C94の三日目に参加してきた
モヤモヤしていたので、書く
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目当ての本は一通り買った
売り切れがあったのでお金がそこそこ余っていた
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ある机の奥でオッサンが立っていた
机には本を並べるでもなくチラシが乗っていた
スーツだったかYシャツだったかは覚えていないが、キチッとした格好をしていた
メガネをかけて、背筋をピンとして、チラシを持っていた
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前を通りがかったとき、机越しにチラシを二枚渡された
お願いしますと言われた
よかったらどうぞ、じゃなかった
まあそこはいいとして
まあそこはいいとして
そのチラシは文字ばかりだった
まあそこも、そこもいいとして
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そのチラシには写真が並んでいた
眼の前に立つ本人
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政策についてが書かれていた
事務所の住所等が書かれていた
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それなら納得はできないが理解はできる
サクチケを得る口実にブースを出して、でも出すものがないからビラを巻いてると
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オタ議員らしい
なるほどそうか、じゃあそういうことなんだな
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きっと何をしてもいい
何を配ってもいいんだとは思う
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でもだよ
駅前の街宣で配ってそうなビラ
それをただ机に置いて通った人に配る
刺さる人が通りかかる確率は果てしなく低い
1/47ですらない
それをただ配る
配るだけ
それだけ
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同人誌を求めるのは酷かもしれない
市政報告や方針をまとめてもっと厚いパンフにして、コミケ的小ネタでも混ぜればまだ承服できたかもしれない
そこにいたいのならそれなりの格好をすべきだと思う
寄せる努力とか
求めるのも変かもしれないけど
コミケが分かってれば、そういうことをしようと、勝手に発想するものだと思う
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あるいは何も考えてないのかもしれない
サクチケ目当てじゃなくて、ただ人が集まって一万円でブースが建てられるイベントと知って来ただけかもしれない
わからない
僕はこの人がわからないし、なんでこうしようと思ったのかわからない
その人の勝手かもしれないけど
なんだか自分の信奉しているものが、すごく陳腐な暗黙の了解の上に危うく成り立ってるんじゃないかって
そう思った
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僕はあれを変だと思った
いいことかどうかは分からない
政治なんてのは高尚なものなんだから、それこそ憲法21条が最初に想定している使われ方で自由を行使してるんだから
なんの問題もないのかもしれない
しれないけど
いまのはてなは昔みたいなこじんまりとしたIT系、屋内系職種の人たちがPCで書き込みしに来るところじゃなくて、さびれた2chの代替にスマホで脊髄反射で怒鳴り散らす場所でもあるから、ストレスを貯めたイナゴの大群みたいな書き込みが少数意見をマスクしてしまうんだよね。
子供のときから大人になった今でもずっと田舎に住んでいるので混んだ映画館というものを全く経験したことがない。
そのため、映画館はスペースがゆったりとあって、ゆっくりと寛げる場所だと思っていたけど、Twitterとかで映画の情報なんか見てると、混んでて見ることが出来ませんでした〜、とか言ってる人を見てて、「ああ、そっか。これが田舎と都会との差なんだな。」としみじみ感じてしまった。
これ。流し読みしただけで有料になってしまったので確認できないが。
ブログ主の校正者(本業ではないのかな。わからん)が、編集者や書き手っぽい視点のブコメから
校正者(あるいは校正という職能)を見下す態度を感じ取って、むかっ腹を立てたというのが
メディアミックスされるのをずっと楽しみにしていた。
そしてようやく、動いて喋るキャラクターを見ることが出来た。
徐々に人気も出て来て、ツイッターなどで話題になっているのを見る機会も増え、ファンも増えているのを実感する。
とても喜ばしかった。
こんなに面白い作品なのだから、もっと多くの人に知ってもらいたい、そう思っていた。
今でもその気持ちは変わっていないし、私がファンを辞めたという話でもない。
ただ、自分は作品から求められてはいないのかもしれないと思ってしまった。
そもそもただのファンである自分が、作品に求められようだなんておこがましい話なのだが。
なぜこんな自意識過剰なことを考えてしまったかというと、公式からのレスポンスだ。
制作関係者や、キャラクターを演じる声優が、ファンからの応援を喜んでいる様子が見える。
「イラストを描いてもらえて嬉しい」
この言葉が私を悩ませる。
私は絵が描けない。
ファンレターを送ることはある。
レスポンスが欲しくて応援している訳でも、ファンレターを送っている訳でもなかった。
だけど、同じファンである一般人が、表現の手段を持っているためにレスポンスをもらえることに、無関心でいられる訳でもない。
正直に言って、非常に羨ましい。
時には妬ましくもある。
私もアマチュアレベルとはいえ、絵以外の手段で表現し、それを公表した経験がある。
だから簡単な言葉ではなく、丁寧に練られた文章やイラストなど、時間と手間を掛けて感想を表現してもらえた時は、一際嬉しいということも分かる。
だけど、やっぱり悔しいのだ。
まだ人気になる前から、関連グッズを購入し、イベントにも足を運び、出演者に直接応援の言葉を伝えてきた。
何度も何度も。
今も足繁くイベントに通っている。
しかし、最近その作品を知った人が、絵を描いて応援するという手段を持っていることで、公式からレスポンスをもらえるという事実。
なんだか虚しくなってしまう。
どんなに長く応援していても、一芸を持っていないと、公式の目に止まらないその他大勢の一部に過ぎないのだと。
このSNS時代、人目につきやすいイラストという表現を持っている人は、きっと一般人であっても広告塔になり得る。
確かに公式からすれば、タダで(時にはお金を落としながら)作品を宣伝してくれるファンは、応援していると口で言うだけのファンよりも圧倒的にありがたい存在だろう。
それなら努力して絵を描けばいいじゃないか、と言う指摘は無しにして欲しい。
そんなことは分かっている。
私もそんな下心抜きに、表現する手段を得たいと思う機会はたくさんあった。
絵を描くことは、何度も挑戦はしたものの、長続きしなかった。
だが人に見せるような、ましてや関係者に応援の形として見せようと思えるようなレベルのものは描けない。
その程度の自分の実力に対する落胆と疲弊が、努力しようという気持ちを上回ってしまうのだ。
もちろん、今絵を描いている人達がみんな、自分の実力に満足して自信を持って公開しているというわけではないことは分かってるつもりだ。
思うように結果が出ない苦しさを乗り越えて、また今現在も戦いながら、表現の手段を身につけていることも分かっているつもりだ。
描けないなら描けるようになるまで描けばいいというのも、分かってはいるつもりだ。
ただ、そこに気力や時間を割く精神や環境を、私は持っていない(これも言い訳に過ぎないのは分かっている。だがそういう人間もいる。きっとそういう人間の方が多い)。
この件でその作品の応援を辞めるつもりは無いし、このモヤモヤした思いを糧に、また筆を取ろうと行動するかもしれない。
ただ、ファンとして生きていくにも技術があると有利なのだということを思い知らされてしまっただけ。
今から努力したって、人並みのレベルになる頃には自分が別の作品にハマっているかもしれないし、その作品の展開が縮小しているかもしれない。
公式に喜ばれる存在になりたい、認知されたい、というのが恥ずかしながら正直な気持ちだが、何より、同じファンに過ぎない誰かは喜ばれてレスポンスがもらえ、自分はこの世界で背景に過ぎないという現実への嫉妬が、私にこのようなおこがましい欲を持たせたのだ。
不公平だから公式は特定のファンにだけレスポンスをするな、と言うつもりもない。
久しぶりに絵を描いてみようかな。