はてなキーワード: 三途の川とは
30過ぎてボッチがつらい、とか絶望しかない、とかいうエントリーが最近多いですね。
一人で気軽に始められるし、やめたいときに現世をやめられます。
死ねば人と会うこともほとんどないので、ボッチの天敵であるリア充な方々と出会って悶々とすることもない。
気分が落ち込まないように天気が良い時に行きましょう。
天気が悪くなったり、傷が浅すぎて死ねなさそうならささっと帰りましょう。
また来ればいいので。
三途の川まで行って気が乗らないから帰る、というのもアリです。
走馬灯でもみて帰りましょう。
自殺の目的はシンプルに「死ぬ」です。(全部が全部そうではないが)
死まで行けばとりあえず達成感が得られます。
天気がよければ自室で辞世の句でも詠みましょう。
あとは死ぬだけです。
シンプル。
飽きた
A.三途の川を渡りたいなら葬儀費用や法要などこれだけの金額が必要です。持ってますか?
あなたが用意していなければそれ全部遺族の家計を圧迫するんですよ?何ですと金持っていない?
B.「Turn Off The Light」「Lullaby」「くまモンモン」の公式MVがYouTubeにあるので教えてみる(ステマじゃないよ)
(ダンスとかジョギングなど音楽のリズムに合わせて体を動かすのは有効)
C.行きどころの無い思いのたけを増田に投稿したら、記憶から切り離して忘れる
D.大声で歌うのを奨める
何か元増田がアドバイス求めてるっぽいので 今日はメニュー表の中からBをおすすめしとく
「美しい物」「元気になるリズムの構成を体にプログラミングするダンス」「癒しキャラ」が不足気味?
自殺で息子を亡くした父親の目を見たことがある?拭いきれない憂愁に満ちたあの瞳を?
横増田は2人知っているけど二人とも元のように心の底から微笑む事ことが出来る日はもうこないんだろうなと感じた
瞳が変わっちゃった
これほどつまらない作品も久々に観た。
ネタバレ。
狼男が、自分の正体を曝け出すシーンは、あくまでも神秘的に演出されており、汚らわしくないものとして描かれている。
当然、花は彼を受け入れる。
しかし、逐一「成長した二人の娘」の声でナレーションが挿入されるので、
これはあくまでプロローグであり、本編まで暫くかかるな、と視聴者にもわかる。
さっさと始まらねぇかな。
ちょっとの辛抱だ。
一人目の子供が産まれる。雪。
ん? ってなる。
「そういえば、出産の時、狼の姿で産まれてたら、どうしたろうね」
っていう、クソどうでもいい突っ込みを、敢えて先回りして予防されたような、
なんとも腑に落ちない感じがした。
このシーン、要るのか?
つまんねぇし、長いんだよ。
イヤ~な予感は募るばかり。
(いや、保険くらい入っとけよ。とか、そもそも在学中に産むなよ、などと思ったりしたが、何でそんな野暮なツッコミ入れたくなるかと言うと、無駄に説明ばかりの作品の癖に、肝心な部分でリアリティが掻き消されているからにほかならない)
夜泣する子供に切れる隣人。
遂に大宅から立ち退きを促される花は、田舎に引っ越すことを決める。
冗長をどうにかしてくれ。サクッといってくれ。
ボロ屋に引っ越す。廃屋同然の木造住宅にテンションうなぎ登りの雪。
何を見ても大声で笑い、走り回り、また笑い転げる……。
どっかでみたぞ。
トトロじゃん。
なんて言うと、したり顔で見下されるんだろうが、何度でも言うよ。
トトロじゃねーか。
ところで、この幼少期の雪、まじで声を当ててる子役が、上手い。
笑い方、ぐずり方、ヒスの起こし方、走ってる時のブレス、どれをとっても、リアルな子供だ。
よって、宮崎あおい演じる花の棒っぷりが完全に浮いてくる。
中途半端にリアルを求めて、「声優の演技を身に着けてしまった人は使いたくない」とか嘯いて、
こーいうところで露骨なギャップを作られると、ちぐはぐで、いらつくんだよ。
耳悪いんじゃねえの?
