はてなキーワード: クラブ活動とは
http://anond.hatelabo.jp/20120706172447
「日本のアマチュア演奏家のほとんどは学生のクラブ活動である」というのはどうなの?
社会人になって、音楽で食べていくつもりがなくても続ければいいのに、今の日本人は二足のわらじに嫌悪感すらもっているんじゃないかと、侍でも無いのに。
他の仕事しながらでも、別にプロを目指してなくても真剣に音楽をやっても良いのに、そういうアマチュア演奏家は少なくて、周りの目も冷たいというか、まあ少なくともステータスでは無いだろう。
週3でギター教室行ってます、と初対面の相手に胸はって言えない29歳男性みたいな。週1でボイストレーニング通ってます、と初対面の相手に胸はって言えない31歳女性みたいな。
これが週3ランニングと素振りして、毎週末草野球してる29歳男性ならどうか? 週1でヨガピラティスに通っている31歳女性ならどうか?
草野球の男性に「何のためにやってるの?」と聞く人がいるだろうか、ヨガ・ピラティスの女性に「悟りでもひらくつもりですか?」と聞く人がいるだろうか。
しかしながら、ギター教室の人には「何のためにやってるの?」と皆が問うだろうし、ボイストレーニングの女性には「歌手にでもなるつもりですか?」と聞く、しかもふざけて聞く訳でも無く、真顔で心底不思議そうな顔して聞く。
というわけで、結局は前回のはじめに書いてんだけども、
基本的搾取権と言っても、基本的に誰でもが持ってるわけではなく、当たり前のように与えられているわけでもない
そう見えるだけでそうじゃない場合もあるし、本当に搾取的な事をしている場合もあるだろう
2chって学歴とかすごく気にしてる人もいる。yahoo知恵袋だと本当にそんなに気にしてない人もいるのに。例えば子供の進路でも単純に偏差値で決めるのでなく、校風やクラブ活動が活発かどうかなども基準に、本当に選んでいる人たちもいた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054596645 中学生の娘が偏差値55の私立高校に受かったのに、48の公立に行きたがってます。
自分は私立に行って欲しいのですが、本人の意思がかたいようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111557701 高校受験を経験した方、志望校は何をみて決めましたか?(設備、部活、校風etc.)
来年受験の中3なのですが、どうしても偏差値だけで判断しがちになってしまいます。
2ch運営の削除要求に対する対応について、官僚的と評されてたのを読んだ事もあるが、硬直した柔軟性を欠いた態度、それがやりたくて仕方ないような空気を感じないでもない。
それに、あの仕組みは、作った人だけが得をしているのに、商業主義に乗せられてないと思っているのも不思議だ。
あと、ユーザーは、やたらルールに従うのが好きw そして新規の人をそれに従わせるのも好きw
だけど、元々は他の人が作っていた掲示板にマルチポストして宣伝して、客を奪ったのが始まりだから、ルール違反した人が作ったシステムという矛盾
なぜ、商業主義を嫌っているのを推奨したり、商業主義と関係ありませんよ、というポーズをとるかと言えば、自分達以外の商売をそこでさせないため。(これは当たり前でどこのサイトでもそうだろうけど、商業と関係ありませんよというポーズを取ってた)
2ch運営(初期運営?)ほどうまく搾取できてない集団だと思うけど、体質としては、そういう資質を持った人が、多く集まった印象を受けた。
しかし、みんなで搾取しましょう♪とか、音頭取ってやってるわけではないだろうから、自然とそういう感じになったのか、たまたまそう見えるだけか、よくわからないけど
何が似てるんだろう 何かが似ている
素じゃない感じとか、悪い意味で老成しているところとか
自分に対して不思議な事をしてきた人が、考えてみたらやってる事が親と似ているなあと思い、どういう心理や心境でこういう事をするのだろうと、探ってたら、やばい結果を探り当ててしまって・・・
これは、もう何たらハウス関係なくごく個人的な事だろうな、と思ったが
こういう人を、引き寄せてしまう魅力が何かあるのかもしれないとは思う。
閉じた世界を感じる
カウンターカルチャー的ではなく、強いものの味方で、弱そうと見たら、権威主義的な態度を取るw そんな感じ
実際、権力者の近くにいる人がいて驚いた。 無茶やってるように見せながら、力に阿り擦り寄り
切ったら血が出るような、人間的な感情の発露というのを、止められてるのか、切捨てられてるのかわからないが、人間的感情の発露が理解できない。
こういうのって、今年問題になってる地震後の原発問題に対する東電の態度が官僚的な事や、官僚全般(中には頑張ってる人もいるかもしれないが)や日銀とか、弁護士や医師、の一部の態度にも通じる態度のような気がする。それを真似してるような。所謂困ったエリートは、搾取が当然と思ってて、高校生ウルトラクイズの賞金か何かだと思ってるのかもしれないと思う。
真似してるというか、そういう良くない力がある事を知って、それを肯定しているようなところはあると思った。
書いていた創作か実話かわからない話に、精神病院の中の様子が出てくるものがあった。その中の患者の様子の描き方が、医師にとって都合が良い描き方をしていた。それは、そういう人ではなく、そういう状態の人なのではないのだろうか?そして、それを治すのが、サポートしたりケアしたりして治すのが、医師の仕事のはずなのに、それができてないのは医師の責任ではないのか?
