はてなキーワード: 論書とは
普段増田は書き逃げなんだけど、凄く切実そうに見えたので、大マジレスする。釣りなら釣りでいいや。代筆にならない程度に書く。なお、私は「子供の教育」の疑似体験をめちゃくちゃ傲慢に楽しむからな。
まず一言で。物事をジャッジするのが辛いなら、物事をジャッジするのが辛いと"まず"書く。これが私流感想文。それすらも書きたくない、というのは、自己主張をしないのが美徳、空気を読みすぎて空気なるのが楽って思ってしまっているので、そこは個性であっても伸ばすべきではない。怠惰に近い。なお、「感想文を書きたくない。」が書き出しの読書感想文を書いてもいいぞ。上級者向けだがな。
当然ながら、よくある読書感想文の指導「面白かった、は何が面白かったか」「よくわからなかった、ならなぜよくわからなかったか」も、立派な指導ではある。けど、これは修羅の道。なぜなぜ分析ができるならいいんだが。「面白かった、ところで私は~」「よくわからなかった、ところで私は~」のほうが楽でしょ。やっぱり自分のことを書くのが一番楽なんよ。
さて、話し聞いた限りだと、
物事をジャッジするのがとてもストレスになるようで、「ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いかもしれないじゃん、だから自分はどっちとも決められない。作文で○○と思いました、って書くと決めなきゃいけないから書けない。」と言います。
ここがすごく良い種。何読んだかしらんが、ここを1文目に、そのまま書いていい。例えばこうだ。
「私は物事を判定するのがとても苦手だ。何故なら、ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いことかもしれない。それを考えると、自分はどっちと決めるのが(億劫/ずるい/傲慢/いけないこと/理不尽)な気がしてくるのだ。どうしても決めなければならないとなると、だんだん辛くなってきて、泣きそうになってしまう。」
ほぼそのまま、一人称の文語にしただけ。ここからスタートして、本のタイトル書いて、その「どちらが正しいと決めたくない」ポイントを文中から引っ張り出してきて、両論書いて、みたいな構成にすると思う。私ならね。登場人物が決断して何かを切り捨てるシーンとかがあったら儲けもんだ。「私には主人公が理不尽の権化に見えてしまう」とか書けば、先生も「お、コピペ感想文じゃないな」となってくれる。
書くことを楽しむなら、一文目をもっと派手にしてもいい。「私に決断をさせるな!」とか、「感想を言葉にするのが、とても辛くて泣きそうになる。」とか。後者なんて、どんな感動超大作を読んだのか?と思わせておきながら、「別に本の内容に感動したわけじゃない。感想を言葉にすること自体が〜」と、ずっと卑近な話に流れるから意外性もあって楽しそう。
ともあれ、他人がどう思うか、を考えられるのはとても優しいお子さんなんだと思う。読んでいただければわかるとおり、私は我と圧の強いメンタルをしていて、他人とか知るかよ、という感じなので、私とは全く違う読書感想文がかけると思う。
身勝手なこと言うけど、そこを褒めてみてほしい。「褒められてどう思った?」が書けるようになれば、多分この「物事をジャッジするのが苦手」をフォーカスした感想文にオチがつけられる。「優柔不断な自分だけれども、親は「相手のことを考えられる優しい子」だと褒めてくれる。これを甘やかしととるか、個性を伸ばす教育ととるか、ジャッジはしないでおこうと思う。」な具合で。私だったら褒められてなくても捏造してこう書くけど。
覚書を兼ね増田に書く。
我々素寒貧大学院生業界において最初の関門の一つに日本学術振興会による特別研究員制度がある。
これは事実上の給料を月20万プラス研究費が頂け、かつ実績として記述も出来るというとんでもなく有り難い制度であるが、合格率20%ほどのかなり狭き門である。
先日、その合否の発表がされ、来年の春にその申請のチャンスが来る修士2年(医学部途中編入の阿呆の場合)の僕も身の回りの申請を出された先輩にそれとなく聞いてみた。
残念ながら身の回りにいるたった3人の先輩は残念ながら駄目であったようだ…
この制度は、超優秀、優秀、平均、駄目の4つに分類がなされるらしい。
しかし普通は申請者の大体半分くらいまでに優秀と平均の人はトーキヨーへ呼び出され極僅かな時間プレゼンをする機会を与えられ、自らはこんなに優秀である、よってお金くださいと言いに行く。
そのうちまた上半分が優秀とされ採用、もう下半分の平均が不採用となる。
残念なことに僕の先輩方はトーキヨーに呼ばれなかったらしい。
ポスター発表やファーストではないにしろいくつかの論文も乗っかっているにもかかわらずにだ。
今回話題としているDCという区分は比較的そういった業績にある程度目を瞑り、将来性で判断して頂けるまたとない大チャンス。(勿論超優秀な方々はインパクトある論文を既に書いているのだが)
僕は途中編入してからの2年間、お恥ずかしい話だが全く業績が無い。
今から来年度が大変不安になった。と言うか全く採用される気がしない。
業績もポスターくらいはなんとか発表したい。
そこで増田に聞きたいのだが、やはり僕のように業績素寒貧で採用された方は果たしてホントにおられるのだろうか?