床を掃除して、洗い場を掃除して、雨漏りも修繕して、住めるようになる。
綺麗にしてみると、実はガラスの模様が可愛かったりして。
素敵な一戸建てに生まれ変わる廃屋。(また無粋いうけど、そうはいかねーだろ)
ようやくか!
結果、作物は育つ。
案の定、活躍している。いいぞ。
遠巻きに見ていた村人たちも、徐々に花と交流していく。
何の、代償もなく。頑張ってたから、助けたのだな。
野菜が採れて、村人とお裾分けしあって、
協力して、この田舎でも、生きていける。
ということが、説明された途端、もう出てこないんだよ。
説明の材料に使われただけ。
何の障害もなくなったわけ。花たちも、脚本も。
冬が来る。降り積もった雪山を転がって、走り抜ける。
はっきり言って、「生の躍動感」の押し付けなんて、見飽きてる。
一緒に見に行った友達は、ここが一番良かったって言ってたが。
ようやくナレーションの年齢まで育って、
狼として生きるか、人間として生きるか、選びなさい。
狼として山を愛する雨。
姉弟の喧嘩のシーンなんかは、
腕白だった雪が風呂場で泣いちゃったり、
よくできてた。
それにしても雨は十歳で声変わり半端ねぇな。
で、嵐が来る。
無駄が多すぎるもん。
もうね、頭の中では、ストーリーの結末が、
俺がこうあって欲しいという道筋が、全部出来てて、
スカッとする展開を望んでたんだけど。
花は、嵐の中山へ入っていった雨を追って、
転落して意識を失う(あれは全身骨折だと思うが、つうか死ぬと思うが。御都合主義が過ぎる。その辺の説明も是非ききたい)。
三途の川ライクな場所で夫に慰められて(本当にありがちという言葉を使うのも恥ずかしいくらいクソ演出)、
行かないで~と泣く花。
母の強さ? そんなテーマ?
なんつうの。女の……何なのお前? っていう矛盾。
で、結局、雨は独り立ちしてしまう。
ところでお前は嵐の中、山で何やってたの? 見せ場ねぇー。
というか……
盛り上がる場所、ねぇー。
延々と説明。説明。説明の使い捨て。
エンターテインメントが、そんなに嫌いなら、大衆映画やめろって思うんだけど。
「しっかり生きなさい」とか言われても、失笑。もののけ姫のキャッチコピー?
なんだ、この、げっそりする感覚は。
「浅いよ」と言われようが、
「わかってねー奴」と罵られようが、
盛大にゲロをぶち撒けたような作品だった。俺にはそう思えた。
二つあって、まず多趣味は無趣味であるという事。興味の向くままにいろんな物に手を出していると、結局どれも中途半端で極めるほどまでいかない。結構楽しいし満足してるけど、外から見たら何も残ってない、無趣味に見えるだろうなと思ってる。
何かを極めるという事は何かを捨てていくという事だと強く感じている。選択と集中を続けた先に、打ち込んで結果が出て対外的にもこれが私の趣味であると、胸をはってそう言える輝かしい物が残るんじゃないかと思いねぇ。しかし何かを捨てていくって実際すげぇツラい。趣味人は分野によらずすごいと思う。
次に、基本趣味なんて持たない方が身軽でいいんじゃないかという事。最初の話にもつながるが、趣味としている物があるとそれにリソース使ってしまって、他の事ができなくなる。結果として積みゲー積ん読が三途の川の積み石がごとく積み上がり俺なにやってるんだろう状態になるのだ。鬼は何処か。
となると、趣味なんて持たない方が一瞬一瞬で面白いと思う物に取り組めて、そういうアクティブな人生も楽しいんじゃないかと、そう考える事もある。腰が軽く次々と新しい事に取り組んでいけるというのは、爆発力・駆動力という点でとても強いものがあるように見える。なんならリセットするのもありかもしれない。
そんな事をちょうど昨日ぐらいに考えてた。
んで本題だけど、趣味がないってのはそう小馬鹿にした物ではねーしあんたはそんなお節介をせずに自分の趣味道を邁進すればよろしい!!!
