はてなキーワード: ヒキコモリとは
来た人にやれFAQを読めだの過去ログを漁れだの言うのはWEB上のコミュニティでは当たり前のことなのかもしれないけれど、確実に新しい人が入ってくるのを阻害してる。確かに気の合った人同士でディープな話題をするのは楽しい。やめられない。隠語や専門用語が通じるととてもうれしい。場や感覚、知識を共有しているという一体感がある。
住み分けという名のヒキコモリ。住み分けという名の隔絶。そこに入ってくる「新規」という名の異分子。今まで築き挙げた共有をぶち壊し始める。空気が読めない。KYだぜKY。
知らずに暗黙のルールを破った人物を叩きはじめる。叩かれた人はわけもわからず右往左往。
ああここは何て怖いインターネットですね。
しかも何故か下半身が丸出しで、
元気よく歩き回ってウンコを家中にばらまきやがったぜ!
殆どヒキコモリみたいな不健康な生活を送ってたからウンコがもう臭すぎて
兄弟と父親と一緒に吐き気をこらえながら雑巾とトイレットペーパーをたくさん消費したぜ!
母親は「もう嫌だぁぁ・・・人間が怖いのぉぉぉ・・・死にたいのぉぉぉ・・・」と呻きながら救急車で病院に運ばれていったぜ!
掃除が終わった後のどうしようもないやるせなさと家に漂う悪臭は異常だったぜ!
しばらくは臭いが抜けないし、その臭いをかぐ度にいい年して思春期の乙女みたいに
それと一緒に母親の悩みや苦しみに手助けをしてやれない無力感が湧いてくるけど、
相手は哀れな病人だって理解している、理解しているつもりだから、
鬱憤をどこに向ければいいか分からなくて、他の家族もみんな似たような感じで、
家の中の雰囲気は最悪、とっくに崩壊しているから悲しいぜ!
そして母親は病院から戻ってくると少しは改善の兆しを示すけれど、ウンコの臭いが薄れてきた頃になると
再び自殺への願望を膨らませて、いつ爆発させるか分からないからもうどうすればいいのか分からないぜ!
併せて読みたい
留学したあとの負のスパイラルを乗り越える - 生駒日記 http://d.hatena.ne.jp/mamoruk/20100319/p1
まだ本人が好きで留学して鬱々とするなら「自己責任」と一蹴することもできるのだが、深刻なケースでは旦那についてくる奥さんなんかがこれにはまると本当につらく、毎日旦那を見送ってからインターネットと母語のケーブルテレビ(YouTube)で過ごし、現地語での生活を避け、旦那が帰って来たら堰を切ったように母語で話し始める、なんて状態になってしまいがちだし、一度そうなるとなかなか変えるきっかけがつかみにくくなってしまうので、重々注意したほうがいいように感じる。一番気の毒なのは当然ついてくる方で、ついてきてもらう方は日中仕事があるので現地語も話すし、仕事でつらいこともあっても楽しいこともあるし、まだましなのだが、ついてくる方は場合によっては本国での仕事を辞めてついてきたのに仕事もできず、ヒキコモリ生活になったりして、こんなことをしていてはいけないという気持ちもあるのに、それができないという苦悩もあって、自分のことを否定して死にたくなったりしてしまう。
解決策としては、できるだけ余裕のある側(たとえば旦那)が、会社の集まりに奥さんを連れて行ってあげるとか、昼間に少しお金がかかっても仕方ないから学校に通ってもらうとか、もしくは休みの日はドライブに連れて行ってあげるとか。住む場所(住む地域、という意味でも、職場の近くのどこに住むか、という意味でも)は実は重要で、歩いて行ける場所にカフェやウィンドウショッピングができるところがある、というのでもいい。外に出たい、と思えるところでないと引きこもる可能性が一気に上がるし、住む場所によっては足(=車)がないとどこにも行けないのである。
全て俺のためにこの世が存在してるんだ、って思うことは正しいかもしれん。
論理的に。急に閃いた。
落ち込んで、自分なんかダメだと思ったり、前まであんなに仲良かった女の子の態度がすごい変わって、ありえねええって思ったりしても、全ては俺のためにあるんだと思う事が可能だ。というか、それが正しい。
単純に、どんな不幸があっても、何故落ち込むのか?という疑問。その答えは、自分のためだろう。
自分がどうでもよかったら、どんだけ自分が不幸だって幸せじゃないか。何故なら、自分なんかどうだっていいんだから何にも気にする必要がない。どんな痛みや苦痛があっても自分なんかどうでもいいならお構いなしで、それさえも楽しいし幸せだ。だって自分なんて関係ねーもん。そんな状態はいわば「悟り」の状態だ。
結局二元的に考えると、「自分のためか」「自分のためじゃないか」でいって「自分のためじゃない」状態なら、自分は常に幸せだ。何故なら自分なんかどうでもいいから。しかし、そうではないなら完全に「自分のため」だ。自分の認識するもの全てが。
普通の人は落ち込む。もうダメだって鬱になる。じゃあなんで鬱になるの?それは、自分のためだろ。
何もできないヒキコモリニートが鬱になるのは、なんで?それも、自分のためだろ。
結局、どんな苦しみも、もしくは惰性であったり、意志に反した行動でも、それは自分のためにつながる。
逆説的に言えば、どんな事象も主観を持って観測している時点で「自分のため」という物差しでしかはかれないし、それが自然。そこに自分のためでしかありえないがゆえ落ち込んでいる状態を、そんな状態自分が求めていないと思おうとするから苦しく感じるんだ。
落ち込むのは何故かって、自分のため意外の何者でもないじゃん。
ゆえに、好きな女の子にありえない態度をとられても、それは自分のためでしかない。
好きな女の子と話せるのも自分のためだし、嫌われるのも自分のためだ。そして、それで落ち込むのも自分のためでしかありえない。
だったら何も気負う必要なくないか?