それを認識してない、その視点からの指摘が無い、抜け落ちているのはなぜだろう?
強さ弱さしか見られなくて、それに対して自分はどう思うのかという自分の判断力が入ってない、ものすごく子供な状態のままいる、そのくせ力を欲しがるのか、子供だから力を欲しがる、のかもしれないが。
そんなにうまく力が手に入るとは思えないけど、だからこそ、弱そうなものを見ると見境がなくなるのかもしれないし、自分達のフィールドに引き入れてしまえば、それなりに力を保って人に接する事ができる仕組みを作っているというか、作ろうとしているのかもしれない
。。。。。。。という妄念
さえ湧き上がってきてしまうほど、個性的な人が集まっているのはなぜ?
ただのシェアハウスのはずなのに
今日で30歳になりました。恋人は、生まれてこのかた、ずっといません。
中学生の時、同じクラスに好きな男の子がいました。女の子にとても人気のある子でした。
彼は、自分のことを好きな女の子がいると、徹底的に嫌っていました。
正しいやりかただとは思いませんが、きっと、照れ隠しだったんでしょうね。
私は彼と友達で、いい関係を壊したくなかったから、必死で、自分の気持ちをひた隠しにしていました。
あまり仲の良くない女の子グループが、私の気持ちを彼に、憶測で伝えたのだそうです。
ある日突然、彼は私の机や椅子を蹴って「しね」と言った。彼とはそれっきりです。
私は彼とは別の高校に進学し、共学でしたが、男の子と言葉をかわすことも殆どなく、
女子大に進学してからは、校内のクラブ活動に励み、外部と縁のない生活を送りました。
交際の申し込みは今でも時々ありますが、お付き合いする気になれません。
誰のことも好きになれないのです。
好きな人に嫌われて悲しい思いをするのがいやなのだ、とか考えた時期もありますが
結局のところ、私は彼のことを好きではなかったのではないか、と、数年前から思うようになりました。
もともと、誰かを好きになることができない人間なのではないか?
好きになるだけなら、傷つかなくて済むのに、それすらしないのだから。
30歳の私は、誰かを好きになれるだろうか?誰かを愛したい。
あんたみたいな人、どこにでもいるね。バイトでも会社でもクラブ活動ですらも、こういう人の先輩になった人はみんな経験があるんじゃないかな。
単に「注意力の欠如」だと思うよ。注意して物事に向き合ってないから忘れるし、それを指摘される。
「前に教えたじゃん」と言われる事に対して、「覚えていない自分は恥ずかしい」とか「そう言われないように頑張ろう」
という気持ちよりも前に、相手に対する恐怖心が芽生えたらもう駄目だな。注意力の前に恐怖が前に出てるんだから、同じ失敗を何度も繰り返す。
よく、「これをすると危ないぞ」と思っている事に限って、そうなる事って無いか?
