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はてなキーワード: 石膏とは

2021-05-02

アボカドのたねすごい

庭にポイしたら

北向きの庭なのに可愛い芽が出たなーとおもってたら

わりと大きくなった。

山茶花養分までとろうとしていたのか、今回

庭をいじってたら色々すごかった。

砂を買って少し平らにする

防草シートをつけなおす

木星山茶花の処の根止め?をする(物凄いネッコなのだ

花壇っぽくする

敷石を敷き詰めるか

飛び石玉砂利にする

塀を高圧洗浄する

はがれかけた塗装をサンドペーパーする

プライマーをぬる

塀を塗装

この間に、玄関テラス屋根工事がくるはず

他のは良いけどたかもの

高圧洗浄機

プライマー

ペン

敷石

玉砂利(沢山必要

部屋の壁を塗るには

前の壁紙をはがす(布?)

掃除

掃除

掃除

プライマー塗り

最低2回

石膏っぽいのを塗るか、

漆喰下地塗り

漆喰本塗り

天井壁紙剥がす

掃除

掃除

掃除

プライマー塗り

最低2回

天井壁紙を貼る

エアコン選び

エアコン業者さんを頼む

やっと人並みの6月

ネコチャン🐈に動ける夏が来ますように。

いかげんエアコンないと家の中で行倒れそう。

現場からは以上です。

2021-05-01

チャーハン中世ヨーロッパにもたらすと

貴族に珍重されるだろう

パラッパラの石膏像が作られる

2021-03-22

ドル

ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。

 それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいしませんでした。

(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)

 ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。

 それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。

(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)

 その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。

街道かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生ちくしょう》。)

 ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。

 そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。

 実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。

(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)

 ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。

(あすこはさっき曖昧あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)

 けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。

 道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。

 その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。

(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)

 ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。

「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」

 家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。

(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれ着物をぬぎたいもんだ。)

 ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。

 長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。

 その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれ外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。

(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)

 それは眼をあいてもしばらく消《き》えてしまいませんでした。

 ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。

 電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分背嚢はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。

 ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。

 それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。

(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心あんしん》ができない。)

 ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。

 その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。

(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶あいさつ》しよう。)

 ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。

「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」

 向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。

「ははは、百合ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」

 ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。

 けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。

 それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。

 間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。

(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)

 それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。

 そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。

 それもまた、ただしばらくのひまでした。

 たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。

 美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いかめしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。

 暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。

 雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。

 その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまたことを察《さっ》しました。

 そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。

 ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。

 そして背嚢からさな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。

 それからまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。

 そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。

(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。

 それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。

 ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。

 そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。

 それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。

 見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。

 二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。

 ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。

 そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。

 雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。

 ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。

 窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。

(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれ着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)

 ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。

2021-02-07

anond:20210207213511

模写

右脳で描く

自分の描きたい絵柄が違っても骨格、筋肉無駄にならない…、と思う

あと石膏デッサン、といっても石膏像でなくて代わりにフィギュアでもいいと思う

日本漫画アニメみたいな絵が描きたいのなら立体にウソを適度に混ぜて描くので、

脳内の立体を手で紙にレンダリングする感覚と、

そこに記号(立体としては破綻しているけどこう描くもの)をいい感じのバランスで混ぜる

というわけで、まずは模写ではないか

あとは幼児用の塗り絵を本気で(レンブラントとか)光学的に考えて塗ってみるとか

漫画アニメで絵が上手い人も意外と古典的な名画とかのうんちくも多く持っているものだと思う

自分が描きたいものにとらわれない広い視野大事だと思うけど、

まずは自分が描きたいものに近い絵の模写かな…

知らんけど

2021-02-03

バリウムあとのトイレそうじ、どうしてる?

バリウム飲んだあと、石膏みたいなウンチ出るじゃん?トイレの底に沈んでなかなか流れないじゃん?

普通に掃除してもなかなか流れなくて、ゴム手突っ込んでかき回してからそれー!って流した。

今回は妻のだったから妻が「ごめんね…」と恥ずかしそうにしてた。

おれはそういうの平気なほうだけど、みんなどうしてんの?

