2011-02-23

死にたくなったら、死ぬための計画をちゃんと立ててみる

これは自分体験談

大学に入学したから何となく鬱気味だったんだけど、

20代半ば頃にいよいよもって死にたくなった。

別にこれといった事件があったわけじゃない。

日々欝っぽい感じでダラダラと生きているのが嫌になっただけだ。

「俺の人生なんてずっとこのままなんだ。。」

「全てが嫌になった。。。」

というような思考しか出来なくなっていた。

もう死ぬしかない。。。とか思って、某自殺マニュアルを購入した

自殺方法ごとに成功度・苦しみ度とかも書いてある。

なかなか詳細に自殺方法が載っていて、これならたしか死ねそうだ、と感じた。

じゃあ、この本を参考にして、自殺するか・・・

と思った瞬間、いろんな疑問が沸いてきた。

「いったいどの自殺方法が一番自分に合ってるんだ?」

自殺方法が決まったとして、いつ、どこで、実行するんだ?」

「自宅は家族が嫌だろうし・・・やっぱ山の中?」

「でも、自殺の名所たいな所に行ったら保護されてしまうのでは?」

「そもそも、”もう死ぬしかない”って本当なんだっけ?」

自殺以外の選択肢って、そもそもよく考えた?」

自殺するにしても、自殺前にやっておくこととかなかったっけ?」

・・・とか、いろんなことを考え始めてしまった。

これは理系の性なのかもしれない。

そこで、以下のような計画を立ててみた。



しか証明するといっても、どうすればいいのか?

僕は以下のように考えた。

「日々、何をしても楽しくない/欝だ」を証明するには、

とりあえず半年間で(今までしなかった)いろんなことをしてみて、

それでも「楽しくない/欝だ」になれば良いのではないか

論理的には正しくないかもしれないが、当時自分はこう考えた。

それから半年間、いろんなことをしてみた。

童貞だったのでソープに行った。感動した

会社に行く以外は基本ヒキコモリだったので、

映画スポーツ観戦に出かけたり、旅行に行ったりもした

blogやらSNSやらで交流もしてみた。

・・・・・・

自分いままで知らなかった世界を知って、あっという間に半年が過ぎた。

半年経った頃には、なんで自分がこんな事を始めたのか

その理由すら忘れているくらいだった。

「あ、そうか。俺、死のうとしてたんだっけ(笑)」って感じだった。

小さい殻の中で、自分一人でゴチャゴチャ考えていただけなんだな~、

ということに、この時初めて気付かされた。

よく、「死ぬ気になれば何でもできる」とか

「悩んだらソープに行け!(by北方謙三)」とか

言うけど、こういうことだったのかな~、とあらためて分かった。

その後、普通に趣味も増えたし、婚活もして結婚も出来ました

あの時、思い切っていろんなことをやってみて良かったな、

と今では思っています。

<注記>

死にたい」といっても、まさか自分は本当に実行はしないだろうなぁ、、、

という、ある種”自分への信頼感”があったので、この方法でOKでした

本気で実行してしまいかねない方には効果がないと思います。

ただ、日々漠然と欝っぽくて、「死にたい」が口癖になっているような、

そんな昔の自分のような方々には効果があると思って書きました

  • ナルシスチックなバカがただのマンネリ感を「死にたい」に拡大して(本人もそれを信じてない) なんとなくマンネリ解消したのを「生還しました!」に拡大してるだけ さすがに病...

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