グノーシア世界では肉体改造技術が普及しているので、中性化手術により性別を取り除いた人々をさす「汎」という独自の用語が存在する設定だが
それを「non-binary」という現代人もカジュアルに名乗る言葉に訳したせいで、SF設定が失われて単なるポリコレマンみたいになってると言われてた
何もしないで200万もらえたら、そっちでもいいや。
今回の件はいい薬になったでしょう。
種牡馬入り後
時は2002年、あのサンデーサイレンス逝去の頃。サンデーサイレンスの血統があふれかえっている日本では、それを持たない血統の種牡馬の導入が急務となっていた。
また、非サンデーサイレンス系として注目されていたエルコンドルパサーやエンドスウィープが相次いで亡くなり、その代わりも探さなければならなくなっていた。
一方そのころ、ウォーエンブレムは馬主だったサルマン殿下が死亡し、管財人によってセリにかけられていた。
そんな訳で直系こそミスタープロスペクター系であったが後は異系の塊の(サンデーサイレンスもそうだったけど)であったウォーエンブレムは社台ファームに見込まれ、21億円もの大金で輸入された(サンデーサイレンスは16億5000万円)。
で、さあ種付けとなった訳だが、これがやってくれない。(サラブレッドは人工授精など人為的な方法による受精は認められておらず、自然交配でなければサラブレッドとして認められない。)
1年目から種付けを拒み続け、交配したのはたったの7頭。商業ベースでの種付けは無理だと判断され、シンジケートも初年度で解散してしまった。
しかも、興味を持った相手が「栗毛で小柄な牝馬」ばかりだったもんだから、すっかりロリコンキャラが定着してしまう事に。
さらに、種付け出来たらその産駒はよく走るため、おいそれと手放すわけにもいかず、完全に生殖不能という訳でもないので保険金も満額おりないという、かなりビミョーな立場になってしまった。(ウォーエンブレムには大手保険会社4社の保険が掛けられていた。シンジケート解散という結果になり保険会社3社が合意して約16億円の保険金が支払われたが、残りの1社は種付けそのものは成功しているとして保険金の支払いを拒否している。)
2年目となる2004年には、シンジケート解散後も引き続き社台スタリオンステーションで種牡馬続行に向けた取り組みが行われた。転地療養として釧路に移し、彼好みの牝馬で欲情させて別馬にすり替えるという「逆当て馬」とでも言うべき方法で50頭近く確保したが、その事がばれてすぐさま種付け拒否モードに突入。3年目は種付け頭数9頭になってしまう。
6年目となる2008年、ペンシルベニア大学のマクダネル博士による治療を受け、1日1頭ペースで種付けができるまで回復。
その年は39頭、翌年に43頭を確保したがそこまでで、また翌年は5頭になってしまった。
それ以降、陣営はこれ以上は難しいとしてウォーエンブレムの種牡馬引退、故郷のアメリカでの功労馬入りを決定した。 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0
個人的にルックバックより凄いと思ったけど、多分こんなに普遍的な喜ばれ方する作品じゃないとは思った。
だし、集英社あげてどかーんと広告打つよりも、個人HPに上げてジワジワ口コミ広がっていく様な作品とも思った。
ストーリー単体で見た時には、例えば吸血鬼設定するなら「長生き」だけじゃなく色々な所で肉付けしていった方がよかったと思うし、卒業以降の苦悩の描写もあるべきだった。と思う。(読み切りでページ数が、オマージュ作品が、というのは分かるけど)
さよなら絵梨のすごいところは、
・かつ、映画の下位互換じゃなくて漫画でしか表現し得ないところに昇華している
・漫画だからこそ、1人称→3人称の切り替えに違和感が出ない(ことに気付いて取り入れてる)
・一定のコマ割りをベースに物語の大小を表現する為に大きさを変えている
みたいな、いわゆる超絶技巧の披露が主だと思う。失礼だけど読者全員がこの凄さに気付ける訳ないし、殆どの人は「タツキ作品」で、もしくは作中のオマージュが、みたいな点で絶賛してるわな。
「あえての爆発オチすっげえっす!w」も的外れだと思ってる。漫画太郎のトラックオチと同系列で感想言ってる人いるけど、この漫画の爆発は複数の感情の消化先としての爆発であって、「オチにちょけて見ましたw」じゃないと感じた。
①横長固定四コマ
・「横長固定四コマで日常を描く」手法自体はよくあるが、それ1本で最後まで走りきる漫画は珍しい。
・「横長固定四コマで日常を描く」手法で一番多くの人が目にしたことがあるのは、たぶん『幽遊白書』の海藤の日常
・近年は定点カメラが時間を表す表現として、主に成人漫画で一般化している
・難病モノ、かつ固定四コマで最期まで走りきる読み切りとして『肩幅の未来(やまむらはじめ)』がある。泉信行氏がやまむらはじめファンサイトを運営していたこともあって、一般的な知名度と比べてマニア人気のある短編。
・しかし、『肩幅の未来』再読すると『さよなら絵梨』とはかなり雰囲気が異なることに気付く。
・『肩幅の未来』における固定四コマは、あくまで淡々と続く日常(そしてそれがある日突然終わることを予感させる)を表す。終わらない日常を描く日常系四コマと同一の効果を狙ったもの。
・これに対して『さよなら絵梨』はより固定カメラ及び手持ちカメラの画角を表現するための意識が強い
・『肩幅の未来』より、アメコミ的表現や藤子・F・不二雄の諸作によくみられる時間経過を表す連続三コマの表現に近い
・メタフィクション?
・表現論?
●『さよなら絵梨』は何をしようとしたのか
・たぶん漫画でフェイク・ドキュメンタリーをやりたかったのだと思う
・念頭にあったのは、白石晃士のフェイク・ドキュメンタリー諸作品
・『チェンソーマン』単行本作者コメントにも、『コワすぎシリーズ』や『貞子vs伽椰子』についての言及がある
・以下、「映画の生体解剖 VS戦慄怪奇ファイルコワすぎ!(高橋洋・稲生平太郎・白石晃士)」より引用
”フィクションとドキュメンタリーの違いは(中略)フィクションはキャメラの存在を消していくもので、ドキュメンタリーはキャメラがそこにあるということを顕在化させていくもの”
”そんな馬鹿なことがあっていいのかというぐらいのことが起きてても、「だってキャメラの前で起きてるんだから、『イッツ・オール・トゥルー』じゃないの?という”
”自分がフェイクドキュメンタリーを撮っててすごく魅力を感じてるのは(中略)フェイク・ドキュメンタリーという手法を使えばそういうことをすっ飛ばして、映画の表現をものすごく原始的なものに戻せると思ってるんです”