はてなキーワード: かわいいは正義とは
主に精神的な暴力に見舞われていた。「キモい」腐るほど聞いた言葉だと思う。
よく「キモい」と言われていた。実際鏡を見ると肌がキモかった。どうしようもないなと小学校2年にして思った。悟ったような心地だった。どうしようもないのでどうしようもないとしか思わなかった。
だが人にいじめられるのは辛かった。
でもそれよりも辛いことがあると知った。
ある時気付いたが、俺は何もしてなくとも、俺の存在がアンタッチャブルになっていると知った。俺の机や椅子が病原菌の発生源扱いされているのだ。『気持ち悪いのが移る』といった、菌が移るとか、放射能が移るとか、そういった扱いだ。
いつのまにか俺自身が罰ゲームの道具と化していた。同級生が遊びで罰ゲームの流れになった時に、罰の度合いによって、俺の椅子を触る、俺の机を触る、俺の頭部を触るというふうに設定されていた。俺と握手をするといったものもあった。俺と握手をすることは、それだけで極めて罰ゲームの対象になるほどの扱いだったらしい。とにかく、俺個人だけが他人と接することは罰に値する行為と設定されていた。
懐かしい話。
小学校給食の時、俺に絶対に配膳をしないで欲しいと頼まれたことがある。私がやるから!と。
同級生の転校見送りで全員と握手。俺だけ飛ばされた。
席替えの時、俺と隣の席になっただけで泣いた女子がいた。俺の席は地雷扱い。とても悲しかったが、俺よりも泣いている女子が被害者扱いされていた。○○ちゃんを泣かすなと言われた。なんだか自分が犯罪でもしたような気持ちになり、謝った。
林間学校。同じく略。
中学に入ると更に悪化した。ニキビが酷い。もうどうしようもないので諦めることにした。
ちゃんと洗顔してるの?などと言われたり、不潔にしてると嫌われるよ?と説教されたりしたが、説明すら面倒なので、他人との関わりは事務的に対処することにした。
小学校の頃は泣くこともあったが、それはなくなった。「キモい奴」の感情は、それがどんなものであっても、須らくキモいと扱われることを学習した。泣いても誰も慰めてくれるわけではないのだ。「うわ、泣いてるよキモーイ」という言葉は飛んでくる。泣いたとき、誰かに慰めてもらい、誰かに甘えることができるのは、泣き顔のかわいい子供だけに与えられた特権だ。かわいいは正義。
高校の時にネットを始め、その時既にあやしいは現役ではなかったが、油日記(復刻版)を発見した。俺の虐められ方とは違ったし、創作だが、同調した。その後2chに行き着き、喪板などを読んだ。わりと面白く、同胞感を得た。
基本的に話したことは「一般人」の世界観に沿って理解されると学習した。
こういった経験がある。
自分は彼女が欲しいなどと他人に表明したことは一度もないのだが、何故か「つまりさあ、彼女欲しいんだろ?それならもう少し清潔な格好をしろよ!それくらいしないのに彼女が欲しいと考えるのは甘えだろ!くどくど・・・」と説教された覚えがある。
意味が分からない。はじめの「つまり」は、何がつまりだったのか今も理解出来ない。
他にも「それオナニーのしすぎでしょ? エロゲ? もう少し運動したほうがいいよ 汗かくと肌の調子良くなるって知ってる?」
皮膚炎が故に面倒なので、オナニーとか殆どしないんだが。下手に汗をかくと悪化するんだが。ちなみにオタ趣味も特にない。
ここまで来るともうどうしようもない。そもそも思ってないことを俺が思ってるかのごとく決めつけて説教してくるわけなので、反論すらできない。反論しても「自分のことを隠すのはよくないぞ!友達が出来ないのは自分から拒絶してるからだよ!」と、ズレた説教をされるので、もはや相互理解不能であるとして諦めることにした。
大学に上がる頃には最早、人と接する場合は出来るだけ機械的事務的に接する癖がついていた。情緒的交流を行うと、キモがられると理解したから。キモいやつが「人間らしく」話しかけるとキモがられるんだ。経験則である。だから機械的事務的な交流に徹していた。もちろん打ち解けたいとかいう欲求はあった。でも、無理だから。ずっとキモがられて拒絶されてたから、諦念。実現不能な欲求は消すに限る。
