更に横だけど、間違いなく彼独自のパーソナリティ。
と言っても、彼が生まれつきそういう性格の人間だったわけではなくて、
人間が物凄く自己中心的で思い込み強くて頭が固くて不平の多いグズに育つ環境というものがあって、そこで育つとだいたい彼みたいになるよってこと。
そういう環境要因の一つとして発達障害とかもっと単純に頭が悪いこと(を欠点として責め立てられること)は挙げられるので、診断が下りた人がこういう人間である確率はちょっと高いかもねみたいな。
露骨にイライラして見せてしっかりはねつけるか、ひたすら無表情無関心に接して短時間で相手が話を切り上げざるを得ないようにもってくか、細かいテクは研究して下さい。
自身の容姿に対して「ニキビ跡」「肌荒れがひどい」「ブサイク」という自覚がありながら大勢の注目を浴びたいだなんて
きっとこいつはマゾ
働かなくてもお父様が家を建ててくれたりする身分の子かもよ。
この人はオッサン口調になる時があって凄く恐ろしい
”人付き合いに本気になれない人間がどうやって孤独を感じずに過ごせるか、という言い方のほうが正確なのかも…”
違う、違うよ!人付き合いに本気にな「ら」ない人間は、孤独を感じて過ごすしかない…っていう現実が、ただあるだけじゃないか。
なに、宗教のせいにして正答化してんのよ………。
孤独が嫌なら、人付き合いに本気に「なれ」ばいいし、
孤独におけるメリットとか、楽さ加減の方が勝るなら、そういう人と適度に距離を取ったままの生き方でいいじゃんか。
うちの子も、自閉症スペクトラムで、中学受験をして、私立に通っている。
それほど状況は違わない気がするので、そばで見ていて、思ってることを書くね。
治らないと書いている人がいるが、発達状況は間違いなく改善するし、
昨日よりは今日、今日よりは明日というように、成長しているよ。
高校生でわかったということは、そこまでは自力でがんばって、同世代に追いついてきたわけだし、
基本的な生活習慣もできていて、学習能力も中学受験できるぐらいあるのだから、そんなに心配することない。
ハイティーン向けの本もたくさん出ているから、読んでみたらいいよ。
うちの子はIQはそこそこだけど、IQではどうにもならない困難があって、それで苦労している。
人の表情が読めないし、空気でわかるはずだってことがわからない。
説明が下手だから、自分の思っていることを伝えられないことも多いし。
バカ正直に、なんでも聞かれたら答えるから、どんな職業に就くのか、心配だけどね。
ワーキングメモリは低いのに、処理能力のレベルは高かったから、
小さい頃は、頭の回転がものすごく速くて、受け答えも大人のようだった。
でも、小さいうちは、限定されたことしかやっていないから、目立たないだけだったんだな。
集中させれば、普通の子よりもできるから、中学受験向きだし、合格したんだけどね。
普段の生活はワーキングメモリが少ないなりの工夫をすれば、どうにかなるんじゃないかと思う。
親としては、いくつものことを同時にやらせないようにして、生活させているから、
本人は苦痛には思わないようだ。
学校でも、“失敗させるような状況を作らない”、“パニックになる状況を作らない”という点を
配慮してもらっているせいか、イヤな思いもしないで済んでいるようだ。
ノートが取りずらいならば、レコーダーの持ち込みを学校に許可してもらうといいよ。
家に帰ってから、もう一度聞き直して、ノートをとりなおせばいいよ。
プリントやメモを貼って、きれいでなくても、自分なりの使いやすいノートにすればいい。
私立は、頼めば、そういう配慮をやってくれるからさ。
それでも、むしゃくしゃしたり、できないことの壁にぶつかって、うちの子も苦しんでいる。
そういうときは、とにかく好きなことを考えて、するんだな。
主治医の先生からのアドバイスで、「これをすれば、気持ちが上向く」ってことを
リスト化していて、辛い時はそれに浸るようにしている。
ちょっと逃避できるなにかがあるといいよ。
もし、可能ならば、身体を動かすことがおすすめ。
うちの子も、身体能力が全体的に低めだから、よく転んだり、ぶつけたりしていたから。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害、腎臓疾患持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。
将来の夢は承認要求を満たす事だ。
例えばマスコミ露出の多い大企業の社長になるとか、アーティストになって大規模なライブをやったり、映画監督になってエンドロールにデカデカと自分の名前をだしたり
別に起業したかったり、歌を歌うのが、映画の脚本を書く事が好きだったりやりたかったりするのではない。
承認要求を満たしたいだけなんだ。
そんな事を考えていたらこんな精神科医のブログの記事を見つけた
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20121018/p1
しかし、そういった日常的なやりとりからは心理的充足感をロクに汲み取れない、どぎつい非日常しかあてにできない人は、日常生活のコミュニケーションだけでは心理的に飢えてしまうだろう。なにせ、挨拶もアイコンタクトも彼らの心を潤してはくれないのだ。そんな彼/彼女らにとって、日常とは、灰色の世界でしかない。
