なにがあったの?
まとめてお譲り頂きたいのですが、どのくらいの期間使用されたものでしょうか?また、着用ポラを付けて頂く事は可能でしょうか。
というのを作ったら面白いかもしれない。
そのままだと営業妨害だから、対策をきちんとしてくれてるお店一覧とかいう形で。
先ほど古本屋に入ったら、追い返されてしまった。マスクをしてないお客様は、云々と。大きな本屋だとこうはならない。どんな客が入ってもいいようにお店側は防衛をしてる。小さくてお店が狭かったりすると、客を拒否するとかそんな手段しかなくなる。店からすればもっともだが、客からすれば困る。最近でこそマシになったが、一時期マスクの値段は高騰し、それでも手に入りにくい、政府からのマスクはなかなか届かない。ハンカチを口に当てて街を出歩けばいいのだろうか。
店は客を選ぶ事ができる。できるけれど、これは繊細な権利だ。拒否された客が社会的少数派であれば、差別問題になりかねないからだ。マスクをつけないという少数派はいかがか。これはコロナという後ろ盾があるから、まかり通るには違いないだろう。だからコチラができることは、そういったお店をリストアップすることだ。
はてブウォッチャー()は毎日のように「ハテサハデワノカミ」って愚痴垂れてるよ。
https://b.hatena.ne.jp/search/tag?q=%E7%B5%8C%E6%B8%88
https://b.hatena.ne.jp/search/tag?q=PS3&sort=popular
https://b.hatena.ne.jp/search/tag?q=PS5&sort=popular
そんなに違いますか?
むしろコロナ関係では医療関係者やらなんやらが情報発信しまくってただろう。
2009年新型インフルのときとかそんなに専門家が出てきてたか?
https://b.hatena.ne.jp/search/tag?q=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AF
いまでも人気のあるタグだけどね。
男女論とか恋愛語りとか昔の比じゃないほど増えたろ。
オリンピック心待ちにしていた人がブルーインパルスで盛り上がってる→分かる
オリンピック反対してる人がブルーインパルス馬鹿にしてる→分かる
文春でまた小池都知事の学歴詐称疑惑を取り上げてるらしいけど、ほかの有名人の学歴詐称疑惑でも大学にこういう人物は卒業してますか?問い合わせて一発で白黒ついたってことはなかった印象。
サーカスいじってるやつ
見逃したか見れない奴だろ。
俺も見てなかったらバカにしてたわ絶対。幕が上がった時の感動たるや、えもいわれぬ感情湧いた。
音のでかさとか迫力あったし、曲芸で歓声が上がるたび、人々から「どこ?」とか「見えた!」って声が聞こえて来るのはなんかエモかった。
今のところ三つくらいの「第二波」があるようで一応整理しておきたい。
3.中国から日本に持ち込まれたウイルスを第一波、欧米からの帰国者が持ち込んだ第二波とするもの
1は私から見ると「第一波の取りこぼし」だと思うのだが、「第二波」と呼んでいる人が目にとまる。
はてなブックマークのブコメや身近なところでちょくちょく見たり聞いたりする。
これは、緊急事態宣言後かなり抑えこめたことで、次回に起きる再流行を第二波と呼ぼうと考えているのだと思う。
2は、スペイン風邪やSARSの記録から、大規模な流行が数ヶ月~年単位であとに来るものを第二波と呼んでいるのだと思われる。
経験的に、一度流行が収まったあとに二回目の流行が起きるものであるため、二回目の流行を第二波と呼んでいるのだろう。
3は、リンクを貼る。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/basic-science/467-genome/9586-genome-2020-1.html
リンク先にあるとおり、昨年末くらいから中国より入ってきたものを第一波、欧米を経由して帰国者が広げたものを第二波と呼んでいる。
