はてなキーワード: 駅長とは
この前久しぶりに東京に行く予定があって
その時ほんとに偶然回りが女の人が多くて
自分は基本的に下着をはかずに短パンとTシャツで行動しているから
ある一人の女の人に当たってしまったらしい
って大声で叫ばれた
「いや何言ってるの?痴漢なんてしてないよ」
と言ったけど後の祭りで正義マンたちに取り囲まれてその後きた駅員たちに駅長室につれていかれた
駅員が
「あなた、電車のなかで下のものを膨らませてましたよね。それを女性に押し付けていたとか」
って言うから
「確かにまわりに女性が多かったのでたちましたがそれは生理現象です。押し付けたりしてません。」
と言ったら
って聞くから
「常日頃から何もきてません。外出時だけ短パンとTシャツを来ます」
続き
特大のかき氷に上等な練乳がアホほどかかっていて、生のおいしいフルーツと、甘い豆が大量に乗っている
通常サイズで普通のかき氷3人前くらいあるので心して食うように
しかしうまいぞ、白熊食いにいくだけで鹿児島行く価値があると思う
あとは桜島
鹿児島の港に行けば150円くらいで大きなフェリーが渡してくれる
今の値段は知らん
この錦江湾はイルカも入ってくるくらい綺麗で流れもあり深い海で、錦江湾の堤防で150cmの青物とか、80cmのイシダイとか、シイラも釣れる
鹿児島市内の街中堤防釣りが、他のエリアの船釣りに相当するのは恐ろしく、釣り人はぜび錦江湾で釣りして欲しい
桜島はもくもく煙出てて、火山灰という名の砂礫をまき散らしている
車が走ると舞い上がるのでめちゃくちゃ目が痛い
コンタクトの人は注意
溶岩プレートで肉焼くとうまいけど、最初に買うと溶岩プレート抱えて旅行しなきゃいけないのでつらい
でもあの、新品の溶岩は余計な水分や油を全てスポンジのように吸収してくれるので、めちゃくちゃおいしく肉が焼ける
こげて吸わなくなるんだけどね
少し離れて南に行くと指宿がある
池田湖にイッシーがいて、大量の特大のオオウナギが見れる道の駅とかもある
開聞岳も美しい
地熱発電所がある山川は、最南端の有人駅で、俺は山川駅で最南端の駅長と写真を撮ってもらった
ここでレンタサイクルを借りれば、薩摩半島の先っちょ、最南端に行くことができる
鹿児島の食い物は、白熊の他には、黒豚、キビナゴ、さつま揚げあたり
黒豚はおいしいけど、まあただの美味しい豚だよ
キビナゴもなんてことはない
さつま揚げは駅の中とかでも、揚げ立てをひとつから売ってくれるので、まあ食べ歩きするよね
間違いなく美味しいんだわ
あと、ラーメンは博多から南に行くほどこってり度が増し、面も少し太くなる
差は感じるけど、豚骨は豚骨なんで、九州のラーメンは全て同ジャンルだ
醤油も南に行くほど甘みが増すよ
あと、変わり種としてはあくまき
好き嫌いはかなりはっきりあるけど、わらび餅好きなら嫌いではないと思う
あとかるかん
お饅頭になったりしている
かすたどんは、偽萩の月の中ではかなり萩の月に迫るクオリティで美味しいぞ
今はどうなのか知らないけど、10年以上前の交通広告では掲出できる広告の審査が非常に厳しかった。特に厳しかったのが大阪市営地下鉄だったと記憶している。肌の露出は全然ダメだし、広告主もかなり選んでいた。
東京だとJRなんかはやっぱり厳しかったように思う。そもそも名の通っていない会社だとか怪しげな商材や企業は出稿させてもらえなかった。人気の広告枠は、締切日まで申し込みを受け付けて抽選でその広告枠を買える企業が決まるんだけど、本当に抽選したの?と疑ってしまうような確率で微妙な企業は枠が取れなかった。ただ抽選で落ちましたといえるから営業担当者はある意味助かっていたようにかもしれない。もっと露骨に申し込み後に調整が入る枠もあったので、そういう時は断られたと顧客に伝えるのが大変だったろうと思う。いずれにせよ、やばめの企業は広告を出せない仕組みになっていた。
意外とザルなのが都営地下鉄で、これ大丈夫なの?という企業や商品の広告でも長い間掲出されていたりした。マンションの水道管をいろいろやって長持ちするパイプも確か都営地下鉄ではずっと広告が出てたと思う。なんかの付き合いなのかもしれない。
交通広告は他の多くの広告枠とは成り立ちが異なる。あくまで人を運ぶ交通機関に掲載されるものなので、例えば駅長などにとっては、広告なんてどうでもいい。金になるから許してるけど、本当は広告に文句を言ってくる利用者を遠ざけたい気持ちの方が強く働く。どうでもいい広告に文句を言ってくる利用者は相当多かったと聞いている。きっとそれは今も同じだろう。ロシア語を取り下げた例の駅で行ったのと同じような理屈で、ケチつけられそうな表現の広告もやはり掲出許可がおりないことが多いだろうと思う。
