はてなキーワード: 共産主義国とは
"現場で活動している首相に知識自慢したいアホ弁護士が群がった案件。id:stattly101←憲法は社会を快適に動かすための道具であって、「憲法の○○を知っています」という知識自慢で相手を見下すためのものではない。"
立憲主義思想のポイントは「憲法は社会を快適に動かすための道具」ではないというところにある。
「法律」の上位に位置するものであり、、「社会を快適に動かすための道具」である法律が、国民を虐殺したり、自由・平等に反するものにならないよう、統制する機能をもったものだ。
そしてまた、社会的権力を持った人々(例えば、首相)が自分たちに都合のよい法律を勝手に作ることができないようにすることで、国民を保護する機能も担っている。
憲法を「社会を快適に動かすための道具」だと考えて、無茶苦茶になった国がかつてあった。
それがドイツだ。
ナチスのヒトラーが台頭し、ユダヤ人を虐殺する法律などが好き放題に作られ、反逆者も処罰された。
戦後のドイツはそれらへの反省から、『憲法』は「社会を快適に動かすための道具」ではなく、それら制定法一般の上位として、(原則的に)侵害してはならないものだとみなされるようになった。
(無論、戦前のドイツ以外国々でも、特に共産主義国や近代以前の国など、憲法による人権保護の無い地域や時代において、支配者による民衆の抑圧が日常茶飯事であったことはいうまでもない。)
ここまで読めば、今回の弁護士有志による首相への教科書贈呈が、「人を見下したいだけの知識自慢」などではないことがしっかりと分かるはずだ。
もしそれが侵害されれば、日本が民主主義社会でなくなってしまうようなもの、それが憲法のなのだ。
最初に、
その国民の誰かが、とあるウェブサービスを開発したとする。国民性が均質なので、他の誰かも似たようなサービスを開発する。結果として、ユーザーは複数の似たようなサービスに分散する。従ってどのサービスも莫大な投資を集めることが出来ずに終了する。
って言って、皆が皆、全く同じレベルのものしか作れないから等しく分配しかされない、といってるのに、
その国は均質なので、国民は皆、自分にできることは当然他人にも出来ると思っている。だから、まれに「自分がやすやすと出来ることが出来ない他人」を見かけると信じられないという気持ちになり、ひどく馬鹿にする。また、逆に他人に出来たことは自分にだって出来るはずだと思っているため、成功した他人を見ると運が良かったのだろうとかなにかズルをしたのだろうと思ってあまり賞賛しない。
ここで差を出してる。差が生まれないなら、こんなことは議論にすらならない。
自分より出来る人間も出来ない人間も居ない。従って人をバカにしたり羨んだりすることもない。そして誰か1人だけ成功することもない。
その上にあるように、「誰もがリーダーを経験する」様に、皆がそれぞれの仕事をするだけで。差がないのだから給料も一緒だろう。
なんか気分悪いなーと思って、さっきまでその理由を考えていたのだが、
1980年代の初め、小学生だった私は学研の「学習」と「科学」を買ってもらっていた。
あの頃、周りの小学生のだいたい1/3ぐらいが、学研のおばちゃんに「学習」や「科学」を届けてもらっていたのではないかと思う。
当時「科学」の裏表紙、表4の広告には東京電力と思われる原子力の記事広告がよく載っていた。
原子力空母が日本に寄港するのはよくない云々、などのニュースが流れていたり、
学校の図書室には「はだしのゲン」があって「きもちわりー」とか言いながら読んだりしていたし、
国語の教科書には、必ず一編は「原爆」をテーマにしたものが掲載されていたりしていた。
要するに、1980年初めの千葉県の公立小学校に通っていた私は「核=悪」と思っていた。
だから、親も推奨する数少ない雑誌「学研の科学」に、それも目立つ裏表紙に「原子力素晴らしい!」って書いてあるのは何か変。
そこでたぶん10才ぐらいの私は父に聞いてみたのだ。
「原子力=原爆なんでしょ?違うの?怖くない核ってあるの?学校と「学研の科学」どちらの言い分が正しいの?」。
それが東京電力の”広告”であることなど、小学生に理解させるのは無理だろう。馬鹿だったし私。
でも父はそれは実は広告というものである、ということ、それから
