はてなキーワード: 射幸心とは
長年推してるアイドルがいつまで経っても声もつかない、報われない辛いってお話だけど。
シンデレラガールズってそもそもそういうコンテンツではなかろうか。
たくさんのアイドルがいて、声が付く付かない、優遇されるされないで
最終的には推してるアイドルが報われて、大逆転して、俺は10年推してたんだぞ!とマウントを取る快感をずっと求めてた。
他の報われないアイドル達を踏み付ける栄光の日を待ち望んでたんだよ。
なんて醜い発想なんだろう。
シンデレラガールズは徹頭徹尾、射幸心を煽るゲーム。ギャンブルだよね。
単純だけど最高にカタルシスと最悪のフラストレーションを味わえる。
なんて酷いゲームなんだろう
シンデレラガールズ生まれる前からアイマス見てきたけど、シンデレラガールズには嫌悪感しか沸かなくて一切プレイしてない。
〈問い〉 大学のゼミで「サッカーくじ」について勉強しています。日本共産党は反対の立場にあるそうですが、なぜですか。(東京・大学生)
〈答え〉 日本共産党はJリーグをギャンブルの対象にする「サッカーくじ」の導入が、青少年のすこやかな成長をゆがめるとともに、スポーツを健全な文化として発展させていくうえでも重大な問題をはらんでいるとして、九四年五月三十日に反対の見解を発表しました。
それは、Jリーグの十三試合の「勝ち、負け、その他」を予想するサッカーくじは、スポーツにたいする見方について、「勝ち、負け」にこだわり、試合の結果のみに関心を傾ける風潮を助長するからです。
Jリーグは「スポーツ文化としてのサッカーの振興」や「フェアプレー精神の尊重」などを理念に掲げていますが、サッカーくじはその精神に照らしても、まったく相いれないものです。
同時に、気安く購入できるサッカーくじは、青少年を金銭をめぐる新たなトラブルに巻き込み、生活環境の悪化をまねくものです。日本共産党は、政治が介入して環境悪化に手を貸すことは論外であり、中止を呼びかけています。
サッカーくじを推進する政党や文部省は「スポーツ予算が増やせないから、『サッカーくじ』の収益でスポーツを振興するのはしかたない」と、導入を肯定しています。しかし、多くの国民やスポーツ団体がスポーツ振興のために求めているのは、サッカーくじをむりに導入することではなく、スポーツ振興予算の増額のために積極的に働きかける姿勢です。
日本共産党は、大型開発中心、スポーツや福祉、教育切り捨ての逆立ち政治を切り替え、スポーツ振興策の充実をはかるよう求めています。
サッカーくじは法成立から十カ月がたちました。現在、販売業務などを担当する金融機関の選定がおこなわれています。父母や教育関係者らはギャンブルの販売所をあちこちにつくらせてはならないと運動をすすめており、コンビニエンスストアでの販売をやめさせる力になっています。(勝)
〔1999・3・27(土)〕
「4年目の実施にあたって」
日本共産党は12日、スポーツ部名で「『サッカーくじ』4年目の実施にあたって」を発表し、サッカーくじに「見過ごすことのできない深刻な事態が進行している」として、「早期の中止、廃止」を強く求めています。
売り上げが激減しているサッカーくじは、昨年のコンビニエンスストア販売に続き、今年から当せん金の最高額を従来の1億円から2億円に引き上げ (賞金繰り越しの場合)、競技場販売にも踏み切りました。「実施にあたって」では、政府、文部科学省が「射幸心をあおらない」「当面、コンビニエンススト アでは販売しない」としてきた言明を「一方的にほご」にしていると指摘し、「率先して射幸心をあおり、…ギャンブルに巻き込んでいる責任はきわめて重大で す」としています。
また、スポーツ団体への助成額が大きく落ち込む一方、文科省のスポーツ予算が3年間で163億円削減されていること、日本スポーツ振興センターの アンケートでも「購入しない」派が8割を占めていることなどを指摘。「国民から支持されていない『サッカーくじ』の販売をこのまま続行することは、“百害 あって一利なし”」とし、「国民と共同して『サッカーくじ』の弊害とたたかう」としています。
日本共産党の発表 (全文)
「『サッカーくじ』4年目の実施にあたって」の全文は次の通り。
◇
(略)
新たにスタジアムで販売――さらに青少年をギャンブルに近づける
(略)
激減する収益金とその分配――スポーツ振興をゆがめ新たな障害に
(略)
導入としてざっくりゲームの紹介+ストーリーやライブも見られるよとしつつ
→試行錯誤しゲームの理解度が上がるたび達成感のあるゲーム体験を紹介(チャンミ育成に荒んだ既プレイ視聴者もにっこり)
→キャラごとの育成ストーリーの他、メインストーリーや期間限定のイベントストーリーなどがあることを紹介
可能なら過去のおニュイさんのアーカイブの一部を皆で見ながら、おニュイさんが盛り上がったり感動したシーンをチラ見せ
→ゴエさんおニュイさん(足りないなら作家も)のウマ娘でルムマ
おそらく出てくる空気読めないレベルの廃課金ウマ娘にこんなんバケモンですやん……と健が突っ込むところまで幻視
→ゲストに好きな曲を挙げてもらいみんなで視聴しつつモデルや楽曲・演出のレベルの高さを堪能
プレゼンを見て何がしたいかゲスト交えウマおじさんたちにトークしてもらう
プレイしてみたくなった!