考え方がゆがんでるところがあるんだろうなあ。
大学では好きなコに告白したり、社会人で頭おかしくなったときは身内にも話して助け船を出したりもしたが、ぜーんぶダメだったんだよね。返ってきた反応は拒絶と無関心だった。別の身内にだって、同じように頭おかしくなって病院いってる「前例」なんてたくさんあるんだけどね、それでもなお、関心を示そうとしないんだ。
実の息子が鬱でアタマおかしくなって死にそうで助けを求めて駆け込んできて、それを蹴飛ばすんだね。
コミュニケーションの薄い家庭だとは思ってたけど、いざというときは助けてくれたりした芯の通った家庭だと思ってたんだけどね。
だから、もう誰にも頼ろうとしない。頼れるものは自分だけだから、自分が倒れたらそれで自分はおしまいだ。自分を支える外的要因はどうやら何も無いらしい。そう悟ったから、自分ひとりで生きていった。そんで、なんとか三途の川から戻ってきたところです。
おかげで、三途の川がどこにあるのか場所が分かったので、ああ、今度そっち行くことがあったら死ぬんだなってわかった。親にいろんなものを求めすぎるのも無理な話なんだなあ。って。
関心を持って、話を聞いてくれる人がいたら、また違っただろうね。おれの人生は。
だから、自分から人に何か働きかける、っていうことが少し億劫なんだよね。ま、まーたどうせ話し聞いてもらえないんだろうなあ。って思ってしまう。だから2chが必要なんだよね。
「愛を知らない悲しい暴魔~」って。
愛が足りない → 暴れる → 正義の味方に退治される。
僕が育った環境はLower middleかなあ。たぶん。
飲める自分が考えてみた。
自分がもし飲めない人だったら、歓迎会でどういうコミュニケーションを取れば得であるか。損をしないか。
とりあえず設定としては
これから会社に入る新人が、まだ会社の内部もよくわからないうちに
・飲めないことでコミュニケーション不全を引き起こす事態、あるいは引き起こすという誤解を回避する
①準備
飲み会に参加する前に根回しをする。
「実は飲めないので不安があるんです」と伝える。
飲み会自体に良い思いが無くてもそこを殊更に強調すると損になるかもしれない。
「飲み会も苦手なのですが、これから働くにあたって皆と円滑にコミュニケーションを図りたいので
酒は飲まないけれども頑張ります。」というような意気込みが言えたらいいかもしれない。(“頑張るつもり”がある必要は別に無い)
しかし飲み会には一切行きたくないし、とくにコミュニケーションを図りたくないと考えるなら、別にこの方法は実行せずとも良い。
名前や人となりを覚えてもらえる、今後相談しやすい環境をつくるチャンスが潜んでいるかもしれないし、そうでないかもしれないが
相談する前に「どうせ上司は強要してきそうだ」と思いこむのだけは避けたい。
「誰か飲めない人いない?」というメールを回してみるなど。
上司に相談もそうだけれど、飲めない自分の仲間・理解者を得るというのは大事な事だろう。
飲めないんだけど・・と思いながらノコノコ飲みに出かけて、聞かれたときに初めて
「あ、飲めません」と言うよりは、確実にその方が心証がよくなる。
もし飲めない仲間が得られたら、一緒にウーロン茶を頼んで隅っこにいようとか
お互い最初に飲めない組ですとアピールしようとか少し作戦を練ってみればいい。
②飲みの場での自己紹介
みんな飲んでるか?盛り上がってるかー?というような場で、飲めない自分がいること
さらに飲めない自分が自己紹介をすることは決して楽なことではないだろう。
場が白けるかもしれない。
ひょっとしたら「白けるから飲めよ」と強要されるかもしれない。
それなら白けさせなければいい。
皆が笑えるような「飲めないこと」のエピソードや冗談を考えておこう。
例
