はてなキーワード: ヒキコモリとは
20代半ば頃にいよいよもって死にたくなった。
別にこれといった事件があったわけじゃない。
日々欝っぽい感じでダラダラと生きているのが嫌になっただけだ。
「俺の人生なんてずっとこのままなんだ。。」
「全てが嫌になった。。。」
というような思考しか出来なくなっていた。
もう死ぬしかない。。。とか思って、某自殺マニュアルを購入した。
自殺方法ごとに成功度・苦しみ度とかも書いてある。
なかなか詳細に自殺方法が載っていて、これならたしかに死ねそうだ、と感じた。
じゃあ、この本を参考にして、自殺するか・・・
と思った瞬間、いろんな疑問が沸いてきた。
「自殺方法が決まったとして、いつ、どこで、実行するんだ?」
「自宅は家族が嫌だろうし・・・やっぱ山の中?」
「でも、自殺の名所みたいな所に行ったら保護されてしまうのでは?」
「そもそも、”もう死ぬしかない”って本当なんだっけ?」
「自殺するにしても、自殺前にやっておくこととかなかったっけ?」
・・・とか、いろんなことを考え始めてしまった。
これは理系の性なのかもしれない。
そこで、以下のような計画を立ててみた。
僕は以下のように考えた。
「日々、何をしても楽しくない/欝だ」を証明するには、
とりあえず半年間で(今までしなかった)いろんなことをしてみて、
論理的には正しくないかもしれないが、当時の自分はこう考えた。
・・・・・・
自分がいままで知らなかった世界を知って、あっという間に半年が過ぎた。
その理由すら忘れているくらいだった。
「あ、そうか。俺、死のうとしてたんだっけ(笑)」って感じだった。
小さい殻の中で、自分一人でゴチャゴチャ考えていただけなんだな~、
ということに、この時初めて気付かされた。
よく、「死ぬ気になれば何でもできる」とか
言うけど、こういうことだったのかな~、とあらためて分かった。
あの時、思い切っていろんなことをやってみて良かったな、
と今では思っています。
<注記>
「死にたい」といっても、まさか自分は本当に実行はしないだろうなぁ、、、
という、ある種”自分への信頼感”があったので、この方法でOKでした。
千葉でヒキコモリの男が実母を殺してしまった事件に関して、こんなことを書いてるブログを見つけた
ttp://blog.livedoor.jp/live200/
別にホムペやようつべのアカウントも持ってるようだがこれはひどい
まあ普通に林先生案件だし、ヘタをするとスカイプ云々自体が妄想かもしれないんだけど
この人も支持しているらしい、こういう発想の持ち主ばかりが集まったカミンスキー旅団みたいな日護会は
下半身に端を発する内紛と、在特会との対立で事実上ハブられて崩壊寸前なうえに
在特会会長のサスペンダーダルマはこの種の連中を鬱陶しく思ってることを隠していない
何かのトラブルとかをきっかけに、「基地外追放」の動きが出てくるのかもしれないが
一度リアルで群れることの強さを知ってしまった者達が、はいそうですかとネットの奥底に戻っていくとはちょっと思えない
そのうち永田洋子化するんじゃないのかな、この人
起業だ起業だといろいろ言う割にサラリーマンになる奴がこれほど多いのはなぜ? 人はなぜツレとつるむの? DQNはなぜ集団でウンコ座りなの? なんでヒキコモリは心を病むの? それは全部同じことで人間が社会的生物だからという答えに帰着する。
チンパンジーの生態を研究していたある学者「そもそも『一匹のチンパンジー』はチンパンジーではない」。「チンパンジー」のチンパンジー性は集団の中でしか見られなくて、一匹だと消えるということらしい。一匹だけ隔離したチンパンジーを観察すると、およそチンパンジーと思えないような行動しか示さないのだそうだ。
ゴリラも、群れの中で非常に複雑な社会をつくることで知られているが、人間・ゴリラ・チンパンジーは、猿の仲間の中でも遺伝子的にきわめて近縁である。人間社会もまた「驚くほど複雑」で、「そもそも『一人の人間』は人間とはいえない」かもしれない。集団の中にいる人間は、ただ一人でいるときと違う「何かの力」を得ることができる。あるサイトに集う人間の数が一定量を超えると、そこに不思議な万能感が漂うこともよく知られている(増田であれ2ちゃんであれ)。
