが週刊誌に載ったことがわかるくらいで妹やおばあちゃんの後日談はない。あたか彗星によって三葉たち以外の糸森町民は抹殺されてしまたかのようだった。また三葉たちは生き残ったが、糸森という文化彗星墜落によって消滅してしまった。これは瀧が過去を改変する前も後も実は変わっていないように思えた。田舎文化田舎に残った人たちを瀧は実は救えていないのではないか

(そもそもおばあちゃんや妹は生き残ったのかという疑問もある。ラスト付近で瀧が彗星被害について振り返ったとき、彼は「突然の避難訓練によって、奇跡的に『ほとんど』の町民が生き残った」といった。この言葉からわかるのはあの彗星墜落によって少なからず死者が出ていたということである。その死者の中にテッシーの親父や三葉パパや四葉が入っていた可能性も後日談が描かれなかったから十分ありうる。神社土建屋といった「田舎因習」の象徴である彼らを監督は観客にはわからない形で彗星で消し去ってしまっていたのかもしれない。)



自分意見を整理すると以下の二つ

①「君の名は。」の世界には「東京」と「ど田舎(=飛騨)」しか存在しないのが気持ち悪い。地方都市存在無視している。

若者たちは必ず「東京」へ行かなければならず、彼らが抜けだしてしまった「ど田舎」は描く必要がないという思想気持ち悪い。東京は必ずしも「地上の楽園」ではないし、若者たちが抜けだしても飛騨に残った人たちの生活は続いている。「田舎」は「東京」へ向かう若者たち踏み台ではない。

この二つは監督の「東京至上主義から出てきているのではないか東京以外に日本に都会はなく、あとは全て「田舎である。「都会(=東京)」は素晴らしく、「田舎(=東京以外)」はくそったれであり、若者は必ず上京しなければならない。自分は新海監督のファンではないので彼が今までどういう映画を撮ってきたかよくしらない。だけど、「君の名は。」を自分なりに解釈するとこういうメッセージがあるように思えて仕方ない。そしてこの発想は「東京以外」にすむ自分としては非常に気持ち悪い。セカイ系だなんたら言われてる人らしいがその手の批判もむべなるかな、と思ってしまうような映画だった。



・追記

一部ブコメに返信


「miruna 軽井沢田舎ボンボンにはTOKYOあんキラキラに見えるんだよきっと。ファーストフードの豊かさを無視してブルジョア高校生がクソ高いカフェお茶してトラットリアバイトするんだから。」

これは全くその通りだと思います自分がなんでこんな増田を書いたかというと恐らく新海監督は長野のご出身(それも関東圏にかなり近い)なので都会=東京なんですよ。彼の原体験にはど田舎長野)と都会(東京しかない。近くに札幌福岡名古屋のようなそこそこ都会な都市がない。だから地方都市をぶっ飛ばし若者がみな東京にすい寄せられていく話を書いたんだと思います。でもそれは福岡名古屋札幌のほうが東京より近いエリアでは微妙事情が違ってくるはずなんですよね。だから本当はご自身出身である長野東部舞台にされたほうがしっくりくると思います

「Phenomenon あんだけ飛騨を美しく描いてるのにその解釈②はないんじゃない」

この点については「星の降る夜に”『君の名は。』(ネタバレ) - 私設刑務所CHATEAU D'IF http://chateaudif.hatenadiary.com/entry/2016/09/09/232626」というエントリー自分以上にわかやす解説しています

新海誠本人の田舎への郷愁景色のみで、ヒロインの言う「都会に行きたい」、東京大好きが本音というところだろうか。彗星には世界が滅びる鬱映画メランコリア』的な破壊衝動も感じる。人が死ぬ必要さらさらないけれど、場としての田舎は滅び去れ! 災害描写3.11メタファーなのだが、滅びるのが予言通り、みたいな乱暴さもあり、ババアの教えや伝統芸能が、街が救われることプラス自分恋愛のために存在した、というのはすごいナルシシズムだ。 ”

ヒロインや友人ら主要登場人物はみんな東京へと去り、親以上の世代のその後は語られないあたり、まさに「親殺し」の物語であったとも言える。”

メランコリア」は未見なのでよくわかりませんが、自分は「君の名は。」を観て「アクシズが墜落してしまった逆襲のシャア」みたいな映画だなあ、と感じました。人は死ななかったわけですが、彗星の落下自体「奇跡」回避できなかったということは、実はかなり絶望的な映画なのではないか、と。彗星の落下は自然現象ですが、その落下を設定したのは監督自身です。彼には田舎人間若者以外)を全て抹殺したいという願望があったのでは?少なくとも私は田舎に対する愛着は感じられませんでしたね。

とにかく自分事実誤認四葉彗星の死者数)をたくさんしているということもわかったので、もう一度見返したいと思います。そしたらまた追記を書くかも

2013-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20130520115926

それを言うなら、雑居ビルの小さいトラットリアで、店主にぞんざいにされたぐらいで

店名晒すだって中々の世知辛さじゃね?

