2022年04月12日の日記

2022-04-12

anond:20220412085718

ノンバイナリといえば、グノーシアの英訳海外で揉めてたな

グノーシア世界では肉体改造技術が普及しているので、中性化手術により性別を取り除いた人々をさす「汎」という独自用語存在する設定だが

それを「non-binary」という現代人もカジュアルに名乗る言葉に訳したせいで、SF設定が失われて単なるポリコレマンみたいになってると言われてた

anond:20220412150835

女がいっこうに下方婚してないのはただの事実であって、因果関係説明したわけではないよね。

暑かった日差しも傾き始めて少し風が吹いてくるこの時間帯がとても好き

網戸からいい風が入ってくるのよ

仕事したくなくなっちゃうね

あと2時間やりますか……

anond:20220412161100

何もしないで200万もらえたら、そっちでもいいや。

anond:20220412161026

でも男女の賃金差が縮んでも女はいっこうに下方婚してないよね

ボーッと道端の椅子に座って早い車がくるかどうか調べるだけで年収900万円稼ぎたい

anond:20210907154821

スポーツは男女混合にしたら職場結婚が増えるんじゃないかな。

プロ野球とかサッカーとか、男女半々にするルールで。

anond:20220411220648

日本人劣化したよなあ。弱い女みたいなやつが増えた

昭和ってほとんどの人が建設製造で働いてたと思うけど

東京サラリーマン一般人代表と言われてもね

anond:20220412011144

中東アフリカ中南米メディアって日本存在感がめちゃくちゃに小さいんだな

擁護意見がほぼ出てこない

anond:20220412160352

今回の件はいい薬になったでしょう。

anond:20210907154821

種牡馬入り後

時は2002年、あのサンデーサイレンス逝去の頃。サンデーサイレンス血統があふれかえっている日本では、それを持たない血統種牡馬の導入が急務となっていた。

また、非サンデーサイレンス系として注目されていたエルコンドルパサーエンドスウィープが相次いで亡くなり、その代わりも探さなければならなくなっていた。

一方そのころ、ウォーエンブレム馬主だったサルマン殿下が死亡し、管財人によってセリにかけられていた。

そんな訳で直系こそミスタープロスペクター系であったが後は異系の塊の(サンデーサイレンスもそうだったけど)であったウォーエンブレム社台ファームに見込まれ、21億円もの大金で輸入された(サンデーサイレンスは16億5000万円)。

で、さあ種付けとなった訳だが、これがやってくれない。(サラブレッド人工授精など人為的方法による受精は認められておらず、自然交配でなければサラブレッドとして認められない。)

1年目から種付けを拒み続け、交配したのはたったの7頭。商業ベースでの種付けは無理だと判断され、シンジケートも初年度で解散してしまった。

しかも、興味を持った相手が「栗毛で小柄な牝馬」ばかりだったもんだから、すっかりロリコンキャラが定着してしまう事に。

さらに、種付け出来たらその産駒はよく走るため、おいそれと手放すわけにもいかず、完全に生殖不能という訳でもないので保険金も満額おりないという、かなりビミョーな立場になってしまった。(ウォーエンブレムには大手保険会社4社の保険が掛けられていた。シンジケート解散という結果になり保険会社3社が合意して約16億円の保険金が支払われたが、残りの1社は種付けそのもの成功しているとして保険金の支払いを拒否している。)

2年目となる2004年には、シンジケート解散後も引き続き社台スタリオンステーション種牡馬続行に向けた取り組みが行われた。転地療養として釧路に移し、彼好みの牝馬欲情させて別馬にすり替えるという「逆当て馬」とでも言うべき方法で50頭近く確保したが、その事がばれてすぐさま種付け拒否モード突入。3年目は種付け頭数9頭になってしまう。

6年目となる2008年ペンシルベニア大学のマクダネル博士による治療を受け、1日1頭ペースで種付けができるまで回復

その年は39頭、翌年に43頭を確保したがそこまでで、また翌年は5頭になってしまった。

それ以降、陣営はこれ以上は難しいとしてウォーエンブレム種牡馬引退故郷アメリカでの功労馬入りを決定した。 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0

anond:20220411200001

えっと…、全部漫画です

びっくりしたかもしれないけど、実はフィクション、つまり作り話で実話ではないです

なんか、実話を元に映画を撮ってると錯覚させたみたいでごめん、まさか実話だと思う人がいるとは思わなかった

リアルに限りなく近い世界をあえて白黒の漫画で描く意味はあるのか

漫画でなく実写でも評価されていたか

anond:20220412133923

anond:20220412132649

米と書いてメイという読み方も有ったんじゃなかったか

メートルっちゅう読み方も有ったような。

それで ・メリは米になったんじゃ...