さて、その集団の中には自然発生的に「序列」が生まれるが、これが生まれる理由は集団の生まれる理由と同じと考えるのが自然だ。つまり「集団」の中には、「集団」から得られる「力(あるいは恩恵)」を得やすいポジションとそうでないポジションがあり、そのポジションの奪い合いが「序列」という形で現れることになる、という感じ。たとえば、目に見える敵からじぶんを守ろうと思うと、「最前線」よりは「中心」にいる方が集団の恩恵が得られる。もちろん、だからといってみんなが「最前線」を避け「中心」を奪い合うと、集団は崩壊する。だから、集団を維持するために、たいていの集団は「『最前線』でがんばったものが『中心』にいけるのだ」というシステム(あるいはそういう幻想)をつくることになる。最前線に犠牲だけを強いる集団は遠からず崩壊する。前者は「出世」システムのある会社、後者はいじめの起こっている教室などだ。
3 任意の集団で「トップ」の得るパワーは「最下層」の得られるパワーとはケタ違いである。
同じような目的をもった集団は、複数存在する。従って集団にも序列が生まれる(たとえば「学校」の序列など)。上位集団Aのトップが得るパワーは、下位集団Bのトップが得るパワーより大きく、集団Aの下位が得るパワーは集団Bの下位が得るパワーより大きい。当然ながら、上位集団Aに属するために必要なコストも、下位集団Bに属するために必要なコストより大きい。
だが、下位集団Bの上位層と上位集団Aの下位層では、その関係が逆転するということも、非常に重要なポイントである。なぜそのようなことが起こるかというと、上で述べるように、上位層の得るパワーは等比的でなくケタ違いに(相乗的に)増大していくから。小さな会社の役員が得る満足感や能力や結果としての成長度合いは、大会社の使い捨て層が得られる満足感、能力、成長を大きく凌駕することが多い。
「いや、そんなことはない、大会社だからこそ、巨大なプロジェクトに関わったり、普通では会えない大物とのコネクションが生まれたりするのだ。『田舎の学問より京の昼寝』ということわざもある。」という意見もあろう。確かにそう感じるときもあるだろうが、果たしてその「巨大プロジェクト」や「大物」から見たとき、どうなのか。「巨大プロジェクト」はその人がいなければ動かないのか? 「大物」はプロジェクトの使い捨て要員の一人をいちいち覚えているのだろうか? そのような状態を優位に利用してそこから抜き出ることができる人は、単にもともとすごい能力をもっている人なのではないだろうか。京(都会)で昼寝してる人間と、田舎で学問をしている人間。「田舎」にもチャンスがごろごろ転がっていて、「田舎」でも成長が期待できる、いや、情報化の結果「田舎」という概念自体が大きく変化しているのが現代という時代ではないだろうか。
孫さんとコネクトするために必要なのは、大会社の社員という身分よりも、たったひとつの興味深いつぶやきであったりするように。
4 結論
「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ(小集団のトップであるのがよい、大きな集団の最下層となるよりは)」。
無理をして入った進学校でオチこぼれになるのと、無理なく入った下位校でトップクラスになってみんなにすごいすごい言われる状況と、どちらが人間の成長によい環境だろうか。集団のトップ(あるいは上位層)になることから得られるパワーは、本当にケタ違いに大きい。そのことの意味を、何度でもかみしめるべきだ。起業家が起業しろしろ言うことの本当の意味はそこにある。分不相応に大きな集団の中で挫折しそうになってる人は、本当にもったいないと思う。その間違ったスケールメリットへの信仰を捨て、もう一度小さな集団の中に帰れば、あなたにはまだまだ驚くほどの可能性があり、それを後押しする環境、あなたを評価する人々がいて、輝ける賞賛に満ちた人生があるのに。
生まれ初めて財布を落とした。
人に失笑される程度にズボラな自分だけど、財布の管理はその中では割としっかりしてたほうだと思う。
