はてなキーワード: 世界共通語とは
もちろん様々な理由があるけれど、手軽に説明できる例として、私は「水曜日」を挙げている。英語で書いてみようか。
WEDNESDAY
さあ、読んでみよう。……うぇどねすでい?
WE「D」N「E」SDAY
括弧の部分は“発音しない”。
なぜ発音しないアルファベットを書くのか、発音する「E」と発音しない「E」の違いとは。法則性があるのか。大半の人が経験したであろう“躓き”だ。ほとんどの人は、この「水曜日」で英語を学ぶことに対して精神的障壁が出来る。
何かを学ぶ際、例えば算数だと方式だとか、いわゆる“パターン”を見出すよな。「1+1=2」を学んだ際、それとは別に「2+2=4」とかを学ぶ必要はない。だって、足し算を覚えればできるんだから。
言語も同じで、読み方や書き方に法則性を見出せば、その単語そのものを知らなくても大抵は読めたりする。その単語の意味を学ぶだけでいい。つまり、アルファベットの書き方と読み方を覚えれば、それを組み合わせた単語も読めるはずだ。と思った矢先に「水曜日」というよく使いそうな単語で「発音しないアルファベットがある」、更に「法則性もない」という“例外”をぶち込んでくる。
この“例外”の厄介なところは、「発音しないアルファベットが存在する」ということだけしか学べないところだ。法則性がなく、本当の意味で“例外”なのだ。なのでその都度、「発音しないアルファベットが存在する単語」の読み書き(そしてその単語のもつ意味も含めて)覚えないといけない。平面な道に一部だけ凹凸があるような、これら“例外”は学ぶ側に負担を与える。
この後も、「BERRY」などで「なぜ『R』が2ついるんだ?」となる。そして「BURY」という綴りが違うのに発音が全く同じ単語が登場し、「なぜ同じ発音なんだ」、「なぜ『BURY』の方は『R』が一個だけなんだ」、「こんなことになるなら、『無発音』という概念いらないだろ」と激昂するのは誰もが通る道だろう。
次点では、「MAN」の複数形が「MEN」、「複数形だけど単数形と同じ綴り」という単語などの登場が共感できるところだろうか。
もう分かっただろう。英語が学ばれにくい理由は単純明快。言語として洗練されていないからだ。つまり覚えにくい。
なにせ英語は様々な国の言語がもとになっており、いわばキメラ生命体。それで洗練されていたとしたら奇跡というほかない。そして、英語は特にそれが顕著なだけで、ほとんどの国の言語はそこまで洗練されていない。
もちろん、日本語だってお世辞にも洗練されているとはいえない。けれど、私たち日本に住んでいる人はそれを日常で使っているから、多少の違和は受け入れられる。更にいえば世界共通語ではないから、別に洗練されていなくてもいい。別の国の人に無理して学んで貰う必要がないのだから。
ちなみに、上記の例は本国の人がしていた話を参考にした。つまり、英語に慣れ親しんでいる人ですら、不満の多い言語ということだ。本国の人ですら不満の出る言語を、他国の人がうまく学べないからといって、個人の問題で片付けてしまうのは間違っていると私は考える。
英語を世界共通語にしなければいいのか、という話ではない。英語は洗練されていない。だから覚えにくい。という前提を共通認識にしようという話だ。それを踏まえたとき、今の「英語の勉強のさせ方」ももう少し最適化されていくのではないだろうか、というのが私の淡い期待だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/604236
英語いらんとまで言って、学生の学習意欲を削ぐこともなかろう。
「日本国外の人間を使いたいから」の英語必要性ってのがブコメでもあんまり見えなかったから、ね。
まあ自分も「おもてなし」以上の意味で庶民が英語使える必要があるとは思わない。
TOEIC600点台で海外出張での商談には通訳の人がつくし、正式な書面はネイティブチェックが入る環境で仕事してる。
メールも定型ならなんとかなるけど、結構頻繁に辞書引くし、日常会話レベルでもかなり怪しい。
飛行機飛ばなくてもパニクらずにホテル予約して、天気予報を見てタクシー載って観光地回るのに困らない程度。
ただ、これって「人生にギターは必要か?」と同じレベルの質問。
「英語」って書いてあるところは「北京語」とか「ヘブライ語」とかに置き換えると理解しやすいかもしれない。
英語関連の話は、結構色々混ざるから、一度分類すると理解しやすいかも。
この中で問題になるのは、1番と3番かな。
必要だね。
ただ、僕も国外で仕事することもあるけど、別に英語喋れなくても不自由しない。
これは通訳さんがついてくれたり、タクシーやホテルで多少変なコト言っても外国人ってことで流してもらえるから。
これは「英語を喋る仕事が特別だ」としてもらえる間は、問題にならない。
どういうことかっていうと、えーと昔は清書屋さんって居たんだよね。
つまり、書類を渡すとワープロでパチパチ打って書類にしてくれる人。
ブラインドタッチって、そこそこの技能として通用してたのよね。
いまだって、中小企業だったらExcelが使えるのは技能として通用するし、
社長さんがパソコン使えなくても事務員さんがやってくれれば問題にはならない。
そういうレベルの話。
今度は、部下とか上司とか、請負とか業務委託とか、どっちかというと自社内の話。
この場合はちょっと違って、間に通訳を挟むのは、無駄に見える。
実際、無駄だよね。
でっかい契約ならともかく、週次の報告会でそれやると、無駄が多い。
と、言うか、数字で見る経営者には、その翻訳のコスト(時間・人、つまりお金)は無駄でしか無い。
「上司は英語を勉強しないが、新人には英語を勉強させる」ってのは、正鵠を射ている。
頻度が増えれば当然特別扱いしてくれなくなる。
メールの英文程度は通訳使うとかフザケンナ、みたいには結構みんななってるよね?
