はてなキーワード: はてな村とは
どんだけ頻繁に里帰りしたって、住んで生活してるのと同じ解像度で認識するのは無理だよ。
旅先の物価なんかずっと覚えてないだろ、それと一緒。
「田舎は都会より物価が安い」も「田舎と都会は物価変わらない」も、どちらも間違いだよ。
スーパーの商品に限っても、「大して変わらんな」って商品と「こんな値段でどうやって商売成り立ってんだ?」って商品がある。
家賃は劇的に違うし、その他違いがあるものとないものがいろいろ混在している。
首都圏に20年以上住んで、最近地方大都市に引っ越した身として思うのは
今住んでる地方大都市も含めて、「都会は家族の住むところじゃないな」という事かな。
都会に無理して家族で住む場合は途端に不自由な点が増え始める。
それでも教育の事とか考えると地方より都会の方が選択肢が多いのが辛いところだな。
一般的には地方大都市に住むより首都圏外縁部に住んだ方がいい場合とか多いんじゃないかと思うが
首都圏のあの人ゴミにウンザリして地方大都市に移った身としては、今現在自分に合った場所に住めていると思う。
自分が暮らしてない地域の事をよくわからないのは当たり前のことだよ。
田舎の住人は都会の事を知らないし、都会の住人は田舎の事を知らない。
俺の都会の認識も徐々に風化してるなという実感がある。
どれだけ技術が発達したって、人間の構造が変わらない限りその辺はこれから先も変わらないし、
そういう認識のズレはずっと消えないと思う。
地上波テレビ、しかも紅白の内容が気になっているおっさんなんて、意識高いはてな村においては最下層の人間として軽蔑されるのだろうが、気になるものは仕方ない。
何が気になっているがといえば、今年の紅白で朝ドラをどう扱うかということだ。
地上波など愚民の見るものと見下して知らない人のために説明すると、紅白では毎年、朝ドラは重要なコンテンツで、主題歌は優先的に選ばれるし、朝ドラの登場人物が応援に駆けつけたり、以前は『あまちゃん』の特別編的なものを展開してみたり、まあいろいろな取り組みをしてきたわけである。
で、今年の下期の朝ドラ『ブギウギ』であるが、笠置シヅ子の生涯を下敷きにしたこのドラマ(ドラマでは福来スズ子)、わりと評判がいいらしい。
なにしろ歌手の生涯の話だから、舞台の歌唱シーンに力が入ってる。そして主役のスズ子を演じる趣里が、なかなかに好演している。
この人は水谷豊と伊藤蘭の娘というバリバリの2世なのだが、もともとバレリーナ目指して挫折した過去があるそうで、女優に転身してからも親のゴリ押しを使った印象が希薄なところが、好感を呼んでもいるようだ。
映画に出てもないうちから映画賞もらったり、なぜかブランドアドバイザーを歴任してたりするどこぞの誰かとちがって、ご両親もしっかりしているのであろう。
ドラマではいい感じに10代から演じていて、とても33歳には見えない。母親役の水川あさみとは実年齢が7歳しか違わないのに親子に見えている。
で、ドラマでは初回で『東京ブギウギ』の公演を再現してみせ、歌唱力もあるところを見せつけて、これはそのまま紅白の企画として使えそうなクオリティであった。
で、今週は、育ての親である服部良一(ドラマでは羽鳥善一)とであって、服部良一・笠置シヅ子としての最初の曲である『ラッパと娘』が大好評になる、というくだりだったが、これもなかなか良かった。
5分の朝ドラで全曲フルコーラスのステージをそのまま流すのは、わりと思い切った演出だと思うが、制作側も趣里の歌手としての実力に信頼をおいているからこそ、だろう。
この『ラッパと娘』という曲、昭和14年(1939年)の日本の曲とは思えないおしゃれな曲なので、知らない方はぜひ聴いてみてほしい。笠置シヅ子のオリジナルも含めてYouTubeにいくつも上がっている。作詞も服部良一だそうだが、変に抒情的な意味などなく、“みんなこの歌歌えば楽しい”くらいの内容であとはスキャット主体なのもかっこいい。日本がアメリカと戦争始める数年前は、まだまだこんな“敵性音楽”が普通に劇場でやれてたんだなあという軽い驚きもある。
で、これを紅白でどう盛り込むのかと考えると、気になるのは羽鳥善一(服部良一)役が、草彅剛ということなのだ。
なにしろ笠置シヅ子の育ての親であり、今週のドラマでも羽鳥善一がノリノリで指揮するバンドをバックに歌うステージが展開されていた。
