その人の趣味や趣向なりを把握しておくと新人教育の為にも非常に有効に使える。
しばらくしてツイッターで「駐車場」「白馬」「会社に」等、特定のキーワードを入れて検索する。
すると「朝出社したら駐車場に白馬がいたんだけどwwwwwww」みたいなツイートをする人間がいるので過去のつぶやき等から本人特定。
フォロワー等もチェックして同僚がいないかチェック。。
ハンドルネーム等で特定に至らない場合もあるが、うちの会社の社員って事が分かるだけでも儲け物。
好きな事や興味のある事が分かれば指導もしやすい為直属の上司へ情報を送る。
相手と好きな事が共通してるだけで親近感を感じて相手との距離は心理学の面から考えても縮まりやすくなる。
ツイートから落ち込んでいる、へこんでいる等本人の精神状態も把握しやすく先手を打って解決出来る。
こんな会社あったら怖いですよね。
この話はフィクションです。
http://anond.hatelabo.jp/20141126144137
http://anond.hatelabo.jp/20141113173603
あと4日だよ、ネタ仕込まないと
ってか、一体いつはてなが「質が高い」時期があったんだよwww
http://b.hatena.ne.jp/entry/wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20141126/195601/
本人も書いてある通りこんなの誰もが分かっている事で
ついでに女子アナだけではなく男子アナも同じ、アナではない芸能人なんかも同じで
テレビってのが元々視聴者の欲望に合う人間を演じることで儲ける業界である事を考えたらごく当然の事だと思うんだけど
それどや顔で書いた揚句「満員電車に詰め込まれたサラリーマンも学生も、主婦も子どもも「いい子であれ」って言われて息苦しい思いをしている」とか
ぉめぇ
確かに、シャワーを浴びるように日々大量の色んな作品に触れることは大切だよ。
しかし、一番差がつくのは触れた作品をどこまで消化できるかだよね。
どんな金持ちでも1日は24時間しかなくて、触れられる量なんて限られてる。
お金に不自由しなければたしかに色んなアートの知識をつけることはできるけど、
それで「消化力」がつくかといえば、それは一概に言えないでしょ?
逆に貧乏でも日常の風景や出来事から得るものはいくらでもあるだろう。
貧乏な家庭に生まれた芸術家やクリエイターなんて腐るほどいるよね。
モノにあふれた時代だから浅く中途半端に広くセンスを育んでいる人が多い。
だからこそ狭く掘り下げることで得られるセンスは貴重なんじゃない?
それより問題なのは、貴方のなかで創作欲は本当にしっかりあるのかということ。
「これはすごい!」という感動や「すごいこと思いついてしまった!」という自信があって、
「だから創りたい!伝えたい!」という思いが強くあるのかな?
率直に言ってしまえば、「封印していた」時点で、まだそこまで強くて明確な創作欲はないんだろう。
それに自分で強く感動できることが最低条件くらいに思っておくといいんじゃないかな。
どうしてもいつか仕事にしたいなら、今からでも「消化力」をつけるしかない。
消化力があれば、世界や自分のなかに隠された感動を見つけることができる。
そんななかに、全身に電流が走ったような衝撃が起きるものがあって、
それが強烈な創作欲になるんだよね。「これは伝えなくては」という使命感すら起きる。
「消化力」がつく生活の仕方を1つ言うと、例えば、
まず「新しいもの」を常に探して、超大量にメモ・撮影して整理する。
やがてメモやカメラ無しに自然と新しいものに無意識に注意が向いて感動するようになる。
そうして芸術脳を日常化することが、触れる作品の数なんかより遙かに大事だから。
何気ない日常の中にも膨大な新しい感動が詰まっていることが分かってきたら、今度は「高速化」する。
つまり、新しいものを1分に何個見つけられるかといったことだね。それを速くしていく。
速くなると何が嬉しいかというと、色々あるんだけど、
今はもう解決したんだけど、文字入力するときのカーソル(キャレット)が増えてしまったことがある。
実用には差し支えないが、ページを切り替えてもピコピコ点滅したままそこにいて、スクロールバーで上下に動かすと上へ下へと移動する。
「キャレット 消える」という診断トラブルのページは多いけれど、「キャレット 増える」はさすがにレアケースらしく、1件も見つからなかった。
まあ、直ったけど、直し方がわからない。
◆第1段階「否認」
ぼっちになりつつあることに気がついたり、友人が残り少ないと周囲から認識されたときに、まず現れるのがこの「否認」です。
「これは何かの間違いに違いない」
「自分に限ってそんなことは起こりえない」
なんとかぼっちから脱出しようとしてキョロ充になりかけるのもこの頃。
一緒にいて楽しくないのに無理にクラスメイトと一緒にいたりして…今から思えば無駄な時間を過ごしたなと感じます。
◆第2段階「怒り」
「否認」が維持できなくなると、次第に自分の命が短いことを認めざるを得なくなります。
