はてなキーワード: 逆流性食道炎とは
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。
実際デブってほど太ってもないてかBMI18ちょうどくらい
醜形恐怖症(この場合は、自分はデブかも知れないという恐れ)で摂食障害を発症してて消化器官に支障があったり、(実際どうなのかは関係なく)少食なのに太ってると見られることがストレスで他者の前では食事がのどを通らず間食で食事の総量をカバーしたりしてるのではと感じる
っているじゃん?自分です
実際デブってほど太ってもないてかBMI18ちょうどくらいだけど、他人から見たら食べる量の少なさに対して体型が見合ってないだろうなと思うので理由を書く
会食恐怖ぎみで人前・きちんとした食事の場だと全然食べられない 逆流性食道炎もあって一度にたくさん食べたら地獄見る でもその分間食めっちゃしてしまうし甘い飲み物も飲んでしまう 移動中・カフェ・家での間食だとたくさん食べられる
ご飯全然食べられなくて残したりしても、カリカリに痩せてるとか食事に全く興味ないとかならなんか納得感あるけど、私の場合少食ぶってる(わけじゃなくてそのときは本当に食べれないんだけどそうとしか見えないと思う)くせに体型もぷよぷよだから恥ずかしいし、無駄にお菓子とかでカロリー摂ってるしお金も使ってるので情けない 少食デブで本当にすみません
補足: 「(人前で)食べる量の少なさに対して体型が見合ってない」っていう意味でデブって使ったけど、もちろんBMI18で太ってると本気で思っているわけではないです ぷよぷよで筋肉は皆無だけど
細いけどたくさん食べる、がもてはやされる風潮でとってもやりづらい 人前でご飯食べれないのは広義の摂食系の障害だと思う長年地味に困ってる
私は逆流性食道炎を持っているのだがここ数日症状が悪化してしまって、まともな量が食べられていない(きんぴらごぼう少しとご飯2口で夜ご飯終了、とか)
このまま行ったら食事会のときも碌に食べられない予感しかしないが、欠席するべきか迷う
・全部で人数は6人
・一番下っ端なので欠席しづらい
みなさんだったらどうします?
朝起きて喉がめっちゃ痛くて、ヤベーことになった。昨日ボウリングに行ったせいだってビビったんだよね。
でも俺、ボウリングに行ってないんだよね。
もっと言うならボウリングそもそもやらないし、もっともっと言うならボウリングに誘ってくれる友だちもいないんだよね。
もっと言うなら、喉痛くないし、いや多分逆流性食道炎で一時的にヒリヒリしてたのかもしれないけど、起きたらなんとも無いんだよね。
まあ、今回はマジで寝ぼけてただけだけど、寝ぼけてた間のやっちまった感はけっこうひりついたね。
ボウリング場っていう閉鎖空間とかいかにも空気感染しそうだもんね。事実かどうかはさておいても、無意識が見せる光景にしてはやたら具体的でわらっちゃった。
でも俺、遊びに出かける友だちとかいないしな…。
夢の中では色んな人といろんなことして、楽しそうなんだよな…。
俺もコロナ感染するくらいに人と接触したいわー。いやいや、過去最大の感染拡大の中、そういう接触を避けられて病気にならないのとってもしあわせだー
遊びに出かける友だちいなくてしあわせだー。感染せずによかったー
よかった…
逆流性食道炎(びらん性胃食道逆流症)
非びらん性胃食道逆流症
こういうの?ちがうのかな
https://www.fukuoka-tenjin-naishikyo.com/general/esophagus/14871/
久しぶりの休日出勤は午前で終わるはずだった。
でも、なぜか午後も仕事をすることになった。
お昼を用意していないのでコンビニに行きたいが面倒なので
自販機のカップ麺とデニッシュと麦茶(各100円)が今日のお昼食になった。
気分が晴れない。
