はてなキーワード: 仏門とは
普通の人は悩む前に行動してしまうので、「どうしたら彼女ができるのか」「そもそもなぜ彼女が必要なのか」といったことに悩まない。
だから喪男の悩みが理解できない。そういうわけで色々と矛盾のあることを次々と投げかけてくる。
喪男(喪女も含む)がなぜモテないかというと、脳の自己制御機能が強すぎて行動に抑制がかかりすぎているから。
要は生まれつきの性格の問題。こういうタイプは前近代なら仏門に行くか、見合いで強制結婚させられない限り相手見つけられないタイプだよ。
米国の研究だけど、30年前に比べて、現代は自己抑制的(神経症的)な子供が明らかに減っているらしい。
つまり、現代社会は、資本主義に親和的な欲望に忠実なタイプが繁栄し、欲望を抑えられるタイプはどんどん淘汰されていってるんだねー。
何か非モテって自分たちを社会の底辺とか、食物連鎖の一番下とか思ってるみたいだけど、
現実のところ、承認欲求を満たせるかどうかはともかく、子育ての負担なしに生きてるって
(貧困や低所得で結婚できない層は別問題だ。あれは社会問題の一種だと思う)
非モテというか、全く女性と縁のない男性層が目立つようになったのは、
もちろん、女性の側にもかなり強力な拒否権が認められるようになったからに違いない。
それは女性の自由が拡大した証拠だし、社会の進歩だと言える。基本的に良いことだ。
同時に、昔は男女ともに強制的に家庭を気付かされてわけで、男にも子作りの拒否権なかったんだよ。
江戸時代の文献にも、明治大正でも、高度成長期の昭和の時代であっても、
「家庭から逃げ続ける既婚男」の存在が確認できるのは、そういうことなんだ。拒否権がなかったんだよ。
(仏門に入るなら別だが、それは武家とか特権階級にしか許されていない)
だから、ある意味、「中高年で子なしの独身者」の存在が普通に許容されている時点で、
子なし高齢独身者を悪く言う人もいるが、それはその本人の考え方に過ぎないし、現実的に何の影響力もない。←大事
子育てのチャンスに恵まれないくらいで自分を卑下したり、人生を諦めたり、社会を攻撃するのはもったいない。
現代日本は確実に男性にも生きやすい国になっているよ。ちゃんとその自由を謳歌すればいい。
「恋愛したことない人は人格が劣っている」なんて思う奴がいたら、そいつらこそが劣った人格の持ち主なだけだよ。
ちなみに、自分が結婚したのは、学生時代に気の合うパートーナーと出会ったからだけど、
自分自身は特別モテるための努力をしたわけでもない(昔から妻に見た目に清潔感がないと怒られている)し、
たまたま同じ目標を共有した現在の妻と出会わなかったら、多分結婚することもなかっただろう。
自分は基本的に恋愛にも結婚にも子育てにも興味はなかったし、今も昔も妻とは恋人というより親友って感じだ。
(流行りのセックスレス問題でいれば、付き合い始め以外はずっとレスだ。妻は大卒直後に出産した)
ところで、たとえ非モテやら中年童貞やらを現実にバカにする奴がいるとしても、実はそういうのって
そいつらが「何かをバカしないと精神が保っていられない」ほど屈折した負の感情を引きずっている証拠にすぎないんだよ。
目を合わせたらアカン連中だ。学校と違って世の中は閉鎖環境じゃないから、そういう連中はいくらでも避けられる。
付き合うメリットのない面倒な人の相手するほど慈善精神に溢れていないなら、素直に距離を置いた方がいい。
そもそも、どんな人間であっても、「自分より劣っている」と判断した対象を非難することで、
自分の弱さや苦悩や直面している問題から一時的に逃避して、全能感に浸りたくなる瞬間があるだけなんだよ。
だから、そういう連中の公開オナニーに付きやってやる必要はない。
まあ、傷ついているふりして、実は傷つけられるのが好きな隠れドMでもないならな。
最近「坊コン」とか言うのが流行ってるらしい。坊主=お坊さん との合コンらしい。
ニタニタと卑しい顔した坊主どもが、自分たちのお寺にメス共を集めて、ノンアルの酒を飲んでいた。
一人の坊主は巨乳の参加者に声をかけて、ワチャワチャしていた。
出家とは、世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ることのはず。
本来ならば。
海外で孤独だった時に、ふと立ち寄ったお寺で救われた経験があるからだ。
俺は愛欲のない生活をしている。
人生で一度も合コンをしたこともなければ、素人とはセックスをしたこともない。
巨乳を目の端に捉えながら鼻の下長くしてノンアルコールビールを注ぐ坊主より、俺のほうが絶対に清らかな生活をしている。