警察には遺失物届けだして、キャッシュ・クレジットカード云々は電話して停止させた。
一応職場や交通機関、途中寄ったコンビニも当たってみたけど今のところ報告なし。
ここまでが昨日の出来事。
で、今。原因不明で(多分これが原因だけど)めちゃくちゃ凹んでる。
今日は家出なくて良い日だからってずっとヒキコモリ。外に出てやっといたほうがいいことはいくらでもあるんだけども。
財布無くしただけで予想以上に落ち込むものなんだね。
無くした当日はパチ屋の前とか通ったし、手癖の悪いおっさんとかに拾われたらもうアウトだろうな。
Twitterでご近所さんを探してたらうちの目の前のファミレスで
ランチセットを食べて店員が巨乳で大興奮みたいなの数日前に書いてた人いたんだけど、
そこのファミレスってもうだいぶ前に潰れてるんだよね。
その人アニメアイコンで、アニメキャラBOTたくさんフォロー、bioには同人、アニメ、まいんちゃん、エロ好きみたいなのがズラリ。
postも午前11時ぐらいから夜7時までBOTに向かってちゅっちゅみたいな内容なのがほとんどだったり。
偏見になっちゃうけども、この人ヒキコモリで昔の記憶を頼りにエア外出なのかなーと思って
ちょっと大人気ないけど「そこってだいぶ前に潰れた気がしましたけど、また営業はじめたんですか?」と
そこが現在はどうなってるか知らないけど、な感じでreply。
多分スルーされるだろうなと思ってたけど律儀に返してくれて、「他のファミレスチェーンに間違ったかも」と。
でもそこで「間違ったかも」と二つ挙げてたファミレスチェーンの店舗、駅方面にあるビル内の小さな店舗、もう片方のは隣駅まで行かないと無い。
最初ファミレスの所在地(町名)まで書いてそこで食べたって書いてたし、駅方面とましてや隣駅の店と間違えるワケが無い。
その後出しで挙げたファミレスチェーンも2つとも基調色全く違うからそれも間違えるわけ無いし、
そもそも最初挙げてたチェーン、ランチセット自体無いんだよね。
あー絶対エア外出だって確信して、それ以上追求するのはさすがに可哀想なので
じゃあ跡地に他のファミレスチェーン入ったかもですねーみたいな感じでシメ。(本当は全然違う業種の飲食店が入ってる)
まあそんな感じのちょっと大人気ない話でありました。
たとえば、こういう税制ってどうなん?数字はアバウトね。
消費税率 40% 税収 100兆円増加 (消費低下によるロスについては考慮しないが多めにとってみた)
目的 赤字国債の30兆~40兆円を発行しないようにするための消費税増税分として最低でも15%~20%の増税で20%~25%の消費税率。
家賃については 非課税とする。
コメ 消費税率は同一だが、卸値を1/10することで、そもそもの販売価格を コメ2kgで100円などのオーダーへ
については、基本 国家の専売事業なので、農家からの買取価格は現状どおり 卸値を 10分の1へ
試算 成人ひとり一月 コメ2k 約1000円 1億3千人x12ヶ月 で 約1-2兆円規模の市場? 増税分で財源
古くから営業している 専売コメ屋 については 売上に応じた生活保障を別途検討
輸出への関税をかけ1000%程度の税率
あとなんだろう・・・政府が間に入ってる事業ってなんかあったっけ・・・
基本的に、生活費の卸値を安くすることで、価格そのものを下げ、他の増税分と総裁で消費税増税分の負担を下げる方向
各携帯電話メーカーに助成金 1ユーザー当たり1000円/月。つまり980円携帯は無料に。(住民票あたり1携帯縛りとかは付けて)
その他、お祭りの強化
食品券というか、お祭りで使える金券を住民に配布。配布金額分は税金から補填。不正防止策とか・・・住基ネットカードに電子マネー機能追加かね。
ぶっちゃけ、食品というより、地域振興つーか、ヒキコモリでてこい的な・・・他になんかアイデアあるかねぇ・・・
無駄の削減と言っても、国家予算の半分近くが、社会保障費ということでは余り減りそうもない。減って10兆とかそういう勢いだろう。当面の間。
その間も、赤字国債は増え続ける。これを少なくとも0に近づける。