休日出勤が原因ではない。このところずっと塞ぎ込むことが多い。数ヶ月前までは三食自炊してお弁当を持参し職場で食べて、洗濯も掃除もしていたけど、ここ最近はご飯も作れず洗濯もほとんどできず散らかしっぱなし。服を洗っても畳まず部屋の隅に置いているので、多分これが洗ったものだろうと探しながら服を着ている。シンクは少し前まで自炊していたときの鍋や食器が洗わずにそのままにしてある。酒は毎日のように飲み続け、0時を過ぎたら飲まないと決めていたが平日でも3時まで飲んでいた。人と会わないときはシャワーを浴びることも髭を剃ることも着替えることもしない。今まで毎日資格の勉強をしていたそれも最近全くやっていない。
何故この生活になったかわからない。それまでは健康的にご飯を作ってそれなりに楽しく過ごしてきたけど何かがポッキリ折れたのか生活の水準が過去にないぐらい酷いレベルに落ち込んでしまった。
この感情をイメージするならば、よどんだ池の中に浮きがあり、それがずっと沈んでいる状態。
たまに水面に浮きが顔を出すことはあるがすぐに沈んで見えなくなってしまう。
何度か浮くことはあるが、浮き続けることができない状態が今である。
僕の仕事は工場の設備管理。学校でいうと用務員さんみたいなものだ。製造と直接関わらず保守管理をしている。
今日は工場の設備の更新工事がありその立ち会いだった。作業は午前だけのはずだったが夕方まで作業をする
と言う話になっており仕方なく夕方まで待った。
それまでは特にすることがないのでないので工場内のエアコンのフィルターをケルヒャーで洗って干して
立ち会いも常に現場にいるわけでなく朝と夕方に打ち合わせをしたり、業者さんが廃材や道具を
置きたいけど現場に置いても良いですか?と電話で聞かれたら「はい、いいですよ。」と言うだけ。これもたいした仕事でない。
せっかく職業訓練校で1年勉強して、それなりの会社に入れたけど技術的な面で全然向上でず
資格の勉強もはかどらず、今年で40歳になるのに結婚もせず彼女もいなくてかなり焦っている。
そのせいか人と話すことも上手くできず余計に落ち込み負のスパイラルに陥ってる。
今日も、ボールペンを落としそれが机の下の取りにくいところに入ってしまっただけで気持ちが塞ぎ込んだ。
池の浮きが水面からどんどん離れていき底に沈むようだった。
こうなったら何か美味しいものを食べようと決めた。ただ最近は外食をよくするが、どれも美味しいと感じない。
だから普段行かない店にしようと調べたら職場の近くに昭和からあるステーキハウスを見つけた。
肉はそんな好きな方ではない。どちらかというと魚派で焼き魚が好きだった。
鯖塩とかアジの干物、さんまの灰干しなどが好きだ。でも行ってみることにした。
仕事を終えたら店に向かう。行ってみると地方の幹線道路沿いというのもあり駐車場は20台ほどあり
うち三分の一は埋まってた。店はえんじ色の布看板で「ステーキハウス マスダ」(仮名)と白い文字で
書かれており「キ」と「マ」と「ダ」の上または下あたりが少し破けていた。レトロ風の建物にしているのではなく
入り口には何年か前の地元の新聞のコピーがあり余白に「○○新聞さんに紹介されました」と手書きで書かれていた。
中に入ると内装も古い印象だった。純喫茶のようなモダンな作りだけど奥には畳の座敷席もあった。
最近の飲食店ではワンオペも珍しくないのに、この規模にしては多い5人ほどのホールスタッフがいた。
メニューを見てこの店の人気メニューとされるハラミステーキ200gとスープ・ドリンクのセットを頼んだ。
最初にコーヒーと同時におかわり自由のサラダが出てきた。サラダはとても細い千切りのキャベツと少量の紫キャベツと人参にフレンチドレッシングがかかっており、ドレッシングはそんなに酸っぱくも甘くもなかった。
食べ終わってからコーンポタージュが出てきたが最近ではあまり見かけないタイプのものだった。