紅白に趣里を出して企画やるなら、やはり羽鳥善一(草彅剛)も一緒に出ないとすごい不自然なことになるだろう。
おそらく今、NHK内部でいろんな駆け引きやら調整なら行われているのだろうが、堂々と草彅剛を紅白のステージに出したら、ちょっとNHKを褒めたい(←謎の上から目線)
https://coralcap.co/2023/11/japan4-0/
上記の記事と、それについたブコメを見て思ったことを適当に書く。
上記の記事は「経済活動の総量は減ったとしても、人口当たりで考えれば豊かさを向上させることは出来るはずだ」という趣旨だと思うんだが、
「経済活動の総量が減るだろ、何言ってんだ」みたいな頓珍漢なブコメが大量に星集めてるの見て悲しい。
ただ悲しい。
「日本が他国と比較してどうなのか」という観点でしか見ていない感じなので、著者は都会に住んでる人なんだろうな、という感じがする。
日本の経済活動の総量が減るということがどういうことなのかを理屈ではわかっていても実際どうなるのかを肌で感じたことが無いんだろうなと思う。
「都会に限った話」という条件で語るなら筆者の意見は妥当性のある内容だ。
人口が半分になろうとも、首都圏、大阪近辺、地方の大都市あたりは豊かさをより感じられるように変化させていくことは可能だろう。
その代わり、地方は末端から徐々に壊死していく。そこに対する提言は一切記事に書かれていない。
日本全体でどれだけ「平均的な豊かさ」が従来以上のものなったとしても、壊死する地方に住んでる人間の豊かさは2倍どころか、現状以下になることは明白だ。
そもそも著者の視界に入ってない事について私が推測で語っても何も意味がないのでこれ以上の言及は避ける。
議題を俎上に乗せるためにまず自身の考えを公開するという点は非常に素晴らしいと思う。
でも、ここから先にたどり着く議論の先には「都会VS地方」という結論のない戦いしかないように思う。
切り捨てられる側からしたら、移住した先により豊かな暮らしが待っていたとして、その豊かさをそのまま受け入れられるわけではないということは分かってほしい。
でもいずれ、この「正解のない問題」に対する答えを出す時期は来るので、罵り合いにしかたどり着かないとしても議論を始める価値はある。
俺個人はその問題が表面化する前にあの世に逃げるので、どんな意見を出そうと大した意味はない。
「今まで通り大人しくゾーニングやろうとしてんのにフェミが攻めてくる」みたいな、狡い印象操作やってんなーってのが第一印象。
でもそうしないと食いつなげないんだよな。
今まで通りのゾーニングに大人しくしたがってたら人口減少でパイが減ってマイナージャンルから徐々に死んでいく。
だから、自分たちの好きなモノを殺さないために今まで以上にゾーニングの箍を緩めたがってるのが表現規制反対派だ。
箍を緩めたがってるんだから表現規制反対派に理がないと言いたいわけではないが、そう言うところで狡い印象操作やってたら、信用なんかされないよな。
どっちがクソとかではなく「どっちにもクソなヤツがいる」が正しいのだろうな。
クソ同士の罵り合いは何も生み出さないので、はてな村に相応しいコンテンツだから存分に罵り合いしてPV乞食を喜ばせてあげて小銭稼ぎに利用され続けるといい。
都のような行政機関の執行部隊は政治的に中立であることが求められ、有権者が選んだ首長の方針通りに行政を粛々と執行するのが都の職員の役割である。
都の委託事業を受託する事業者にも当然このことは言えるので、沖縄の米軍基地の反対運動のような政治活動を行うことはたとえ約款で禁止されていなくても信用失墜行為にあたる。民間企業が発注元なら取引停止は免れない。
会社で営業担当が担当する顧客に会社の業務と関係ない政治活動や宗教の勧誘をしたら大抵の会社では就業規則(信用失墜行為の禁止)に違反するため処分を受ける。Colaboのケースでは就業規則に相当するものがないので都はColaboにペナルティを課すことができなかったが令和5年度の要綱改定で受託者が提出する誓約書に新たに項目が付け足された。当然の対応である。
https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/jakunenjosei/shinseihoho.files/seiyakusho.docx
なぜ問題なのかは社会人なら即答できると思っていたが、どうもはてな村ではそうではないらしい。会社で働いたことあるんだろうか?