たった、そんだけのことで、消費税率、または 控除減額付き所得税増税でもいいけど、個人の税負担は30%程度にはしないとやっていけない。マージンを見れば40%か。数字はアバウトなんで10%ぐらいは誤差。
ただ、そんな消費税率・所得税増税になれば、庶民生活なんて苦しくなる一方。
でも、米あれば、そうそう、死にはしないというか、米食えない人も、いるよね。
なんで、とりあえず、米ってどうせ、一回、国が買い取ってるんだし、卸値を1/10ぐらいにすっかと。2kgで100円ぐらい?ロスもあるから20kgで1000円な勢いになれば
まぁ、餓死はないだろうと・・・。
炊飯器は無償配布付きにしてもいいくらいだ。小麦はお約束ということで連動。
具体例でもあるけど、概念としては、食料の価格そのものを下げたい。しかし、野菜とかは無理。なら、主食とか政府主導でできるものだけでも安くしようと。
携帯電話はもう、必需品。ないと孤立してしまい、社会弱者になる可能性すらあるから。
お祭りは・・・必要だよ。
久しぶりに酒を飲んで酔い心地になって、勢いで何故かBluebellsの動画をYouTubeで探し始めたのが運の尽き。BluebellsがAztec Cameraに、さらにOcean Colour Scene、Trash Can Sinatras、そして何時の間にやらパーフリに。Friends Againを聴き始めた頃には既に涙が止まらなくなっていた。今もCamera Camera CameraのギターポップバージョンをBGMに、止めどなく流れる涙をこらえつつ、酔いに任せて書いている。鬱屈した日常を送る高校時代の僕にとって、この上なく純粋でこの上なく美しい、この上なく真実なのにこの上なく嘘くさい、自分にとっての「青春」の象徴、それが彼らであった。
その頃の僕は今でいうオタクやヒキコモリに近い、都会的だけど暗くて内気な自己顕示欲の塊だった。小沢と小山田に対する忠誠心は誰よりもあると自負しながら、親が出してくれる金で彼らのCDを購入するのがせいぜいで、かれらの音楽をどんなに愛していると信じていても、そのライブに赴く勇気も行動力も欠如していた。
誰よりも早く彼らのCDを購入し、CDショップでのイベントに出向き、MTVはエアチェックし、FM横浜は毎週欠かさず聞いていた僕にとって、その瞬間はあまりにも突然に訪れた。無機質な女声が語る彼らの解散の知らせを、僕はその瞬間には何の感動もなく、だが次の瞬間に訪れる限りない混沌とともに聞いた。
エンディングに流れるTokyo's Coolest ComboのFriends Againはその後永遠のレクイエムとなって僕の中に焼き付けられた。Friends Againに見たはずの大学時代を、彼らとは全く別の意味で理想的にすごし、周囲に迎合してそれを幸せと感じた大学時代を経て、気がつくと僕は高校時代に最も嫌悪していたような、平凡で退屈極まりない人間になっていた。
悲しいことに、それが平凡でも平均でもないこともわかっていた。それがオトナになるということなのかもしれないけど、かつての僕が死ぬほど忌避していたことには変りない。尾崎とピチカートの両方を評価するようになった僕にとって、もはやあの輝かしく危うく誰よりも純粋でまがい物である二人のOは、決して近づくこともできなければかといって忘れることも許されない存在となった。輝かしい未来の象徴は、決して叶うことのなかった美しい過去の遺産となった。
僕は今彼らの歌を涙なしに聞くことができない。再結成して欲しいアーティストとして彼らの名を挙げる人たちがいる。その安直で単純な思考を理解しないわけではないが、あの時別れたあの道は、もう決して交わってはならないし、また交わることもないだろう。
未来と革新と反抗と青春の象徴であった彼らの楽曲も、そう信ずる僕らの思いとは裏腹に、かつてなく反体制的・非倫理的であったビートルズと同じように、今では当時の「時代」を解釈するための科学的な要素して評価されてしまっている。
