はてなキーワード: 失望とは
私と付き合ってた時点で非処女ではあったが「ヤリ目的の女は最低」とか言っており本当に好きな女としかやらないと豪語していた。
なお当時(18)だったが既に体験人数は7,8人だった。見た目は波多野結衣似で別にチャラくはない。塩顔だけど脱いだらムチムチの部類。
私とは付き合って3日目でもうニャンニャンした。パコ好きな女とは知っていた。で、別れたんだが最近酷い。
最近は私と別れた後に付き合った彼氏とも別れたらしくバイトの先輩にすぐ告白したらしい。なお振られた模様。
で、次は地元の後輩に友達を紹介してもらって付き合おうとしてるらしい。さらにハプバーにも近日行くらしい。
ここまで悪食・・・というか常に恋人がいないとダメって女だった模様。
文字は読めるけど文章が読めない、ChatGPT未満の多くの人に失望できたから
昔はもうちょっと人に希望を持っていたけど、もう何も期待していないし、相応の対応でいいと諦められる
けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者の愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。
推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画の舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真も衣装も素敵で、落語を俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。
舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台そのものはとても楽しめたし行って良かった。演出と音楽と美術もすべてが最高だった。
ただ、共演者に何人かへっぼこ役者がいたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。
彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。
古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。
とにかく落語の登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。
そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先で姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。
古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木を相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。
リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。
私の推しは初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。
そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまい。しかも企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者の役者でもちゃんと落語として見られる仕上がりになる。
真面目に演じればそれだけできちんと面白いものになる舞台だ。しかも落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。
へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。
だから推しの活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。
舞台のコンセプト、企画、演出、脚本、美術、音楽、衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるときの演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売のスタッフまで感じが良かった。
だからこそ、悲しい。
へっぼこ役者たちはこの舞台の常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。
私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ。
あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。
どんな漫画もドラマも小説も舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。
多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。
今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。
普段から性犯罪に対してセカンドレイプだ被害者叩きだなんだの言ってる奴らが、こぞってりりちゃん擁護して被害者叩きしてるのがダブスタで気持ち悪い。
一応フェミって曲がりなりにも正しくあろうとする
精神性はあるんだろうとずっと思ってたけど、
こういう、ちょっと文芸的なレトリックを少しでも入れた記事を書いたときの反応なんだよな。
このタイトルを見て、本文を眺めて、ラストの〆までをサラッと目でなぞれば、「ああ、このタイトルの「有害な」は制限用法か非制限用法かと謎かけをして、最後に答え合わせをしてるんだな」くらい一瞬で理解して欲しいんだけど、その程度のよくある遊びも気づけない、気づけないほど文章を全体的に把握する訓練ができてないのがここで読書家ぶってインテリぶってるアホどもなんだよな。
そういうの相手に、ついつい自然にこういう文章を書いちゃうから、失望だけがたまる。
先日こんなものを見た。
『https://twitter.com/kanare_t/status/1775778556557316153』
瞬間的に腹と頭の中に濁ったものが湧いた。
見なければ良かったと思ったが見てしまったものはもう仕方ない。
出来るだけ早く忘れるか、と思ったが、しかしこれを見たことで“私はなにがどうして嫌いか”が明確なものとなったので、これもひとつの経験か……と思い、書き記すことにした。
私は自虐が嫌いだ。
今までも漠然と思ってきたことだが、それに明確な理由が見えた。
自虐とは他虐だということ。
「私はこういうところが変なんですおかしいんです」と自分を貶めているようでいて、発言者と同じ性質を持つ他者までも貶めることになっている。だから嫌いだ。
この発言者は「みんな」と呼び掛けている。「私と同じような性質を持つ者はおかしい」と不特定多数に周知している。これは他虐だと思った。
勿論これを見て気にならない人もいるだろう。この発言についた返信もいくつか見たが、概ね発言者に同意するものや、同じように自虐的なものが見られた。私にはそれもまた他虐の上塗りに見えた。返信していないだけで、静かに傷ついている人はいるかもしれない。
そしてもうひとつ。自虐は自分で自分に(そして自分と同様の性質を持つ人に)差別偏見の目を向けることでもある。だから嫌いだ。
この発言者は、自分の趣味嗜好を掲げてそれを異端視する言葉で表し、自らその趣味嗜好への異端視を促すような文を発信した。そのことに大きな不快感を感じた。
鍵アカでの内輪ノリなら良いかもしれないが、開かれたアカウントでこれを発信し、広く拡散されて様々な人の目に届き、「気づいた」人が、読書を楽しく思えなくなる可能性がゼロだとは言えない。
しかもこの発言者は小説家だ。読者がいるのだ。これはその読者たちも異端視し、「自分はおかしいのだ」という差別偏見を持たせてしまう可能性のある文だとも思え、不快感の一端になっている。
私自身は世間の読書率がどうであろうと構わないが、自分の職業にも関わる物事を取り上げて「こういうことが好きな人はおかしい」とわざわざ呼び掛けることがが何かにプラスに働くとは思えない。私がこの発言者の作品の読者だったらこの文に失望しただろう。
そもそも、対象が自分であろうと他人であろうと、何かしらの嗜好や特徴を取り上げて異常だ変人だなどと(褒め言葉として使っていたとしても)表すこと自体が嫌いだ。
それが犯罪や命に関わることでないなら、どんな性質だろうとなにを好んでいようと等しく普通の人間だ。私はそう思いたい。
これらのことを改めて考え、言語化するきっかけになったということでは、あの発信に出くわしたのもそれなりの価値があったのかもしれない。
もちろん養育費とかDVとか共に解決すべき問題があるよね、というエクスキューズは必要だし実際にそのように動いてる(振り上げた拳を下ろした人も散見される。下ろせて偉い)。
でも共同親権自体に関してはもろ手を挙げて賛成一択だろ。養育費の問題を解決するまでDVの問題に手をつけちゃいけないみたいなバカな話ないだろ。
ましてや国際社会で怒られが発生しているこの状況においておや。未だに外圧がないと変われんのかという失望は置いておいてな。
賛成派に変なやつが多いのは認めるけど反対派にだって変なやつはいるし、人で判断するのバカみたいだからやめたほうがいいよ。
なんか共同親権が家父長制の推進みたいに言う人までいて、全然意味わかんないからちゃんと説明してほしいわ。
生む機械として嫁に入り、長男を生んだ後不要になり放逐され、こっそり実の子に会いに行くが親権がないため連れ回しで逮捕されてしまう。みたいな昭和的家父長制単独親権ストーリーだって作れるわけ。
共同親権のない国ってインドとトルコと日本だぜ?これ、女性の人権がばっちり保証された進歩的な国か?
