教員という仕事は大変やりがいのある仕事だけれども、唯一、運動部活動だけが本当に嫌いです。どのくらい嫌いかというと、運動部活動を指導し続けないといけないというのなら、残りの人生面白くもないし、自殺でもしようかというぐらいには嫌いです。
なんでそんなに嫌なのか。
まず、試合を見るのが、退屈で耐えれません。アリとかの昆虫観察をしていたほうがよっぽどマシだというぐらい、心に響きません。真っ白いコピー用紙を見ているほどにつまらないです。
第二に、試合の場にいくと、選手と監督の間に交錯する感情の渦が大嫌いです。試合に勝ったところで多くの選手は職業になどできないのだから、大抵の生徒にとっては、所詮お遊びにすぎません。そんなものに感情を剥きだして怒鳴りあうことの何が倫理的であるのか理解に苦しみます。
第三に、こうした劣悪な試合の場へのボランティアを実質的に強制している制度を生み出している高体連が許せません。試合のあった日は、感情の渦に巻き込まれ放心状態になり、夜はベッドで高体連への怒りがふつふつと沸き起こり寝られません。
ようするに、ここまで運動部活動に学校教育がのめりこむようになったのは、荒れていた時代、腕っぷしの強い先生を(警備職として)正当な理由で教員として雇い入れるための苦肉の策にすぎないのであって、もはや生徒は荒れてなど
いないのですから、存在している必要などなく、(決してその運動を支持するわけではないけど)日教組のいうように社会活動に移行すべきだと思います。
本当に、高体連 http://www.zen-koutairen.com/ は人権侵害はなはだしい団体だし、許せません。
解散してほしいです。
楽をしたくて要領のいい人は下っ端になり、忙しくても構わなかったり要領の悪い人がリーダーになるシステム
ついでに決定権を校長が握ってる所も多いので変えたくても変えられない事も多い
「責任とらないよ」
彼が逝く寸前に言った。
どこで出すかの問いに、「中で」と即答した。しかし、彼は息を切らしながらそう言った。
高まった気持ちはどん底に突き落とされたが、彼は絶頂を向かえて逝った。
彼は40歳。私も四捨五入すればアラフォー。付き合って半年になる。
前回のセックスでは彼の希望で中に出した。安全日だったから生理がきた。
妊娠に関する諸々のリスクを考えれば、所謂「リミット」が迫っている。
正直、焦っている。
彼のことは好きだ。
忙しく働く彼に少しでも癒しの時間を、という思いで、食事やホテル代も私持ちだ。
これまでの彼とは180度違っても、それでも好きだ。
独り占めしたい。
結婚がしたい。
密かにデキ婚を狙っていた考えの甘さを否定されたような気がした。
ピロートークもなく、シャワーを浴びるように言われ、言われるがまま浴びた。
部屋に戻ると、仕事に行かなきゃ、と彼。シャワーを浴びに行った。
なぜ好きなんだろう。
いつまで「お嫁さん」を夢みるのだろう。
なぜ頭ではわかっていてもそういう人を選んでしまうのだろう。
孤立している男性と仲良くするようにすればよいと思うよ。というか、
ちょっとあか抜けていなかったり、オタクっぽかったり、幼かったりする女性と仲良くなるうちに、向こうに気を持たれてしまって、なんとかその気持ちをやりすごすみたいなことをが何回かあった
すでにあったらすまん。
トマト味。
クリームチーズ味。
マッシュポテト味。
カレー味。
ドンタコス味。
とんこつラーメン味。
味玉味。
カルボナーラ味。
チャーハン味。
レッドブル味。
親子丼味。
だし巻き卵(甘い)味。
じゃがバター味。
ベーコンエッグ味。
炙りサーモン味。
濃厚豆腐味。
梅干し味。
コアラのマーチ味。
今の獣医師の年間輩出人数は1000人程度、一方で加計の獣医学部の募集枠は160人。全員が獣医師になれるわけではないにしても結構おおきな割合になる。
ここでさらにもう一校、京産大が獣医学部を作ると、獣医師の増え方がこれまでに比べて急激に大きくなってしまい、ペット病院や地方自治体が物理的
もしくは予算的にその急増に対応できず余ってしまうことは避けられない。だから、作るにしても国全体で一校が限界。
つまり、京産大が京都に大学作ることは、加計学園に利害が大きく関係してくる。どちらか一校しか現実問題として認可が下りない可能性が高いからだ。
ただしこのことは、どうせ一校しか作れないなら、それは空白地域に作るべきということで、特区が今治になったことをサポートすることでもある。
地元の学生が地元で獣医師をやってくれるというだけでなく、教授陣という専門家が近くにいる方が自治体にとって助かる場面もあるので、
気になる子がいる
どんな子かというと
いつも一人でいて馴れ合おうとしない
トイレにも一人で行く
(クラスには学年一位の子が別にいて、その子は割りと明るくてフレンドリーな感じ
朝も早くきて勉強してる
こないだ学校帰りの駅までの道すがら見かけてがんばって話しかけてみた
おもったよりも楽しくおしゃべりできたと思うけどやっぱりどうしてもこえられない壁を感じる
でももっと仲良くしたい
仲良くなりたい
なんで、ってきかれると困る
強さへの憧れもあるのかも
近づきたい
少しだけでいいから
それ見ると思うんだよね。
俺もいつかこうなるなのかなと。
昔は本を沢山読んでる人間が、他の人より書類を少し早く読めたりして、結果的にあんま苦労せず仕事ができる人になれたんだと思う。
でも今の時代は毎日パソコン触ってきたような人間が、他の人より少しだけ仕事のできる人になりやすい。
それでさ、それだけしか取り柄無かったら、それが拠り所のまま年だけ取って時代に置いてかれて、それなのに遠い昔に褒められた事を誇っちゃうのかなと。
エロ動画やゲームやプログラミングのためにパソコン触りまくってきた自分と、本読め本読めうるさいあのおじさんは、もしかしたら同じ人種なのかも知れない。
少し早く生まれた自分が、少し遅く生まれた自分に意味不明な事を喋っている様なものだ。
なんだか少し寂しい。
自分より更に少し遅く生まれた自分に、未来の世界ではとっくに時代遅れになったパソコンを使え使えと言い続るような人間にはなりたくない、でもきっとなってしまう。
そう考えてしまうことが少し寂しい。