なんとなく、自分が中心に世界が回ってると思うことが幼いことで、自分は他人の流れの一部でしかないと思うことが正常だと思われてるが、もしかして、これが間違いじゃないのか?
論理的に、同じリンゴでも他人と自分でまったく同じく認識する事は不可能だ。だとしたら、自分がみている事全ては、自分のためでしかない。全てが。既に。
となると、論理的帰結で、世界は自分を中心に廻っていると認識せざるおえない。それ以外の認識は、ありもしない認識で、不完全だ。
他人の流れの一部としての自分を認識しようとする事は、芽を摘むっている間だけ、実は目の前にリンゴが現れる。自分にはそういう能力があるかもしれないが自分は目を瞑ってるのでわからない。といってるようなものだ。
今までずっとヒキコモリで、まともな接客も社会対応もした事ない。しかも中卒。
だけど、履歴書にうそかいて、なんとか受かった。
明日行くことになってるが、どうなるかわからん、こわい。
だが、肝心なのは何事にも攻略法がある!という事だ。
オレはFPSをやるんだが、そこで知らないマップをプレイする時は大体K/Dの一番うまいヤツの後をついていってマネしてルートを覚える。
ふむふむ、なるほど、こっから攻撃できるのか。ここから敵が出てくるんだな。エンカウントポジションは大体こことここか。比較的勢いがある時はこっちからせめてくるケースが多そうだ・・・とか
そうやって情報を集めて行くのだ。
明日から行くコンビニもそういう感じてやって、攻略して見ようと思う。
攻略するときに一番肝心なのは、一番最初は「一点」にだけ集中することだ。
全部いっぺんに、いろいろこなそうとしてもできない。だから「一点」だけ、K/Dのうまいヤツの後をついてく、という一点だけを遂行し、それを突破口に攻略法を見つけていくんだ。
一点だけ集中し、なにか他のことに気をとられてる自分に気づいたら、あわててその「一点」に集中しなおす。これが全ての基板になる。
初めてFPSをやった時も、適当に撃ちまくってたけど相手が倒せない。そういう行き詰まったときは何か突破口になりそうな事を「一点」だけに集中してみるんだ。そこを突破口に一点突破するんだ。
FPSはじめたばかりで敵が倒せない時は、「死んでもいい、そのかわり一発だけ確実に当てる」という一点だけに集中してプレイした。
ゲーム上オレは死にまくりのボロ負けだが、オレの中では一発だけでいいから確実に敵に当てられればオレの勝ちなのだ。
それを繰り返すうちに、なんとなく「一発だけ」当てられるようになる。そうすれば後は簡単、今まで一発あてられていたタイミングでタップ撃ちをし難発もあてられるようにする。さに複合的に引いたり、予測撃ちをしたり。そうこうしてくうちにFPSがうまくなってきた。
とにかく、何か一点に集中し続ける事だ。
なにか他のことに気をとられたら、すぐ自分で決めたその「一点」に集中しなおす。常にソコだけを意識するんだ。
そうすると、その一点を基板に全体の流れがつかめてくる。あとは、その全体の流れに必要な部分を応用するだけだ。
筋トレ始めたのがガリガリ高校中退ヒキコモリニート時代の10年前(17歳)でこれから先
バイト先などでなめられたくない、あわよくばむかつく奴を半殺しにできるような体力を
持っておきたいっていうのが動機でひたすら腕立て伏せしてたら1年で水泳部の部員
くらいの体格になりました。で、ケンカはしませんでしたがいつでもこの拳で一発で床に
転がせるという筋肉の自信が対人関係に良い相乗効果を生み、キレるときは罵詈雑言駆使して
しっかりキレていつでもやったんどボケナスとなったりならなかったりで
とにかく内にこもって言いたいことも言えずにもじもじすることがなくなりました。
小学生のころとか気が弱かったのにね。
今なお筋トレを続けてるのも同じくいつでも半殺しにすんぞボケが、なめんな、という
気合いで毎日毎日命がけでいつ死んでも後悔せんと思って仕事をやってるからでしょうか。
いつでもやったんどっていうのはいつでも死ねる覚悟はできてるってことと同義です。
とにかくなめられるのが嫌いなのでこのいつでも殺し合いに脊髄反射でこたえる覚悟が
あって、しかもその自信は筋トレからきててフェイントでもなんでも拳が一発でも入れば
立っていられる相手などいないと自負するからこそ毎日命かけられるのです。
文章が支離滅裂になっていきていますが、言いたいロジックは威圧感→なめんなおまえ殺すぞボケが感→
変な自信→良い仕事→仕事の結果でる→良い対人関係→たまに対人関係ヒビ入る人いる→
ていうかこのループそろそろ限界みえてきた?→最近ちょっと大人になった みたいなところです。
まあ自分で客観的にみてもなかなかのキティGUYぶりなのですが、筋トレから良い結果が
生まれたことも挙げてみると、ニートからバイトしながら何クソ殺すぞボケナス魂で独学で大学(旧帝大のどっか)に入って
院まで行ったり、女が何人かできたり、なめられなかったり(なめてくるそぶりを1ミリでも見せたら即威圧します)
仕事でも技術なのに営業にかり出されて活躍したりなどがあります。
ぼくにとって筋トレすることは上記のような怨念がつまった行為なんですね。やったんぞ殺すぞなめんな今に見とけや
