はてなキーワード: 平成教育委員会とは
4歳児の息子がいる。今は何も言ってこないが、いずれはゲームを欲しがるかもしれないと思い非常に危機感を覚えている。
私はほぼゲーム禁止の家庭で育った。ほぼと言うのは勉強系のソフトは許されていた。脳を鍛える大人のDSトレーニングとか、やわらかあたま塾、平成教育委員会のソフトなんかは買ってもらっていた。ゲームの中でも勉強をしなくてはいけないなんてつまらなすぎたので、私はほとんどそれらのソフトに触れることはなく小学生時代を終えた。その後、特にゲームに興味を持つことはなく、唯一中高時代にお小遣いで買ったゲームといえば任天堂dsのマリオカートとスーパーマリオブラザーズだけ。それもすぐに飽きた。
つまり何が言いたいかと言うと、私自身がゲームの面白さが全然分からないのだ。あんなつまらないものにのめり込んで時間を浪費するなんてなんの意味があるんだろうと心の底から疑問に思っている。なので、もし子どもがゲームを欲しがったらどうしようと怯えているし、できれば買いたくないのだが、誰か知恵を貸していただけないだろうか。
文春に書かれてたことが事実かどうか知らないので、それについてはここで書く気はない。
それとは関係なしに、松本人志がここで芸能界から退場するのは悪いタイミングではないとおもう。
松本人志が好きだ。中学生の頃はごっつええ感じにドハマりして、VISUALBUMも他のライブVHSも観た。
発明将軍もDXもガキの使いもひとりごっつもワールドダウンタウンも好きだった。
今でも水曜日のダウンタウンやクレイジージャーニーは毎週観ている。
好きだけど、いや好きだからこそ、ここらへんで退場してほしいと願っている自分もいる。
子どものころはたけし城とか平成教育委員会とか世界まる見えとかを見ていて、当時たけしはすでにピークは過ぎていたんだろうけどそれでもおもしろくて、バイク事故を起こしたときは心から復帰を願った。
そんなおもしろいたけしの姿を知っているからこそ、今の姿は見ていられない。
ぜんぜんおもしろくなくて、そもそも何を言っているのか聞き取れない。たけしが衰えたのもあるけど、それ以上に時代が変わって取り残されてしまった感じがある。
でも、それはしかたない。衰えは誰にもやってくる。
見ていられないのは、たけしが言った言葉に対して、他の出演者が一生懸命笑ってあげて、たけしはそれに気づかずに「おれもまだまだやれるな」という顔をしていることだ。
つらい。
完全に裸の王様だ。
欽ちゃんは90年代にはもう完全にコメディアンとしては時代についていけていなくて、子どもながらに
「この人、周りが持ち上げているから昔はすごかったんだろうけどぜんぜんおもしろくないな」と感じる人だった。
今、その欽ちゃんのポジションにビートたけしがいて、近いうちに松本人志がそうなりそうになっている。
いや、すでになりかけている。
すべらない話とかIPPONグランプリとかキングオブコントの審査コメントとかは特に顕著で、彼のぜんぜんおもしろくないコメント(ダジャレレベルのコメントも多い)に対して、周囲が一生懸命笑ってあげている。
そりゃあ全盛期だって打率十割ではなくて外すことはあったけど、昔だったら浜田が無視したり睨んだりしていたのを、今は後輩芸人が一生懸命笑ってあげている。ああ、こうやって裸の王様って作られていくんだなあと悲しくなる。ビートたけしもたけし軍団がいたから余計にそうなっちゃったんだろうなあ。