2020-12-09

anond:20201209025054

それだけだと足りなくなるね。

あくまでも造形の深度、回り込み、階調、面取りくらいは自分理解できるようにはなるけど。

というより、上記すら知識がなければのっぺりとした絵になる。

よく初心者にいるでしょ。石膏かいてんのにぺったりとした鼻描いちゃうやつとか。

2020-10-20

腰のあるプラ箒でネズミのクソ退治に成功しつつある

まあ別にどうせネズミのクソも油分でねっちょりしているかマクドナルドネズミの肉を使っていると言う噂が立つのだし産廃と言ってもプラゴミも猫砂もどうせ各ご家庭で燃やしてもらっている自治体なのだ特殊な素材と言っても石膏ボードの粕だが石も砂も焼けるから石焼き芋土器モルタルコンクリ燃えるのだしそうやって豪熱で精製されたと前置きの工場はいくつもあり日々成分上の秘密を明らかにするのにためらっているのだしこの社会勘で問題なければ持っていってもらえるだろう

2020-10-10

鋼材と軽量鉄骨の建物でもボードがカビるんだなぁ

まあ新品の石膏ボードもどことなくカビ臭い思い出があるし仕方無いなぁ

まあ石膏ボードの抑えに糊と紙貼ってるんだしそう言うカビやすいもんなんだ

2020-09-23

果名温泉あゆみ

果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下武士戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。

旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館記載されている。

温泉街は一大経済圏形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和恐慌時には各地の農村から子女年季奉公旅館に送り込まれ仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。

温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉旅館執筆されており、当時の果名温泉での生活垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。

戦時中には物資の統制や倹約奨励温泉旅館営業一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリート高層ビルを建てにくかったこから果名温泉団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。

今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観旅館木造建築が再び脚光を浴びている。経営者高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメン温泉とともに楽しんでもらう行事現在に至るまで毎年秋に行われている。

(『果名村史 近代編』、果名村史編纂委員会、2018、p.201-203)

https://anond.hatelabo.jp/20200922195023

2020-08-14

anond:20200814151007

プログラムってね

こう

オムライスを作る感じで

みていると 卵に

生クリームを入れるから

おっやるな!

っておもっていると

重曹を入れ始めて

って思っていると

石膏が追加されるイメージなんだ

 

見本になるようなオムライスではあるとは思う

2020-07-14

anond:20200714011223

レンブラントみたいな画風だったらファン(扇)筆はあったほうがいいよ。

もちろん石膏デッサンとかもやったほうがいいけど、とりあえずやりたいなら格闘しながらりんごでもよいかと。

どんなもんかを知るのも面白みなので。

2020-06-20

問題 個人情報保護上 匿名化しているから 収集してよいか

ちんこ写真 ただし個人特定できないものとする

理由: 芸術作品として 文化貢献のため石膏像を作りたい

  

個人特定できないようにしているに対して、だから何を言いたいの?という質問

私達のアプリが、簡単収集できる情報でもサーバに送らない理由

 

そのへんのおっさんの ちんこ写真なら 芸術のためだから 撮影していいですよね?

 

2020-05-18

anond:20200518155200

突っ張り棒って柱が通ってることがわかってる場所に付けるものでは

中が空洞の石膏ボードに突っ張ったら穴空くよ

2020-04-19

anond:20200419200650

家の壁、はがして(聚楽)灰汁止め下地2回塗り、壁土の下地塗り(石膏みたいなの)、そのあとやすりかけて、漆喰塗ったけど、

やろうと思えばできるよ。ただしマスキングや埃や掃除やらがめちゃくちゃたいへん。

2020-02-17

ちょいとひとこと。

キュビズムはすべての面を一様の2次元平面として正面に映り込むようにした、ということが技術的にも画期的だったという意見もあります。これは、いわゆる面取り石膏像などに触れたり、狭義の鉛筆デッサンに触れる人であればすぐに理解できます(最も技術が未熟な場合何がどう面であるかも理解できませんし、理解できても実際の絵にどう落とし込むか理解できない可能性もありますが / 私自身こうした指摘がある前からあれは全部の面だな、と思っていました)。くわえてキュビズム場合人間の裏側までも映し出したという高いメッセージ性が買われたのだと思っています