すると、「怒り」が現れます。
「なぜ自分がこんな目にあうんだ!」
「一体私が何をしたというのか!」
というように、あらゆることに対して「怒り」が向けられます。
楽しくない相手と無理に一緒にいるので当然人間関係は広がりません。自分も楽しくないということは相手も対して自分のことを大事に思ってはいないのです。
本当は無理して一緒にいるのが間違いなのですが、自分がぼっちになることを受け入れられないので周りに怒りをふりまきます。
自分が楽しいと感じられないのは周りが悪い、周りが悪いから楽しい友達ができないと思い込み、ストレスをためます。
◆第3段階「取引」
十分な「怒り」を体験した後は、もはや避けられない今の現実を少しでも先延ばしにできないものかと、交渉する段階に入っていきます。これが「取引」です。
「何か人々の役に立つようなことをするから、友達になってほしい。ぼっちを避けたい」
「もう2度と悪い行いはしないから、ぼっちだけはやめてほしい」
このような「取引」は、主に個人が勝手に決めている「友達になれそうな人(実際は相手はなりたいと思っていないし、本人も大して好きな相手ではない)」にむりやり押し付けるようになります。このあたりになると大抵の人は逆に孤立します。
◆第4段階「抑うつ」
周囲との「取引」が成立しない、自分はもうぼっちになるしかないのだ、という心理状態にたどり着くと、「抑うつ」という段階に移行します。
「ぼっちとして生きていかなくてはならないのか・・・」というぼっちへの”準備的な抑うつ”と、自己の性格を批判する”反応的な抑うつ”があります。
傍目から見るとすでにぼっちになっている上に思い悩んでいるという、どう考えても更に人を遠ざける状態になります。
ひとりで暗い顔をしている人に進んで声をかける奇遇な人は宗教団体の勧誘くらいなものです。
◆第5段階「受容」
この段階まで来ると、自分のぼっちを「受容」できるようになってきます。ゆったりとした平安な気持ちになり、ぼっちに向けて気持ちが整ったような状態になります。
自己嫌悪もなくなり、周囲へのストレスもなくなり、「もうぼっちでいいや」と割り切るようになります。
ここまでくると一人焼き肉、一人カラオケ、一人温泉、一人酒、などなどの「おひとりさま」を堪能するようになり、
周囲から見ると逆に楽しそうに見えてきますし、本人も今まで無理に人間関係を保とうとしてたのは一体何だったんだ?とやたらスッキリした表情をしはじめます。
集団心理が強い人たちから見れば奇人変人に見えますが、人によっては楽しそうでいいな、と思う人も出てきます。
逆に楽しそうにしているので人に誘われることも増えてくることもありますが、
一人の楽しさを堪能してしまっているので往々にして断ることが多くなります。
たまに断りきれずに食事をとったりすることもありますが、逆に疲れてしまい後悔することも多い。
「ぼっちになりたくない」と気をもんでいたというのに、気がついたら「ぼっちのほうが楽しい」にシフトチェンジするのです。
ウィキペディアの死の受容から改変追記してぼっちエンジョイの自分に至るまでを書いてみたが本当にこんな感じだった。
かつてはぼっちになりたくないともがいていたのに、もういいや、と思った瞬間にぼっちが楽しくなります。
今はもはや楽しそうなリア充を見ても爆発しろとは思わなくなりました。
私は一人で楽しむから、いいやと。
とはいえずっと一緒にいるわけではないのでぼっちで過ごすことも多いです。
給食に「ふりかけ」が良いか悪いかじゃなくて、こっから分かることは「大阪の飯がマズイ」、ただそれだけだろ。
ふりかけか良いか悪いかだったら、良くないだろ。
大阪のことだから、大人になって成人病とかになったら「給食でふりかけを止めなかったのが悪いから、謝罪と賠償しろ」とか言われそう。
よく夫婦で口座を一つにする人が多いけど、一度もやったことがない。今後もしないだろう。
相手が自分の有り金尽きるまで遊んでもいいけど、それが尽きたら一円も出すつもりはない。
即刻家を追い出すつもりだ。
何をいっても聞かない浪費家にはこれが一番いい。
たとえば杓子定規に下方硬直性っていうけど、欧米と異なり日本の正社員の場合「ボーナス」「賞与」というカネが基本給から自動的に奪われていて、そこで実質的に賃金の調整するので下方硬直性が機能しない。
それに下方硬直性は強固な労働組合に守られていることが前提なんで、たとえ正社員でも組合が貧弱な企業ならこれまた機能しない。
当然ながら非正規雇用では下方硬直性は機能しないし、安倍政権下では正社員減らして非正規増やしてるんだからますますその傾向が強くなる。
ブラック雇用を増やして社会保障を削ることで数字だけの「失業率」を減らしても、労働者の生活はまったく楽にならないし、消費も回復しない。円安で生活必需品も高騰してますます倹約に走る。
という感じで現実の大事な条件をことごとく無視してデフレがーとやっても全然ダメでした、というのがアベノミクスの結果なわけ。世界中がそう見てるけど、日本の一部のへんてこな論者だけがいまだに固執してる。