ストーリー見たくなった!
ガチャまわしたい!で締め
というか生配信でなくて特別編として普通に収録して編集した動画を分割でいいから見たかったわ
その後……
といったそれぞれの個性に合った動画を各チャンネルで何本か投稿後、
それぞれのチャンネルで育成なり、ストーリー視聴なり、史実交え推し語りなり生配信していってくれるとかになっていたらマジで神だった
以下の言及を見た。
https://anond.hatelabo.jp/20220313143711
加藤純一の配信やVtuberの躍進で注目を浴びることなった「スーパーチャット」いわゆる投げ銭だが、議論噴出の様相だ。
さて、先ほどの日記を要約すると、面白いコンテンツを無料で提供してきたインターネットが異常なだけで、今ある面白いコンテンツの対価としての投げ銭はよいものであり、見習うべきものである。また、eスポーツのFPSでは投げ銭という文化は根付いており、それが他の格ゲーなどのeスポーツにまで反映されればいいなというもの。
私もこの大元の日記にはさしたる異論もなく、首肯するのみである。
私が注目したのはそれに対する言及だ。大元の日記では投げ銭文化が根付けばいいよね、という大意に対して言及では投げ銭文化に対しての否定的な意見が散見される。
否定的な意見を読むと、多くの人が「投げ銭」は対価であると考えていた。
そもそも私が認識する限り「投げ銭」とは「人」や「運営元」に対して行われるものであっように感じる。そこには「楽しませてくれたから」があり、「楽しめたから」という消費者視点がなかったように感じる。どこまでも応援者や支援者としての立場があった。
この点の考え方の違いが今回の否定的な意見の源流なのではないかなと考えた。
そして、その否定的な意見をより一層強固にするのはVtuberのスパチャという概念だろう。
私自身もあの文化には入れないなと思っていたが、あるVtuber配信者にのみ500円以下の少額を2回行ったことがある。その時の私の考えの根底にあったのは純粋な応援だった。そこで気づいたのだが、私が見ていたVtuberのスパチャはアイドルの「握手券」のために躍起になってCDを買うようなスパチャだった。だからこそスパチャ文化には入れないなと思ったが、結局は目立つところだけを見てしまって食わず嫌いをしていた。
目立つ部分だけを見せ続けられ、それが一般的には「気持ち悪い」と一歩置かれるようなものであれば、スパチャという概念が嫌われるのはよくわかる。
スパチャに対する否定的な意見の配信者ではなく運営だけが儲かっている、射幸心をあおっている、稼ぎ方が汚いはいずれも上記の後に付けられた理屈のように感じた。
現在のVtuberのスパチャ文化が健全とは言わないが(一部大金を積んだ人には個別メッセを送るなどの特別扱いや個別通話など)、投げ銭文化の醸成に一役かっていることは確かだ。今後も投げ銭文化は成長するだろうし、コンテンツの楽しみ方も変わってくるだろう。
私としては「面白い人」や「面白いモノを提供する人や団体」に対してお金を応援の意で送るという文化が根付けば、世の中もっと面白くなるのではないかなと期待する次第である。
Youtubeにコメント書いてそれに対するリアクションがあると単純に嬉しいけどなんでなんだろうな
ただ、スパチャが増えてくると上位に入る必要が出てきてスパチャ額が増えるっていうのと
もはや承認欲求忘れて1位とか10位以内を取りたいとかいう射幸心が出てきてスパチャが増えるとか
知らんけど
射幸心や性欲を満たすためにスパチャしてるって意見がまずわからないし、アルコールとかタバコとか麻薬といっしょって言うのもよくわからない。人は射幸心や性欲満たすために酒飲んでんのwオナニーしてろよw
根本的にずれてるよねお前
コメントを読まれるというのが射幸心に該当すると思ってんの?マジでよくわからないんだけど、無料のコメントでも読まれるし、俺はスパチャは大体無言で送るから、お前の言ってることがまるで何も当たってないんだよね。スパチャを送って何がもらえると思ってんの?