今後は電車も利用客が減ってきて、広告を通じて得る収益の重要性も高まってくるのかもしれない。そうするとヤバめの広告が増えてきたりするのかなあと思ったりする。
一度朝から新宿まで用事があって向かったことがあるんですが、個人的には毎日通勤となるとしんどいかなと思いました。もっと遠くから乗っている人も居たので、慣れかもしれませんが。。。
都内からの距離の割には家賃は高めだと思います。通勤する必要があって、他に候補があるなら家賃の相場と通勤時間は比較することをお勧めします。
他に気になるのは住民税と指定ゴミ袋が高いこと(20L 10枚で400円)です。あと駅長室が鎌倉市にあるせいで、横浜市内の切符じゃ改札から出られません。
駅の周りは個人店もチェーン店も揃っていて生活には困らないです。原付持ってきてましたが全然使いませんでした。
駅周辺は川と線路を挟んで大きく東西でエリアが区切られていて、東の方が何かと便利です。踏切は待たされるし高架がちょっと不便な場所にあるので、線路を超えるのが面倒臭いです。
住所マウントはよくわからないです(そんなに住所明かす機会ありますか?)。
ただ大船本ってムックのキャッチコピーが「この街がとうとう注目される時が来た」みたいな感じだったのは面白かったです。
段ボールの端っこを捨てる儀式はちょっとわからないです。まな板と包丁は使ってもOKですが、ピザ作るためにガンガン生地を叩き付けるときはソファでやってます。
変な人に話しかけられる率は藤沢の方が多いです。特にコロナの後。声をかけられても目を合わせないのが吉です。
プラごみは普通のゴミ袋で出せるので、有料ゴミ袋を節約するために分別してます。面倒臭くなったら可燃に突っ込んでますが、今のところ怒られたことは無いです。
伊是名夏子氏のブログ・Twitterから話題になったJR東日本の車椅子乗車拒否問題。結局なんだかんだ言って有耶無耶になって終わった感があるので今更ながら考えたことを投稿。
事の顛末は以下の通り
改正バリアフリー法が施行された2021年4月1日。伊是名は来宮神社観光のため、宿泊施設や飲食店は予約した上で、友人・介助者・子供ら5名で電動車椅子で出発。JRは事前連絡せずに小田原駅で来宮駅下車をJRの係員に伝えた。しかし来宮駅は無人駅で階段しかないため、係員はバリアフリー化されている熱海駅下車を推奨した。伊是名は車椅子で乗車可能なタクシーは1ヶ月前からの予約が必須と主張し、バリアフリー法にのっとり対応するよう求めたが、利用者数3000人以下の来宮駅は同法対象ではないと説明を受ける。伊是名は次に障害者差別解消法を根拠に合理的配慮を求め、駅員3・4名を集めて電動車椅子を運ぶよう要求。急に人員を確保できないとするJR側と交渉中に、伊是名は新聞社数社に取材を要請。駅係員と1時間ほど交渉の末、熱海駅に向かった。小田原駅から連絡を受けていた熱海駅では特別の計らいで、駅長を含む係員4名が一行を急遽出迎え、来宮駅まで同行。階段降下時には、100キログラム超の電動車椅子を4名で手持ち運搬した。熱海駅長の教示で、復路は伊是名が事前連絡をおこない同様の措置がとられた。
〜引用ここまで〜
伊是名氏は宿泊施設・飲食店を予約している。なのになぜ移動手段についての事前連絡ができなかったのか。
伊是名氏の主張するとおり障害者にも自由に移動する権利は認められるべきである。ただ、バリアフリー対応のタクシーという代替の手段もあるわけで、伊是名氏は利用の1ヶ月以上前から予約が必要であるためこれを利用できないと自身から主張している。結局のところ、自身の不手際からくる旅行の行程の綻びをJR側に押し付けているだけにすぎない。問題提起のためにあえて準備をせずJRを利用しようとしたのであれば尚更たちが悪い。
交通事業者に駅バリアフリー化を求めるという気持ちもわかるがJR側が説明したように来宮駅はバリアフリー法の対象外である。JRは法に従って業務を行っているため責任の所在はここにはない。バリアフリーについて訴えかけるなら立法機関に対して行うべきだろう。
伊是名氏が主張した合理的配慮について。そもそも合理的配慮とは何か、内閣府作成のガイドブックより引用する。
〜以下引用〜