という怨念の原風景が筋トレにあるんですね。コンチクショウと歯を食いしばって生きてきたからこそこんないびつな
人間になってしまったけど、でも筋トレをすることで自分のアイデンティティ(クソなアイデンティティですが)を
形成して何とか生きて来れたのかもしれません。
筋トレしてるとき何を思い描きながらやってるのかというと拳で人を殴り倒す妄想をしながらバーベルを上げたり下げたり
しています。コンチクショウ、ナニクソ、いつでもやったんぞ、ぶっ殺すぞと心で叫びながら。
かつて毎日が苦痛で情けなくて死にたかった17歳の自分が筋トレをすることでいびつな前向きさを獲得した、
というお話でした。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
これの北大版。公立2次はまだだがそれを待つよりこの流れに載った方が吉と見た。
1.住居
一人暮らしの北大生は札幌駅北の北10条から北20条、西5丁目から東2丁目くらいが基本範囲
あとは学校反対側の桑園。若干家賃相場は下がるが大学に東側から入るのは至難なので通好みの選択。
電車、地下鉄をつかって離れたところに住んでもその定期代を超えるほどの家賃下落は基本ありません。
ちなみにたまり場化を避けようとするなら8畳以下の部屋にすることかな。
北大近辺は12畳オーバーの部屋がざらにあるんで8畳くらいにしとけばより広い部屋の人間のところへ行ってくれる
8畳以下でもサークル面子に自宅生しかいないとたまり場になるけどそんときゃ諦めろ。
あとオール電化はおすすめ。オール電化物件は総じて新しめの物件が多い上に冬場の暖房代は灯油やガスになると万単位に入るが蓄熱電気暖房だと流石にそこまで行かない。
あと電気クッキングヒーターはふきんのひとふきで簡単に汚れを落とせるのがいい。
ちなみに物件探しは生協が一番手っ取り早い。別に近場の不動産屋でもいいけど条件指定しないで上記範囲外のもの出されたらほぼ確実にハズレだと思っていい。
Vistaなのに1Gしかメモリ積ん出ないモデルを売ってたと言う時点で察してください。
札幌駅にビッグとヨドバシがあるんでそこで適当なものを見繕うか駅北のドスパラ、ツクモ辺りでBTOなり自作なりがおすすめかな。まあ、此処の住人なら生協からの広告でPCのスペック判断は出来るでしょ。
あ、ノートはあると便利だけど必須じゃないんで場合によってはデスクトップにチューナー載せてテレビ買わないのもありというか地デジ化でテレビの単価上がってるから結構ありな選択肢。
pptもあると便利と言うレベルなのでOOoで代替で大学の端末でレイアウトチェック、修正で乗り切ってもいい。
ちなみに北大は明治と違って(現状は)個人端末にインストール出来るライセンス契約じゃないので自前でオフィスの調達が必要です。まじであの包括ライセンス羨ましい。
3.単位
北大は学期当たりの授業コマ数に制限かけてる上にそれの7-8割が必須で食われるんで
学部に上がると文学、法学あたりはかなり自由度が高いけど理系学部はかなり低いです。
教養の授業とかは(本決めでなくても)見学に行ったサークルの人に聞けば色々と参考になる。
4.サークル
ぼっちで過ごしたいなら構わんが一人暮らししてると冬とかヒキコモリとか季節性のうつ病になったりするんで
人と関わりは残しておいた方がいい。
北大は公認サークルと非公認のサークルがあるが総じて非公認は施設の利用面で苦労したりするうえ
結構な確率でサークルの体をなさなくなったりするので公認サークルをおすすめする。
まあ、教養棟、教養近くの食堂(通称北食)の掲示板に山のようにポスターあるんでそこでも漁ってみるといい
あと北食の2階ソファー群は年度初めはサークル勧誘スペースになってます。
でもって期間終了後も居座ったりするのでそこにいつく場所を作れたら君は立派なサークル会員だ。
ただし居着きすぎると単位を落とすことになるのでマジ注意。
5.食生活
作るのが面倒ならミールカード入れ。
これは18万で1日1000円を日、祝除いて毎日使える一種のプリペイドカードだ。
朝を御飯と味噌汁、おかず一品、昼夜をこれですませばほとんど料理しなくていい。
真面目に作るなら12条、14条、16条、24条にスーパーがある。
あと大学近くに色々と定食屋があるがそれは自分で発掘するかサークルの先輩に聞け。
ただし定員20人未満の店はサークルじゃ食いに行かないから一人暮らしの先輩に聞かないと無理。
6.その他
必要な物が出てきたら適当なサークルに入って先輩に店を聞いておいおい揃えればいい
その若いホームレスは、日本の若者の失業率の数字に入ってないよ。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/01/post-d93c.html
要するに、標本調査だから、ランダムに人を選んで調査票を送付して回収するんだけど、ホームレスは家がないから調査票が届かない。だから、そもそも調査すらされていない。実家には届くかもしれないけど、ホームレスになった人のことを家族が把握しているかは激しく疑問。日本の若者の失業率は、数字上は今約10%ということになっているが、大学の学生アルバイトを就業者とみなしてる上、主婦やニート・ヒキコモリは失業者にカウントされていない。
