2014年11月27日の日記

2014-11-27

新入社員が入ったらとりあえずツイッターアカウント特定してる

その人の趣味や趣向なりを把握しておくと新人教育の為にも非常に有効に使える。

特定方法は簡単。

会社で通常起こりえない事を意図的に起こす。

例えば駐車場白馬を止めておく等。

しばらくしてツイッターで「駐車場」「白馬」「会社に」等、特定キーワードを入れて検索する。

すると「朝出社したら駐車場白馬がいたんだけどwwwwwww」みたいなツイートをする人間がいるので過去つぶやきから本人特定

フォロワー等もチェックして同僚がいないかチェック。。

ハンドルネーム等で特定に至らない場合もあるが、うちの会社社員って事が分かるだけでも儲け物。

好きな事や興味のある事が分かれば指導もしやすい為直属の上司情報を送る。

相手と好きな事が共通してるだけで親近感を感じて相手との距離は心理学の面から考えても縮まりやすくなる。

ツイートから落ち込んでいる、へこんでいる等本人の精神状態も把握しやすく先手を打って解決出来る。

こんな会社あったら怖いですよね。

この話はフィクションです。

http://anond.hatelabo.jp/20141127124814

はてな老害現る





ってか、一体いつはてなが「質が高い」時期があったんだよwww

お前がそう思ってても周りからはきもーーーーーーーーとかしか思われてなかっただろうにwww

http://b.hatena.ne.jp/entry/wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20141126/195601/

本人も書いてある通りこんなの誰もが分かっている事で

ついでに女子アナだけではなく男子アナも同じ、アナではない芸能人なんかも同じで

テレビってのが元々視聴者の欲望に合う人間を演じることで儲ける業界である事を考えたらごく当然の事だと思うんだけど

それどや顔で書いた揚句「満員電車に詰め込まれサラリーマン学生も、主婦子どもも「いい子であれ」って言われて息苦しい思いをしている」とか

いきなりギョーカイ人ではないど素人にまで話広げられても

なんどか匿名ダイアリーに書いてるんだけど

自分が思ってること書いても全然コメントはてブもつかない。

議論が活発化するかと思って多少過激な表現

(○○は法律規制しろ等)書いてもまるで反応なし。

たまに反応あっても揚げ足取りコメント1つとか

ほんと揚げ足ばっか取られてる。

それかスルーされる。

釣りすらできない。

多分、はてなにはおっさんしかいなくて

感覚とか価値観とかが自分とは全然うから

と推測するんだけどどうだろうか。

そして若者はいずこ。

きょぅたんぢょぅびのひと

ぉめぇ

http://anond.hatelabo.jp/20141127123021

公開前から原作者が突き放してる映画って駄作フラグの1つじゃね?ってことかと思うけど。

まあ原作者性格によるだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20141127021904

承認欲求創作欲求と勘違いしてるだけだよ。

自覚してないようだけど、創作手段としてしか認識してない。

純粋創作者という意味ではお前はすでに終わっている。

来世に期待しよう

http://anond.hatelabo.jp/20141127021904

確かに、シャワーを浴びるように日々大量の色んな作品に触れることは大切だよ。

美大でも量を強調する先生結構多い。


しかし、一番差がつくのは触れた作品をどこまで消化できるかだよね。

どんな金持ちでも1日は24時間しかなくて、触れられる量なんて限られてる。

お金不自由しなければたしかに色んなアートの知識をつけることはできるけど、

それで「消化力」がつくかといえば、それは一概に言えないでしょ?

逆に貧乏でも日常風景出来事から得るものはいくらでもあるだろう。

貧乏な家庭に生まれ芸術家クリエイターなんて腐るほどいるよね。

ハングリー精神がいい芸術を生み出すという考え方だってある。

モノにあふれた時代から浅く中途半端に広くセンスを育んでいる人が多い。

からこそ狭く掘り下げることで得られるセンスは貴重なんじゃない?


それより問題なのは貴方のなかで創作欲は本当にしっかりあるのかということ。

これはすごい!」という感動や「すごいこと思いついてしまった!」という自信があって、

「だから創りたい!伝えたい!」という思いが強くあるのかな?