今後もどんどん衰えは加速していくだろう。
60歳にしてはすごいことやっているとはおもうけど、彼も衰え、時代も変わり、実力と周囲の持ち上げ方はさらに乖離していくだろう。
歳をとっても役割を変えて活躍する人はいっぱいいるけど、ビートたけしや松本人志のようにカリスマ性があって「最後のシュートはおれが打つ!」っていうタイプだと何より本人がそれを許さないだろう(明石家さんまも)。
上岡龍太郎のように自分で引き際を決められたらかっこいいけどそれも実績がある人ほど難しいだろうから、今回の騒動はいい引き際なのかもしれない。
老醜をさらす前に引退して「すごい芸人だったなあ」と惜しまれる存在になってほしい、と昔からのファンとしてはちょっと思っている。
どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大を中退。
その後、人の役に立ちたいとの一心で東京医科歯科大医学部へ入学するも、
やはり、「ボディビルを極めたい」との想いが勝り、またしても自主退学してしまいました。
世界選手権目前、過度の減量に散る…
自分の目標を、ボディビル一本に絞った北村の努力量は、これまでにも増して凄まじいものとなりました。
1985年のアジア選手権に出場する時などは、120kmを15時間ぶっ続けで走り抜くことにより、
14キロの減量に成功。見事、アジア選手権・ライトヘビー級のタイトルを獲得します。
その後もキャリアを重ねていき、90年代前半からタレント活動も開始。
『さんまのナンでもダービー』『平成教育委員会』などへ出演し、屈強な肉体に似合わない育ちの良い丁寧な語り口調で、お茶の間の人気者となっていきました。
「○○君の答え~」と言いながら最初に何人かの生徒の誤答を晒しものにしつつ、正答には「よくできました、よくできました」と音声をつけて、最後には「みんなの答え」と言って全員の解答を晒すんだよ!
動画を使わない通常授業でもそうだが、上位層にとっては正しい解答が出るまで退屈になり、下位層には恥ずかしさで授業への興味を損なう不要な行為だと思う。クイズ番組(想定してるのは「平成教育委員会」だろ)じゃないんだから。
だから、動画授業にライブ要素は不要。自分の出来に応じて動画を消化させ、疑問点はオフィスアワーを別途設けて、その時間にまとめて質問させるのがいい。
教員は授業するのを辞めて、コーチに徹するべき。各教室で同じ授業を繰り返すくらいなら動画でいい。授業時間分の労働をオフィスアワーに集約すれば、教員の働き方改革にもなる。
平成教育委員会のエンディング曲としてバブルガムブラザーズがそういう歌を出していたと思う
今までテレビでもてはやされてきたクイズ番組見てて簡単だと思わなかった?
全部難しいと凡人が付いてこれなくなっちゃうということと、おバカ芸人のおバカ解答を見て「下を見て安心できる」からわざと敷居下げてるんだよ
敷居が高い番組は平成教育委員会とアタック25ぐらいじゃないかな。まあ平成教育委員会もダンカンとか渡嘉敷とかいたけど。
そこを上手くまとめたのがクイズミリオネアだったと思う。あれ凡人でも100万円ぐらいならイケるでしょ?
