2021年06月27日の日記

2021-06-27

ポカーン対応する飲食店にムッとしがちだったのはソーシャルランク順位制の話だったんだなぁ anond:20210627203719

・・・と思ったが流石にそこには自覚あった

 

割と仕事が好きなのは組織の順列に合わせた"儀礼"が守られるから

でも自分自身はあまり守る気ないというのはおハーブ生えるな

 

飲食店店員よ、正しくお仕事してれば相手のバックグランドなんかそもそも関係ねぇだろではあるのだけれど

まぁポカーンという対応をされないようには・・・したい?いや相手依存で無理かな

 

飲食店以外でのどうでもいい日常のやりとりでも「は?」(威圧)みたいなところは結構出しがちだと思う

とてもよくないね👎

 

自分よりもソーシャルランクが上の相手でも『機会があれば叩きつけてやるわ!!!』と思うし実際に叩きつけたことも何度かあるけど

ソーシャルランク上の相手に対する😡とソーシャルランク下の相手に対する😡だと

明らかに上の相手に対する😡の方が冷めるの早いのよね

これは情けないので強く自覚を持った方がいいと思う

勝てそうな相手に強くしつこく😡しがちだと

 

なによりも自分自身儀礼を守ったり相手マウントごっこに乗ってあげるつもりがないのに

相手には強要するのは恥ずかし過ぎるので恥ずかしいことしていないかたまに意識した方がいいと思った

 

再放送です

 

からワイは店員が見てようが見ていまいがゴールドカードが好きです💳(anond:20181130010223anond:20200118183412)

anond:20210627203739

ドーピングしたらスコアが上がるからドーピングが正しいような理屈だな

並走すると危険から距離を開けるルールに変更したほうがいい

anond:20210627203348

女は馬鹿なので男の出世なんて見通せないよ

服装髪型交渉力だけだよ

そこそこ高級取りになってきてそろそろモテるかなってなってきたけど

結局金を持ってるのがモテポイントだと

裏を返せば女に金を使わないといけないわけで

それだったら風俗でもいい気がしてきた。

職場はめんどくさいし。

anond:20210627202525

科学は「正しさ」に限界があるのではなく、より「正しく」なり続けるというのが正確だ

先輩と私

 私はその人を常に先輩と呼んでいた。だからここでもただ先輩と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然からである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先輩」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

 私が先生と知り合いになったのは富田林である。その時私はまだ若々しい中学生であった。暑中休暇を利用して合同練習会に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が富田林に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に地元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気からと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから地元にいる親たちに勧まない進学を強いられていた。彼の家系は皆池田高校卒業していた。彼は現代の習慣からいうと野球留学するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて富田林の近くで野球をしていたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。

 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数があるので富田林におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達徳島野球好きの息子で金に不自由のない男であったけれども、学校学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである

 宿は富田林でも辺鄙な方角にあった。コンビニだのテーマパークだのというハイカラものには高い山を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても5000円は取られた。けれども大○和記念塔は立派な姿で輝いていた。それに高校グラウンドへはごく近いので野球をやるには至極便利な地位を占めていた。

 私は毎日山へ野球をしに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けてグラウンド下りると、この辺にこれほどの野球人が住んでいるかと思うほど、シートノックに来た男や子供で砂の上が動いていた。ある時はグラウンドの上が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中につつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、腰を下げて特守をしたりしているのは愉快であった。(続く)

https://anond.hatelabo.jp/20210627173301

これ書いたのfut573の人だろうけれど容赦なさ過ぎる。

怖くて泣きそう

anond:20210627202920

若い人ってアプリ通してしかWeb見ないし大体Youtubeとかtiktokみたいな動画メディアに行っちゃうから文字メディア攻撃し合ってる人たちって実際にそこそこ歳行ってるんだわ。

そういうとこで生まれネット上で主流な意見って若者にはまるで共感が得られないものになりがち。

すでにネット=老人のやることになりつつあるんだわ。

anond:20210627203529

こういうのにマジレスするかしないか

その人とつきあっていいかどうかの判断とかが出来るような気がする。

あらゆる差別は許さないけど、自分より稼ぐ能力が無い人間自分より積み重ねの知識(あるいは技能)が無い人間は対等とはみなさな

と言うのが軋轢を生む原因になっているとさまざま場面で散々指摘されてきた割にはその自覚がない人は多いよね

つか、ワイ自身もその自覚が無かったわ

 

結局のところ、自分よりソーシャルランクが低いヤツは黙って俺の言うことを聞いてろっていう

毒親ムーブなんだよね。あらゆる差別は許さないと言った口で相手を対等な人間と見做してなんかいない

いい方向に働いていれば『よき保護者』『やさしい親』

悪い方向に働いたり・意見の食い違いがあれば『DV親』『抑圧親』に様変わり

 

ラーメンハゲの『上から優しくする人間は、容易に上から殴りつける人間に変わる』はけだし名言ですな

 

 

再放送です

anond:20210627195454

そうなってもよほど議席増えないことにはせいぜい維新あたりと数合わせして終わりだろ

anond:20210626233830

共産党が奪えるのは他の野党の票なんだから意味なんてないよ

anond:20210627195454

自分たち安倍フォビアでしかないことを棚に上げて

共産党軽蔑している人たちに対して

「お前ら共産党が怖いんだろ」

勘違いしているのが笑えるね

anond:20210627202526

無頓着でずっと同じ格好してるということ自体ダサい。それでダサくならないのはスティーブジョブズくらい自分世界確立できてないと無理。まだせめて死ぬスタイル良くて鍛えてるなら大丈夫可能性あるけど。