率直に言ってしまえば、「封印していた」時点で、まだそこまで強くて明確な創作欲はないんだろう。

人を感動させるには自分の中に具体的な伝えたいものがあって、

それに自分で強く感動できることが最低条件くらいに思っておくといいんじゃないかな。


どうしてもいつか仕事にしたいなら、今からでも「消化力」をつけるしかない。

消化力があれば、世界自分のなかに隠された感動を見つけることができる。

そんななかに、全身に電流が走ったような衝撃が起きるものがあって、

それが強烈な創作欲になるんだよね。「これは伝えなくては」という使命感すら起きる。


「消化力」がつく生活の仕方を1つ言うと、例えば、

まず「新しいもの」を常に探して、超大量にメモ撮影して整理する。

やがてメモカメラ無しに自然と新しいもの無意識に注意が向いて感動するようになる。

そうして芸術脳を日常化することが、触れる作品の数なんかより遙かに大事から

何気ない日常の中にも膨大な新しい感動が詰まっていることが分かってきたら、今度は「高速化」する。

まり、新しいものを1分に何個見つけられるかといったことだね。それを速くしていく。

速くなると何が嬉しいかというと、色々あるんだけど、

一番分かりやすいのを言うと、忙しいなかでも細かい新しさに気づけるようになる。

ちなみに、細かい新しさに気づくには、わざと超スロー生活するのも有効だよ。

今はもう解決したんだけど、文字入力するときカーソル(キャレット)が増えてしまったことがある。

実用には差し支えないが、ページを切り替えてもピコピコ点滅したままそこにいて、スクロールバーで上下に動かすと上へ下へと移動する。

「キャレット 消える」という診断トラブルのページは多いけれど、「キャレット 増える」はさすがにレアケースらしく、1件も見つからなかった。

まあ、直ったけど、直し方がわからない。

名義上の増田です。これからもよろしく

寝起きに思いついた4コマ

JKになんかがいじめられてる

イケメンが助ける

いじめられてたのはかわいい男の子だった

イケメン男の子がくっついてハッピーエンド

JKたちは歯噛みしたり唖然としてたり。

夢の中で読んだか、寝起きになんとなく思いついたかって感じの。

あともう1本あったけどネタ忘れちゃった。

なんでこれが4コマとして面白いと思ったのかがわからん

ちなみに俺男。

腐ってもない。

ぼっちの受容は死の受容と似ている

◆第1段階「否認

ぼっちになりつつあることに気がついたり、友人が残り少ないと周囲から認識されたときに、まず現れるのがこの「否認」です。

「これは何かの間違いに違いない」

自分に限ってそんなことは起こりえない」

という具合に、否認をすることで自分防衛しようとします。

なんとかぼっちから脱出しようとしてキョロ充になりかけるのもこの頃。

自分場合大学一年の前半がここに当たりました。

一緒にいて楽しくないのに無理にクラスメイトと一緒にいたりして…今から思えば無駄時間を過ごしたなと感じます

◆第2段階「怒り」

否認」が維持できなくなると、次第に自分の命が短いことを認めざるを得なくなります

すると、「怒り」が現れます

「なぜ自分がこんな目にあうんだ!」

「一体私が何をしたというのか!」

というように、あらゆることに対して「怒り」が向けられます

楽しくない相手と無理に一緒にいるので当然人間関係は広がりません。自分も楽しくないということは相手も対して自分のことを大事に思ってはいないのです。

本当は無理して一緒にいるのが間違いなのですが、自分ぼっちになることを受け入れられないので周りに怒りをふりまきます

自分楽しいと感じられないのは周りが悪い、周りが悪いから楽しい友達ができないと思い込みストレスをためます

◆第3段階「取引」

十分な「怒り」を体験した後は、もはや避けられない今の現実を少しでも先延ばしにできないものかと、交渉する段階に入っていきます。これが「取引」です。

「何か人々の役に立つようなことをするから友達になってほしい。ぼっちを避けたい」

「もう2度と悪い行いはしないからぼっちだけはやめてほしい」

このような「取引」は、主に個人が勝手に決めている「友達になれそうな人(実際は相手はなりたいと思っていないし、本人も大して好きな相手ではない)」にむりやり押し付けるようになります。このあたりになると大抵の人は逆に孤立します。