あれは注意力よりも逆の心理が働き、自分をそっち(危ない方)に持って行こうとするんだよ。
怖いと言いつつホラー映画を見る心理と似てるかも知れない。
とにかく、恐怖心を取り除かない限り、あんたは同じ事を繰り返すだろうね。
さ、就職面接での「何か質問はありませんか」OK/NGガイド(日本企業版)の解説だ。
さて、まずは例え話をする。
誤解を恐れずに言えば、就活は男女の仲、つまり婚活や合コンに良く似ている。
一方が相手のことを熱烈に望んだとしても、もう一方が嫌がればカップルは成立しない。
ある程度の傾向はあるけれども、特定の相手を"落とす"手法は存在しない。
細かなことを積み上げ、相手に選んでもらえる確率を上げて行くしかないのだ。
だから、とても重要なこと(わかってる。愛だけじゃ結婚できないとかさ)だけど、
相手から「何か聞きたい事ってあります?」と聞かれて、
「長男ですか?」「年収は?」「どこに住んでいるの?」「親とは同居希望?」とか
「一人暮らし?」「淡泊そうって言われない?」「SMって興味ある?」とか
そういうことは聞くな。
重要なのはわかる。
大切なのもわかる。
世の中きれい事だけじゃ生きていけない。
でも「俺のことが財布に見えてるんだな」とか「風俗に行けばいいのに」とか思われたら駄目なんだ。
さて、といったことを頭に入れてから、質問内容のガイドを見て欲しい。
前提として「なにか質問はありますか?」というのは、単に聞いてるだけ。
実は、あまり評価には関係ない。単に印象が少し変わるぐらい。
でも、その差が大切。
ほんの少しの差が、次の担当者に書類を渡すかどうかを決める差になったりする。
実はさっきのリストは、実際に聞かれたことがある質問を分類しただけ。
(凄い質問もあったと思う。でも本当なんだ)
さっきの極端な例え話に似て、相手がどう感じるかを考えればわかる分類だと思う。
基本的には「うちを選ぶ基準ってそれなの?」という疑問を抱かせない質問ならOK。
言い直すと「キミはうちじゃなくてどこでも良いんだね」と思わせたらNG。
繰り返しになるけどセミナーでNGに分類した質問をしたからって評価が下がったりはしない。
(そもそも説明会で質問する人が少ないから、そういう点でチェックはされるかも知れないけど)
でも、面接時とか面接後とかに「ああ、そういやこの人はあれ聞いてたな」とちょっとトーンダウンしたりする。
待遇が良いところで働きたい、別にその会社の事なんて知らない、同業他社はどこも同じに見える。
でも「どうして我が校を選んだのかな?」「家から近いからです!」と言って素直で宜しいと評価されるのは高校が最後だ。
「説明会ではステッパーが主力事業と言われていましたが、Nikonさんのシェアが高いと聞いています。どこで差別化しているのですか?」
なんて質問をしたからといって、選ばれるとは限らない。
でも「残業は多いでしょうか?帰りにくいとか感じることありますか?」と質問した人と比べたら、
面接官だって人の子だ。どっちを上にあげたくなるかは、察して欲しい。
「質問はないけど、と断ってからの雑談」というのが、質問ではないというのも、
場所によっては「それだって質問だよ」と面接官が笑顔で応じてくれるかも知れない。
でも、会社に関しての質問を期待されていたら?
コレを読んでいるあなたがもしも面接官で、課長とか部長とか決定権を持つ人に推薦する立場で
「おまえが推薦してくる学生はみんな落ちてるな」とプレッシャーをかけられていて、
質問はありますかと聞いて、パンフの2ページ目に書いてあるのに「企業文化について教えて下さい」と質問されたら?
「企業文化には美意識を大切にするとあったのですが、茶道部とかそういったクラブ活動も社内で行っていたりしますか?」
そういって質問してきた学生と、どちらが良さそうだと判断するだろう。
まあ、最初に断ったようにどんなに熱望してもうまくいかないこともある。
なんであの2人が?というカップルも世の中にはたくさんいる。
でも「結局は※なんだろ」と言って腐っても意味はない。
Yシャツの袖が汚れてたって、寝癖が付いてたって、それで人間性や能力が決まる訳じゃない。
どうせ入社しないと社内の事なんて判らない。それも判ってる。
もちろん判ってる。
でも、スヌーピーも言ってただろう?どう転んだって、配られたカードで勝負するしかないんだ。
ほんの少しの差でも、出来ることは全部やっておくべきだと、そうは思わないか?