新卒優遇みたいな制度ができるのは、企業が正社員を解雇しにくいから。だから、解雇しやすい非正社員を雇うしかなくて、非正社員の給料を低く押さえてコストのかかる正社員を雇う金に回しているのが現状。会社は、万が一使えない人を正社員で雇ってしまっても、その人を辞めさせられない。そうすると、当然、正社員を登用するのに過度に慎重になって、正社員になるのが難しくなる。だから、正社員は、長時間労働などのひどい労働条件でも会社にしがみつくようになる。
簡単に言えば、人を辞めさせるのが難しいと、会社は使えない人でも給料を払わないといけない一方で、社員に平気で長時間労働させられるという利益がある。この状態を容認しているのが現状。
正社員を解雇しやすくして、非正社員をもうちょっと保護するように調整しないと。正社員が解雇しやすくなれば、企業も人を気軽に雇えるようになって転職が活発化する。そうすれば、再チャレンジできる人が増えるのはもちろん、ひどい労働条件のところからはちゃんと人が逃げるようになって、労働条件も良くなるはず。
長いヒキコモリ生活。
16~19歳というもっとも楽しい時間を、購買欲承認欲を必死に押さえ込み我慢して引きこもって過ごしてきた。
するとどうだろう。もうわたしは近所のユニクロに行くのさえ面倒になってきた。彼氏もいらない、強がりとかでなくて。
人から誉められるのにしなきゃいけないことの多さを考えると、誉められたいとさえあまり思わない。
ネットでたくさんイラついてきた。タチの悪い2ちゃんねらがやることは大抵やった。嫌韓、嫌女、弱者たたき、その他いろいろ。
それで今は、右vs左、男vs女、若者vs老人、、、そんなのもうどうでもいい。ただ、面倒な争いとはかかわりたくない。ただそれだけ。
今の夢は、
山の奥にあったかい家を建てて、猫や兎や馬や犬と暮らし、少量の野菜を育て、静かに暮らすこと。
そして死んだら、だれにも見つからずに土にかえっていくこと。死にたいとは思わないけど、自分が死んで腐って土になるのを想像すると、ホッとして涙がでる。
まぁ、月並みだけど、他の面子と結託して
「アレの相手はアタシらの管轄外だ。アレを切るか臨床心理士を雇え。」
って訴えるしかないね。
勿論、顔ではそう言いつつ、口では
「病気を抱えた彼女と、今後もお互いに尊敬しあいつつ一緒に仕事をしていくためには
今のままではいけないと思うんです。」
と言うわけだが。
すると会社は「病気なんだから大目に見てやれ」って言うだろう。
そのままだと、大目に見るか見ないかの2択だ。
交渉には譲歩の余地が必要。
2択では譲歩の余地が無いが
要素が細かく20項目もあれば、「お互いどこまで譲歩できる?」という話ができる。
最終的には一切譲歩してやる気が無くても、話す余地は必要だ。
こういう交渉は非っ常にコストのかかる、割にあわねぇ話だと思うけど
辞める人がいるような状態でアクション起こさないのは
彼女(私と同い年、20代半ば)は5年くらい前に糖質に罹患して、
それ以来良くなったり悪くなったりを繰り返しているらしい。
今は病状が安定してきたらしく、昼から夕方までの5時間勤務をやっている。
しかし。
とにかく席にいない。仕事をしない。ふっと目をやると爪をいじったり携帯いじったりしている。
そんな状態が一年半あまり続いている。
いったいどこに行ってるか一回あとをつけてみたらトイレの個室にこもっていた。一時間後に戻ってきた。
それ以外にも休憩室や会社にあるカフェなどであたりまえのように一~二時間くらい休んでいるらしい。
上司は、小言で病状が悪化することを恐れているのでなかなか強く言えない。
何か言うとその場は直るらしいが、二日三日経つと元どおりになってしまう。
実際、私がこの職場に着任したとき彼女直属の上司に本人にあまりきついことは言わないでほしいと言われた。
それでも初めのころは病気で具合が悪いんだろうし、仕方ないことと思っていた。
来るわ来るわ勧誘のメール。
何月何日にみんなでバーベキューやりますとか、スノボ旅行に行きますとか。
はっきり言って休日はヒキコモリの私に比べるとものすごくアクティブ。
興味がないので断るがなんで来られないかを執拗に聞いてくる。
勧誘にノルマでもあるんだろう。
だが、正直言ってうっとうしい。勘弁してよ。
知ってるのか知らないふりをしてるのかは知らんが、
あんたがあんまりにも酷い勧誘するから前の派遣の子はやめちゃったんだよ。
5時間勤務の半分も席にいられないんだったら
うちの会社はそこそこ大きくてメンヘラの復帰も難しくないんだから。
いないならいないなりにルーチンを変えていくからさあ
中途半端にいられてもどうしようもないんだよ。
っていうかマルチ活動する元気があるなら仕事も少しくらいできるだろ。
くそっはっきり言ってやりたい。言えないけど。
元ヒキ経験者です。
僕の場合、引きこもってた頃はキツイ事言われたりすると反発してしまって逆効果でしたね。
「自分の意思で行動しないだけだ」っていう妙なプライドのような物があったので
「自分の主導権をコイツに左右されてたまるか」「誰が引きこもり辞めてやるもんか」って感じで。