◆第4段階「抑うつ

周囲との「取引」が成立しない、自分はもうぼっちになるしかないのだ、という心理状態にたどり着くと、「抑うつ」という段階に移行します。

ぼっちとして生きていかなくてはならないのか・・・」というぼっちへの”準備的な抑うつ”と、自己性格批判する”反応的な抑うつ”があります

傍目から見るとすでにぼっちになっている上に思い悩んでいるという、どう考えても更に人を遠ざける状態になります

ひとりで暗い顔をしている人に進んで声をかける奇遇な人は宗教団体の勧誘くらいなものです。

◆第5段階「受容」

この段階まで来ると、自分ぼっちを「受容」できるようになってきます。ゆったりとした平安な気持ちになり、ぼっちに向けて気持ちが整ったような状態になります

自己嫌悪もなくなり、周囲へのストレスもなくなり、「もうぼっちでいいや」と割り切るようになります

ここまでくると一人焼き肉一人カラオケ、一人温泉、一人酒、などなどの「おひとりさま」を堪能するようになり、

周囲から見ると逆に楽しそうに見えてきますし、本人も今まで無理に人間関係を保とうとしてたのは一体何だったんだ?とやたらスッキリした表情をしはじめます

集団心理が強い人たちから見れば奇人変人に見えますが、人によっては楽しそうでいいな、と思う人も出てきます

逆に楽しそうにしているので人に誘われることも増えてくることもありますが、

一人の楽しさを堪能してしまっているので往々にして断ることが多くなります

たまに断りきれずに食事をとったりすることもありますが、逆に疲れてしまい後悔することも多い。

ぼっちになりたくない」と気をもんでいたというのに、気がついたら「ぼっちのほうが楽しい」にシフトチェンジするのです。

ウィキペディアの死の受容から改変追記してぼっちエンジョイ自分に至るまでを書いてみたが本当にこんな感じだった。

かつてはぼっちになりたくないともがいていたのに、もういいや、と思った瞬間にぼっちが楽しくなります

今はもはや楽しそうなリア充を見ても爆発しろとは思わなくなりました。

私は一人で楽しむから、いいやと。

ぼっちと言いつつも中学時代からの友人数人と旦那はいます

はいえずっと一緒にいるわけではないのでぼっちで過ごすことも多いです。

大学職場はいつもぼっちなので、今の自分ぼっちなのだと思います

そしてぼっち楽しいと思ってます

めんどくさい飲み会も人付き合いもないぼっちライフ、最高!

レールの外ってこんな景色

いやいや、いいから、レールの外行ったなら帰ってくんなよ。

レールの外から中をチラチラ気にしながら見てくんなよ。

中の人間はお前らのこと全く気にしてないから

気にしてる連中は「レールに乗った人間」じゃなくて単に脱線しまくりのお前らの仲間しか居ないんだから

付き合うの内緒にしてほしいって言うの認めて

恋人だと思ってたら愛人だった

さくっと別れた翌月に違う女と結婚された

大阪の飯がマズイ、ただそれだけ。

給食に「ふりかけ」が良いか悪いかじゃなくて、こっから分かることは「大阪の飯がマズイ」、ただそれだけだろ。

ふりかけか良いか悪いかだったら、良くないだろ。

大阪のことだから、大人になって成人病とかになったら「給食でふりかけを止めなかったのが悪いから謝罪と賠償しろ」とか言われそう。

それ以前に、やっぱり子供が残すってことは、大阪の飯がマズイんだろうな。

夫婦で口座を分ける

よく夫婦で口座を一つにする人が多いけど、一度もやったことがない。今後もしないだろう。

お互いの貯蓄からの出費には口をあまりさない。

相手が自分の有り金尽きるまで遊んでもいいけど、それが尽きたら一円も出すつもりはない。

即刻家を追い出すつもりだ。

何をいっても聞かない浪費家にはこれが一番いい。

http://anond.hatelabo.jp/20141127115019

馬鹿もいるけどものによっては役に立つコメもつくから馬鹿だらけのまとめサイトよりはマシ。

http://anond.hatelabo.jp/20141125174047

んー、典型的教科書〇〇という感じで。

たとえば杓子定規下方硬直性っていうけど、欧米と異なり日本正社員場合ボーナス」「賞与」というカネが基本給から自動的に奪われていて、そこで実質的賃金の調整するので下方硬直性機能しない。

それに下方硬直性は強固な労働組合に守られていることが前提なんで、たとえ正社員でも組合が貧弱な企業ならこれまた機能しない。

当然ながら非正規雇用では下方硬直性機能しないし、安倍政権下では正社員減らして非正規増やしてるんだからますますその傾向が強くなる。

ブラック雇用を増やして社会保障を削ることで数字だけの「失業率」を減らしても、労働者生活はまったく楽にならないし、消費も回復しない。円安で生活必需品も高騰してますます倹約に走る。

という感じで現実大事な条件をことごとく無視してデフレがーとやっても全然ダメでした、というのがアベノミクスの結果なわけ。世界中がそう見てるけど、日本の一部のへんてこな論者だけがいまだに固執してる。

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