彼/彼女らが心理的に充たされたと感じるためには、もっと強烈な充足感を狙わなければならない。勢い、「スポットライトを浴びたい」「V.I.P.な扱いを受けたい」「特別な人に目をかけてもらいたい」といった、要求水準の高い目標設定になってしまいがちだ。「何者かにならなければ気が済まない」というやつである。しかし、そんなハイレベルで非日常な目標設定がそうそう上手くいくわけがないので、才能と運に恵まれた一握りの例外を除いて、この試みは失敗に終わる。
お医者さんが言うには僕は才能と運が無いと灰色の人生を送る事になるらしい。
おそらく灰色だろうなあ。
なんかこーゆー学生ノリ懐かしいわ。大丈夫、卒業したら家賃や仕事のことで頭いっぱいになるから
ただ、そこで「なんでこんなに生活が苦しいの?なんでこんなに日本はお金が神様なの?」って疑問を持って信仰
を持つことはあるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20090427211534
かなり独創的な考え方の持ち主です。世の中の常識にとらわれずに、自分の考え方を持つ人は嫌いではありませんが、僕とは違うタイプですね。
僕は多くは考えず、前向きにとにかく夢に向かっていくタイプ・・・フワフワと夢だけ見て生きるお馬鹿さんタイプです。
この文章を書いた人は、ストイックに自分に厳しく、現実を生きようとする知能型タイプなのでしょうか。
僕の考え方だと、1つの夢があって、それに向かってがむしゃらに進めば自然と壁にぶつかり、それを超えていくことで成長する・・・と考えます。
この方の場合、自分の手で壁を作り出し、それを超えて成長しようとしていたみたいですね。まじめですね。
でも壁って、目標を達成しようとしてると向こうから現れるものだと思います。それを乗り越えて目標に近づくんですね。
つまり今この方がぶつかっているという、「数学と英語の基礎が必要なもの」こそが、本当の乗り越えるべき壁・・・ということだと、僕は考えました。
そんなに力みかえって読む必要ないと思うんだけどなあ。
読書ってのは何回も読むもので、特に小説は何回も読まないとわからない。
一度で分かるようなものは、小説自体が、短絡的な言葉を使えば「浅い」だけか、
自分が分かったと錯覚したか、とにかく、そんな読み方じゃ読んだとは言わない。
何回も読むけど、その度内容は覚えていない。覚えていないからなのか、毎回興奮して読んでいる自分が居る。
そういう小説が読みたい。
ユゴーとバルザックとモーパッサンとゾラとデュマとメリメが好きです
「レミゼラブル」はあの警官が好き 宗教に背く方法で○○する所が
ゾラの『ごった煮』のラストの方で某未亡人のくだりを読むと「リア充には信仰心なんて必要ない」
と思う
はてな村でいっぱいトラバがついたりブクマが付けばキリスト教よりも救われるんじゃないかな
信仰があったらあったで「神への信仰は災害や疫病などの不条理に対して無力であるどころかそれを恵みと呼ぶような危険性のあること」に苦しむハメになっただけだろう
つーかキミが苦しんでいるのは宗教がない故ではなくて単に「他人と腹を割って話すような本心(コンテンツ)がないから」にすぎない
たとえキリスト教に帰属していてもそのザマではせいぜい告解室で一回ガス抜きして失望してまたグルグル悩むことになっていそうだ
本心というのは本来他人と共有するためのものじゃない、ただ実現するためだけのものだ
放っておいてほしいなら放っておいてもらうべきだし、「ひとりでは生きられない」とは言ってもカネとすみかとネットと図書館さえあれば
ある程度の期間そこでたった一人で生活することは十分に可能だろう
どうしてさっさとやってみないのか、それが不思議だというだけのことだ
全国共有なんたら電話帳?っていうandroidアプリ見て思ったんだけど
「この電話帳アプリすっごく使いやすくて便利です!→http://~ いざという時助かります!○○さんもきっと感動すると思いますよオススメです><」
とかリプ送りまくって1人でも引っかかったら、引っかからなかったメンバーの電話番号も大公開されるってこと?
おそろしいな
哲学書読めば?って人もいるみたいだけど,哲学書すらキリスト教ベースで書かれててイマイチぴんと来ないんだよね
罰当たりなことはしないとか,蛙にションベン引っかけると雨が降るとか,縁日とか,鏡餅とか,ものを大事にするとか,言葉が力を持つという考え方とか….しかもこんなにたくさん大小様々な神社や寺が未だに建ってるしね.日本の神様なんて小説とかアニメや漫画,ゲームの題材にすら頻繁に使われる(時には主人公だったりもする).毎週ミサに行ったわけでもなく,それどころか特に誰かに教わった記憶も無いのに,積極的に意識しなくても考えや行動に影響してくるのはかなりすごいんじゃないか?神を畏れ敬う一方で身近にも感じているという心が日本の信仰であるとするなら,大抵の人間は立派に信仰心は篤いだろう.そういう心を持っているという共同体には属しているよ.外国人にこんな話しても同じような文化を持つ国でないとわかってもらえる方がまれだろう.
あ,でも腹を割って話せる友達は欲しいなあ…