就職活動の心構えとか就職面接、転職時の面接での受け答えは日本とあんま変わんないね
と思ったのだけど、ほんとうに基礎から判っていない人がブクマ上でちらほら。
就職面接で「何か質問はありませんか」と聞かれたら--OK/NGガイド - CNET Japan
http://japan.cnet.com/sp/businesslife/story/0,3800105598,20421453,00.htm
ブクマ:http://b.hatena.ne.jp/entry/japan.cnet.com/sp/businesslife/story/0,3800105598,20421453,00.htm
例えば上の記事を読んで「福利厚生や給与とか大事だろ」とかいう感想を持つ人はちょっとそそっかしい。
良く読もう。
ね、大いに関連があるけど最初の面接では避けるべき質問なのだ。
ここまでで「なるほどね」と思ったあなたは賢い。以下のリストで勘所が掴めるだろう。
OKリストを見て「そういうポイントもあったか」と思った人はここまでで十分。
風邪など引かないよう頑張って欲しい。
「『質問はないが、と前置きしての雑談系』ってなんだよ!質問じゃんか!」と思った人は、是非ガイドを読んで欲しい。
次のポストに続くよ。
俺は昔から「歪んでいる」とか「捻くれ者」とか言われ続けていたと思う。
言われ続けていても(記憶に残っている分にはそこまでの回数言われていないが)何の憤慨もなく、単純に「他者との違い」だと思い込んでいた。
それから何年か経って、それでも言われ続け思い込み続けた、俺は自身を変えようとはせず、当然、周りの環境が変わったとして周りの認識が変わることもなかった。
だけど、最近はこう考えることも有る、「やはり自分は、周りより劣っていて周りに合わせていくことだけが、平穏に暮らしていける術なのか」と。
こうやって書くと社会不適合者にしか見えないと思うけど、それが不思議なことに普通に暮らす分には自分のこの「歪んでいる」部分は表れない。
ただ、俺と長年付き合っていると段々とこの歪んでいる部分が滲み出している事に気付くのだろう。自分ではこれを意識する事が出来ない。他愛も無い日常で、ある部分だけ意識して歯止めを利かせられるほど俺は器用に作られてないからだ。
楽しい青春と言われる中学校も高校も、俺にとっては他者とのズレを強調する要素でしかなかった。
一般に彼女と呼ばれるものを作った(或いは作ったと思い込んでいるだけかもしれない)事もあったし、クラブ活動に勤しんで仲間との交友を強く固い物にしようと躍起になった事もある。
どれも最初としばらくは上手くいくのだけれど、日が経つにつれ、どんどんそれらが離れていってしまうのだ。直接的な衝突があったわけでもなく、自分で不味いと思う事をした覚えも無かった。
彼女は流石にフェードアウトという訳ではなく、はっきりと別れの理由を言われた。
「好きだったけど、あなたが楽しそうじゃなかったから」
この一言には少しドキリとさせられた。決して俺がそういう態度をしていたわけじゃなく(むしろ、俺は一時的にせよ幸福感を得て、もしかしてこの人だったらと思わせてくれた素晴らしい人だった)単に彼女には俺がそういう風に見えてしまったのだろう。
これが前述した滲み出ると表現した物だ。
そして今、新しい職場。
俺はどう過ごして、どう人と接して、どう生きていけばいいのか。
離れてしまうと分かっている物をどうやって構えていればいいのか。
これまではすべて、運が悪くて偶然重なっているだけなのか。
考えなければ幸せになれるのか、自認する事が出来ないものを変えていけば幸せになれるのか。
誰か、教えてくれ、俺はどうするべきなのかを。
たぶん、今そんな風になってるのは。
あなたがそれまでにきちんと努力を積み重ねてきたからだと思うよ。
自分にはその積み重ねてきたものがないからなぁ…。
本当にうらやましいよ。
この不況だしもう20代前半みたいにいつでも次がある年齢でもないし。