最近は新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。
最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。
宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。
この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています。
在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。
というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。
何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。
「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したときの保険をかけて夢を追えるいい環境です。
だから「在家出身の僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。
バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険を申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます。
現住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります。
自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。
しかし、折角掴んだチャンスを在家出身の僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります。
回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者は環境的に出ていかざるを得なくなりますが。
こういう昼ドラの脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。
つまり「後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います。
繰り返しますが、在家出身の僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸でダイヤモンドを見るけるレベルの話です。
上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者の問題を仏事ではなく民事的に解決します。
子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身の僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります。
兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります。
さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります。
室町時代の仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。
どんなに小さなお寺でもいいので、地方の過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶は存在します。
しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院の住職にとっては「固定資産(檀家)」なので、そういう若手僧侶に住職の話はほぼほぼありません。
おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。
3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。
これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。
それは何度も言われていることかもしれません。
言葉は悪いですが、団塊世代が年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います。
権力の偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。
真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。
僕のような丁稚の弱小者は本山にとっては単なる搾取対象でしかありません。
これが仏教なのかと、経典や論書を読んでは枕を濡らす毎日です。
感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています。
追記
極論に過ぎている部分があるので補足しておきます。
もちろんイレギュラー(本来的にはレギュラー)な場合も多くあります。
そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員(檀家総代等)で構成されます。
イレギュラーケースとして、代表役員に在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。
法人運営は在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。
そもそも代表役員は事務を総理するのであって、僧侶や聖職者である必要はなく、住職という名称と代表役員はイコールではありません。
思うに、会社法のように株主の過半数で取締役などを解任するなどの方法が宗教法人法にはありません。
代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則が法律によって決まっていてもいいように思います。
本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。
仮に法改正されれば、葬儀や墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能性だって出てきます。
在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。
仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶が住職や門跡、管長あるいは長老なんじゃないのか…。
現代の僧侶間の不条理、在家と出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。
しかし日本文化を地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかいて運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。
わが社は、食品メーカーのはずなのだが、なりふり構わぬ営業している。
そのため、顧客のデータを5TB分預かってとある加工をすることになった。
社長は5TBものビッグな新規IT事業に進出とノリノリだった。実際は、名ばかり課長のボクがExcel2000とバブルジェットプリンタを駆使して超手作業でサービス残業をしまくる仕事だ。
これ以上の内容は守秘義務があるため公表できない点はご理解とご協力をお願いしたい。
そんなデータが5TBもある。
どう考えても、メールで送れる範囲のデータなのだが、よくわかっていない顧客の要望を丸飲みして、5TB分持って帰らないといけない話になってしまった。
それを会社まで持って帰るためにハードディスクが必要になった。
仕事上必要なので、売り上げに必要な経費なのだが、2万円を越える金額を使う場合は、社長決済なのだ。
新規IT事業分野への進出は社長の肝いりのはずなのだが、この2万円越えの決済を行うハードルが非常に高い。
まず、経理部へ行ってお局様のご機嫌を伺いながら、稟議の申請書を受け取る。
機嫌が悪いと社長の肝いりの新規IT事業といえども申請書すら受け取れないのだ。
申請書担当の職務に意味のわからない無駄なことにお金を使わないように監視するというのがあるので仕方がない。
上納金の代わりにキットカットを一袋持参して、無事に申請書を受け取った。ここまでの根回しはこれまでの社蓄生活で培った経験と知識の賜物だ。
次に稟議を上司にあげたところ、銀行の確認が必要なので、ちょっとまってくれといわれた。
さらに企画書というか目論書も書いてどのくらい儲かるのか持続可能性があるのかアピールしてくれといわれた。
社長案件で、社長のチェックで当然OKじゃないの?銀行の確認?
解決できない疑問がボクの脳裏を回り始めた。従順な社蓄と化したボクは上司のいうとおり銀行の確認を待つことにした。
その間にも顧客と交わした真摯な約束の期限が迫ってくるのだった。
1週間後、買っていいよとお許しが出たのだが、銀行って小額の経費の使い道まで、チェックするものなのか?世知辛い世の中になったものです。
社長が銀行へ行って土下座して、この新規IT事業絶対に成功させてみせますと啖呵を切ってきた様子がボクの脳裏に焼きついた。
銀行が優位な地位を使って取引先にそこまでさせたら、訴えられそうなので、実際にはないと思うが。
社長はそこまで信用がないのか。3万円の使い道さえ、銀行にお伺いを立てなければいけない道理は何なのか。
ボーナスが出たよ(^_^)vのときは、最近会社に出入りしているコンサル先生が銀行にいって、0.0Xヶ月ベースの賞与の交渉していた。
そのコンサル先生は、近所の駅弁大学の先生だ。駅弁大学の先生は、小遣い稼ぎのためにそこまでするのだ。世知辛い世の中だ。
社長の立場はないのかと考えてはいけない。きっと社長の徳が比類なく途方もなく高いので、そこまで尽力してくれるのだろう。
先日、新しく融資をしてくれる金融機関として商工中金さんが社内の見学にやってきた。
工場やレストランの現場を案内したあと、ボクが担当する新規IT事業も紹介することになった。
具体的な内容は先方との間に守秘義務がありマル秘なのだが、融資元にはありのままに新規IT事業計画をさらけ出さなくてはならなかった。
この社長の肝いりの新規IT事業がボクの発案のように言われたことが人生で最大の辱めを受けたような気になったことはボクと妻の間だけの秘密だ。
社長が商工中金さんを呼ぶときに「商工さん、商工さん」と呼ぶものだから、名刺を交換していない社員たちの間では、ついに会社が商工ローンに手を出したといううわさが広がってしまった。
人事部長がうわさの火消しに躍起になっていた日の朝、徳が比類なく途方もなく高い社長の社員が、突如として急にやめた。
彼もこの新規IT事業のプロジェクトの一員で一緒に成功させようと契りを結んだばかりだったのに突然だった。
有休消化のため、実質あと2日しか出勤しないといわれたが、引継ぎはどうするのだろうか。