で、なにもかもズレてるお前が「振り込めない詐欺」とは違うとか熱弁したところで、完全に意味不明なんだよね。いいえ、違わないですね。としか言いようがない。
まあ新しい価値観についていけなくなった老人って感じですかね
お前がいくらなんと言おうが、スパチャはゴミだろ。ガチャと同じぐらいゴミ。結局やってることは射幸心だとか性欲だとか、そういう人間の持ってる醜い部分を煽って、金を集めてだけのゴミ。アルコールとかタバコとか麻薬とかそういうのと一緒。
「振り込めない詐欺」を例に出してる奴が出てたけど、今のスパチャ文化はそれとは別なんだよ。「振り込めない詐欺」っていうのは、とても上手いプレーを見せてくれるゲーム動画とか無駄にクオリティを高いアニメグッズを自作してる動画とかに対してつくタグなわけで、射幸心とか刹那的な人間の感性のバグを煽ってる今のスパチャ文化とは別。
そういう競技シーンのレイヤーとは別なんだから、今のスパチャ文化がいくら伸びてもeSportsに未来なんて無いだろ。努力してすごいプレーを見せてくれるプロゲーマーには金が集まらず、なんかよくわからん騒ぎ立ててるだけで、飽きたらやーめたって言うような配信者に金が集まるだけなんだから。
お前が例に上げてるVtuberとかその最たるもんじゃん。1つのゲームメーカーを、1つのゲームを遊び続ける訳でもない。なんか人気になってる作品をちょっと遊んで、それで金を集めて終わりの繰り返し。
今のスパチャ文化が成熟したところで「プロゲーマーになるより配信者でやる方が金が集まるわ」ってなるやつが増えるだけで競技者になるやつは増えないし、質は高まらない。だって競技者として努力して、大会で好成績を残すよりも、YouTubeやTwitchで騒ぎ立てるだけのやつの方が金が集まるんだから。
「パチは追い詰められてる(どんどん廃れる)のにアプリゲーはそこまで追い詰められてないこと」についてならコロナの影響が一番大きいので、射幸心の話をしてる元増田の文章の大半が関係ない
パチンコやスロットがどんどん廃れるのはどうでもいいんだけどさ、あれって金使うのは自己責任だよね。
のめり込む人が多くて射幸心を煽らないようになんて変なルール作られちゃってイベントが出来なくなったわけだけど、
ソシャゲは第二のパチンコのようなものなのに、規制がさほど無いよね。むしろ皆無と言って良いくらいでしょ。
ソシャゲも同様に金使うのは自己責任なわけだけど、パチンコは射幸心ガーって言われるのに、ソシャゲは射幸心って全然言われないよね。
イベントも毎週のようにやってて、イベント時には新しいキャラだ、武器だって感じでガシャで射幸心煽ってるのにね。
なんかおかしな話だなって思うんだよね。
パチンコは金戻ってくるだろ!だから駄目なんだよって言う人が以前いたんだけど、ソシャゲもキャラや武器で戻ってくるじゃない?
他にもパチンコは中国とかに金が流れてるだろって言ってる人がいるけど!ソシャゲもあっちのゲームが人気あるじゃない?