私がこれを書き始めた経緯としては「1を第二波と呼んでいるやつが多すぎる!2が第二波だろう。
一度収まった後に突然変異が起きたウイルスが広がってくるから第二波になるのだ」と思って調べてみたのだが、
別地域や別種の動物に感染していってそこでウイルスが変異した結果がまた戻ってくるのを繰り返して、
「日本にとっては第三波、米国にとっては第二波」みたいなのができていって、
最終的にあとから振り返って初めて「あれが第二波だったか」と分かる性質のもののようである。
コミュニケーションコストが増えるのは残念だが、「第二波」という言葉を聞いたら自分で文脈を推測するか聞き直す必要があるようだ。
ミクシィ?グリー?よく覚えてないけど、何が嫌いだったかと言うと、インターネットに自分の行けないところが作られるような感覚を覚えたからだ。
もちろん他にも会員制のように絶対にアクセス不能な場所はいくらでもあるのだけど、SNSは繋がりたい人同士を繋ぐ装置として機能し、繋がりたくない人を排除する役目も果たす。
私はどちらも嫌だった、繋がりたくもなければ排除もされたくない、その自由さが好きだった。自分の意志で決められるのがインターネットじゃないのか、と。
だから、SNSサービスは私にとってはいつも不自由さを感じさせた。
ミクシィは特に嫌だった。招待されなければ入れない、これが正直むかついた。私は自分の意志で決めたいのに、誰かから入れてもらわないといけない、この感覚がたまらなく嫌だったから、実際には簡単に入れるのにミクシィには頑として入らなかった。
グリーには入った。そうは言ってもSNSはインターネットサービスの大動脈になることは分かっていたし、いつまでも嫌ってもいられないと思ったから。
勧誘制ではなく、自分の意志で選択できるのが選んだ理由の一つだけど、でも実は気に食わなかった。
SNSをやっていると、自分の行けないところがあることに気がつく。
ウェブサービスの基本は、ハイパーリンクで好きなところに行けることだ。リンクさえあればひとっ飛び。それが好きだった。
これがSNSでは出来ない。説明しにくいが、検索でも分からず、見えない部分がある。仲間に入っていないとわからないのである。
全部繋がっているはずのインターネットなのに、その中に、システム的ではない、リンクされていない別のネットがある、そんな感覚。
見えている部分が人で全然違う。それは私が見てきたインターネットとは全く違うものだ。
インターネットは世界中の人と人を繋ぎ、これまで分断されていた社会のその壁を取っ払っていくものだと言われていたこともあった。
でもSNSはそれに反するものだとしか思えなかった。むしろ分断を生み、加速させ、衝突を生み出す、絶対そうなると私は思っていた。
フェイスブックは、考えるまでもないだろう。人それぞれで見えているタイムラインが全く違う。そこにあるのは仲間内だけの世界だ。シェアが繋いでいるように思うかも知れないが、実際にはそのシェアは分断を増長すらさせている。
極端な話が、あるクラスターは疑似科学だらけデマだらけ嘘ばっかりのようになっていたりする。そうした情報しかシェアされない世界がそこにある。フェイスブックは極端な閉鎖性を持つ。繋がっているはずなのに全然わからない別の世界が無尽蔵に存在する。
Twitterはそれとは全く異なるように思うかも知れないが、Twitterだって酷い。ここで見られるのは、日々繰り返される炎上騒動であり、激しい戦争だ。住処の違うものどおしが見えてしまうので、気に入らないとそれらを叩き始めて、言論攻撃で排除しようとする。
インターネットは人と人を繋ぐなんて全くのデタラメにしてしまったのがSNSなのである。
そもそもインターネットはハードウェアネットワークであり、ソーシャルネットワークではない。
それでも、あまりにも膨大な情報の宇宙から必要な情報を得るにはSNSを利用しなきゃならない。
ググって情報を得るなんて最早太古の昔の話であり、タイムラインに自動に流れてくる情報をまるでブロイラーが与えられた餌を食うようにして享受していかないと時代や社会についていけない。
でもやめたくてもやめられない。
すべて気のせいです。