でも僕らは覚えている。それが決して健全な目的に余するような、誰もが求める優秀な生徒ではなく、皆が忌避しかつ心のどこかで憧れる、それは大人すらもまきこむような、この上なく嘘くさくて、でもごまかしのきかない姿であったことを。
ついでに調べてみた
エクセリヲンは全長7.2幅2.2全高1.6(km)乗員25k人
トップはあんまり詳しくないので内部構造に詳しく触れられないが平面積からすれば筑波大が多重構造になっているようなものだな
電車は走ってないが路線バスは何本か運行しているし建造物の密度は違うが似たようなモノだろう
天井の高さにもよるが1600mの建築物というのは存在しないため何層になるのか予想がつかない
乗員は在日米軍人の半数あるいは大阪府警の警官とほぼ同数(警視庁は4万で多すぎた)
住民数をかたっぱしから調べたが5万を切るクラスの有名な市町村が思いつかなかった
関係ないが都内のヒキコモリがおよそ2万5千人だそうだ
配備された航空戦力だけで航空自衛隊の保有航空機(非戦闘機含む)とほぼ同数
バスターマシンも合わせると自衛隊の戦闘車両・航空機・艦船でも足りない
東京都を折りたたんで日本中の戦闘車両を詰め込んだとでも思うことにしよう
まぁあれはやりすぎというある種のスタイルを貫くことによって成立する作品なので
「昔はその部屋から、太陽が昇るのを数えていたね」
「もう数えるのはやめたんだ」
「いくつまで数えていたんだね」
「千までは覚えているよ」
「偉いね、千まで数えたんだ。それなのにやめてしまった?」
「うん、最近ひどく眠くて」
「それでも街を眺めるのは、忙しそうに歩く人達が羨ましい?」
「何もわからないよ、考えたくないんだ」
「利口だよ。そうやって逃避すれば焦燥に駆られることもない」
「その、ひどく眠いんだ。もう行ってほしい」
「行ってほしい? どこへ?」
「知らないよ。君は誰?」
「君はスタートするべきだと、思っているんじゃないのかい?」
「わからないけど、ぼくはこれでいいんだ」
「君は不幸でもある。君と引換に自由を失った両親ですら、君を急かさないんだ」
「両親は……」
「両親がいけなかった!? そうだよねぇ君を育てたのも両親だもの」
「そうじゃない」
「だから、君がお手をしなくてもご飯をくれるんだね」
「両親が悪いなんて」
「そうじゃないんだ? じゃあ君がいけなかった?」
「……ぼくはこれでいいんだ、どうせ」
「そう! そうやって自分を出来ないヤツに置けば正当化される! 賢い子だ! 犬に銀行マンは出来ない!!」
「眠らなきゃいけないんだ。ママに叱られるよ」
「叱られないよ。君は知ってるはずだ」
「それでも、眠いんだ」
「それは良い! 妄想にも自慰にも飽きたら夢を見るのが良い!」
「おやすみなさい」
「それで、夢の中の君は?」
「学校にいるよ」
「十年も昔だ! 学生! 希望も! 時間だってある! あれ、でもおかしいな、君の夢は真っ暗だね」
「それは」
「そう、また机に突っ伏しているんだ。もっと、もっと、昔が良かったかな?」
「関係ないよ、ぼくは眠っているんだ」
「そうかこの頃か! この頃からもうずっと、眠っている格好をすれば、逃げられると思ってたんだ? 学んだんだ? 偉いなぁ」
「……」
「──あれ? でも必死に耳を傾けてる? 気になるんだ!! 仲間に入れて欲しいんだ!!」
「じゃあほら、顔を上げてごらんよ」
「これは夢なんだ。君の思うようにうまくいくんだ」
「ほら、女の子がこっちを見てるよ。いいなぁ、君を見て笑ってるよ。君とおしゃべりしたいのかな?」
「あれぇ、でもここまでみたいだ。残念だなぁ。時間なんだ」
「眼を覚ませば、君はまた腐った畳の上で腹をだしてるんだ」
「そして、なぜだか涙が出てる」
「少しはスタートする気も起こるのかな?」
「飽きたら机に突っ伏すようにまた眠るんだ! 毛布にくるまると尚良いぞ! いいなぁ! 羨ましいなあ!」
「昔はその部屋から、太陽が昇るのを数えていたね」
「もう数えるのはやめたんだ」
「いくつまで数えていたんだね」
「千までは覚えているよ」
「偉いね、千まで数えたんだ。それなのにやめてしまった?」
「うん、最近ひどく眠くて」
「それでも街を眺めるのは、忙しそうに歩く人達が羨ましい?」