俺は父親の顔も知らないのにお前の父親はクズクズだからお前もクズクズ言われて育ってもちろん実母にも継父にも殴られて、布団たたきでたたかれて、裸で締め出されて、数日家にも入れてもらえなかったり、飯もなくて、カップ麵勝手にくったらボコボコにされてたが。これは女がやったらDVじゃないん?あるいは受け手が女じゃなければDVじゃないのかな?
共同親権があったら助かったとは別に思わんよ。けど単独親権が守ってくれることなんてなんもないし、同じような境遇の子で共同親権があったら防げることもあるのかな、って思う。
今だって調停して親権きめてんでしょ。DVが離婚事由なら争って剝奪すればいいじゃん。自分が会いたくない程度の問題なら我慢しろよ。あんたは会いたくもないかもしれんが、子供にとっちゃ親だぞ。
ちなみに調停だか手続きだかちゃんとやってないからか知らんけど俺の戸籍父親んとこなの。ウケるよね。俺は関係ない人にボコボコにされてたってわけ。
https://twitter.com/takigare3sub/status/1771543285762240614
ちなみにめいろまさんは「元国連専門機関の職員」という肩書きを誇らしげにプロフィールに添えられていますが、
かつて自身のHPで「就職に有利!!国連やIMFの職員を1名20万円で紹介します」というグレーなビジネスを展開して外務省から直々に怒られた過去があり、これに触れると即ブロックされます
しかもFAOの、PレベルのInternational Staffではなく現地採用のGとかの職員でしょう。そんだったら私も2年ぐらい青山の国連大学のSSAスタッフだったから国連職員名乗っていいよね。
単なる国連傘下の食糧農業機関イタリア本部でネット設備担当の現地採用で勤めただけで、国連職員と聞いて普通の人が第一にイメージするような“外交官”ではないです
そうですね国連に勤めててもピンキリですからね。派遣で三菱商事勤めてたとか、アップルのトイレの掃除してたとかでも三菱商事勤務とか言えちゃうのと同じかと思います。
https://web.archive.org/web/20110922122812/http://eigotoranoana.blog57.fc2.com/blog-entry-15.html
国連P-11応募フォーム添削 一通 40,000円(添付書類は含みません)
国連向け履歴書添削 一通 40,000円 (英文1000ワード程度)~80,000円
国連向けカバーレター添削 一通 38,000円 (英文600ワード程度)~58,000円
模擬面接質問作成 一通 28,000円~(英文500ワードまで)
Skypeを使用した国連就職・進学相談 30分20,000円~
・英文履歴書および英文カバーレターは英文で書かれたものの添削となります
https://web.archive.org/web/20120325233113/https://www.mofa-irc.go.jp/info/attention3.html
最近、紹介料をとって国連、IMF、世銀等の現役職員を紹介するというサイトが見られますので、御注意願います。
国際機関では通常、金銭をとって、個別に就職の斡旋や職員の紹介をすることはありませんし、職員が有料の職業紹介や仲介を手伝うこともありません。
国際機関職員が多額の現金を振り込む話を持ちかけ,手続き費用として証書作成料の支払い及び個人情報を提出させることはありません。
筆者は明らかに先入観を持って親友について語っている。親友の性格や行動を独自の視点で解釈し、親友の選択に否定的な感情を表している。筆者は親友の変化に対してショックと失望を感じており、これは親友に対する一定の期待や観念があったためと思われる。
また、親友の人間性や選択を一方的に批判する姿勢が見受けられる。
筆者は親友の内面や状況を深く理解しようとはせず、自分の視点から親友を評価しているように感じられる。
このような先入観に基づいた視点は、筆者自身の感情や価値観を反映しているが、親友の実際の心情や状況を正確に捉えることは難しい。
Chat GPTもこう言う批判的な評論することがあるんだなあ。まぁそう言われると全部主観だなこれ。
Chat GPTって「どこが主観で、どこが事実の記述か」を旨く分離してくれるから、それを利用して冷静になるのはアリかもね。