数年後にはやばいことになりそうって思うんだけど…あなたみたいになれそうもない。
ずっと楽しすぎてたせいか、自分には掘り返すものがない…。
いい加減に生きてきた人生のツケが近い将来やって来るのかなって思うと、時々不安になる。
<学生時代>
幸か不幸か人より要領よく勉強ができたので大学入学まで特に努力した記憶はない。
努力してトップになるよりは、遊んでて上位陣にいれたらいいって思ってた。
クラブ活動とかもちょっと真面目にやったらそれなりに上手くなったので
調子に乗って普段はすんごいさぼってたから、努力するということが身につかなかった。
やってきたバイトも楽なとこばっかりだったと思うし。
↓
<社会に出て>
就職活動は氷河期だったのもあるし、それまで努力した経験のない自分には
どうしていいかわからなかったのでほとんどまともに就活してない。
とりあえず適当に受けたところで正社員になれたので、そこでしばらく働く。
でも激務すぎると感じ2年ほどであっさり退職。
↓
無職で短期バイトで暮らしてる時期もけっこうあったので、周りには凄く心配された。
でも本人的には若さもあってあまり危機感がなくスキルアップ等の努力はしなかった。
運良く入った今の派遣先は、平均より給料も良く仕事が忙しすぎず人間関係も良いのでまぁ幸せ。
気に入ったので年単位で滞在中。←いまここ
さて、問題はこの先だ。
今の職場は、業界的に4~5年で大幅な人員削減で派遣は解雇確実だろうという噂。
というか、支店自体がなくなる可能性もあるらしい。
で、その頃の自分ってもう30過ぎてる。
この大不況の時代に、スキルもなくてそんな歳で再就職なんて可能なの!?
ちょっと転んだってなんとかなるのは若いうちだけ。それかきちんと経験やスキルを積み重ねてきた人だけ。
そうとしか思えないから不安ばっかりが大きくなる。
焦るけど何していいかわからないし、仕事と家事をしながら継続的に勉強というのができない。
自分の危機感のなさと努力不足ということはわかってるけど、それでもできない。
全然真面目には生きてないんだけど、絶望感がこの先待ってるんじゃないかと思うと怖い。
積み重ねってなに?みんな当たり前にしてきてるの?
自分は今何かが物足りなく感じながら日々を過ごしている。
世間的には幸せな家庭を築くことができていると思う。
でも、何かが物足りなくて心の底から笑うことができないでいる。
この連休の間、落ち着いて自分自身のことを見つめなおしてみた。
どうしてこんなに憂鬱な気分でいるんだろうって。
考えて分かったこと。
それは人や地域との接触が少なすぎることで、周りになじむことができず、
逃げてしまっている自分がいることだ。
そういえば振り返ってみると、学生時代にクラブ活動を一切せずに
まっさきに家に帰って受験勉強をしていた。
ひとり机に向かっていた。。
だから同級生と遊ぶ機会なんてほんとなかった。
もっと友達といっぱい外で遊んでいろいろな失敗や楽しいことを経験すべきだった。
そしてもうひとつ。
地域との接触が少ないことで外を歩くこと自体が後ろ向きになっている。
本当はもっと近所の人とあいさつしたり、ちょっとした話をして仕事関係以外の
人たちと交流して気分転換したり、人づきあいを覚えたりしないといけなかった。
でもこんなことは今までは極力避けてきた。
できていないことだけど、大切だって今更になってわかって、できていなかったこと
を後悔している。わかった今の時点から少しずつでも近づけるように外に出るように
しよう。
そう思ってきた。。。
ほんとに望み薄ながらも説明会とか行ったりしてるんだよ。
するとだね、終盤の方で質問ターイムってなぐあいに、働いている社員に直にいろいろ訊ねることのできる時間が設けられている。
するとそこで、あれやこれや、ホントにこまかーいとこまで聞いて、しかもそれを逐一メモ取る優秀なシューカツセイさんたちが中にはいるわけだ。
でもさ、そんなのほとんど無に帰すわけでしょ?
