はてなキーワード: ユダヤ教とは
週休3日制にする以前に1週間を6日制にして4日働いて2日休みサイクルにしたらいいのに
俺なら月曜日をなくして、火水木金土日にするね
ファッキン週7日制、ファッキン古代メソポタミア文明、ファッキンユダヤ教、ファッキンキリスト教って感じ(キリスト教は世に定着させたという罪)
週休3日制にする以前に1週間を6日制にして4日働いて2日休みサイクルにしたらいいのに
俺なら月曜日をなくして、火水木金土日にするね
ファッキン週7日制、ファッキン古代メソポタミア文明、ファッキンユダヤ教、ファッキンキリスト教って感じ(キリスト教は世に定着させたという罪)
その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった
その結果、英語圏の歴史解説YouTubeチャンネルを発見した
Why Do We Throw Coins in Fountains?
動画の字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった
毎年、世界中で私たちは噴水から井戸、さらにはテーマパークの乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります。私たちは幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます。場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統は時代を超えて広まり、その起源は古代ローマにまでさかのぼります。ローマの公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマのトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティックコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市や観光地の収益の一部として寄付されることもあります。
要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……
しかし歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない
調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね
あと、この解説はアジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている
中国人が願掛けとして飛行機のジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ
すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ
ひとつは西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパの民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート
もうひとつはアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート
二つに分ける意味はあるのか……?
うーん
どうだろう
ないかも
あるということにして調べよう
映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない
しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする
あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう
RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した
(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習は世界中にありますよ」というもの、質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)
「キリスト教の教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた
というわけでイスラム教とユダヤ教でコイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね
ユダヤ教はなんか出てきた
ラビに「願いを込めて願いの井戸にコインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教の教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった
解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな
コイン……つまり金属製の硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある
貝製の通貨、貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域ないかな~
パプアニューギニアは現在も貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった
パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない
まあおそらく無さそう
お葬式で貝貨を精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど……
そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って
ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー
教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった
例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい
いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?
そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか
まあまあ、結論を急ぐことはない
もうちょっと調べましょうね
賽銭とトレヴィの泉を一括りにして包括的に投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない
投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな
……といった感じで調べた内容を一旦メモ
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太宰府天満宮の菅原道真公のような受験、学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること
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すぐに思いつくのは、イスラム教国。イスラム法を適用している国では自殺は違法で罰せられるね。
自殺した人間は火葬になる。火葬にされることはイスラム教で死者に対する罰として強烈なやつ。犯罪者扱いなので有形無形の遺族に対する罰もあるね。
自殺者数は宗教的に自殺禁止とされている国で少ないと言われているんだが、これは、宗教戒律で自殺を思いとどまらせている、と言うわけではなく、宗教的にタブーだから自殺であっても事故として処理されているのではないかと言う指摘もある。
また、安楽死を合法としたいというのも、こういった宗教的タブーが関わっているから。自殺は駄目だと言われていたが安楽死はOKとなったことで、潜在的な自殺願望者が一気に自殺に走ったのではと言う話もある。何しろ安楽死を合法化した一部の国では日本の自殺率なんて目じゃないくらい安楽死が行われているとかかなりキツい状況。