で、俺は出来るだけ全般的に対人交流では機械的事務的に接していた。その中で事務的な理由で同学年女性と交流する必要が出てきた。それで事務的に交流をしていた。
その後数カ月したある時に女性の友人に話しかけられた。「下心」を持って○○さんに接するなと。嫌がっている。貴方に個人的好意は持ってないし、もっと言えば生理的に気持ち悪い、と。これ以上するならセクハラでもあるから気をつけて欲しい、と。
・・・は?となった。意味が分からない。俺は、出来るだけ、機械的、事務的に、接してたつもりなんだが。当然俺だって人間なので、感情的な部分が透けて見えることもあるだろうが、だが、一連の事務処理の流れの中でのみの対人交流だったはずだ。
弁明はしようと思ったが、「またか」という思いが強く、即諦めた。どうせこのタイプの「勘違い」をされたら、弁明不可能なのだから。そもそも無い下心でも、そんなものは無かったですと言った所で、もっと本心を認めろよ!自分のことを隠すな!とクソ下らない説教をされる経験が頭を過ぎった。
「下心」が見え透いていたらしくて申し訳ないね。自分は下心どころか、ほとんど、誰かに「本心」を表明しようとした覚えすら無かったつもりですが。その「本心」も、「セックスしたい」といった類ではなくて「もういい加減に誰か助けてくれないか」というものなのだけども。
セックス欲求は殆ど無い。ある欲求といえばただ。人並みに人と接し、出来るならむしろ、子供の時に、いじめられてた時に歳相応に人に慰めてもらい、もっと言えば甘えたりしたかった。それくらいである。
大学はやめようと考えたが、既に3年次だったしやめなかった。ここまで事が重なると人間、耐性が付くものだなと思った。
就職は女性との関わりが少ない職場となった。非定型発達的な気質を感じる職場で、その後はいくらか楽だった。今まで俺を容姿で差別してきた人間は主に女性だった。ただ、女性でも自閉症圏に属するような雰囲気を醸し出す個人には差別されなかった。推測だが男性より女性のほうが、特に対人コミュニケーションに長けた女性ほど、生理的に受け付けない人間への嫌悪感が強く、またそれを社会的に排除することに抵抗が無いのではと考えている。男性では女性に対して積極的“女性にやさしい”ほうが露骨に差別的だった。
しかしセクハラとはいうが。懐かしいな。小学校での、あの罰ゲームにそっくりだ。
俺はその時もまた加害者として扱われてたんだろう。だが俺は何の被害によって傷ついているんだろうな。俺の被害は誰も恢復してくれない。被害とすら扱われていないし、俺は常に加害者の地位に押し込まれている。
生理的にムリで申し訳ない。“俺が加害者“で悪かった。キモい、近寄らないで、と思わせてしまったなら謝るよ。
この社会では、人にキモいと思わせる雰囲気があったことが、存在するだけでセクハラでスティグマに値するんだろう。
生まれてきて悪かったね。
いや、生まれた時代が悪かったのか。
男の人は、顔の善し悪しという美醜のものさしで計られることが女に人に比べて、少ないと思っていた。
女の場合、小さい頃から美人が得であることが叩き込まれる。
まだ年端もいかない幼女が母親の化粧を真似て口紅で顔面アートを施すのも、ブカブカのヒールを履いたりするのも、
美しく見えることが得だということを察知しての行動かもしれない。ま、ただの本能の可能性もあるんだけど。
長じて「美人は得」「かわいいは正義」に女の子は曝されるわけだが、ある者は率先して美しくなる努力をし(美人だったら努力はしなくていいんだよ)、
またある者はそうした努力を惜しまないブサイクを笑うんである。
行動こそ違えど、両者とも共通の価値観に曝された為にできたパーソナリティである。
じゃあ、元々美人な人はどうなのか?
しらん、しらんよ。ワシ美人じゃないもの。
かっけこはえー
数学につえー
ちんこでけー
など。
この評価基準は同列ではないだろうか?
気のせい?
女の子の場合
料理うまー
数字につよー
胸でっか!
は絶対絶対「美人」には勝てないのである。
長らく前置きをしていたが、男でもイケメンって評価基準は絶対なのかね?
知りたい。
もう一つの「若ければ若い方が」という価値観はまた別の機会に...