それで甘やかされてると思われるかもしれないけど、優しく脱ヒキコモリ対策をされて救われました。
とは言え、優しくされても妙な所でプライドが高いので見下されていると感じて反発していました。
反発しても本音は「いずれは引きこもり脱出すべき」と思っているので、
優しくそしてしつこく説得された上で、表向きには「そこまで言うなら仕方ねーなー」
こう、僕自身の立ち位置に凄く悩む
僕は誰かから褒められるような人間でもなければ、蔑まれるような人間でもない
多分日本なら多数派の「ダラダラと生きてきた人間」になるんだろう
かといって勉強してこなかったわけじゃない
こういう人間の僕が
就活のために、さらに勉強を重ね、知識を積み、より人間として「高み」にのぼろうと
ここにモラトリアムが生じてしまっている
ぶっちゃけた話、僕は今の僕に「非常に満足している」
確かに「ここを自分で改善すべきだ」と感じるところはあるのだけれども
しかし、今の自分>>変える労力 と感じてしまう
僕はこれ以上自分を変えたくない
自然な変化ならいいが
「無理をしてまで変わりたくない」
僕はこのままの僕を世界に受け入れて欲しい
なんというか、「世間にあわす」ということを
最近とても疎ましく感じるようになった
果たしてこれは病気なのだろうか
ネットは非常に居心地の良い空間だと思う 人に「あわせる」必要が無いから
しかし、それは特殊でなく普通なのである
「その場所にとどまるためには、走らなければならない」というような台詞を聞いたことがあるが
自らの地位を守るだけでも、生物は常に進化せねばならないらしい
ということは
僕のような「進化することを拒絶」した人々は
このような「競争のプロセス」から外れた人間は多いんじゃないのだろうか?
何かのニュースで、日本の引きこもりは160万人いると耳にした
何故このように、「進化することを拒絶した人々」が増えるに至ったのだろう
進化スピードに合わせる「義務」が厳格化し、それについていけない人々が増加した
単純に進化を欲しなくなった
その他その他……
近年の「KY」に代表されるような
「空気を読む時代」は、我々のような存在をふやす一員になっているのは間違いない
以前は「違う空気には触れない」のが「空気を読む」であったのに対し
近年は「すべて同じく空気にしよう」という同化政策が「空気を読む」という現象になっている
何故か「個々を潰す空気」を生み出してしまったわけだが
果たして10年後の「空気」はどのようになっているのだろうか
また、僕ら「進化を拒絶した人々」は
どーなってしまうのだろうか
次回へは続かない
筋トレ始めたのがガリガリヒキコモリニート時代の10年前(17歳)でこれから先
バイト先などでなめられたくない、あわよくばむかつく奴を半殺しにできるような体力を
持っておきたいっていうのが動機でひたすら腕立て伏せしてたら1年で水泳部の部員
くらいの体格になりました。
で、ケンカはしませんでしたがいつでもこの拳で一発で床に
転がせるという筋肉の自信が対人関係に良い相乗効果を生み、キレるときは罵詈雑言駆使して
しっかりキレていつでもやったんどボケナスとなったりならなかったりで
とにかく内にこもって言いたいことも言えずにもじもじすることがなくなりました。
小学生のころとか気が弱かったのにね。
今なお筋トレを続けてるのも同じくいつでも半殺しにすんぞボケが、なめんな、という
気合いで毎日毎日命がけでいつ死んでも後悔せんと思って仕事をやってるからでしょうか。
いつでもやったんどっていうのはいつでも死ねる覚悟はできてるってことと同義です。
とにかくなめられるのが嫌いなのでこのいつでも殺し合いに脊髄反射でこたえる覚悟が
あって、しかもその自信は筋トレからきててフェイントでもなんでも一発入れば
立っていられる相手などいないと自負するからこそ毎日命かけられるのです。
文章が支離滅裂になっていきていますが、言いたいロジックは威圧感→なめんなおまえ殺すぞボケが感→
自信→良い仕事→仕事の結果でる→良い対人関係→たまに僕が大声で怒鳴って対人関係ヒビ入る人いる→
ていうかこのループそろそろ限界みえてきた→性格改造したほうがよくね?、みたいなところです。
まあ自分で客観的にみてもなかなかのキティGUYぶりなのですが、筋トレから良い結果が
生まれたことも挙げてみると、ニートからバイトしながら何クソ殺すぞボケナス魂で独学で大学(Aラン)に入って
院まで行ったり、女が何人かできたり、なめられなかったり(なめてくるそぶりを1ミリでも見せたら即威圧します)
仕事でも技術なのに営業にかり出されて活躍したりなどがあります。
ぼくにとって筋トレすることは上記のような怨念がつまった行為なんですね。やったんぞ殺すぞなめんな今に見とけや
という怨念の原風景が筋トレにあるんですね。コンチクショウと歯を食いしばって生きてきたからこそこんないびつな
人間になってしまったけど、でも筋トレをすることで自分のアイデンティティ(クソなアイデンティティですが)を
形成して何とか生きて来れたのかもしれません。
筋トレしてるとき何を思い描きながらやってるのかというと人を拳で殴り倒す妄想をしながらバーベルを上げたり下げたり
しています。コンチクショウ、ナニクソ、いつでもやったんぞ、ぶっ殺すぞと心で叫びながら。
