はてなキーワード: 身分とは
町中が妙にそわそわして、人同士の警戒心が目に見えるようになってきた時の話。
みんな大変なんだよ。
自分にできることなんてないから、せめてできるだけ誰にでもやさしくしようって心に決めていた。
そんなとき、自転車の前後に小さな子供を乗せて、必死に傘で子供が濡れないようにフラフラと走っているパパさんが横の道から飛び出してきた。
いつもならあぶないだろってイラッとするところだけど、きっと事情があるに違いない。
もしかしたらいつもは奥様が送迎しているのに、コロナが影響して急遽パパさんが代わりに送り届けているから不慣れなのかもしれない。
みんな大変なんだ。快く道を譲ろう。
そう思って歩道の隅に避けた。
別に見返りを求めていたわけではない。だって、みんな大変なんだ。
災害はときに人を優しくする。そういういいところだけ目を向けていれば、災害だってそんなに悪いものじゃないかもしれない。
そう思ってしばらく道を進むと先程のパパさんと子どもたちが自転車を降りて歩道に並んでいる。
何をしてるんだろう?
と思った直後、後ろから追い抜いていったのは、ここいらでは名のしれたバイリンガル幼稚園の送迎バス。
は?お前らセレブかよ
まじでクソッタレ。
こっちは明日の生活さえどうなるかわからんっていうのに優雅なご身分じゃないか。
一瞬で腹の中がグツった。
共働きで必死に稼いで、高倍率だけど融通の効く保育園とかに焦って送り届けるところじゃなかったのかよ。
「身の程を弁えろ」という言葉がある。自分には相応の分があるのだから、それを逸脱したことをするべきではないという観念だ。
で、結論から言えば、そんな観念はもう数百年も昔の中世の価値観だから捨ててしまおうというのを改めて提言したいんだ。
「有名人は一般人よりも発言力が大きいのだから、政治的な発言をするべきではない」という輩がいる。
なぜ有名人であることで、見ず知らずの他人から発言を制限させられなければいけないのか。
根底には「有名人と一般人の俺は違う存在である」という感覚が染みついているからだ。
まるで有名人であることを身分のように考えている。有名人が「お上」であるかのように取り扱っている。
いわゆる有名人はメディア等を通して露出が多い人だったり、人前に出る機会が多いだけで、別に一般人と何も変わりは無い。
職業や実績や住まいや活動や思想が違うだけで、ただの一人の人間にすぎない。
で、「身の程を弁えろ」という奴は、「あいつと自分は違う」という自立心の低さからくる偏見によって、無茶苦茶なことを言い出す。
有名人だから大勢から叩かれて当たり前だ、俺は一般人だから大勢から叩かれてはいけない。
有名人だから政治的な発言はしてはいけない、俺は一般人だから有名人の発言をいくらでも批判することができる。
まるで僻みの感情を爆発させているかのように、自分と相手の立場の差を利用して、自分自身を一般人と言う安全圏において、有名人を差別することに違和感がない。
もうやめろ。
有名人も一般人であるお前も、同じ一人の人間だ。一人の人間として向き合う態度を取れ。
有名人に対して、委縮することなく自分の意見を述べていい。ただし意見を言った責任はお前が取れ。一般人だからといって逃げれる場所は無い。
広島県知事が県職員の10万円をうんぬんかんぬん言い出した頃から、夫の様子がおかしい。
公務員である私に対して、「確かに公務員は10万円もらう必要ないよね。」
「せめてボーナスはカットした方がいいでしょ。」などの嫌味が増えた。
さらに「嫁子の部署はコロナの影響受けてないよね。なのにいつもどおりの給料がもらえるなんて良いご身分だね。」と、私の収入は家計に直結しているのにそんなことを平気で言うようになった。
私の給料が削られたらお前も困るだろ。
今時公務員バッシングをする人なんて的はずれな馬鹿だけだと思ってた。
頭の悪い男を選んだつもりはないけど、みんな心のどこかでそうおもってるもんなのかなぁ。