最近140文字未満の増田しか書いてない

脳が退化した

anond:20210627152654

固まったほうが空気抵抗が減ってラクから

戦略上とても重要な要素だから、「車間を開けなければいけない」というルールができてしまうとロードレースのものが成り立たなくなる

心にひっかかっていること

事件から2年たった今、ようやく自分の中によどんでいる想いを言語化する決心が出来た。

2019年7月、京都アニメーション放火事件が起こった。当時、私は某動画サイト広告でその一報を目にした。

そのとき目にしたニューうサイト写真建物が煙に包まれているところで、仔細についてはまだ明かされていなかった。

きっと小火だろうなと思った。絵に携わる会社で紙の焼失は痛手だろうが、今はデータ化もされているだろうしと、ただ名前を知っている会社の不幸を気の毒に見守っていた。

時間が経ち、事態が深刻である事を知った。

小火程度かと思った火事の程度は建物を崩すほどの甚大な被害で、搬送されたスタッフの数は会社に在籍している社員のほぼ半数近くだった。

情報アニメ関連サイトから規模の大きなニュースサイトにまで拡がっていた。無事であってくれと祈らずにはいられなかった。

日を追うごとにして、被害に遭ったスタッフ情報も明かされていった。中には、大好きな作品に深く関わったスタッフ名前があった。

深く気持ちが沈んだ。その作品に触れたのは5年以上前のことでも、それでも好きだったその作品を世に送り出してくれたスタッフの命が志半ばにして絶たれてしまった事がとても悔しく、悲しかった。

知ることは痛みを伴ったが、情報が出てくれば気にかかった。事件現場で逃げおおせたスタッフが語る当時の状況、怪我を負ってなお現場復帰を願うスタッフの胸の内、そして亡くなったスタッフ生前に取り組んできた作品への想い。

読むほど、実際にはあったこともない彼ら彼女らへの言いようのない感情が起こった。そしてしばらく引きずって、そのニュースを見かけるたびに情緒が荒れた。

おそらくは私を含め多くのファンは、もう京都アニメーション作品を観ることは叶わないだろうと確信していたと思う。

建物被害はもちろん、失った人材はあまりに多い。当時のニュースを思い起こすと、あの事件当日は取材のために主戦力級のスタッフが集まっていて、亡くなったと報じられたスタッフの中にはその主戦力級のスタッフ名前が多く載っていた。

京都アニメーションの緻密な作画を支えるのは人材だ。暗黙のうちに、もうあの大好きだった作品たちには触れることができない覚悟をみんな決めていた空気があった。

歩みを止めない、という言葉があった時、彼らの作品を望む自分ができることは何かを考えた。

お金だなと思った。人材として貢献できる実績や才能がなかった私にはそれが一番合理的にできる支援だろうと思い至ったので迷わなかった。

彼らが作ってくれた作品蒐集した。イベントにも行った。再演の映画にも通い詰めた。同じような想いを抱いているだろう人たちの生の反応や声に共感すると、一人で憂いているよりかは幾分か心が慰められた。

事件から2年が経ち、精神面では当時に比べれば大分落ち着いた。

それでもふとした時、部屋の中で彼らの作品を目にすると、どうしても思うことがある。

努力して、夢を叶えて、そして多くの人に希望展望癒し、楽しみを与えてくれた彼らが、その未来不条理理由で絶たれてしまった事。

何にも為せずに生きて来た自分が、無為人生時間を空費している事。

児戯に等しいとはいえ、私も絵を描く。多少なりとも絵を描く人間ならば、彼らのもつ技量いかに素晴らしく、そして得難く、価値の高いものかがわかるはずだ。

才能が人の命を測るものではないと十二分には承知しているが、それでもただ生きている自分申し訳なくなる瞬間があの日から続いている。

憐れむことも、引きずることも、彼らに失礼にあたるかもしれない。ましてかかわったこともない他人が、さぞ悔しかろう悲しかろうと訳知り顔で悼むのは所詮自己満足で、傍から見たらその過剰な反応に気味が悪くも映るだろう。

それでもどうしてもその思いが捨てられない。作画の参考にメイキング動画を見るとき、知らない技術解説に触れるたび、これらを会得し作品を織り上げあそこまで美しい世界を作ってくれた彼らが永遠に喪われてしまった事に馳せてしまう瞬間がある。

今まで、人生を費やして打ち込んだものがない私は、それを見つけ目指し努力して獲得した人間が、悪意の第三者に不意に理不尽それから未来を奪われた現実が、ショックだった。

自業自得ではない不幸がある、と知ってから何事にも不安が伴うようになり、そして価値の低い自分は、その時にはその理不尽を受け止めようという変な覚悟が決まっていった。

心を整理するために書いたはずが、未だ、向き合えていないのだと思い知る結果になった。

目指すもの人生を費やし、心を注げるものへの出会いはいまだ果たせていないが、彼らの遺してくれた作品未来に繋げるよう、まずは収入を得て買い支えることを心の支えにもして生きていこうと思う。

anond:20210627060130

それは本当に老化なんだろうか?

それでほんとに理解したつもりかい

そうならば若い人とは和解できないかも。

anond:20210627202421

そういう見方もできるかもね。で?

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