2011年04月23日の日記

2011-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20110423155821

みなさんこうやってトラックバックをされてらっしゃるのでしょうか。試してみます

男もすなる増田というものを女もしてみんとてす

書いてみるテストです

http://anond.hatelabo.jp/20110423154433

元増田。そういえば、以前職場の話をふんわりと増田に書かせて頂いたのであった。

http://anond.hatelabo.jp/20110127230715

ちなみに、この後

経理部上司経理部縮小の流れになったため、人を穏便に異動させるのに熱心。遅えよ。

タイ子さん→事業管理部の中でもはずれの上司にあたったらしく

社内でばったり会った際に「希望退職募集しないかな、そした転職するのに」とポツリ。

サザエさん→営業に異動予定。私の異動予定とほぼ同時期。

私もタイ子さんのように異動後はずれを引く可能性もあるため、異動には期待せず「転職に賭けたいなー」という気持ち。

タイ子さん不倫話のカードは切らずに終わりそうです

http://anond.hatelabo.jp/20110423141055

いちばんケアされるべき遺族は故人の関係者への連絡と、葬儀段取りで大忙しじゃん。

しいのは遺族のケアになるんだよ。

しいと悲しみを忘れられるんだ。

一番悲しみが強いであろう死亡直後を忙しさで埋めるのは遺族の為になっているんだよ。

最近仕事と淡い恋で悩んでいる。スイーツ()。

  • 地方都市にある会社で、女増田経理部。時々友人集団で飲みに行く、同じ寮の同期(開発部、男)がいる
  • 互いに会社に不満(職場・業務内容・将来性)があり、同時期に転職活動開始。
  • 活動状況については「ぼちぼち」とかその程度の内容しか話してなかったが

転職活動については二人とも他の同期には話しておらず、会社愚痴などは吐きあったりしている。

  • 私も相手も転職活動と並行して異動を会社に打診(異動したら状況がちょっとは変わるかと思った)。
  • 3ヵ月後、私は経理部→事業管理部に異動見込みとなる。転職活動は継続中。

 (元職場・社内政治のゴタゴタで会社上司も既に信じられない点、事業の将来性自体もどうしようもない点で

 転職したい意思は変わらず)

 希望業界的に、首都圏転職はなさそう(=全国どこかの地方都市になりそう)と思っているが

 大震災の影響で私好みの求人が減ってしまい、アイドリング中。

 但し彼は関西出身のため、(以前関東に住んでた私に相談したいらしく)今度飲む予定。

この状態で、どうやら同期のことを憎からず思っているみたいだわ、と女増田が自覚した所存。

同期が悩んでいた時期を知っているので、彼にはもちろん幸せになってほしい

ただ

  • 今後もできれば傍にいたいわー、離れたくないわー
  • どうなるかわからない相手に寄りかかっちゃいけない、一人でも歯を食いしばって自立!自立!さっさと自立!

葛藤しながら求人を探す毎日

次に飲んだ時、多分私は彼の背中を押すと思う。

でも、私はこれからどこに向かったらいいんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20110423141055

それでも今の葬式はずいぶん簡便になっている。

昔は葬式っていったら、隣近所が総出であれやこれやとやるもんだったのよ。

それを通じて、いろんな人が死を確認したんだね。

今だと葬儀社が仕切ってて、初七日も本葬のついでにやっちゃうでしょ。形骸化してる。

まあ、だから最近家族葬がはやりなんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110423133641

ずっと何をする気も起きず、家で寝てる状態から職場復帰は不可能だと思う。

毎日起きてご飯食べて寝て、昼間は活動して、普通に生活して人とも触れ合って、大丈夫って思えるまでは職場復帰なんてできんよ。

その間に整形っていうのもあるかも知れない。

http://anond.hatelabo.jp/20110423111952

妄想だけど、男性が、非処女ビッチスイーツデブス、といったものを、嫌悪し、攻撃するのと同じような感覚の気がしている。


男性が?オタクが、もしくはネット界隈のヒトがのまちがいでしょ?

かってにあなたと同類項にしてほしくない。

非処女全く気にならない。つかいい年して処女とか()

あと非処女ビッチ意味もわからない。

スイーツも気にならない。

ビッチデブ、ブスはやだ。そりゃそうだ。

http://anond.hatelabo.jp/20110423140431

自動車は生活向上に役立っているのがすぐ分かるからでしょう

原発電気はなくなってみないと分からない

http://anond.hatelabo.jp/20110423100555

結局最後に、ドデカイ印籠出して終わったじゃねーか。

水戸黄門じゃ助けられないよー > 超水戸黄門登場 > 水戸黄門ごと全も悪もぶったぎっておしまーい。

 

基本的に、デウス・エクス・マキナ エンドって 物語が収集つかなくなったときに使う終わり方なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110423130901

それを許す論理で行くと要するに

つのは合理的なシステム提唱者ではな

暴力戦争で強い者達なんだが本当にそれでいいのか?


