俺は昔から「歪んでいる」とか「捻くれ者」とか言われ続けていたと思う。
言われ続けていても(記憶に残っている分にはそこまでの回数言われていないが)何の憤慨もなく、単純に「他者との違い」だと思い込んでいた。
それから何年か経って、それでも言われ続け思い込み続けた、俺は自身を変えようとはせず、当然、周りの環境が変わったとして周りの認識が変わることもなかった。
だけど、最近はこう考えることも有る、「やはり自分は、周りより劣っていて周りに合わせていくことだけが、平穏に暮らしていける術なのか」と。
こうやって書くと社会不適合者にしか見えないと思うけど、それが不思議なことに普通に暮らす分には自分のこの「歪んでいる」部分は表れない。
ただ、俺と長年付き合っていると段々とこの歪んでいる部分が滲み出している事に気付くのだろう。自分ではこれを意識する事が出来ない。他愛も無い日常で、ある部分だけ意識して歯止めを利かせられるほど俺は器用に作られてないからだ。
楽しい青春と言われる中学校も高校も、俺にとっては他者とのズレを強調する要素でしかなかった。
一般に彼女と呼ばれるものを作った(或いは作ったと思い込んでいるだけかもしれない)事もあったし、クラブ活動に勤しんで仲間との交友を強く固い物にしようと躍起になった事もある。
どれも最初としばらくは上手くいくのだけれど、日が経つにつれ、どんどんそれらが離れていってしまうのだ。直接的な衝突があったわけでもなく、自分で不味いと思う事をした覚えも無かった。
彼女は流石にフェードアウトという訳ではなく、はっきりと別れの理由を言われた。
「好きだったけど、あなたが楽しそうじゃなかったから」
この一言には少しドキリとさせられた。決して俺がそういう態度をしていたわけじゃなく(むしろ、俺は一時的にせよ幸福感を得て、もしかしてこの人だったらと思わせてくれた素晴らしい人だった)単に彼女には俺がそういう風に見えてしまったのだろう。
これが前述した滲み出ると表現した物だ。
そして今、新しい職場。
俺はどう過ごして、どう人と接して、どう生きていけばいいのか。
離れてしまうと分かっている物をどうやって構えていればいいのか。
これまではすべて、運が悪くて偶然重なっているだけなのか。
考えなければ幸せになれるのか、自認する事が出来ないものを変えていけば幸せになれるのか。
誰か、教えてくれ、俺はどうするべきなのかを。
学生時代から「何を考えているかわからない」とたまに言われてきたけど 壁を作ってしまうタイプなんだと思う。 傷つきたくないから素の自分を見せない。 本当の姿がわからないか...