それが広告であれ中に書いてある読み物であれ、テレビのニュースであれ学校の先生であれ、
人が話していることが必ず正しいことを言っているわけではないこと、
いろいろな人がいろいろな立場でものを考えているのが、この世の中であるということ、
人の考えをよく聞いて、自分で何が正しいかを考えることが大切だということを、教えてくれた。
父がかなり苦労していたのは子供心に分ったので、鮮明に覚えているのだ。
そういうわけで、私はべつに東電に騙されていた訳じゃない。
清志郎が歌ったように37ケだった原発も、その後まだ増えたらしいが、選択権がないのだからしょうがない。
その後バブル景気があってバブルが崩壊して、新党ブームなんていうのもあって、
原発とかはなるべく嫌だなぁと漠然と思ってはいたけれど、選挙権を得た時には
55年体制とやらも自民の一党支配とやらも、なんかもう形にはなっていなかったと思う。
大学で左翼運動の人も見かけたが、どう考えたって胡散臭いとしか思えなかったし、
私の周りでは、成績優秀者で「官僚になりたい」「政治家になって世界を動かしたい」なんていうのは
ほとんどいなかった。
まれに居ても、官僚になりたい子や政治系の活動をする子の方が、頭が残念な子が多かった気がする。
まぁこれは私見ですけれども。
私は大人になり、今となっては悔しい限りだが、政治や選挙などに関心が無くなっていた。
それは本当に後悔することではあるけれど、私が選挙権を得た時にはもう原発たくさん建ってたんだよ。
少なくともチェルノブイリの事故があったときに、選挙権があった大人たちは、
どうして止めてくれなかったんだろう?
ちなみにwikipediaによると斉藤和義さんは1966年生まれ。チェルノブイリの時には20才。
彼は本当に今まで、ずっと騙されていたんだって言うのだろうか?
私に選挙権が回ってきたときには手遅れな時期だったけど、それでも「騙された」なんて思えないけど。
父は団塊の世代よりも10は年上で、共産党員でも社会主義革命を目指した人でもない。赤旗は毛嫌いしていたのでたぶんそう。
それについても「お父さん、日本が共産主義国になればいいと思っているの?」と聞いたことがある。
「共産党に票を入れるのが、今に問題があるということの意思表示だからだ」
「お父さん、白票とか選挙ボイコットとかじゃだめなの?共産党ってなんか恥ずかしくない?」
「白票や選挙に行かないと、意思は示せないのが今の法律だから、行くんだよ」
私はノンポリを気取っていたけれど、何回かの選挙では「反対票」を入れてきた。まぁ効果はなかったけどね。
私は、大人として何をすればいいかなぁ、と思いを巡らせていた。3日間。
少なくとも急ごしらえの反原発ソングを歌うことや、学生ノリのデモに参加することや、
twitterで「石原に入れないようにしようぜ!」ってつぶやくことじゃ、なさそうだ。
とりあえず明日は選挙に行って、正当に数えてもらえる票を入れてくること。
そのあとは、名残の桜を見にいく。
子ども千人育てるコストを考えると、一人頭1000万円くらいと想定していいかもしらん。
スケールメリット働くしね。しかし、現実的に「鳩山みたいな奴」が1000人の育児をするのは不可能なので
人も雇わなきゃいけないね、しかもそれを国家として承認するということは人権に関わる問題だし、間違いなく国家スケールの話になるよね。
あれー、これって結局国家がお金集めて福祉政策やるのと同じ構図だよね。超過激化しただけで。
「鳩山みたいな奴」が1000人の子どもを育てたい理由はないから最終的に1000人育てるお金を「鳩山みたいな奴」から引っ剥ぐって話でしょ。そんなことやりたい奴いないしね。金持ちから有り金ひっぺがして、国家がガキを育てる、とそういうことですね。
ああ、それ昔あっちこっちの共産主義国家がやってたよね。
確か、政権崩壊した後ストリートチルドレンで満ち溢れたり、大虐殺やったり色々あったよね。
幾らなんでも馬鹿じゃねーか、あんた。失敗例いっぱいあるから、それ。超悲惨なことになったから。
横だが。
「資本が集中し、労働力の価値が低下しつづける以上、その格差が広がる以上に再分配を行わなければ」と書いているが、
では、そこまで格差が広がる前に再分配をすれば回避できると解釈できるが、それでおk?
