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はてなキーワード: マイノリティ特権とは

2024-07-20

anond:20240720084402

京都の「洛中以外は京都でない」という身分制度はみんな知ってる

どこから考えても身分差別の温存、身から出た錆なのに

なぜ被害者ポジを取ろうとするのか

 

カーストインド人アメリカでなぜかマイノリティ特権利用してるのと同じか

2024-03-14

同性婚自体別にどうでもいいけれど

これで「結婚しないの?彼氏いないの?」に

「同性でもいいか結婚すれば?」が入るのかと思うとさら憂鬱

別にアセクアロマでも何でもないので、そっちのマイノリティ特権も得られない

単にモテないだけの、コミュ障の女が生きるのはますます辛くなる

2023-04-09

お笑いが右に行っているということは別にないがそれはそれとして右の言説のほうが面白い

なぜ「お笑い」は右へ行くのか

https://anond.hatelabo.jp/20230408014727

これに関しては自分にも「たぶんこうなんじゃないかな」という予想はあるが、この増田とはわりと根本的と言っていいところから認識に違いがありブコメに収め切るのはしんどいので増田に書く。

まず第一に、お笑いが右に行っているという認識自体疑問符が付く。実際、吉本維新距離がかなり近い(元増田では吉本自民党とべったりと書かれているが、これは自民党内でも特に維新に近しい安倍晋三菅義偉トップだったゆえにそう見えただけで、直接距離が近いのは自民ではなく維新だろう)ものの、これに関しては右と左で語るよりも大阪東京で語ったほうがいいように思える。要するに、維新は「大阪」というアイデンティティに訴えることで大阪において盤石の支持基盤を獲得しているし、大阪吉本芸人たちもこの大阪アイデンティティ呼応している。

対して、この大阪アイデンティティを離れてもお笑い界全体が右傾化しているのかというと、自分感覚としては別にそんなことはないんじゃないかと感じている。そもそも大半の芸人炎上リスクのある政治的話題に首を突っ込みたがらないし、元増田ブコメでいくつも指摘があったように左派立場を表明している芸人複数存在する。ほんこん積極的右派発言を繰り返すのが他の芸人から強く支持されているという様子もあまり見られない(むしろ白眼視されている感すらある)。

ではなぜお笑いが右に行っているという認識が発生するのか。ひとつには前述した吉本維新距離の近さがあると考えられる。別の理由としては自分と全く違う意見は印象に残りやすいというのも挙げられる。なぜお笑いは右へ行くのかという疑問を呈したのは坂本龍一だが、左派である坂本龍一からすると芸人左派発言をしていてもまるで気にならないが、芸人右派発言は強く印象に残ったのではないか右派発言をしたのが松本人志のようなお笑い界の代表的人物場合、実際のお笑い界全体の傾向とは関係なく全体が右に寄っているように見えてしまうというのもあるかもしれない。

ただ、ここまで書いておいてなんだが、お笑いが全く右に行っていないかというとそうでもないかもなとは思っている。正確には、お笑いが抱える本質的特徴ゆえに特別お笑いが右に行っているということはないだろうとは思っているものの、世間並みに右に行ってはいるだろうなとは思っている。

元々ノンポリや無関心層だったのにあっという間に右に行ってしまうことが近年多く観察されるケースが存在する。それは、定年退職等で時間に余裕ができた結果インターネットに触れる時間が増えた高齢者であるYoutubeオススメされる中から興味を引く動画を辿っていくと、やがて虎ノ門ニュースやその他ネトウヨ向け動画に行き着く。そして、免疫のない高齢者はどっぷりとハマってしまう。

当然お笑い界にも同じようにネトウヨにハマる人物は出てくる。その代表例がほんこんなのだろう。

ここで疑問として浮上するのが、なぜネット政治にハマると決まってネトウヨになりがちなのかということだ。なぜYoutube政治動画まとめブログ政治エントリネトウヨ向けばかりなのかに言い換えてもいい。

自分はこれを面白さの差だと考えている。左の言説はつまらない。対して右の言説は面白い。

元増田に「文化価値観道徳の面では左派が強くなっており権力者であるとあるが、権力という言葉の使い方が比喩的すぎるという点を除けばそう外した認識ではないだろう。現代の(国際)社会平和自由平等人権、といった普遍的価値尊重する方向性へと進歩を遂げてきた。だから今では奴隷制否定されるし、女性貧乏人にも当然に選挙権があるのである。我々が部外者であるにも関わらずロシアウクライナ侵攻や中国ウイグルチベットといった少数民族への迫害非難できるのも現代社会普遍的価値尊重するからだ。もしもその前提がなければ、中国少数民族迫害の件であれこれ言うのは内政干渉ということになってしまう。

一時的な揺り戻しこそあれど一貫して普遍的価値尊重する方向へと進歩を遂げてきたのが人類歴史であり、そして普遍的価値尊重を中核的価値観とするのが左派である。そうなるとどうなるか。左派の言説はただの常識的なお説教になってしまうのだ。