かつて毎日が苦痛で情けなくて死にたかった17歳の自分が筋トレをすることでいびつな前向きさを獲得した、
というお話でした。
統合失調症を作りやすいダブルバインド -あるがままの自分を取り戻す
ダブル・バインドの罪。子供を怒るということ : あぱかば・ブログ篇
でも欲求が満たされないとわかると 泣かなくなるのです
はてなブックマーク - 乳幼児が施設養育で損なわれる危険性-EUにおける乳幼児の脱施設養育施策の理論と方策-(PDF)
[体罰][共謀][対人関係][警戒]パシンとたたく音。許してください。
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな
最近だとSupercellに噛んだりしてなかなか好調なようだし、職場ではキモオタ扱いとか自分でいう割にはうまいことやってるようだし、さっさとマンション買ってかなり贅沢暮らししてるようだし、ヒキコモリとか言ってる割にはきっちり外部と定期的にコミュニケーションとってるし、1度だけ写真公開したことあって見たけど超イケメンとはいかなくても普通にさわやかな感じだったし、無駄学研究所の宇佐教授の頃から適度に有名人と絡んだりして基本的に愛されキャラは変わってないんだよね。
だのに、いまだに独身っていうのは、何かよっぽど欠陥があるとかじゃないだろうか。性格悪いとか超偏食とかは知ってるけど、そんなもの(金の前では)乗り越えられない壁ではない。それ以上の、何かとてもじゃないが無理と女性が逃げていくような何かを隠し持っているとか。あれかな、セックス超下手とかかな。しかも当人超ノリノリなのに、30秒でバッテリ切れ、即座に液漏れ、みたいな。
キツいよねw
俺は小学生の頃はコミュニケーション能力に長けた男だったんだけど
中学3年間ヒキコモリしたせいで感覚がズレてしまいコミュニケーションがうまく取れなくなってしまったよ。
気軽に話しかけてくれる人が居ればこっちからも話すけど、こっちからは何を話せばいいか分からないんだ。
そんな感じで10年くらい経つ。
大人になってからどうやって友達作ればいいかわからない。
真剣に相談出来る親友が二人いるから、悩みや過去を共有した親友は増やさなくてもいいんだが
自分が欲しいのは所謂オタ友という部類。
親友にもオタは居るが、ジャンルが違う。格闘オタとアニメオタ位。だからディープな話が出来ない。
かといって自分の周りにそれっぽい人はいない。職場もリア充だらけだし、いたとしてもニコ厨レベル。
更に現実でのカミングアウトは失敗した時取り返しがつかない。リスクでかい。ただし当たったら付き合いやすい。
じゃあ仮想現実で?
うん、事実某板のスレで討論始まったときのwktk感は並ならないものがある。
だがしかし常に討論している訳でもない。
では趣向の合ったサイトの管理人にラブメールして仲良くなるとか?
・・・そこまででしゃばれん。拍手する位。
では友達募集サイト使ったらって、年齢層がね。mixiやgreeも身バレ怖い。そもそもマイミクひとりorz
自分でサイト作って反応待ちってのもいいし、似たような趣味のサイトと交流するうちにと言うのも手。
だが飽きが来たとき、そもそも事あるごとに付き合い(チャットとか)やり取りするのがきつかった。
何が一番致命的って、ネット上の人をリアルにすることに抵抗がありまくる点だね。
オフ会とか行きまくってる友達見てて自分無理だわと思う。サイトヒキ、リアルでも仕事と友達いなきゃヒキコモリだろう。
先天的に駄目なんだわなw
初対面の人とそう簡単に打ち解けられる玉じゃなし、自分から行くこともなし、ウケミン。
「親友」より軽い「友達」「知人」「職場仲間」層を作れない、要は人間との関係性を薄く広く持てないタイプ。
輪の中心にはならず、輪からちょっと離れて黙って輪を見守る系。
という訳でオタ友作るのは半ば諦めてる。
別に居ないと困る訳でもなし、なんとか吐き出し口はネット上にこうしてあるわけだし。
ってだめじゃん!
にげちゃだめだにげちゃだめだにげちゃだめだ
以下最初に戻る
どこの企業とは直接は書かないけど、某居酒屋チェーンが500人を正社員として採用するそうですよ。
それに対して世間の反応は多分「捨てる神あれば、拾う神あり」みたいな感じなんでしょうね。「素晴らしい企業だ!」なんて書いているブログもあったし。
このチェーンは古くからインターネットを使っている人や弱者ビジネス問題を扱っている人にとっては「キング・オブ・ブラック」とでも呼ばれるようなブラック企業として知られています。
サービス残業は当たり前、長時間労働で店長格でも時給換算すればバイトよりも時給が低い。今年の流行語対象のノミネートに「名ばかり店長」なんてのがありましたが、マクドナルドの名ばかり店長なんて、居酒屋チェーンの名ばかり店長に比べれば、まるで天国です。例の店長なんて、一番酷いときでも年収600 万も、もらっていたそうですから。
非正規労働の問題をいうときに、必ずと言っていいほど「探せば仕事はある」なんてお決まりのフレーズをいう人がいますが、こうしたブラック企業で長時間低賃金で働いて、仮に3年頑張ったとして、3年後に生活の安定へ道が開かれると思いますか?