大学病院の神経精神科にて、そこに所属している臨床心理士から数ヶ月間に渡って心理教育を受けた経験あるけど、ごく普通の礼儀正しい社会人って感じでしたわよ。
(社会人なら普通にするような気遣い、言葉遣いの範疇にとどまっていたという意味。普通の人と違うのはもちろん心理学分野の知識。その臨床心理士らは研究論文を書いてるような人たち)
そういう人たらしテクを使う人種は、独立してやってるカウンセラー()とか、占い師とかの水商売系、あとは営業職じゃねーの。偏見ですが。
精神医学分野の知識を学べばいいって発想が興味深い。つまり普通の人は精神科の医師をカウンセラーかなんかだと思ってるんだな。
増田はスタンダードな精神医学の教科書(医学書院とかが出版してるようなやつ)を2〜3冊くらい買ってザッと読んでみればいいよ。精神療法に関する記述が殆どないことに驚くんじゃない?
券面に資格情報が印字されていないので、マイナカードを持っていても見せても健康保険に加入しているかわからない。
持っている本人もわからないし、第三者も見ただけではわからない。病院の読み取り機にかざしてはじめてわかる。
はてな村の住人くらいのデジタルネイティブからは、券面に記載が無くてもスマホアプリで読み取れるとか反論があると思うが、一般人に通用する理屈ではない。
例えばSUICAでは、定期券情報をわざわざ券面に印字している。これも、チャージ額と同じように読み取り機で確認する仕様にすることも可能だっただろうし、その方が低コストだったはずだが、それでも定期券情報の印字にこだわったのは、一般に普及させるためには「見てすぐわかる」ことが必要だったのだろう。
マイナ保険証もICカード形態で普及させるのなら、券面に印字スペースを作って健康保険証情報を印字すべきだったと思う。
これは、モバイルSUICAがそうであるように、アプリになれば解決するかもしれない。
「健康保険証の確認ごとき」で暗証番号の入力が必要になるのは、ユーザーにとって利便性が悪い。
現状で暗証番号が広く受け入れられているのは、キャッシュカードとクレジットカードの一部だが、これはユーザーの金を引き出す/使うという「重要な取引きのトレードオフ」だから。
パスポートにもICチップが埋め込まれているが情報を読み取るのに暗証番号は必要ない。免許証は本籍地を見るための暗証番号を設定するが、使われていない。
とはいえ、認証なしに情報を読み取れるようになるとスキミングの問題もあるので難しいのだけど、安易に暗証番号を入力させると、病院などで盗み見られる問題が起こる可能性があって、こちらの方がユーザーにとっては重大だろう。
この問題のキモは銀行とは違って病院では暗証番号の入力を隠すことへの意識が低いところにある。
他人に教えてはいけない秘密の番号(マイナンバー)が印字されてしまっているという問題。
マイナカードがマイナンバーと個人を紐づけるためのカードだとしても、マイナンバーそのものを印字する必要があったのか。
例えば、クレジットカードでは再発行によってカード番号が変わることがあるが、それでもカード会社は個人を特定することができている。同じようにマイナンバー本体はサーバ内で管理して、券面には一時的な番号を記載する、あるいは電子データ内のみに持つようにするので良かったのではないか。
サンフランシスコが酷いことになっているという話がはてな村で盛り上がってるが、それって「他国が地盤沈下した結果、他の先進国から羨まれる状況になってる」らしい日本がこれからたどり着く未来だよな。
一般市民の生活なんかそっちのけでごく一部の「稼げる企業」の業績を優先した結果、置き去りになった一般市民がホームレス化したりして購買力が低下して店の撤退が相次ぎ街が寂れていくというサンフランシスコ衰退の道を今の日本はきれいにそのまま辿っている。
通貨の監視員たる日銀様が眺めるばかりの円安は一般市民の生活を確実に蝕んでいる。
1ドル150円弱が常態化するなんて一年前に言おうモノなら、金融緩和派から「またこんな馬鹿げたゼロリスク信仰な意見が出てきた」なんて集中砲火喰らっただろう。
円安について、これ以上進まないという楽観的な見方をしたとしても現状の水準が市民生活を圧迫してる事実は消えない。
コストプッシュのインフレなんだから賃上げなんか大して起こらないのは既に証明済みだ。
サンフランシスコのように、日本も分断が加速し、政治がそれを放置し、その政治を監督すべき責任者たる有権者が放任し、徐々に腐っていくのだろう。