はてなキーワード: ナロードニキとは
ヒプノシスマイクがジェンダーの観点で少し問題になっている。このことについて思うことはたくさんあるが、それには私より言語化の上手い素敵な人が言及してくれているので、それをきっかけに思ったことを垂れ流すだけにする。
私はオタクだ。小学生の頃にルッキズムと体育至上主義の社会に淘汰され、中学で立派な陰キャになった。学力だけはそこそこ程度あったけれど努力ができず第一志望の大学には落ちた。国語が得意で数学と物理が大の苦手だった。卑屈でコンプレックスがキツくて、大学に入る前に埋没手術をした。可愛くて美しいコスメや服が好きだ。コスメ垢や美容垢のベスコスを頼りに顔面と格闘している。今は無理にアパレルのバイトをしているけれど、体育会系のノリについていけず半年でやめようとしている。身長は平均身長ジャスト。BMIは18で19に載るとダイエットを始める。ソシャゲのイベントに課金する。至って「普通」の今どきのオタク女と言っても過言ではないなと思う。
でも私は「最近よくいるオタク女」にカテゴライズされる気はない。
私は女の子が好きだ。今好きな人も女の子だ。彼女の全てに敬愛と愛しさを感じる。この気持ちは他の女の子にはぶつけられないくらい大きいから苦しい。けど恋とか友情とか分類しないで「愛」という概念に括ってみたらちょっと軽くなったよ。自身の肉体が弱っちいことに腹が立つのに、スナイデルのワンピースを着るときこの身体で良かったと思ってしまう。不謹慎なジョークで笑う。ウナギ絶滅キャンペーンでも笑った。誰かに食われて絶滅するのを見守るより、この舌で味わい胃液で溶かして絶滅させたくない?でもTwitterでは「高度な皮肉」として褒められてるのを見てなんか違うっぽい、ってなった。こういうとこがオタクの悪いとこなんだろうな。カシスオレンジよりも作を飲みたい。コスパがいいからGUの服を買うのに結局似合わない気がして着ないから本末転倒。部屋の整理ができないしタスクを先送りし続けるし指差しが理解できない方向音痴なので、今年中に発達障害の検査を受けに行くつもり。社会の理不尽が憎い。馬鹿みたいに全ての人が幸せであればいいと願ってしまう。だから社会学を専攻することにした。力強い歌が好きだ。ラップもハロプロも椎名林檎も大好き。こんな乱文じゃなくて人を少しでも元気づけられる切実で丁寧な文章を書けるようになりたい。昨日行ったカラオケMAXで藍原ことみさんの歌声に惚れた。美しかった。渚のバルコニーで待っていたい。
これは全部全部私だけのものだ。痛みも悩みも楽しみも、全く同じものを他者と共有することはできない。似たものをシェアすることはできるし楽しいけれど、私達は皮膚一枚を隔てているから本当の本当に触れ合うことはできないのだ。私はとても子どもっぽいので、ときおりそれがひどくつらい。
話を冒頭に戻す。私はこの件を受けて、「ヒプノシスマイク ジェンダー」「ヒプノシスマイク 女尊男卑」などでパブサした。すると、たくさんのヒプノシスマイクのオタクがツイートしていた。私は、最近ジェンダー論が盛んだからきっとオタクコンテンツにおける政治性への言及が見られると思っていた。自己と他者の境界を線引きできないのが私の最悪な癖だ。そこで見たツイート群は、想像をはるかに超えて地獄だった。フェミ(笑)ジェンダー(笑)と言われているのを見るたび、自分の学ぼうとしている学問自体が馬鹿にされているようで、涙が溢れた。私は後期の授業にジェンダー論を取るつもりだった。コンテンツに政治性はないと断言するものや、こうしたコレクトネスを求める人々に関して、生きづらさを嘲笑うツイートもあった。苦しかった。中には私と同じように痛みを感じている人もいて、さんざん迷った道でようやく見知った景色を見つけたときみたいにホッとした。皮一枚隔てているからとかなんとか言いながら人一倍誰かと分かり合いたい自分が馬鹿みたいだった。
こうして書いていると、自分が色んな感情に四方八方へ引きずられていて笑ってしまう。世界史か日本史で出てくる、手足を馬とか牛に引かせて八つ裂きにする処刑方法を思い出した。①オタクとして、ラップ好きとして、ヒプノシスマイクを好きになりたい気持ち・②フェミニストや社会学を学ぼうとしている立場から許せないと思う気持ち・③その気持ちを誰かと分かり合いたい気持ち、という子どもっぽさだが、③はきちんと制御しなきゃな。③の気持ちが昂ったとき、ほんのときどき、「あの『分かってない』オタクにこの問題性を『分からせたい』」と思ってしまうのだ。自分でも自分の感情のグロテスクさに吐き気がする。まるでナロードニキじゃないか。その行く先が暴力であったことを思うと、私は心底自分を嫌悪する。大好きなあの子に王子様性を見出してしまうときと同じくらい自分が気持ち悪い。ちなみに「こんな匿名ダイアリーでグダグダと自慰みたいな日記書いているのも気持ち悪い」というのも誰より私が思ってる。
人と人が分かり合えないけど理解を示そうと努力できる社会になってくれ。今年のクリスマスのプレゼントはそれがいいな。中身がマジで子どもなのでお願いサンタクロース。
「サイバースペース独立宣言」というものがあるらしい。内容はひとまず置いておいて、独立宣言があるのだからサイバースペースの独立をアメリカ独立になぞらえてみようと思った。
とりあえず日本に限定するとフリーメイソンは(結社的な意味で)MiAUで、印紙法や茶法がフィルタリング法案や青少年インターネット規制法案かなあ、と。
大陸会議が2chとかはてな村とか。武装中立同盟にはGoogleがまとめ役で日本のサーバにGoogle八分をかけるとか。
ボストン茶会事件を考えると、マスメディアのステレオタイプによって固定化された「オタクファッション」に身を包んだ有志が抗議集会OFFを繰り広げる、とかありそう。強引だが。
ただ、独立戦争ともなれば被害を受けるのは九割九分の一般ユーザなんだろうなあ。理解できない人もいるだろうし、啓蒙運動が必要かな。
「要は、勇気がないんでしょ?」と言いながら独立を説くインテリゲンツァ、もといブロガー。ナロードニキは困難だろうなあ。……ってロシア革命か。