あとは、柔軟な発想を問う番組もクイズに含まれるけど、あれはちょっとクイズ番組とは毛色違うかな。世界ふしぎ発見!とかマジカル頭脳パワー!!とか。
池上彰が人気なのも、Qさまや平成教育委員会や世界一受けたい授業みたいな番組がゴールデンにあるのも、全部この知的好奇心がキーワードになっている。
知識主義ではそれが、「珍しい知識かどうか」になっただけ。これも分かりやすい。珍しい知識は少数の人間が知っている知識だ。主婦が知っている知識ならたいしたことはないが、総理大臣しか知らない知識となるとレア度は跳ね上がる。馬鹿でも分かる世界観だな。
池上彰は調べれば出てくるような知識を筋道立ててシンプルに話すのが上手いのであって
話の内容自体に『珍しさ』は無いんじゃないかな。
「知らない知識」だ。まさにこれ。
たとえば、「○○業界で働いている俺のひとり言」的なものがやたらとブクマ数稼いでるのはそういうことなんだろう。
誰も知らないような業界であればあるほどみんな注目する。自分の知らない世界の知識を求めているんだな。
そこにあるのは純粋な知的好奇心。それ以外の何物でもない。それが実利に結び付くようなアドバイスが注目されることはあるけど、結局だれも実行しない。重要なのはそういうアドバイスの内容であって、それで自分が成功するとか失敗するとかには全然関心がないんだろう。
池上彰が人気なのも、Qさまや平成教育委員会や世界一受けたい授業みたいな番組がゴールデンにあるのも、全部この知的好奇心がキーワードになっている。
今は知的好奇心が満たされるのが最高の幸せという時代にきたんだろう。
もちろん、そこで満たされる知的好奇心のレベルは非常に低い。はっきり言って失笑レベルの知識、というか雑学。
だけど、それをもはや雑学とは言わない。知識と堂々と言っていることが分かった。平和が進むにつれて、どうでもいいことであっても知識でありそれをどんどん取り込むことが幸せという気持ちが高まっていったんだろうと推測する。
それを確実にあらわしているのが、メディアが大好きな「若者の○○離れ」現象だ。
○○離れ現象とはすなわち、既存の価値観を若い世代(新たに社会を作っていく中心世代)が否定しているということを示している。
車離れを例にあげると、車が高いからといった理由よりも、「車を持っていても特に意味がない」ということに気付いたからだ。
田舎のような場所では車は必須だから、車離れと言えばネットではそんなことはないという意見が出たりする。あくまでも一部の世界の話なんだよな。
車を持っていても意味がない理由は、飛行機やバスや電車などの公共交通機関が発達しているから。でも、昔だってそれらのものはあった。
じゃあなんで昔はみんな車を書いたがったかと言えば、当然それは「車を持っているとカッコイイから」だ。その価値観を若者が否定したということ。
すなわち物質主義から精神主義、というか知識主義へと世界が変わろうとしている。
彼らは普通がいいというが、普通とは物質主義社会が生み出した「繁栄の結果」にしか過ぎない。彼らはそのことに気付いていないのだろう。
若者(自分も若者だが)が何かにつけて普通の生活と言うたびに、お前らの普通は原始人の普通とは違うんだよと突っ込みをいれたくなる。なんて幸せでそして愚かな世代なんだろう。
で、知識主義の時代とはまさしく冒頭で説明したようなこと。しかしこれは物質主義とほとんど何も変わらない。
単に金のかかるものが金のかからないものに置き換えられただけ。ヴィトンのバッグをありがたがるのと同じ。
物質主義時代のブランドという概念は、知識主義時代では「珍しい知識」に置き換わる。珍しい知識を知っている人間は注目を集める、そしてブクマ数が伸びる。
それはまさに、ブランドものの商品を見てきゃーきゃー騒ぐ人間たちと全く同じ。
なぜかといえば、彼らの求める知識は底が浅いからだ。単独で成り立つ、それこそ小石のようなものに過ぎない。
知識とは様々に絡み合って複雑な様を見せる非常に高度なものなんだが、知識主義時代で求められる知識はお手軽に消費してお手軽に忘れられる暗記した知識みたいなものだ。だから下らない。
池上彰はとても知的な人物だろう。しかし、彼から発信されたものを受け止める人間たちはまったく知的ではない。
彼の言葉を断片化して「知識」として消化するだけの豚に過ぎない。
トレンドとはそもそもそのようなものなのだから嘆いてもしょうがないことは分かっている。
底辺の人間までもが取り込まれるのがトレンドなのだから、複雑な価値観が受け入れられるはずがない。物質主義のように「商品が高いか安いか」という価値基準はとてつもなく分かりやすい。
知識主義ではそれが、「珍しい知識かどうか」になっただけ。これも分かりやすい。珍しい知識は少数の人間が知っている知識だ。主婦が知っている知識ならたいしたことはないが、総理大臣しか知らない知識となるとレア度は跳ね上がる。馬鹿でも分かる世界観だな。