2013-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20130524165001

なんかえらいテンションなのでツッコミにくいんだけど、「もし自分がその店の店長だったらこう言う」というだけでなんで働いてないことになるのかがよく分からないと思った。

あと、飲食店慇懃無礼に断ることって、実はある。内緒だけど。自分が客として飲食店従業員のそういう態度を見たとしても、別に驚かない。

あとコンビニバイトにおける接客と、飲食店しか銀座のやや高級トラットリアにおける接客とでは、その質も、接客の重要性も異なる。

からなんで増田がそんなテンションで嬉々としてツッコミ入れてるのかがよく分からなくて、違和感を覚えた。

増田のほうが外食経験も浅そうで、しかも働いたことないのかなって思った。知らんけど。

2013-05-19

小さな飲食店障害者の人に対応する余裕なんて無い

乙武洋匡さん、銀座の「TRATTORIA GANZO」に「車椅子から」と入店拒否される

http://togetter.com/li/504751

 

この乙武さんの件だけども。

なんか一部の人が言いたい放題でちょっと見ててイラときたので書いておきますブコメは全体的にお店に対して同情的な人が多くてそれが唯一の救いではあるんだけど、それでも正義面して誹謗中傷する輩が目につきます

 

この銀座のお店は数人で回してるトラットリアらしいですが、はっきりいって忙しい時は10単位でやる事があるわけです。10秒でも何かやるべき事をやらなかったら味が崩壊するのがイタリアンです。例えばパスタ10秒長く茹ですぎたらもう出せないレベルです。それが想像できない人は漫画バンビーノ」でも読んでみてください。少人数で回すイタリアン(トラットリア)のキッチン戦場です。

 

から、僕はイレギュラー対応を要するお客さんが予想外に来ちゃった場合に受け入れられなかったお店の気持ちは痛いほどわかります。「悠長に店長がわざわざ下りて来て断るぐらいなら、忙しくないじゃん」とか乙武さんは言ってますがね、それは乙武さんが来て15分後のことですよね。その15分は恐ろしく忙しかったはずなんです。ようやく数分だけブレークタイムができたか乙武さんに対応ができたんでしょう。なぜそういうことが想像できないのでしょうか。飲食店で働いた経験など無いのでしょうね(当たり前か)。

 

予約までしたのに事前に車いすのことを言わなかったお客さんは責められずに、なぜお店に対してだけ一方的に「馬鹿」「死ね」「潰れろ」などと言えるのでしょうか。例えばこの人。無関係のくせに酷いですね。潰れろとまで言う資格がこのような赤の他人にあるのでしょうか。いったい何様なんでしょうか。

id:satromi 馬鹿は黙ってろという感じ。サービス業の頭の悪さは、ほんとどうにかした方がいい。こういう店や、こういう思考をするオーナーの居る店は潰した方が社会的にましだろ。障碍者対応という当たり前のことさえできないレベル反社会的人間が商売をやるのは、社会的に大きな損失でしょ。万が一成功したら、ワタミ化するぞ

この人みたいにお店側の立場になって想像するという事が全くできない自称正義ネット民」が日頃の鬱憤をこうやって憂さ晴らししてる方がよっぽど酷いですよ。なぜ相手も同じ人間だということに思慮が至らないの?これじゃあただの誹謗中傷じゃないか。このまとめに出て来る人達なんてもっと酷い。

「TRATTORIA GANZO」店主への激烈リプライ

http://togetter.com/li/504844

 

こういう正義という旗の下ならどんな暴言も許されると思ってる人達の方が、よっぽど悪意に満ちあふれた糞な人種だと僕は断言できる。

君らの方がよっぽど他者の弱さに不寛容だ。

2012-08-22

「友人の延長」からデート理想

ちょっと洒落ビストロとかトラットリア行きたい

ドレスコードはないけどコースメニューは三段階ぐらいあるようなところ

そんでメニュー見ながら「え何これ、何の料理食材何?」「わかんないw」とかコソコソ言い合いながらコース決めて

「へーこれ○○のナントカだって、美味しいねー」「初めて食べたわw」とかやりながら食べたい

「また来たいねw」「次は私が頑張っていいお店探すねっ」みたいな会話しながら帰りの電車に揺られたい

2011-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20110623214601

あー、食い違いの正体が分かった気がする。「イタリアン」じゃなく「トラットリア」って言えばたぶんイメージ一致する。きっと元増田とも。

 
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