「入社から退社までのスケジュールをどうなってるんですか?」(訊いて意味あるのは入社した人に限る)
「福利厚生はどうなってるんですか?」(訊いて意味あるのは入社した人に限る)
「希望部署に配属されるんですか?」(訊いて意味あるのは入社した人に限る)
「社内にはどんなクラブ活動が?」(訊いて意味あるのは入社した人に限る)
別に質問すんなとはいわないけどさ(第一間がもたねーしw)、どうせこの不況下に内定のもらえるとこなんて一社や二社なんだからさ、訊いてないことで不本意なことがあっても「こんなんだったら入社しなけりゃよかった!!」ということにはならないでしょ。
ひでえ事件。
集団だからこそ狂気に走って歯止めが利かないってのもなんとなく想像できる。それが余計に怖い。
俺が集団暴走的な事件に関わらないとしたらそれは俺がまともな人間だからじゃなくて、人付き合い(特にクラブ活動系の)が苦手で機会がないからだけかもしれない。
そしてこの手の断罪人たちははデビルマンの最後の方に出てくる美樹を狩った人間達みたいになりそうな気がして怖い。
↓
guldeen これはひどい, ふざけるな, まさに外道, education, sex, crime, 性犯罪 こんな「集団レイプするようなクズ」にさえ、人権を認めるのが市民社会の最終目的だったのか?違うだろ、何かがさ…。 2009/06/03 24
やっぱりこういう熱い正義の人達がいないと人を裁くのは無理なのかな。
「すまん……何だって?」
「『ガチムチ』でごわす『ガチムチ』! いわゆるひとつの燃え要素!」
いや、ハルヒ、俺にはもうお前が何を言ってるのかさっぱりだ。
「基本的に――でごわすな、何かおかしな事件が起こるような物語には、こういうガッチリでムッチリとしたパワーキャラっぽい人間が1人はいるものなのでごわす!
おんしも見たことあるでごわしょう? カレー好きのガッチリムッチリキャラ!」
いや……どこからツッコめばいいものやら。
それはアレか、力士のあの体の下はああ見えて八割方筋肉であるというにわかには信じがたい話を反映しているのだろうか。
つかハルヒの言葉を用いるなら、これはムッチリムッチリだと思うのは俺の認識不足なのだろうか、そうであると思いたい。
「それだけじゃないんでごわす!」
思考の谷底に落ち込みかけた俺を引き戻すかのような、ハルヒの自慢げな笑み。
その笑顔のまま、奴は朝比奈にくるさんなる上級生の背後に回り、後ろからいきなり抱きついた。
「わひゃあああああああ」
そしてハルヒ、悲鳴お構いなしにセーラー服の上から胸をわしづかみ。
たぷん。
「ひいぃやああぁぁっあっ、あ、あっ!!」「ガッチリムッチリの印象が強いというのに!」「ういぃぃゃぁぁっ、うあぅ、あわっ!」「それと同時に女の武器たる胸もこんなに大きいのでごわす!! 巨乳というのは現在においても最大級の派閥を持つ萌え要素の1つなのでごわす!」さっきの“もえ”と今の“もえ”は何か違うのか、そこを明確に説明しろ。「わぅあっ、ひぃいぃあわぅんっ、ひゃぁあうっ!」「ガチムチの逞しいイメージと巨乳のか弱いイメージ、この壮大なる二律背反!」「はうわいぅぅやぁっ、あううぅぅわぁぁ!」「今ここに燃えと萌えの超交雑種――ダブルブリッドが顕現しているのでごわすよ!」知らん。「あー、本当に大きいでごわすなぁー……なんか腹が立ってきたでごわす!」「ひぃやぁあうあうあうあうあ!?」「こんなにイイ体でしかも可愛いくて胸もおいどんより大きいな・ど・とはああああ!!」「わうあうぃぃたたた助けてほしいでごわしゅうううういやあああ!!」
朝比奈さんの様子があまりにもアレなんでとりあえずハルヒを引き離すことにした。
「……アホかお前は」
野太い声での猥褻行為の応酬を聞かされるこっちの身にもなってくれ。
「でもめちゃデッカいでごわすよ!? 真実と書いてマジでごわすよ!? おんしも触ってみるでごわすか?」
「ひいぃ!?」
「遠慮しておく。……で、するとなにか? お前はこの……朝比奈さんが可愛くてガタイが良くて胸が大きかったからという理由だけで、ここに連れてきたのか?」
「そうでごわすっ!」
今更言うまでもないが真性のアホだ、こいつ。
「こういうマスコット的キャラも必要だと思ったのでごわすよ。で、にくるちゃん、おんし、今何かクラブ活動してるでごわすか?」
「あの……手芸部に……」
なんであなたもそんな宝の持ち腐れな行為を――とは言うまい。なんせ今ここに連れてこられたということは、だ。
「じゃあ、そこは辞めるでごわす。我が部の活動の邪魔でごわすから」
やっぱりな。
「……………………」
朝比奈さんは、今から飲むのはコーヒー入り炭酸飲料かもしくは飲む寒天唐辛子のどちらがいいかと問われたリアクション芸人のような悲愴な顔でうつむき、
救いを求めるような顔で俺を見上げ、次に長門湖の存在に初めて気づいて驚愕に目を見開き、「そうでごわしたか……」と呟いて、「解りましたどすこい」と言った。
何が解ったんだろう。
「手芸部は辞めてこっちに入部するでごわす……あ、入会でごわした。しかしながら、お菓子研究会とは何をするところなのかよく知らなくて――」
「へ?」
「この部屋は、一時的に借りているだけなんです。あなたが入らされようとしているのは、そこの涼宮山がこれから創る活動内容未定で名称不明の同好会ですよ。
――ちなみに、あっちで座ってお菓子むさぼっているのが本当のお菓子研究会会員です」
「……はぁ……」
パーツの1つとしてみりゃ愛くるしく見える唇をポカンと開けた朝比奈さんは、それきり言葉を失った。まあ当然だろうな。
「だぁーいじょうぶでごわすっ! 名前ならたった今考えたでごわすよ!」
「……言ってみろ」
クラブ活動での行為にも、営利行為と非営利行為の二種類があり、
作曲者にはお金を払わなくてもいいことが、演奏者にはお金を払って(あるいは貰って)いるのは矛盾じゃないか?
あ、許諾を貰う貰わない=お金を払う払わないってのがおかしいってことか?
学校の部活動演奏会で、入場料をとらず、謝礼の支払いも一切無い演奏会のためならば著作権者に許諾を得る必要はない、コピー譜もおk、
ならば入場料を取ったり謝礼金の支払いがある演奏会だったら、学校の部活動演奏会でも著作権者から許諾を得る必要があり、
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。
基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。
幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。