したがってキュビズム一般的デッサン作法というより、表現一種として考えるべきです。

2020-01-26

麒麟が来るの色彩がチカチカして合わないと思ったら

実際はあの時代原色が好まれてたらしい

と言うか思い返してみると、昔の仏教の寺も原色ばかり使ってたし

今と同じく、ワビサビなんてのは金持ち趣味か貧民のもの

街中は今と同じく目立つ原色ばかりの、こう言ってはなんだけど汚い景色に溢れてたんじゃ無いかと思った

ホワイトウォッシュ語源になった石膏像も昔はカラフルだったらしいし、古いものは古い色だったろうという認知の歪みがあるんだろうな。

逆にリアリティがあるように思えてきた。大河面白みって、昔の世界現代のように感じられる所にあるので

ホントは〜だった!」っていうのは凄く楽しい

ただ「昔の馬はポニーばっかだった」みたいなデマもあるので、新鮮さを楽しみつつ気を付けていきたいなと

2019-11-28

anond:20191127201601

私も中学の頃から東京藝大デザイン科志望で、別の理由高校へ進学しなかった者です。大学受験資格大検で取りました。

大手美術研究所に高一の歳から通い続けましたので、あなたが考えているようなことを実行したことになります

 

結論から言うと、現役合格できませんでした。

絵が下手だったからという訳ではなく、家族は全員美術系で、私自身も小さい頃から周囲が驚くような絵を描いていて受賞経験もありました。

 

では何故藝大受験に失敗したかというと、理由は主に2つあります

 

まず視力が悪かったこと。

大受験の一次試験石膏像は埃ひとつ付いていない真っ白なものが並びます

陽が当たると白くとんでディティールが全く見えません。

運悪く3列目になってしまった場合、眼が悪いと非常に不利です。

池田満寿夫さんはこのクジ運が悪く、毎回遠くて東京大受験に3回失敗したのは有名な話です。

一次試験では眼がすべてを決めると言っても過言ではありません。

 

2つ目は、3年間描き続けて受験のための美術に飽きがきてしまたことです。

平面よりも映像等他のことに興味が移ってしまったんですね。

当時は藝大に映像CGの科がありませんでした。

結局留学を経て海外デザイナーをしています

 

ではあなたプランに反対かというと、そうではありません。

高校に行かなくても学べることはたくさんありますし、時間有効に使えば後々無駄にならない貴重な経験ができるでしょう。

もちろん独学で勉強する強めの意思必要です。

 

ただ、15か16歳で周囲は浪人生ばかりになるので友だちを作るのにやや馴染みにくいかもしれません。

社会に出てしまえば歳の差は関係ないですが、その年頃では3歳以上の差は大きいです。

友達大事ですよ。

 

それよりアドバイスしたいのは、もし志望する任天堂に入れなかったり、入ったけれど任天堂が合わなかったり、他にもっと興味を惹かれるものを見つけたとき進路変更できる柔軟性とキャパシティーは持ち続けた方がいいということです。

人生は必ずしも思い描いた通りにならないことが多々ありますし、私自身も進路変更して幸せになりました。

 

道はひとつではないです。

それがわかっていればどんな経験無駄にはなりません。

悔いのないように頑張ってください。

anond:20191127201601

だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓任天堂いるから回答しておく。(ブコメだと書けないからね

デザイナーといっても様々でジャンルの幅が広いが、どのジャンルでも基本的教養重要

CG造形をやりたいということであるが、高校で学ぶような基礎教養一見無駄知識と思えるものでも後々重要になる。要求されるものについての文化的素養知識があるのとないのとでは大違いである。後々苦労する。なので高校で学ぶ学問を軽視してはいけない。独学では視野が狭くなる。無駄と思える知識まで広げておく必要があるので寧ろ、高校時代可能な限り学科はやっておくべし。私がいた頃は美校の試験学科の成績は実技と比して全然重視されていなかった(酷いものであった)が、試験勉強していないだけで教養がある学生は多かった。無駄なことまでアンテナを張って知的好奇心を養うことができるのは高校時代である。ちなみにその学科試験も昨今は重視するようなので怠らない方がいいと思う。

浪人時代というのは辛い。私の場合浪人の時は藝大一本に絞ったので後がなかった。学生証もなく、落ちたら身分のない年月がさらに続く。その危機感毎日絵を描いていた。一日一枚石膏デッサン。夜は水彩描いていた。日本画の模写もした。このようにして絵を描くマシンになり、見ないでもパジャントが描けるようになってしまった。モリエールマルスブルータスなど木炭紙に入れる比率を体で覚えてしまった。デッサンバカになった。学科なんぞやらない。絵しか描かなかった。二度ともうあの日々には戻りたくない。その一念でなんとか一浪で入ったはいいが、入ったら2浪生が一番多く、デッサン神様みたいなのまでいて、打ちのめされた。