合理的配慮は、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意志が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)が求められるものです。重すぎる負担があるときでも、障害のある人に、なぜ負担が重すぎるのか理由を説明し、別のやり方を提案することも含め、話し合い、理解を得るように努めることが大切です。
〜引用ここまで〜
合理的配慮というものは、義務ではないが、可能な限り対応しようという努力目標ということである。
今回の対応について、社民党が出した声明文に対しJ-CASTニュースの取材でJR東日本横浜支社は次のようにコメントしている
〜以下引用〜
当社では、お客さまのご要望を承りつつ、代替手段であるタクシーの手配や、可能な範囲での駅係員の手配による来宮駅での介助対応を行っており、『合理的配慮の提供』を行ったものと考えております。
〜引用ここまで〜
事業者側がどれだけ合理的配慮を行ったと主張しても、受け取る側が合理的配慮と感じていなければそれは合理的配慮ではないという考え方もできる。
この点は両者の言い分が理解できることであり今回の問題で一番難しいポイントだと思う。
今回熱海駅から係員4人が駆けつけて、100kgを超える電動車いすを運んだことは、合理的配慮の枠を超えた特別な計らいであったとされる。合理的配慮の枠を超えるということは、つまり負担がかなり重かったということである。
このような特別な計らいを目撃した身体障害者が同じ対応を主張し、これを認められなかった際に「伊是名氏は対応してもらえるのに私は対応してもらえないのは差別ではないか」という考えを持つことは容易に想像できる。かなり重い負担をかけて対応した上に、一度対応した手前これが当たり前になってしまうというのは事業者にとってはかなりしんどい。特別な計らいを当たり前にしようとする運動は、かえって他の身体障害者に対する合理的配慮の幅を狭めてしまう可能性がある。
そもそも、バリアフリー化を求めるのは良いが財源はどこにあるのか。国からの補助もあるだろうが、交通事業者の出費も馬鹿にならない。
交通事業者の出費は主に運賃収入によって賄われる。バリアフリー設備は健常者(高齢者等を除く)にとっては必要のない設備である。必要のない設備を設置するために、運賃が上がるというのは健常者差別ではないだろうか。
基本的に身体障害者は、介助者1人を含めて運賃が半額となるケースが多い。受益者負担の原則に則るならば、ある程度運賃を上げてこれをバリアフリー化の財源とすればよいのではないかと考える。
○主張ばかりでは賛同は得られない
他の障害者から伊是名氏に対して否定的な意見が多く寄せられたという記事を見たが、主張ばかりする存在、丁重に扱わないと何を言われるかわからない存在になってしまうと受けられる合理的配慮の幅も更に狭まってしまう。
伊是名氏の言動には一方的な主張と問題提起を混同している節が見られ、この考えを改めない限りは社会から総スカンを喰らい続けることになるだろう。
最初にTwitterトレンドの「乗車拒否」をクリックして、何が起きたのかを知った。最初に「乗車拒否にあった」と訴えているらしい車いすユーザーの方を批判する多くのツイートを目にし、元ツイートの方に辿り着いて本人のブログを読んだ。
なるほど。と思った。
何が批判されているのかは、ブログの文章でだいたい把握できた。
モンスタークレーマーみたいに見えるのは、ちょっとわかる。でも決してそんな横暴な主張をしてるわけではないし、なにより批判している方の叩き方が異常だと思った。なんでそんなに怒っているんだろう、と違和感を感じた。
その後もTwitterで彼女のツイートを取り上げ、支持しますと表明している人のツイートに対して、鼻息荒く噛みついている多数のリプを見た。なにこれ、怖い怖い。
車いすユーザーの人からの批判的リプがとても多いのが気になる。「こんなのと一緒にされたら困る」と。彼女の発信が、逆に自分たちの立場を危うくすると思っているようだ。
この感じ、何なのか。最近話題になったあのワードが、頭の中でリンクした。
彼女は「わきまえない車いすユーザー」として叩かれているのだ、と思った。
彼女に批判的な車いすユーザーは、「健常者中心の社会で回りの皆さんに助けてもらって生きさせてもらっている者として、立場をわきまえろ」と言っているのだ。
勿論、彼女を批判している健常者も同じことなのだが、なぜ同じ立場にある車いすユーザーが彼女を背後から撃つのかと言ったら、そういうことだ。