定番のコーンポタージュは黄色く甘くでつぶつぶコーンが入っているものだが、この店はほのかに甘い程度でコクのあるスープで粒もなくドロドロなスープだった。色も発色のいい黄色でなく、ややくすんだ茶色みがかった色だった。美味しかった。
しばらくするとメインディッシュのステーキがライスとともに来た。思ったより大きめの肉で
パセリ入りのバターがのっていてステーキ自体にも味が付いていたのでソースを掛ける必要は無かった。
肉は柔らかく脂もほどよくありとても美味しかった。美味しい肉なので味わうためにゆっくり食べた。
ほとんど関係ない話だが、僕は逆流性食道炎になったことがあり医者からはゆっくり食べるように言われたが守れていない。
(酒を減らすことも言われたがそれも守れていない。)
付け合わせはインゲン二本とスパゲッティとコーン。ステーキハウスなので本格的なステーキを出すはずなのに
付け合わせが社食にあるようなスパゲティ?と少し違和感があったが悪くはなかった。
不思議だったのはこのステーキを食べて「美味しい」と感じたことだった。ここ最近何を食べても何も満たされず
食べたあとは「何で食べたんだろ…」とガッカリすることが多かったので久しぶりに感じる「美味しい」だった。
このステーキより美味しいものは今まで食べてきたはずなのに何故かこのステーキは美味しいと素直に感じた。
斜向かいの席でビールを飲んでいる夫婦がいた。自分も飲みたいがバイクなので飲め無かったが落ち込むことはなかった。
さっきまではこんな事でも深く落ち込んで傷ついていたのに。
隣の席は親子三世代で来ていて一番小さい子は2歳ぐらいの女の子でその両脇に両親が座っていた。向かいには
お爺さんいて、孫と同じピンクの上着を着ていた。お爺さんは機嫌の良いオカメインコのように肩を上げたり下げたりして
孫の気を引こうとしていたが孫は無反応だった。
それをみたら少し可笑しかった。それまでだったら未婚の僕にとって小さい子供を囲み食事をする光景はつらかったが
今は微笑ましいと明るく思える。今ここで何かが変わったかも知れない。
食べ終わって一息つくと会計を済ませる。値段は3000円。今日の昼食の10倍だが特別高いとは思わなかった。
帰りのスーパーで普段は買わない併設されてるパン屋で、朝ご飯の惣菜パンを買う。毎日買ってる酒を買わず
朝ご飯用のフルーツゼリーとインスタントのカフェオレを買った。
シャワーをきちんと浴びて服も着替え久しぶりにノートPCを出して机に向かってこの文章を書いている。
なんか気分がだいぶ良くなった。酒も飲みたいとはそんなに思わない。
あのステーキに助けられたのかも知れない。よどんだ池の浮きがようやく水面から顔を出し浮き続けようとしていた
この気持ちをできるだけ維持したい。
オーナーとのシフトだったが、なんだか私はオーナーと仕事をするのにすっかり慣れてしまい快適に働けるようになったものの、人として駄目になりつつあるような気もする。当店、オーナーに面と向かって逆らえるアグレッシブなパートさん達に支えられ過ぎているので、私みたいに省エネのためにオーナーに逆らうのを辞めた奴は病原菌か癌細胞みたいなものだろう。
前回のバイトでストーカー客が一ヶ月ぶりに来店したことが、無意識にショックだったのか、逆流性食道炎をぶり返してしまい、昨日一昨日は仰向けに寝れば背中の奥が痛く、俯せに寝れば胸の奥が痛いという有り様だった。起きていても、座椅子に凭れるなどしてちょっと身体を傾けただけで胃酸がせり上がってきて食道を焼く感じがする。
昼もバイトがしたいなあと思うんだけど、今働いてるコンビニでは昼の人員を募集していないので、他に求人してるところを探さなきゃならない。
で、求人探しをしたらちょうどア●メイトが募集をかけていて、働きたい!!と思ったけど、うちからア●メイトは交通費と通勤時間を考えると割りに合わないなんてもんじゃないくらい遠距離なので無理だった。