そんなことはまったくの夢物語です。
こうしたブラック企業で3年間働いたとしても、住み処を失うことは避けられても、長時間労働で体をおかしくして、お金もスキルもたまらない。それで仕事をやめたとして、ではその先にまっているのはもちろん「仕事をしない怠け者」という罵倒ですよ。それはニートのヒキコモリが3年間家に閉じこもってたのとなにも変わりません。働いたってなにも得られないんですから。
まさに「働いたら負け」です。
居酒屋で働いた接客スキル? そんなもの誰も評価しませんよ。8年近くコンビニで働いて接客スキルを鍛えてきた私が言うのだから、間違いありません。そもそも工場から派遣切りされたのも、企業側が非正規労働者のスキルを認めないからです。
企業側が認める気がないスキルを蓄えたって、なんの意味もありません。唯一「正社員」というスキルはつきますから、それをなんとかうまく利用する手だてを考えることが必要ですね。「居酒屋チェーン正社員を途中でやめた無責任者」と、ちゃんとした企業にみられないための面接シミュレーションをタップリ行って、それで行けそうだと思うならば、こうしたブラック企業への就職も悪くないでしょうが、最低限これが劇薬であることを理解する必要があります。間違っても終身雇用を期待してはいけません。
しかし、やはり将来に対するビジョンということを真剣に考えれば、非正規労働者こそ仕事をえり好みして、自分の将来に繋がる仕事をしなければならないし、国もそうした仕事を提供しなければならないのです。
ただの雇用に意味はありません。労働によって人が社会に組み込まれ、そのなかで生活を安定させていく。そういう雇用でなければ、仕事の意味がないのです。
そもそも国がちゃんした福祉を提供し、衣食住を保証していれば、変な企業にあわてて駆け込む必要なんかないのです。
非正規労働者の雇用に対して助成金を出すなんて話もありますが、ハイエナ企業が助成金目当てに大量採用して、違法な長時間勤務をさせて自主退職に追い込むという可能性もあります。
特にこの時期に大量採用をぶち上げ、企業アピールを狙っている企業なんかに対して、しっかり労働基準監督署はどんどん立ち入って検査するべきなのです。働け労基。
http://anond.hatelabo.jp/20090313153918
自分が左寄りだと認識した上で自分の考えを言うのなら嫌いじゃない。そういう人は相手と摩擦が起こらないように話し方に工夫をするしな。でも、そういうことを認識しないまま、左寄りな意見が世論そのものみたいに考えちゃってる人がいるような気がしてならない。
これはもう、「俺はサヨクである」という強烈な自負をもって活動的ブクマをしている人たちに他ならない。
快不快のみで物事を決定して動物的にコメするネトウヨに対して、はてサは「今までの経験から鑑みて、『はてサ』ならこう言うだろう」というある程度計算に基づいたテンプレ回答を返してくる。なぜはてサにはそのような打算をせねばいけないのか。
それはつまるところ、2chウヨとはてサの誕生する過程の違いなのだ。
匿名はリアルより簡単にマジョリティを演出できる(もちろん一人や二人では無理だけど)システムだ。
「空気」さえ作ることができれば後は楽勝だ。
ゲームやお笑いを餌にして、イノセントなおガキ樣を釣れば教化は八割完了したようなもんだ。
しかしだからこその問題もある。名無しである以上、彼ら自身のグループの中から可視的オピニオンリーダーを選ぶことは難しいのだ。
彼ら自身が識別可能な唯一の仲間、それは自分自身に他ならない。
大多数の仲で、浮き彫りとなってエンファサイズされた己の存在を認識した瞬間、ネトウヨの中で記憶と認識の捏造が生じる。
「みんなが言ってるから正しい」という受身な姿勢から「俺の主張にみんな賛成してくれている。俺は正しい!」という世界の中心で俺を叫ぶ姿勢への転換だ。つまりは自意識の発露だ。なるほど、ネトウヨが十代にウケるのも道理かもしれない。
「己に対するトートロジカルな自信」と「圧倒的な(と自分では思ってる)賛同者数」。後者の権威は強固だ。非難しても揺らいだのかどうかすらわからない。だが、その存在の曖昧さが不安を覚える者だっている。奇妙な盲信に嫌悪感を抱き反発する若者を、ひいては血気盛んなマイノリティを生み出す。では、そんな怒れるはみ出し者たちはどこへ行くのか?
はてサは生まれついての少数派だ。
まず、母体となるはてなー自体の数も2ch比べて圧倒的に少ない。
宗教法人よろしく信者数の捏造なんてできない。数では自信が持てない。
ではどうするか。はてな特有の武器はあるか。idだ。ではidをどうやって使う?
