2020-05-28

「身の程を弁えろ」と強いることから自由になろう

「身の程を弁えろ」という言葉がある。自分には相応の分があるのだから、それを逸脱したことをするべきではないという観念だ。

で、結論から言えば、そんな観念はもう数百年も昔の中世価値観から捨ててしまおうというのを改めて提言したいんだ。

有名人一般人よりも発言力が大きいのだから政治的発言をするべきではない」という輩がいる。

なぜ有名人であることで、見ず知らずの他人から発言制限させられなければいけないのか。

根底には「有名人一般人の俺は違う存在である」という感覚が染みついているからだ。

まるで有名人であることを身分のように考えている。有名人が「お上であるかのように取り扱っている。

いわゆる有名人メディア等を通して露出が多い人だったり、人前に出る機会が多いだけで、別に一般人と何も変わりは無い。

職業や実績や住まい活動思想が違うだけで、ただの一人の人間にすぎない。

で、「身の程を弁えろ」という奴は、「あいつと自分は違う」という自立心の低さからくる偏見によって、無茶苦茶なことを言い出す。

有名人から大勢から叩かれて当たり前だ、俺は一般人から大勢から叩かれてはいけない。

有名人から政治的発言はしてはいけない、俺は一般人から有名人発言いくらでも批判することができる。

まるで僻みの感情を爆発させているかのように、自分相手立場の差を利用して、自分自身を一般人と言う安全圏において、有名人差別することに違和感がない。

もうやめろ。

有名人一般人であるお前も、同じ一人の人間だ。一人の人間として向き合う態度を取れ。

有名人に対して、委縮することな自分意見を述べていい。ただし意見を言った責任はお前が取れ。一般人からといって逃げれる場所は無い。

有名人から一般人からなどの立場によって差別されることがあってはならない。

まず自分自身が一人の人間として自立しよう。

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