それとも資本主義である以上、再分配の適正化は困難であり、衰退は不可避ということなのだろうか。
だとすると次の世界の勝者は共産主義国家ということになるけど、そうなるのかな。
共産主義国のロシアも中国も資本主義化するさなかで、それはにわかには信じがたい。
そもそも資本主義は指摘の通りの特徴を持つからこそ、
運用にあたっては様々な再分配のための仕組みが導入されるのではないか。
税による再分配は当然のこと、あとは独禁法とか。他は思いつかんが、とにかくたくさんあるだろ。
で、再分配の適正化で回避が可能だとすると、さてどういう適正化方法があるだろうかと。
そこを議論するのが元増田の願うところだったのではないだろうか。
それで元増田の話(http://anond.hatelabo.jp/20100709233738)に戻ると、
現物支給が議論されているけど、現金の方が適正なのではないか、と。
そのお金がパチンコに使われてその世帯が永久貧困ループから抜けられないなら、
結局のところ格差是正に貢献しないので投下したお金の意味がないよね。
これは現物支給によって不正が生じるデメリット以上のものだと思うのだが。
不正が生じても良いというわけではなく、そこの不正を解決する努力をした方が、
現金支給で増えるであろう不正受給の解決だとか、受給者の健全な生活確保とか、
そっちのための努力をするより建設的だしマシなのではないかと。
不正にイラっとくる気持ちはわかるが、
コストパフォーマンスと効果最大化に意識を向けた方がよいのではないか。
それはもう、非常に理解しがたいです。他の惑星で映画を撮ってるようでした。
―それはなぜですか?
ただ、何もかもが完全に違っているんです。よく言われることですが、道路標識から人々の行動の仕方、ふるまい方など、何から何まで。なんというか・・・ただ自分たちとはあまりに違っています。うまく言えませんが。
―あなたは日本社会を共産主義と比較して、資本主義の顔をした共産主義と言っていましたよね・・・それはどういうことですか?
恐らく、そういった類の管理社会だからです。共産主義下の人々が自由でないような・・・それと同じように、日本は強烈な超資本主義社会であり、社会が莫大な金儲けを追求し続ける中で、人々が自由でないのです。皮肉なことに、映画に出てくる日本人たちには全くお金がないわけですが!
―映画の主人公は他の日本人とだいぶ違っているように見えます。画一主義、同調主義でないし、とてもユーモアがあるし、くだけた物言いをします。なんと珍しい!
(笑) まぁ確かに・・・こういう日本人には会ったことがないでしょうね。彼は例外的に珍しいです! たぶんこの映画を作った理由はそういうところにあると思います、本当に・・・。例えば、会社の朝礼の場面(皆で朝の体操、あいさつの練習や目標の斉唱をする)、あれこそ日本です。あの悲惨な国のそういった部分こそ、これまで見てきて疑問を持ち続けてきたことなんです。
―あなたは、日本人は彼のような国民を否定的に見ている言っていましたが。
そうです。日本人からすると、彼は日本で良いイメージを持たれるような輝かしい例ではありません。日本人にとって、彼のような人は単なる負け犬です・・・公の場に汚点を晒しているようなもので、日本の文化の中では恥さらしと思われます。彼自身にとっても、国にとっても、国民にとっても恥だと思われるんです。彼は女性のヒモ状態で生活しています。現代の日本では非常にネガティヴなイメージです。でも、日本人は歓迎しませんが、僕は彼はこの国のヒーローであると思います。日本人が早く目を覚まし、国のおかしさに気付いて現実的に対処しようとすればするほど、その方が多くの人にとってマシになるはずです。そしてたぶん、一日に100人も自殺するような状況を止められるでしょう。
http://shonai.air-nifty.com/dokitomo/2010/02/68-c890.html
当初は張り切っていた私だったが、東京の中でさまよううちに、この映画が今までで最大の難題だと気付いた。私のジレンマは、日本をあまり好きになれないということだった。人々の個々の魂を殺してしまうような、非常にハードな社会だったのだ。公園にいるホームレスを見ていたら、そのうちの1人が私にこう言った。「気の毒だなんて思わないでくれ。俺は今、自由の身なんだ」私は、このような複雑さを捉えた映画を作りたかった。 (「監督のことば」より)