「バレンタインに彼女がくれたウィスキーボンボンで、三途の川が見えました!」(いる場合
「バレンタインに彼女がウィスキーボンボンをくれたら別れようと思います。いませんけど!」(いない場合
「もし自分にお酒を飲ませようとする人がいたら、会社の名前と一緒に歴史に残る裁判沙汰になると思いますので・・飲ませないようによろしくお願いします。」
「死にたがってる日でもない限り、私に酒を飲ませないでやってください。まだ若いんで・・。明日も生きたいので今日は飲みません!」
「もし私に飲ませると、そのまま病院に行くことになると思うんで。綺麗な看護士さんがいっぱいいる病院に私のベッドの予約をしてくれる人のお酌なら頂戴するかもしれませんけど・・しません!」
「私がこの会社で一生懸命働いて、もしそれなりの地位が得られる日が来たら私のように”飲めない人”のために
飲み会ではなく優雅な“お茶会”を開くのが夢です。私○○にどうか清き一票を!」(選挙風に
・・結構ぶっとんだ例で微妙なものばかりになったけれど
「飲めないんです」という言葉だけになるよりは、寒くても冗談を交えるくらいが良いかなと思った。
私は飲酒を強要されている被害者だ!飲まない説明まで強要されている!と思うのは
心情としてわからないでもない。
だけど、それだけをコミュニケーション不全の引き金にしてしまってはもったいないと思う。
飲まなくたってやっていけるというのを見せてやるし、その分他の人よりおいしいネタにする。
それができないわけではないのだ。
気まずいまま、引け目を負ったままで飲み会に何となく参加して飲まされそうになって
「あ、飲めないんで」と言葉を絞ることにならないように出来ることは
「社会がおかしい」「会社がおかしい」「昭和がおかしい」とtwitterに愚痴る以外にまだある。
ただ「自分はそんな性格じゃないし・・面倒だし・・」と言うのなら
それはそれでもういいとも思う。
ある日の午前。
少し前に述べたとおり俺が座っている席は窓際であり、そこは春の暖かな日差しに当たりうつらうつらと舟を漕ぎまどろむことができるいわば桃源郷、アルカディアなのであるが、この日の日差しは特に気持ちよくしかもそのときの授業は特に眠気を誘う英語であったもんだから、俺はある意味永久機関と呼んでもいいあの水飲み鳥のごとく首をカクカクさせつつ覚醒と睡眠の間に流れる三途の川を渡す船の上で船頭と渡し賃について押し問答を繰り広げることになってしまった。およそ5分程度すったもんだを続けた末、俺と船頭も何とか渡し賃について合意を得てさあ彼岸に渡らんと意識を手放しかけたとき、それは突然やってきた。
「――――んガっ!?」
いきなり後ろにもンの凄い力で引っ張られたと思ったら後頭部にとてつもない痛みが走った。
「~~~~~ッ、なぁにしやがるっ!?」
おま、打ち所が悪ければ死に至るほど危険な行為だぞ今のは、と憤然とした思いを胸に振り返りそう怒鳴った俺が見たのは、涼宮山ハルヒの――思えば初めて見る――デザートイーグルのマズルフラッシュの瞬間の映像のような笑顔だった。もし笑顔に温度が付随するのだとしたら、重度の火傷を負ってしまっているだろう。
「気が付いたでごわすぅ!!」
……ええい、唾を飛ばすな唾を。何に気が付いたんだ。
「どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのでごわすかなあ!!」
「だから何が!」
「無いんだったら、自分で立ち上げればいいではないでごわすか!!」
「だぁから何を!?」
「――――部活でごわすぅ!」
は。
「……わかった。でもまぁ、取りあえず今は落ち着け」
「ちょっと何でごわすかその冷めた反応は!? もうちょっとおんしもこの発見を喜んでほしいものでごわす!」
「ほれ、今は……」
授業中だから――ってオイ!?