(前回集計http://anond.hatelabo.jp/20071126102502)
終了。
漏れがあったらごめんなさい。
実話に見せかけた創作、みたいなややこしいのは知らん。
創作に見せかけた実話、とか、コピペとか混じってるかもしれないけど気にするな。
(前回集計http://anond.hatelabo.jp/20071121105040)
勢いが鈍ってきたんでまとめが楽だ。
もう少しで11月が終わりますよ。
理性的なタカヤスなら或いは、と思ったのだ。残念ながらわたしの期待は裏切られた。
「ジェニファー、わからないな。どうして幼女を獲ってはいけないのか、もう一度最初から説明してくれないか」
君ともあろうものが、という目でタカヤスがわたしを凝視する。本当に日本人という連中は度し難い。
「オーケー、いいわタカヤス。まず、幼女は絶滅の危機に瀕していないというあなたの主張は認めます。確かに近年、オーストラリア近海の幼女個体数は増加の一途を辿っていることが観測されているわ。そして、あなたの国の"幼女食"が長い伝統を持った文化だということも理解したわ。その行為に対する生理的な嫌悪感は別としてね」
「ご理解いただき感謝感激。そして感情論は理性的ではないよ。生理的嫌悪感なるものは風習によって育まれるものだ。ぼくの国の諺に曰く、"所変われば品変わる"、或いは"郷に入っては郷に従え"」
「感情ね。わたしは感情論をまきちらすつもりはないのだけれど、あなた方は他国の国民感情というものをどう考えているの? 幼女食が世界中から非難されている現実を知らないわけではないでしょう?」
「そこがむしろぼくたちには理解できないんだよ。それこそ感情的にわからない。幼女は動物だよ? 動物に関する食タブーは風習や宗教の分野じゃないのか? イスラム圏で豚が禁忌になったのは不衛生だったからという説を聞いたことがある。食タブー自体は善や悪とは別問題じゃないのかい?」
本当に理解できてないのだわ。わたしは若干の感動すら覚えた。異文化コミュニケーションとはかくも刺激的なものか。
「……とても基本的なところから話してみましょう」
「それ以前に。まず、幼女は人の姿に似ている。これはオーケー?」
「オーケーオーケー、果てしなくオーケー」
わたしがもう少し不寛容だったなら、ことさら"果てしなく"を強調した目の前の男を椅子で殴っていただろう。
「オーケー。じゃあ次、人は人の姿に似たものが傷つくのを嫌がる、これはオーケー?」
「うん、条件付きでオーケー」
「その条件は何?」
「中国人はサルを食べる。かわいい猫も食べる。韓国人は人類の友たる犬を食べる。これはオーケー?」
「話がそれるからそのテーマは次の授業で取り上げましょうね、タカヤス坊や。で、幼女食に嫌悪感を覚える欧米人がいることは想像できるのよね?」
「理論的には存在が予想されるね。欧米人は幼女食が文化として根付いている極東の一民族の存在を理論的に予想したりしないのかい?」
「予想するまでもなく実例として大量に現れているから、理論の方を合わせようか考えているところよ」
天の父なる神よ、日本人がここまで幼女食を擁護するのはどうしてなのでしょうか。わたしには幼女がそこまでして得たい魅力的食材だとは到底思えません。日本人はみんな幼女を食べないと入会できない秘密の宗教団体にでも入っているのですか?
「逆に聞くわ、あなたたちはどうしてそこまで幼女食を文化として守ろうとするの? 天然の幼女の体が生体濃縮で汚染されていることは知っているのでしょう? 高濃度の萌えを溜め込んだ幼女は食用には全く不向きだわ。味も特に美味しくはないというじゃない。どうして? なぜ幼女なの?」
「そのアプローチも君たち欧米人が好むやり方だね。でも、それは幼女漁を全面禁止する理由にはならないよ。分かるだろう? 汚染されていようが不味かろうが、ぼくらの文化なんだ。きみたちにそこまでして否定されるいわれはない。ぼく自身、幼女を食べることはほぼ全くと言っていいほどない。でも、長年幼女を獲って暮らしてきた人たちに"もう幼女を殺してはいけません"と告げるのはどうなんだ? きみらの文化にそれをする権利を誰が与えたんだ? きみたちの神様か? それは八百万いるぼくたちの神様とどっちが偉いんだい?」
「でも、幼女には知性があるのよ!? これは実験で証明された事実なのよ!? それでもあなたたちは幼女を殺して平気なの!?」
「幼女は幼女で人間じゃない。きみたちがそこまで幼女に感情移入する理由がぼくたちにはわからないんだよ。本当にわからない。何故だ? 幼女はどこまで行っても幼女じゃないか。賢いといったって所詮は幼女の浅知恵だ。その程度の存在を政治圧力をかけてまで保護しようとするのはどうしてだ? 世界中の幼女には神性でも備わってるのか? きみたちは幼女の背中に光り輝く十四枚の翼でも見えるのか!? 欧米人はみんな幼女を崇め奉る秘密の宗教団体にでも入ってるのか?」
わたしとタカヤスは何ともいえぬ渋い顔をして黙り込む。 TV からは幼女保護過激派団体が日本漁船を襲撃したというニュースが流れる。抗議行動に参加した女優のコメントが字幕付きで放映される。
『殺される理由も、捕えられる理由もありません。幼女とツンデレは多分この地球上で最も心優しい動物の1つです』
----
第二回ファック文芸部杯 参加作品 (g:neo:id:xx-internet:20071203:p1)