そのような世界なので、実は芸大生は互いにビクビクしていた。自分が下手なんじゃないかと。自分の絵が下手くそに見えて仕方がなく、他人天才にビクビクしているのであるが、実はみんなが互いにそう思っていたというのはのちにわかった。実際、弱肉強食世界なので、下手くそバカにされる。なので精神を病んでしまう者も少なからずいる。が、概ねは互いに勝手にビクビクしているだけである

さて件の任天堂に行った同窓であるが、ゲームなんぞやったこともなく(当時はファミコンだった)「任天堂に決まったんだけど、俺よくわかんないんだよな、どうしよう」と困っていた。彼は院まで行ったのであるが、院では木工で立体作品を作っていた。入ってからしばらく周りから話が合わず浮いていて「やめたい」などとぼやいていたが、そのうち「俺の会社は〜」「俺がやったゲームあるからよろしくな!」などと言っていた。

まりゲームを初めから目指しているよりも、そのズレた新鮮な目線会社にとって、とても有益であったということ。

どちらかというと音楽が好きで、ファッションに興味があり、ハイデザインに興味があり、およそゲームとはかけ離れた分野の知識があったのが活かされたようだ。

まり、元に戻るが、広い視野を養うべき。映画を観て、音楽を聴き、友人と交流し、世間流行っているものに敏感になり、アートについて知識を深め、乱読で様々な本を読み、とにかくあらゆるジャンル知的好奇心アンテナを広げておく、それがデザイナーに最も必要資質なのである

そしてデッサンは1ピクセルの狂いもズレも許さない、水平垂直の狂いを許さな視点を獲得するために必要なので、そこもしっかり脳が魔改造されておくこと。魔改造されると、定規を持たなくても目視で大きさが把握できるようになるし、カメラ記憶が発達したりする。フリーハンドで直線も引けるし円も描けるようになる。それはCGを作る際におおいに生きてくると思う。

また自然観察する目を養う必要もある。そこにあるものの細部のディテールまで見なくても再現できる観察力を養う為にデッサンや水彩という訓練が必要なのである

なので、時間的制約や年齢的な制約よりも、何を学べたか重要なので、変な時間的制約は設けないほうがいい。クリエイティブ魂にはバイオリズムがあるのでスランプという谷間とアゲアゲな時をなんども繰り返して体験することの方が大切。

あとは・・・・運だ。

こればっかりはどうにもできない。

人生を決めつけすぎて、コケると人生の棒を振るので、その時その時で考えていけばいい。

実際は、どの大学出ようが、どこの会社行こうが、自分がうまくハマったとこで、表現をしていければいいと思う。

フリー仕事していた時は、出身大学なんぞ意識したことなかった。

社会に出たらその時の仕事内容でしか自分証明できない。もっと過酷砂漠である

頑張ってください。

2019-10-23

『顔がいい』という無機質な言葉

 初めて書いてみました。

突然ですが私は『顔がいい』という言葉がきらいです。嫌いという言い方はあまり良くないですね。でも、苦手、程度ではないのです。嫌いです。最近ミュートにしても出てくるので諦めています

 『イケメン』『カッコいい』ならなぜか平気なのです。しかし、上述のとおり、件の単語は無理です。その理由がなぜなのか理由を考えてみました。

①高い頻度で使われているので目につく

②そのキャラ人物の顔が好みではないか

 どちらかといえば②に近いのだと思います。顔、顔…。ではその顔が傷ついたりしたら『顔がいい』ではなくなる。ネットを見ていたら『顔がいい、だけではなくて他も褒めているんだ、いやー、顔がいい』

そんなわけあるかいな。

顔がいいという言葉以外に褒める言葉が思いつかないのか?無機質です。石膏の胸像でも褒めているような言葉が私は嫌いです。

 顔がいい、というのはなんなのでしょうか。もう聞きたくないです。ミュートもしたけれど、もう限界です。私は何か悪いことをしたのでしょうか?一刻も早くこの言葉が廃れることを祈ってます

個人的呪詛です、失礼しました

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