「えー、『One hundred million and two thousand years from now, I has been loving you.』ここの訳し方ですが――」
「せんせー、すいません、そのちょっと前の『Words can't say of th-is time I've been waiting to share my love with you.』の訳がちょっとおかしい気がするんですが」
「え? えーと……ああ! ごめんなさい、正しくは――」
無視かよ!? なんだそれ!? 「涼宮山の相手はオマエに任せるから後はよろしく」って態度の表れかコノヤロウ先生も谷口も国木田も朝倉川もその他諸々のクラスメイトも!?
てかハルヒもほら、俺たち完全にないがしろにされてしまっているんだぞ、ここはさすがに怒るのが正当だと思うんだ俺は。
「――そうでごわすな、授業中でごわした。ちょっとはしゃぎすぎたでごんす。だから授業後に詳しく説明することにしたでごわすから、授業後はそのまま大人しくしているでどすこいよ?」
ええええええスルーか、この状況をスルーか!? もうちょっと反応しろよ、クラス内立ち位置についての危急存亡のとき(俺の)なんだよ!
「部屋…………部屋……うむむ」
ぐう……と、とにかく。
流石に授業中に騒ぐことはダメだと思う心はあるのか、ハルヒは大人しく引き下がり何事かブツブツ呟きながら席についたのだった。
「バーニング!」桂ざこば ラジオで北野誠にエールも憶測呼ぶ不規則発言
落語家・桂ざこばが、朝日放送のラジオ番組『元気イチバン!!芦沢誠です』(4月14日放送分)内で「北野誠! がんばれよ! 何を言うたんや、北野誠!」とエールを送った。この発言に対し、共演の芦沢誠アナウンサーがしどろもどろになりながら「何が聞きたいんですか、本当に......。(番組を)先に進ませていただきますんで......」と流そうとすると、ざこばは突然「バーニング!」と叫んだ。
興味がない人はまったくない話題だが、芸能関係者はぴりぴりしてんだろうね。
桂さこば「バーニング!」
↑しかし、これって記事の題のような「エール(応援)」なのか?
言われた本人的には気にかけてくれてありがとうと思いつつも、反面、顔面蒼白になって
「うわ、なにを言うてくれてんねんな」ってところでしょうねえ。
ま、ざこばはもともと筋金入りの天然キャラだし、KY(空気よまねえw)だからわかるんですが。
キロ2000円とかボッタ価格にもほどがあるおww東方厨舐められてんなあwww
その混雑具合から「男幕結界」と呼ばれているほどのカオス振りを見せる例大祭で嵩張るお米を販売するなんて正気の沙汰じゃない。少なからぬ混乱が起きるぞ!それこそ例大祭を中止に追い込むほどの事故につながりかねない…くそっ東方界隈も巨大になってこういうわけのわからねえ有象無象が押し寄せてきやがる。いっその事本格的に商業化して権利関係をガッチリ管理したほうがいいのかもしれないな。
あのですね、いくら「小町」だからといって、小野塚小町というキャラはですね三途の川の渡し守の「死神」なんですよ。食品のパッケージには最も不似合いですよ。本当に社会常識というものをわきまえていただきたいものです。大体ですね、東方Projectには「秋穣子(あきみのりこ)」という豊穣の神様がいるじゃあありませんか。彼女なんてまさにピッタリですよ。彼女の人気が微妙というのならお花畑の似合うクールビューティー「風見幽香」なんかもいいと思います。それでも微妙なら「霊夢袋」「魔理沙袋」「アリス袋」とか人気キャラを何種類か用意してですね、「お米はパワーだぜ!」とか適当なコピーを付けて売ればいいかと思います。
お米といえば、松岡修造の「お米食べろ!」が浮かぶなあ。松岡修造の暑苦しい顔をプリントした袋に米を詰めてニコニコ市場とかで売ると結構売れるんじゃあないかなあ。萌え米ならぬ「燃え米」としてさ。これ、神アイディアじゃね?うはww
