それは、インテリの身の回りこそ一様性に満ちたモノリシックな環境だから。
かつてトルストイが幸せはみな一様だが不幸は人それぞれであると語っていたが、慧眼だと思う。
不幸な世界というのは多様性に満ちている。貧乏、暴力、病気、障害、コミュニケーション不全、無関心、あるいはその融合など、本当に様々だ。
私はブルーカラーの家に生まれてインテリとは程遠い世界に育った。そして大人になり今インテリと呼ばれる人たちのコミュニティが身近になったが、インテリが多様性を認めよと言うのに違和感しかなかった。認める認めない以前に、そこに多様性はある。そうとしか思えなかった。
でもようやくわかったのだ。インテリが育った環境はある意味で無菌室のような環境だったからこそ、そして大人になっても本当に多様な人たちに触れる機会がないからこそ、多様性を認めよと頭だけで考えてものを言うのだ。
多様性は認める認めない以前にそこにある。そして様々な個性を持った人たちはそれに人生を左右されながらも自分の居場所を見つけて生きている。そういう人たちの事がインテリには見えていないのだ。
例えば、具体的に生活保護やホームレスの人を知っているか?とインテリに尋ねても、きっと知らないと答えるだろう。
私が知っている生活保護の人は、性格的にちゃんと働く事ができず、親兄弟に暴力を振るってお金を巻き上げる事でしか生きられなくて、歳をとって暴力を振るえなくなってから生活保護を受けることになった。
多様性を認めるということはこういう人でも包摂するということであり、そしてこの人が今生活保護を受けていることから既にそれがある程度実現されている社会なのだ、この日本は。
ここまでインテリ批判を書いてきたが、しかし私はインテリが多様性を希求することを応援している。
なぜなら、モノリシックな環境で育ったインテリがその環境を良しとしてしまうと、新たな身分社会が出現するだけなのだから。
だから、身の回りに大卒しかいないような環境で育ったインテリには是非とも学から遠い世界や福祉が必要とされる世界を直に見ていただきたい。それは行政の仕事だと言って自分ごとから切り捨てるのならば、そこにあるのは自分の身の回りだけは波風立たないでいて欲しいという保身であり、多様性を認める、受け入れるということを唱えても言動不一致でしかないということをせめて自覚して欲しい。
ところで増田は多様性が現に存在することを認めるべきだと思う?
認めるというか、受け入れるしかないよ、それは。 トンビが鷹を生んだとしても、トンビはトンビの生き方しかできないし、鷹は鷹のように生きるしかない。 そこでみんな平和の鳩にな...
そうやってインテリが下の世界に目を向けた結果どうなるかはナロードニキが証明している 自分の都合よく動かない下層民に勝手に絶望するだけだよ
ナロードニキ、なろう系の小説書いてるニキっぽい
つまんねえ奴だな
知らないならインテリじゃないじゃn 藁人形論法者おつ