はてなキーワード: ワールドダウンタウンとは
文春に書かれてたことが事実かどうか知らないので、それについてはここで書く気はない。
それとは関係なしに、松本人志がここで芸能界から退場するのは悪いタイミングではないとおもう。
松本人志が好きだ。中学生の頃はごっつええ感じにドハマりして、VISUALBUMも他のライブVHSも観た。
発明将軍もDXもガキの使いもひとりごっつもワールドダウンタウンも好きだった。
今でも水曜日のダウンタウンやクレイジージャーニーは毎週観ている。
好きだけど、いや好きだからこそ、ここらへんで退場してほしいと願っている自分もいる。
子どものころはたけし城とか平成教育委員会とか世界まる見えとかを見ていて、当時たけしはすでにピークは過ぎていたんだろうけどそれでもおもしろくて、バイク事故を起こしたときは心から復帰を願った。
そんなおもしろいたけしの姿を知っているからこそ、今の姿は見ていられない。
ぜんぜんおもしろくなくて、そもそも何を言っているのか聞き取れない。たけしが衰えたのもあるけど、それ以上に時代が変わって取り残されてしまった感じがある。
でも、それはしかたない。衰えは誰にもやってくる。
見ていられないのは、たけしが言った言葉に対して、他の出演者が一生懸命笑ってあげて、たけしはそれに気づかずに「おれもまだまだやれるな」という顔をしていることだ。
つらい。
完全に裸の王様だ。
欽ちゃんは90年代にはもう完全にコメディアンとしては時代についていけていなくて、子どもながらに
「この人、周りが持ち上げているから昔はすごかったんだろうけどぜんぜんおもしろくないな」と感じる人だった。
今、その欽ちゃんのポジションにビートたけしがいて、近いうちに松本人志がそうなりそうになっている。
いや、すでになりかけている。
すべらない話とかIPPONグランプリとかキングオブコントの審査コメントとかは特に顕著で、彼のぜんぜんおもしろくないコメント(ダジャレレベルのコメントも多い)に対して、周囲が一生懸命笑ってあげている。
そりゃあ全盛期だって打率十割ではなくて外すことはあったけど、昔だったら浜田が無視したり睨んだりしていたのを、今は後輩芸人が一生懸命笑ってあげている。ああ、こうやって裸の王様って作られていくんだなあと悲しくなる。ビートたけしもたけし軍団がいたから余計にそうなっちゃったんだろうなあ。
今後もどんどん衰えは加速していくだろう。
60歳にしてはすごいことやっているとはおもうけど、彼も衰え、時代も変わり、実力と周囲の持ち上げ方はさらに乖離していくだろう。
歳をとっても役割を変えて活躍する人はいっぱいいるけど、ビートたけしや松本人志のようにカリスマ性があって「最後のシュートはおれが打つ!」っていうタイプだと何より本人がそれを許さないだろう(明石家さんまも)。
上岡龍太郎のように自分で引き際を決められたらかっこいいけどそれも実績がある人ほど難しいだろうから、今回の騒動はいい引き際なのかもしれない。
老醜をさらす前に引退して「すごい芸人だったなあ」と惜しまれる存在になってほしい、と昔からのファンとしてはちょっと思っている。
ガビシャンが下衆い
私はむしろ逆で、松本のよさというのは長い尺の中でだらだらと素材を転がした時に生まれると思っている。例えば彼のコント集である『visualbum』を紐解いてみると、『マイクロフィルム』『いきなりダイヤモンド』『ゲッタマン』といった同じボケが繰り返し繰り返し使用され、次第にとんでもない地点まで運ばれてしまうタイプのコントや、『都』『げんこつ』のように長時間に渡るネタフリが行われ、一気に落とされるタイプのコントを得意球としていることはよく分かるだろう。『いきなりダイヤモンド』に至っては、コントとしては異例の20分といった時間が割かれている。『トカゲのおっさん』という作品もあったな。
また『ごっつええ感じ』での『ゴレンジャイ』シリーズ、あるいは『ワールドダウンタウン』のように、前の回のコントをネタフリとし、回を経るごとにどんどんコントの形式を崩すことで笑いを生んでいくという方法を松本はよく採る。これは、コント自体は短編のような形に分断されているが、連作という観点から見ればある種長編的なスタンスであって、彼がむしろ長尺を得意としている側面を伺わせる。
以上は客観的な事実であるわけで、彼が売れっ子になっているということは長い尺の中で変遷していく作品世界を楽しみ、笑っている松本ファンも少なからず存在するわけだ。要するに結論を述べると、「松本は尺の長いものを作るというのには不向き」なのではなく、「貴方が尺の長い松本作品を楽しむのに不向き」なだけなのだよ。映画は期待しない方がいいだろう。