大体、お米自体は他から持ってきただけじゃないか。こんなのは東方グッズとして片手落ちだ!東方界隈には同人作家であり農家でもある「しらうお兄さん」がいるじゃないか。彼と手を組んで「しゅべすた米」ブランドで萌え米とすればパッケージから中身まで100%東方グッズとなる!しらうお兄さんといえば「にんっしんっ」である。「妊娠」つまり「実り」である。パーフェクトと言い切れよう。
http://anond.hatelabo.jp/20070523211227
いやあのね、ただのゼリーと違ってこんにゃくゼリーはやばいのよ。いま、「蒟蒻畑」がなんでハート形してるか、知ってる?あれ、まんがいち飲み込んで喉に詰まっても、気道が確保されやすいように、なんだわ。発売初期に事故が相次いで、1個のサイズも小さくなったし、形状も変わったといういういきさつがある。
それでもなお、こんにゃくゼリーはやばい。何故なら、こんにゃくゼリーは普通のゼラチン製ゼリーと違って、熱で溶けない。寒天のゼリーと違って、圧力で崩れない。歯で噛み切る以外、細かくできないのだ。こんにゃくゼリー以外のお菓子、なんでもいい、あめ玉だろうが、クッキーだろうが、ゼリービーンズだろうが、ポテチだろうが、大概のものは体温や水分でじきにどうにかなってくれる。しかしだ、こんにゃくゼリーはそうはいかない。喉にずっぽりはまったら、融けるよりも人間の衰弱のほうが速い。
私も遥か昔に酷い目にあった。ゼリーの丸飲みって、のどごしが気持ちいいじゃないか。ところてんだって、噛むのは邪道だぐらいの人までいる。その程度の気安さで、私はこんにゃくゼリーを飲み込んだ。それは、私の喉を通過できるサイズより少々大きかったため、ちょうど気管と食道の分岐点となっているところにぴったり収まった。普通ならここで咳(気管の場合)か嘔吐反応(食道の場合)をカラダが勝手に起こして詰まったものを強制排出しようとするはずなのだが、こんにゃくだったので喉が拒絶反応を起こさない。幸か不幸か気道はかろうじて確保されていたが、喉の圧迫感は半端ではなく、苦しいことこの上ない。結局どうにかこうにかして吐き出すことに成功したが、どうやって出てきたのかなんて覚えていないし、時間にして数分はかかったのだろうか。もし呼吸が阻害されていたらマジやばかった。家にひといなかったし。いても声出せなかったし。
たぶん10年以上前の話なんだけど、喉がまだ感触をはっきり覚えてる。
因みに餅に関しては、役所にしろ医療機関にしろ、シーズンになるとこぞって耳タコの警告を出してるわけで、それでも毎度毎度「詰まらす」人が出てくる。これなんで他の食品でなく餅ばっかりアレなのかっていうと、餅は粘りけがあり喉に付着するから。喉に異物が触れるとカラダはこれを排出しようとしてむせるわけなんだけど、餅はくっついているのでむせたぐらいでは排出できない。依然として喉に異物があるからむせ続ける。これは不随意の反射なんで止めたくても止められない。でもって呼気ばっかになって吸気ができなくて窒息サヨウナラとなるわけ。気道を完全に塞がないくらいの少量だとしても危険なことに変わりはないのね。特に老人は唾液量や喉の粘液分泌量が減少し、餅がくっつきやすくなっているので子供より危険。対策としては喉をじゅうぶんに湿らすこと、ゆっくりよく噛んで食べること、など。たぶん事故発生件数では餅のほうがこんにゃくゼリーより多いだろうね。
追記
蒟蒻ゼリーについては、今回は風評被害の被害者であるだろう「マンナンライフ」の主張によれば、食べようとするときどうしても吸い込もうとしてしまうのが危険らしい。下手な人だと勢い余って口の奥に入ってしまい、びっくりして(不随意的な反射)飲み込んでしまうようだ。マンナンライフではこの点も考慮して商品の形状をデザインしている(ので当社製品は安全ですよ)、と主張しているもよう。