それはつまり、「マイノリティが社会に権利を訴えたら、ひどいバッシングにあう」からだ。それが怖いから率先して、自分たちの権利を訴える代表者を黙らせにかかる。「わきまえて」謙虚に暮らしていれば、社会の中で存在していいと認めてもらえる。今以上の権利を主張すると、潰される。自分が発信しなくても、「現状の社会に盾突く存在」だと思われたら攻撃を受けるかもしれないと恐れている。実際、そんなことがずっとこの社会では起きているのだから、そう怯えるのは無理もない。
だが、忌むべきはそういう社会の方であって、声を上げた彼女ではないのだ。
そして、批判している多くの人が誤解をしているように見えるが、彼女が問題にしているのは「JR職員の対応」ではない。その先にある、「車いすユーザーの生活に対応しない社会」なのだ。
ブログの文章を読んで、「対応してくれた熱海駅の駅員さんに対する感謝がない」と感じた人が多いようだ。私も、最初の印象はそうだった。
だが、彼女が問題提起しているのはもっと広い視野の話なので、個別に対応してくれた駅員さんに対する感謝というのは主旨から外れる。だいたい、ブログに書いていないからといって、彼女が現地で駅員にお礼を述べなかったと決めつけるのもおかしい。
彼女はブログで個人対個人の話をしているのではない、「社会」が車いすユーザーの権利を制限している、という問題について書いているのだ。
勿論、今回の旅行は彼女の個人的なものであって「権利向上活動」としての目的ではないだろうが、それは関係ない。車いすユーザーであっても健常者と同様に自由に公共機関を利用して旅行に行ける社会を、彼女は求めているのだ。
その視点を理解できない人が、狭い視野で「個人の権利を主張して、駅員に迷惑をかける人」と断じているのが、この炎上案件だと思う。
結果的に、当初小田原駅でははねつけられた彼女の要求が現地で通り、熱海駅から駅長以下4名が同行して無人駅の来宮駅の階段を運んでくれたとのことだが、これを「結果的に要求が通ったのにまだ文句言ってる」と批判するのは、あまりに状況がわかっていない。
私も健常者で、バリアフリーに関しては殆ど知識のない人間だが、ブログを読む限り「バリアフリー法によって設備のない駅ではそれ以外で対応する義務がある」となっていても、実運用は現場判断まかせによるもので、対応する人によっては「できない」と言われる可能性がある、というのは大問題ではないのか。
たまたま熱海駅の駅長がいて対応してくれたが、もしかしたらその日駅長さんが非番だったらそうならなかったのかもしれない。そんな個人の裁量まかせでは、車いすユーザーの方は毎回事前予約でしか駅が利用できないことになってしまう。駅長グッジョブとか感謝とか言っている場合ではない。
批判ツイートやリプでは「最初から想定されている不便なら、それ相応の準備をしておくべきだ」という意見が目立った。それはたしかに一理あるように見えるが、社会が抱えている問題を覆い隠すことにしかならない。
私は本件のコラムニストのことを今回初めて知ったので、彼女がどんな半生を送ってきたかろくに知らないが、先天性の病気の方のようなので、普通に生活するだけで健常者には想像もつかないような多くの不便とぶつかってきたんだろうと思う。「出来ないことは我慢する」「他で代替する」なんてことはとっくの昔から繰り返ししてきたはずだ。それを、たまのイベントのように「これがダメならこうしたらよかったのに」と上から目線で言うような人間は、自分の想像力の欠如を恥じてほしいものだ。
車いすユーザーの人は、外に出たかったらもっとどんどん公共機関を利用して外出するべきなのだ。もちろん、不安な人は彼女のような思いをしないために事前に準備し、連絡をしていけばよい。車いすで駅を利用する人が減っていけば、今後も駅のバリアフリー化は進まないだろう。ニーズがなければ設備投資はされず、いざという時に人力だけが頼みとなってしまう。駅員さんも危険だし、誰も幸せにならない。
コラムニストの方は新聞に取り上げてもらうように動いているようなので、この件が記事になってメディアに出た時、どんな取り上げられ方をするのか、またそれに対してどんな意見が出るのか、引き続き注視したいと思う。
なお、この文章をつらつら書くのに数時間かけてしまい、再びTwitterでブログ主のホームを見たら、彼女に賛同するツイートに「#わきまえない」「#障害者差別」とあり、やっぱそれよね~~という気持ちになった。