(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)
家から歩いて3分のその幼稚園は仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。
年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。
小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。
その小学校はクラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生にありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。
ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。
だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。
3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。
小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビを家族で注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路の映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。
そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。
でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。
クラブ活動の上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスがうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。
中3のとき、サカキバラ事件。犯人は中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。
だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生か高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人(浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。
高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライドで普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。
そういえばこの高校、最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。
なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。
最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ。
そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)
懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長に立候補したけど落選した。
しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。
会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。
次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。
豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。
大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。
代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。
唯一できた友達がS価高校出身の子。
「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
どんな会話だ。
そういえば代ゼミで私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。
「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」
「じゃあなんで医学部行くんだよ」
「元手を稼ぐためだよ」
とか、
「そんな大学あったっけ?」
「医科歯科大だよ」
「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」
テレビ見てたらビルに飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。
で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。
話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。
「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。
続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)
三重野校長の話では、男子生徒は授業やクラブ活動でも、無遅刻・無欠席だったといい、同席した担任と自転車部顧問の教諭は「いじめはなかった」と断言。10日夕に下校した際も、特に変わった様子はなかったという。
生徒が自殺したという現実を前に、たとえいじめを全く確認しておらず、実際いじめはなかったとしても、「いじめはなかった」と断言する神経とはどんなものなんだろう。
なにか目に見えない原因があったのではないか。見えないところでいじめがあったのかもしれないし、人にはわからぬ精神的抑圧を受けていたかもしれない。もしかしたら…
痛ましい生徒の死を前に、そういう危惧を抱かないというほうが、いじめはなかったと断言されるよりもよほど恐ろしいことだと思う。