どちらも同じにしか見えないのになあって。
まぁパチンコやらないから廃れるのはホントどうでもいいんだけど、ソシャゲも似てるのになーってね。
前にソシャゲはちゃんと天井があって高額にならないように考えられてるってピュアな人が居たんだけど、パチンコもスロットも天井あるのにね。
なんかなー。素朴な疑問。
まず、別にドラマに対するヘイトじゃないし、企業努力を否定したい訳じゃないのは分かっておいて欲しい。あと俺はこの件に関してブログの記事とか書いてないから、今書いてる人を疑ったりするのはやめて欲しい。単に感じた変化や違いを書いていくだけだから、意見表明はそこまでするつもりはないです。
エヴァ・すかすか・Undertale・まどマギとかの難しめの作品に昔から「考察」ってあったと思うんだけど、最近話題の「考察ブーム」のメインストリームってそれとはかなり質が違うかもしれないなぁって思った。
昔ながらの考察は知る限りは(さらに歴史の古い評論的なものを除けば)「作品のよく分からない部分を解釈する」ものなのに対して、ブームの中心となっている考察は「作品に散りばめられたヒントから、意図して隠されたものを探す」というものになっている。
こう書いても違いがあまりハッキリしないので例を出すと、例えば「『□□(作中の用語)』は○○という意味で⋯⋯」は前者に、「『□□』という証拠から、次の話で明かされる真犯人は○○に違いない」は後者に含まれる。
ここまでは当然のことだと思うので、それがどんな需要から生まれたものなのか?ということを考える。
まず、「作品のよく分からない部分を解釈する」従来の考察においての需要は当然「作品のよく分からない部分を理解したい」という"単なる好奇心"から来ているんだろうと思う。エヴァなどの難解な作品に触れて考察記事などを漁ってみたことのある方なら分かるだろうが、少なくとも自分にとって考察記事は引っかかりのあった部分を説明して欲しくて漁るものだ。
やる側、つまりそういう記事を書いたり、動画を作ったりする側の動機は単に(例えばキリスト教、哲学などの)知識をひけらかすことだろう。
(たぶん誰にでもある欲だから悪いとは思わない。そういう動機があるからやるのだということ)
対して、新しい形の考察は「次に明かされる真実を描写から予想する」というもので、需要は同様に"好奇心"からくるものだが、「考察をやる側の動機」は別のところにあると思う。
考察ブームを盛り上げている作品は、謳い文句や関連の記事などから「考察ブームを巻き起こし、SNSで話題」らしいとわかる。
つまり、(少し飛躍はあるかもしれないが)「SNSで考察が盛んに行われている」と読み取れるし、実際、ハッシュタグなどでツイートを検索しても沢山のファンが色んな説をツイートしているのが見られた。
(破綻したものはかなりあったが⋯⋯まあ色んな層に広まったということだろうと思う)
また、それ以外に特に謳い文句はない。例えば、エヴァの旧劇は「人間関係」が大きなテーマとして広告(特にポスター)に組み込まれていたと思うが、そういった他のテーマは全く見られない(ディスではありません!念の為⋯⋯推理という形の考察に特化した作品だということです)
ということは、「SNSで考察が行われること」を主軸に据えた作品だということになる。
では、この「SNSでの考察」を行う人の動機はなんだろう?話題になった作品には、色んな学問の知識をひけらかせるような引用は特にないはずだ。
真実だと思うものを予想して、考察として投稿し、当たったら周りに自慢できる。自慢というのは評価されることを前提にやるものだから、承認欲求や自尊心を満たすものだと言える。(世の中は相手を傷つけるためだけに自慢を言う異常者ばかりではないと思うので)
また、次のエピソード(あるいは、他に公式が明示するもの)が公開された後にはアタリとハズレがある以上、戦略のあるくじ引きとして捉えることが出来る。(自分の仮説の前半が正しいとすれば)アタリなら承認という快楽を得られるのだから、こういったものに射幸心を覚えるのは人間なら必然だろうと思う。
以上から、知識を公開する従来の「考察」とは本質的に異なっているのがわかって貰えたと思う。承認欲求 は従来の考察をする人にもあったかもしれないが、少なくともほとんど正答が明示されないのは確かなので射幸心は煽られないはずだ。
「考察」は「難解な怪作を解釈し、他人の好奇心と自分の知識をひけらかす欲を満たす」という従来のものから、「後から正答が与えられる作品において『射幸心から』予想を公開し、正解なら『承認/自尊心』という報酬が周りから貰える」という新しいものに転換しつつあるのだと思う。
SNS時代だからこそ可能な、共感とコミュニケーションをベースにした形態だと感じました。
(結局当たり前のことしか言ってない⋯⋯)