近代以降に暴力革命クーデターから政権樹立した国というのは

そういう行為を正当化するわけだから、大抵政情不安定な気質になる。

なにかってえとすぐ暴力的な政治運動が起きるし、

それに対抗する政権も強権的独裁的な手法で我が身を維持する。

選挙のたびに町を戦車が走り回ったりするが本当にそれでいいのか?


また余禄として

日本左翼史を見ればわかるように

ただ暴れたり集団自己陶酔したしたいだけのクズが、

より安易かつ平和的な手段をわざわざ迂回して暴力犯罪行為に走る弊害もある。

http://anond.hatelabo.jp/20110423110408

葬儀なんかしたって受け入れられないときは受け入れられないし、しなくたって受け入れられるときは受け入れられると思うんだけど。

いちばんケアされるべき遺族は故人の関係者への連絡と、葬儀段取りで大忙しじゃん。

遺族以外の人たちのためにあんな仰々しい儀式が用意されるのはよくわからん

http://anond.hatelabo.jp/20110423133641

整形なんて考えすぎだろ。久々に会うと顔をよく見る分

変わったところに気付きやすいだけだろとおもう。

 

まあ二重ぐらいのプチ整形ならそこまで非難しなくてもいいんじゃないの?

http://anond.hatelabo.jp/20110423140431

車も煙草もやらない自分は、ぼんやりとこんな気持があるからだと思う。電気もやめようかな。自分電気をやめるのはすぐには難しい

牛頭さんの中学時代

中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。

彼女言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないでしいと思った。知るのが怖かったのだ。

教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタート悪魔がせせら笑った気がした

はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。

昨日まで楽しかった学校拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。

私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期少年少女ありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。

無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。

2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものはない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。

私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。

血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界から情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。

無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活けが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。

オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このとき絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。

家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。

「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した

私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。

突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。

恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日目標ができて私は嬉しかった。

それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通ことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。

3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイト不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。

3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。

年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。

合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。

私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情ダムは決壊した

気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。

その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。

卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトアルバムに寄せ書きをした写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。

下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした

「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後最後味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした

帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい

暴力革命って否定できるのか?

マルクスの演説

しい労働組織をうちたてるためには、労働者はやがては政治権力をにぎらなければならないが、われわれは、この目標に到達するための手段はどこでも同一だと主張したことはない。

「われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統考慮しなければならないことを知っており、アメリカイギリスのように、そしてもしわれわれがあなたがたの国の制度をもっとよく知っていたならば、おそらくオランダをもそれにつけくわえるであろうが、労働者平和的な手段によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。

だが、これが正しいとしても、この大陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。労働の支配をうちたてるためには、一時的に強力にうったえるほかはないのである。」

wikipedia暴力革命」より引用

 

労働者一般人に置き換えた場合、どこに誤りがあるのか分からない。

青山繁晴解説だと、政府公表より、独自調査公表の方が、信用できるっぽいよな。地元学校が測定したとかさ。マグロとかサバはコウナゴと違って大丈夫なんだろ。

最近トイレって、大抵のウンコは「小」でも流れるんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20110423092747

本当に見にくく・使いにくくなったよなー。

もう限界

http://anond.hatelabo.jp/20110423105428

わざわざ知人の葬儀に出るなんて凄いじゃん!(社交辞令かどうかは置いといて

課税をしちゃうと宗教団体が潰れそうなとき国が助けなくちゃいけないからやってないって聞いたことあります

http://anond.hatelabo.jp/20110421170114

妄想だけど、男性が、非処女ビッチスイーツデブス、といったものを、嫌悪し、攻撃するのと同じような感覚の気がしている。

http://anond.hatelabo.jp/20110423100705

例の基地外~を書いたものじゃなくて

ブックマークについて書いたものですが、下記の記事へのリンク

現在で1201ブックマークもあるような内容かって気がするんだけど?

もしこんな記事に真面目にみんなが登録しているかと思うと

違う意味で驚きだ。

"成功者が必ずやっている「苦手な人」克服法とは?"

http://news.nicovideo.jp/watch/nw45715

 

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