anond:20220412155439

IT技術の後発規格はすべて劣化

アプリストアはけっきょくウイルスや悪意あるアプリを防げていないし

漫画ときでうるせえ奴らだな

奇乳の次は読み切りでギャーギャー騒ぎやがって

1ヶ月オナ禁してろクソども

anond:20220412080026

実は彼はコンカフェ界ではちょっとした有名人で毎週いろんなところ行っては数十万使ってるんですよね

anond:20220412154456

Twitter民は前ならえで同調しないと死んじゃうと思ってるその人格の方がヤバいと思う

anond:20220412153407

個人的ルックバックより凄いと思ったけど、多分こんなに普遍的な喜ばれ方する作品じゃないとは思った。

だし、集英社あげてどかーんと広告打つよりも、個人HPに上げてジワジワ口コミ広がっていく様な作品とも思った。

ストーリー単体で見た時には、例えば吸血鬼設定するなら「長生き」だけじゃなく色々な所で肉付けしていった方がよかったと思うし、卒業以降の苦悩の描写もあるべきだった。と思う。(読み切りでページ数が、オマージュ作品が、というのは分かるけど)

さよなら絵梨のすごいところは、

映画手法POV漫画描写

・かつ、映画下位互換じゃなくて漫画しか表現し得ないところに昇華している

漫画からこそ、1人称→3人称の切り替えに違和感が出ない(ことに気付いて取り入れてる)

コマがあるからこその多重構造とその気付きにくさ

一定コマ割りをベース物語の大小を表現する為に大きさを変えている

みたいな、いわゆる超絶技巧披露が主だと思う。失礼だけど読者全員がこの凄さに気付ける訳ないし、殆どの人は「タツ作品」で、もしくは作中のオマージュが、みたいな点で絶賛してるわな。

「あえての爆発オチすっげえっす!w」も的外れだと思ってる。漫画太郎トラックオチと同系列感想言ってる人いるけど、この漫画の爆発は複数感情の消化先としての爆発であって、「オチにちょけて見ましたw」じゃないと感じた。

先進国貧乏人をやるよりウクライナ死ぬほうがうらやましい理由

悲劇主人公でいられるから

から先進国都市部インテリ層がいくら支持を得ようとも地方貧乏から賛同を得られないし、

選挙で票を集められない。

さよなら絵梨』についてのメモ

●『さよなら絵梨』の表現手法について

①横長固定四コマ

・「横長固定四コマ日常を描く」手法自体はよくあるが、それ1本で最後まで走りきる漫画は珍しい。

・「横長固定四コマ日常を描く」手法で一番多くの人が目にしたことがあるのは、たぶん『幽遊白書』の海藤の日常

・近年は定点カメラ時間を表す表現として、主に成人漫画一般化している

難病モノ、かつ固定四コマ最期まで走りきる読み切りとして『肩幅の未来(やまむらはじめ)』がある。泉信行氏がやまむらはじめファンサイト運営していたこともあって、一般的な知名度と比べてマニア人気のある短編

しかし、『肩幅の未来』再読すると『さよなら絵梨』とはかなり雰囲気が異なることに気付く。

・『肩幅の未来』における固定四コマは、あくま淡々と続く日常(そしてそれがある日突然終わることを予感させる)を表す。終わらない日常を描く日常四コマと同一の効果を狙ったもの

・これに対して『さよなら絵梨』はより固定カメラ及び手持ちカメラ画角表現するための意識が強い

・『肩幅の未来』より、アメコミ表現藤子・F・不二雄の諸作によくみられる時間経過を表す連続コマ表現に近い

手ブレ表現

・手持ちカメラのブレを表現した人物の線

・どこかに元ネタがあるのかもしれないけど、あまり見ない表現

●『さよなら絵梨』は何にオマージュをささげられているかのか

・爆発オチファイトクラブ

・ページ数、主人公名前吸血鬼という設定→ぼくのエリ?

メタフィクション

表現論?

・『ルックバック』の反響への回答?

●『さよなら絵梨』は何をしようとしたのか

・たぶん漫画フェイク・ドキュメンタリーをやりたかったのだと思う

念頭にあったのは、白石晃士フェイク・ドキュメンタリー作品

・『チェンソーマン単行本作者コメントにも、『コワすぎシリーズ』や『貞子vs伽椰子』についての言及がある

・以下、「映画の生体解剖 VS戦慄怪奇ファイルコワすぎ!(高橋洋稲生平太郎白石晃士)」より引用

フィクションドキュメンタリーの違いは(中略)フィクションキャメラ存在を消していくもので、ドキュメンタリーキャメラがそこにあるということを顕在化させていくもの

”そんな馬鹿なことがあっていいのかというぐらいのことが起きてても、「だってキャメラの前で起きてるんだから、『イッツ・オールトゥルー』じゃないの?という”

自分フェイドキュメンタリーを撮っててすごく魅力を感じてるのは(中略)フェイク・ドキュメンタリーという手法を使えばそういうことをすっ飛ばして、映画表現ものすごく原始的ものに戻せると思ってるんです”

●『さよなら絵梨』の感想

めっちゃおもしろかった

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