馴れ合いに、だ。
匿名文化には生まれ得なかったオピニオンリーダーたちを輩出させ、
そいつらに"繋がらせる"。そいつらと繋がらせる。
それにぞれに対応した権威付け方法がある。
つながり乞食の相互確認手段でしかなかったはずのこれらの馴れ合い手段。
しかし外から見た人間たちは誤解する。「ああ、こんなに人気があるのか」と。
「言われてみれば、正しいような気がする。面白いような気がする」
数が生まれる。決して人数は多くない。だからこそ徹底して教育してやる必要がある。
その教育施設として最も悪名高いのが「はてな村」と呼ばれる場所だ。他人の揉め事ほど面白いものはない。
エンターテイメントを売り物にする点ではそうはてサとネトウヨの手管に違いはない。
対岸の揉め事やネタを通して、信徒は論者たちのキャラに対しての理解も深め、やがては親近感を覚えるまでに至る。
畏怖憧れ尊敬同調蔑視性的好意その他様々なものが交じり合って人と人の結びつきは強くなる。(そのほとんどは「自分が一方的に深くつながってるつもりなだけ」だけど。だからオフ会で「お前は俺のことご存知だけど、俺はお前を存知ねぇよ」的なエピソードがばんばん出てくる)。はてサにとっての正しさとはつきつめれば「俺が信頼している○○さんが正しいから正しい」だ。信頼に強調打ってもいい。信頼
そして、敵がいる。ウヨにとっての在日だとかアカだとか、そんなヒキコモリにとっては想像上の生物でしかないよーな敵ではない。もっと卑近である種の親近感を覚えやすいやつらだ。ワンクリックでアクセスできるご近所さん。2chねらーだ。
はてなーは大抵2chからの流民だったりする。自分が前に所属していたグループを見下すほどの快感はこの世に存在しない。
そこからつまはじきにされた元いじめられっこなら尚更だ。
「尻の青いがきどもめ。貴様らはまだそんなところに這いつくばっているのか」
人はそれを高二病と呼ぶ。
はてサにとっての教化はまさにこのステージへの移行をもって完了とする。
あとはその状態をいかに維持するか。単純だ。延々とネトウヨをクソがきと馬鹿にしておけばよい。
そのためにはまず強力に「俺ははてサである」という自己暗示をかける必要がある。
だから彼らには"そういうこと(はてサであること)を認識しないまま~"というのは当てはまらないし、有得ない。
そう、はてサは常にネトウヨの存在が前提にある。自然、態度は後出しじゃんけんにならざるをえない。
"嘲笑"は彼らにとって義務だ。"ねちねちしたコメにスターをつける"のも同様。
互いに即座に代わりが聞かない存在である以上、仲間内で権威付けをしあわなければいけない。敵を貶めなくてはいけない、"摩擦"を起こせ。
ブクマコメがテンプレ的になるのも、コメ対象となる「問題」に常に「正答」が存在するからだ。はてサとしての100点回答が。
一億と二千回繰り広げられてきた問答で先輩たちが血を吐くような思いでひねり出してきた知識のリサイクル。
http://anond.hatelabo.jp/20090219093036
キモヲタが何のために筋トレ?とあったので理由とその体験を答えたいと思います。
最初に言っておきますが引かないで下さいね。
筋トレ始めたのがガリガリヒキコモリニート時代の10年前(17歳)でこれから先
バイト先などでなめられたくない、あわよくばむかつく奴を半殺しにできるような体力を
持っておきたいっていうのが動機でひたすら腕立て伏せしてたら1年で水泳部の部員
くらいの体格になりました。で、ケンカはしませんでしたがいつでもこの拳で一発で床に
転がせるという筋肉の自信が対人関係に良い相乗効果を生み、キレるときは罵詈雑言駆使して
しっかりキレていつでもやったんどボケナスとなったりならなかったりで
とにかく内にこもって言いたいことも言えずにもじもじすることがなくなりました。
小学生のころとか気が弱かったのにね。
今なお筋トレを続けてるのも同じくいつでも半殺しにすんぞボケが、なめんな、という
気合いで毎日毎日命がけでいつ死んでも後悔せんと思って仕事をやってるからでしょうか。
いつでもやったんどっていうのはいつでも死ねる覚悟はできてるってことと同義です。
とにかくなめられるのが嫌いなのでこのいつでも殺し合いに脊髄反射でこたえる覚悟が
あって、しかもその自信は筋トレからきててフェイントでもなんでも一発入れば
立っていられる相手などいないと自負するからこそ毎日命かけられるのです。
文章が支離滅裂になっていきていますが、言いたいロジックは威圧感→なめんなおまえ殺すぞボケが感→
自信→良い仕事→仕事の結果でる→良い対人関係→たまに僕が大声で怒鳴って対人関係ヒビ入る人いる→
ていうかこのループそろそろ限界みえてきた→性格改造したほうがよくね?、みたいなところです。
まあ自分で客観的にみてもなかなかのキティGUYぶりなのですが、筋トレから良い結果が
生まれたことも挙げてみると、ニートからバイトしながら何クソ殺すぞボケナス魂で独学で大学(Aラン)に入って
院まで行ったり、女が何人かできたり、なめられなかったり(なめてくるそぶりを1ミリでも見せたら即威圧します)
仕事でも技術なのに営業にかり出されて活躍したりなどがあります。
ぼくにとって筋トレすることは上記のような怨念がつまった行為なんですね。やったんぞ殺すぞなめんな今に見とけや
という怨念の原風景が筋トレにあるんですね。コンチクショウと歯を食いしばって生きてきたからこそこんないびつな
人間になってしまったけど、でも筋トレをすることで自分のアイデンティティ(クソなアイデンティティですが)を
形成して何とか生きて来れたのかもしれません。
筋トレしてるとき何を思い描きながらやってるのかというと人を拳で殴り倒す妄想をしながらバーベルを上げたり下げたり
しています。コンチクショウ、ナニクソ、いつでもやったんぞ、ぶっ殺すぞと心で叫びながら。
かつて毎日が苦痛で情けなくて死にたかった17歳の自分が筋トレをすることでいびつな前向きさを獲得した、
というお話でした。