「何もわからないよ、考えたくないんだ」
「利口だよ。そうやって逃避すれば焦燥に駆られることもない」
「その、ひどく眠いんだ。もう行ってほしい」
「行ってほしい? どこへ?」
「知らないよ。君は誰?」
「君はスタートするべきだと、思っているんじゃないのかい?」
「わからないけど、ぼくはこれでいいんだ」
「君は不幸でもある。君と引換に自由を失った両親ですら、君を急かさないんだ」
「両親は……」
「両親がいけなかった!? そうだよねぇ君を育てたのも両親だもの」
「そうじゃない」
「だから、君がお手をしなくてもご飯をくれるんだね」
「両親が悪いなんて」
「そうじゃないんだ? じゃあ君がいけなかった?」
「……ぼくはこれでいいんだ、どうせ」
「そう! そうやって自分を出来ないヤツに置けば正当化される! 賢い子だ! 犬に銀行マンは出来ない!!」
「眠らなきゃいけないんだ。ママに叱られるよ」
「叱られないよ。君は知ってるはずだ」
「それでも、眠いんだ」
「それは良い! 妄想にも自慰にも飽きたら夢を見るのが良い!」
「おやすみなさい」
「それで、夢の中の君は?」
「学校にいるよ」
「十年も昔だ! 学生! 希望も! 時間だってある! あれ、でもおかしいな、君の夢は真っ暗だね」
「それは」
「そう、また机に突っ伏しているんだ。もっと、もっと、昔が良かったかな?」
「関係ないよ、ぼくは眠っているんだ」
「そうかこの頃か! この頃からもうずっと、眠っている格好をすれば、逃げられると思ってたんだ? 学んだんだ? 偉いなぁ」
「……」
「──あれ? でも必死に耳を傾けてる? 気になるんだ!! 仲間に入れて欲しいんだ!!」
「じゃあほら、顔を上げてごらんよ」
「これは夢なんだ。君の思うようにうまくいくんだ」
「ほら、女の子がこっちを見てるよ。いいなぁ、君を見て笑ってるよ。君とおしゃべりしたいのかな?」
「あれぇ、でもここまでみたいだ。残念だなぁ。時間なんだ」
「眼を覚ませば、君はまた腐った畳の上で腹をだしてるんだ」
「そして、なぜだか涙が出てる」
「少しはスタートする気も起こるのかな?」
「飽きたら机に突っ伏すようにまた眠るんだ! 毛布にくるまると尚良いぞ! いいなぁ! 羨ましいなあ!」
もう楽をしてもいい、無理をしなくてもいいという意識がある。当事者になれない。
なぜなら近づいてきてくれないから。歳上や目上への接し方が分からない。
あまつさえ苦手意識さえ持ち、さらにそういった輩同士でつるみ安堵する。
希望を捨てきれない。
感性や感情に溺れそれらを美化する。(※仮想的に行うならば良いことである)
そのグループに混ざるか、一人でしかできない勉強や読書、書き物をすればいい。大抵の人は携帯で遊んだり、家に帰るくらいしかできない。
小学校の班づくりや林間学校の気分のままでいるので、一人とは基本の立ち位置という認識ができない。
結果として不利になり、ますます焦り、ひねくれる。質の悪い友人を作り/に巻き込まれ時間を無駄にする。
社会の縮図とは体育会であり、数年で身につく意識やスキル、経験は雲泥の差。体育会が就活に強い理由はここにある。
一般的に学生が社会に触れられるのは体育会・バイト・起業のいずれかにほぼ限られる。(サークル活動アピールは就活時に企業・団体の面接官に全く受けない理由もこれ)
(ただし収入がなければ年金は控除され得る。住民税/所得税も控除条件がある。)
(大学生で確定申告を理解している人間は何人に一人いるだろうか?)
そればかりか社会に嫌悪感を抱き目をそらしがちで、モラトリアムに足を取られる。
「手間」と「時間」それぞれにコスト意識を持つと行動も変わる。戦略も立つ。
予習に留めるという意識でないと成長できず、バイトの環境が次第に居心地が良くなり足をとられる。
(人気職種のTV、出版、広告、一部の金融etc..の志望者は入学直後からすでにコミュニティがあり、所属員は圧倒的に有利に情報収集/就職活動を進められる)
一般的に、上記のような「日本の大学生」の「垢」を落とすのが所謂「就職活動」。
それに気付けないまま企業にふられつづける大学生多し。もちろんそれでけでなく人生をプアにしている。