社会立場の高いところ、つまり大新聞地上波テレビなどの既存マスコミであれば常識的であることはむしろ好ましい。しかし、とにかくネット再生数や閲覧数を稼ぐということを目指す上では、つまらないものゴミだ。

その点、右派というかネトウヨの言説は素晴らしい。

よく小説宣伝文句に「最後にすべてがひっくり返る」だのなんだのといったものがあるが、ネトウヨ言説にはコペルニクス的転回というかパラダイムシフトというか、そういった類の面白さに満ちている。

例えば、「これまでの常識日本太平洋戦争朝鮮半島侵略した加害者である」に対して「真実韓国捏造された被害解決済み問題蒸し返し続けて日本たかっている」が提示されるというのは、従来の加害ー被害関係性が正反対に逆転するものであり、目が覚めるような面白さがある。自分子どもの頃オカルト番組の「実はアポロは月に行っていない!」という内容を見てワクワク心躍らせていたが、それに通ずるものがあると言っていいだろう。

しかもこれは単に面白いだけではない。ネトウヨ言説においてほぼ必ず語られるのが既存マスコミ教科書教師への批判だ。ネトウヨにハマれば、「世間の連中はマスコミ教科書洗脳されて間違った常識を信じ込んでいるが、自分真実を知っている」という圧倒的情報強者感覚を得ることができるのだ。これは実に気持ちがいい。専門家アカウント突撃して「もっと勉強してください」とか言ってしまえるほどのものすごい自己肯定感を得られる。

左派言説だと「マイノリティは困っていてマジョリティ配慮すべき」というマジョリティとしてはいささか居心地の悪い認識が語られるのに対し、ネトウヨ言説なら上記のひっくり返しを発動して「マイノリティマイノリティ特権をゴリ押ししてくるのでマジョリティである我々はそれに抵抗しなければならない」という具合にむしろマジョリティこそが被害であると言ってくれるというのもいい。自分加害者側にいるように言われるよりも被害者側にいるように言われた方が誰だって気分がいい。

以上のように、ネトウヨ言説は面白いし気持ちいい。対して左派言説はつまらないし自分が責められてるような居心地の悪さすらある。

インターネットという、正しさや妥当さという基準がまともに機能せず、どれだけ多くの人間に受け入れられたかという数字こそが重要な真に「民主的」な空間において、どちらがより良いものなのかは火を見るより明らかであろう。

なので、インターネット大衆化した現代において世間はいくらか右に行くし、お笑い界の芸人たちも特別人間ではなく世間のひとりひとりである以上、お笑いいくらか右に行くことになる。

お笑いとはこういうものからお笑いは右に行くんだ!」というふうに考えるよりも、このように考えた方が実態に近いのではないかなと自分は考えている。

2023-02-27

私はトランス女性でかつ同性愛者かつ手術は受けません

アメリカではもういっぱい沸いてるけど、オペ要件抜いたらこんなふざけた奴がたくさん出てくるよ。

同性愛者とかいうけど当然未オペの棒で好き勝手

普通生活しながら世間向けにはマイノリティ特権が持てるなんて最高だね

2021-03-02

anond:20210302112759

横だけど、日本では表現の自由権利として保証されてるわけだけど、ただこれには「他者権利侵害しない限りにおいて」という但し書きがあるとされている。「されている」ってのは明文化されてないってことだけど、wikipediaによると「表現行為他者とのかかわりを前提としたものである以上、表現の自由には他人利益権利との関係一定の内在的な制約が存在する」ということのようだよ。

ここでじゃあ他者権利ってなにかというと、まあいろいろあるんだけど一つには「属性人種信条性別社会的身分又は門地)により差別されない権利」っていうのがある。

この2つを念頭増田の、「ゲイが嫌い」という表明を検討してみると、これは属性により差別されない権利侵害してることになるんじゃないかと思うがどうだろう。増田マジョリティマイノリティを気にしているが、関係ないぞ。マイノリティマジョリティをディスってもアウトだよ。

ただマジョリティマイノリティディスる場合は、どうしてもマイノリティに対して抑圧的に作用するのは避けられず、とくに厳しい目にさらされるという現実はある。増田が「総攻撃」にあってしまったのもそういう機序が働いてのことだろうと思う。それを持ってして「マジョリティ表現の自由もないのか!肩身が狭い!」「マイノリティ特権ずるい!」と言えるのだろうか?

表現の自由がどこまで認められるのか、認められないケースとはどういうケースか? この辺は諸説あるようだよ。俺も上に書いたのは受け売りなんだが、ただ直感的に「まあそりゃそうだよなあ」くらいの気持ちはある。もし増田が「そりゃそうだよなあ」と思えないのであれば、そこに挑戦する議論を行うことはもちろん可能だと思う。ただ元増田からの一連の増田の主張を見るに、憲法人権などについての基本的な前提を踏まえていないように感じられるので、まずは少なくとも上に書いたようなことを踏まえ、それを覆すだけの妥当性を示すことが必要ではないか

 
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