これが、受発注作業ぐらいは、業務管理ぐらいは、簡単な契約更新ぐらいは、になってくるってこと。
そして、特別扱いして貰える人(経営者とか、特殊技能者)は、別に今後も通訳を使えば良いだけ。
キッカケになったtogetterで言ってんのはコレかな?
「エリート層の英語力=国際競争力を高める」ってところにみんな違和感があるんじゃないかな。
例えにあがってるブラジルの低所得者層が英語を使えなくて、高所得者層は英語が使えるって件、
コレは多分逆で、英語が使えると日本人とビジネスが出来て、英語が使えないと警備員にしかなれない。
教育状況にもよるんだろうけど、やる気や能力とは無関係だよね。
だから、日本は自国語以外が使えなくても高所得者層入りできる国だってだけの話。
ただ、さっきのビジネスの件以外に、エリートとしてって概念はあり得る。
第二言語習得の研究とか読むと判るけど、ネイティブじゃない言語を使うと、能力が落ちる。
計算能力とか、思考力とか、第二言語をしゃべる方に能力を割り振るから、使える力が減る。
これはもうどうしようもない。
それと同じように、英語圏の人にとって英語が喋れないというのはソモソモの能力が劣っていると判断される。
カタコトの日本語をしゃべるガイジンを、日本人は笑うじゃない?嫌な笑い方じゃなくても。
そして、流暢な日本語をしゃべる大使館員みたいな人を、賢んだろうな、と推測する。
これはどうやら、どの国の人であっても同じらしい。
ハッタリも重要なビジネスの世界において舐められない事が重要なのと同じように、
エリートの教養として、英語程度は流暢に喋れないとね、という話。
ラテン語を読めず、聖書の引用ができず、シェイクスピアを読んだことがない。
日本人ならまあどってこともないけども、欧米においてそれはどうなの?って言う。
例えば、ザッカーバーグならパジャマでプレゼンしても、逸話として残るかもしれない。
でも、普通のビジネスマンが商談に行くのに、スーツにスニーカーは無いよね、とか
そういうレベルの話。
日本の恐ろしく高い土木建築技術で世界を席巻するというのとは違う次元で、
エリートの教養として英語が流暢に喋れるというのは、重要だったりする。
これはもう相手に期待する(パジャマでも能力が高いと正しく判断できるか)しかない世界よね。
なんか長くなってきたから巻いていこう。
ラテン語で論文書かなきゃ存在しないのと同じ、みたいな時期があった。
これはある意味で傲慢とも言えるし、ある種自虐ネタにもなってる。
ただまあ、面倒だからみんな英語ね、レベルの話。どうしようもない。
流暢である必要はないけど、質疑応答には答えられるようにね、って言う。
圧倒的に多い英語話者に対して、環境を整えていこうね、という。
これもまー、どっちかっていうと、日本にお金落としてね-系の話。
医療、教育、サービスが英語で行えるようになると、外国企業の人も来てお金落としてくれるしね、という。
例えば、バンガロールとかハノイで日本語が通じて日常生活不自由しなかったら、
そういうレベルの話。
まず、ビジネスで「英語が使える」は、「Excelが使える」のと同じ感じになると思う。
掛かるコストは必ず削られる。残業代も出ない企業で専属の通訳は何人雇われるだろう。
いまは特別感のある仕事でも、そのうちソレぐらいは出来てアタリマエって言われちゃう。
これはまあカタコトでもブロークンでも伝われば良い世界。ただ使わない人は使わない。
つぎに、エリートとしての英語教育は、まあ、それなりにやった方が舐められないかもね。
プレゼンや商談で、決定権者が流暢な英語使っていたほうが、格好はつくしね。
(カタコトでも日本語を話せる賢いガイジンを笑う日本人が、他所に比べて特別品性下劣なわけじゃない)
ただそれは、他の国と同じように、資産も熱意も運もあるエリート自身が解決すべき問題かも。
そして、アカデミックな分野で英語を使えないのは、居ないのと同じ。
イギリスのネイチャー、アメリカのサイエンスが君臨する世界が早晩変わるとは思えない。
そのせいで、日本の大学で英語を使って不自由なく研究が出来ると世界中に思ってもらいたい、
と、政府が思い始めると、大学では英語を使うのがアタリマエになっていくかもしれない。
他に問題が多くても、独立した問題は予算がついたもん勝ちだから。
最後に、政府方針としての英語教育は、まずは外貨獲得としての英語サービスの普及化を目指すんじゃないかな。
日本に誘致する際には、医療教育サービスの英語話者増加は必要だから、庶民が英語を使えるようにする方針に進みそう。
(まずはアメリカにいる移民がカタコトの英語を使ってるのと、同じレベルで)
おおきなまとめになるけど、結局のところ世界も慣習という慣性の法則には逆らえないってところか。
あとは、世の中カネ、かな。
英語が世界で通じる言語になってるから、英語を学ぶ人が多くて、それがまた英語を世界共通語にしてる。
スペイン語話者だって多いけど、富裕層は英語を使うから、やっぱり英語が力を持ってる。
ラテン語から英語に学術言語が変わったみたいな大きな転換がない限り、