はてなキーワード: アカデミズムとは
名著だよね。
ただハマータウン〜は今見ると、「階級」という切り口に振り切った作品だと思う(社会学では念仏のように「階級・ジェンダー・エスニシティ」と、その切り口の多様性を訴えてるでしょ)。
それがいいとか悪いとかではなく、そこにハマータウン〜の特徴と限界があるし、
またむしろ今見えにくくなっているものを炙り出してくれるものでもある。
割と最近でも、(通俗的な言い方をすれば)白人エリート女性社会学者が黒人コミュニティに対して行った参与観察で、むしろ参与観察に入れ込みすぎた結果、キャンセルカルチャーの餌食となった例がある。
→"アカデミズムのサラブレッド"で新進気鋭の社会学者だったアリス・ゴッフマンは、なぜ「キャンセル」されたのか?【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/296647
ゴッフマンの事例もまた是非を置くとしても、ともかく現代社会は「階級・ジェンダー・エスニシティ」のどの切り口も無視することが出来なくなっていることを示す事例ではある。
ここで増田のエントリがタイトルで誤解されてそうなのが気になるんだが、ポールウイリスはマルクス主義者だから、その「野郎ども」が二重の意味での自由を手にして「Learnlng to labour」してしまうアイロニーを指摘しているだけであって、「底辺右翼」みたいに蔑視している訳じゃないと思うんだよね。
そしてハマータウン〜は「持たざる者」がどのような文化戦略を取るかについて、「階級」の切り口の重要さを伝えてくれるものでもある。
むしろ当時のポールウイリスの暖かい目線は、今ならエスニシティやジェンダーで殴られているラストベルトのトランプ支持者なんかを包摂する可能性の方に向けられるものな気がするんだよね。
「資本主義社会の再生産」という点においては、「ジェンダー」の切り口すなわちフェミニズムも、そこに加担するケースがままある。
高所得カップルが移民シッターや代理母を利用することを肯定的に捉えれば、当然「階級」や「エスニシティ」の面から批判される。
「階級・ジェンダー・エスニシティ」の切り口から全くイノセントな存在でいることはかなり困難だ。
ただし、当たり前のことだが人はその立ち位置を選んで生まれてくる訳ではないので、そこから先は個人の「倫理」の問題になるかと思う。
翻って日本の場合について私見を述べれば、男女の家事負担のようなジェンダー不平等の問題にしても、コロナ禍での医療体制の問題にしても、
日本における『労働』の過重性という問題が、あまりに軽視されすぎている。
日本では「階級・ジェンダー・エスニシティ」を問わず、それらを串刺しにする一億総「Learnlng to labour」のような状況があることを、議論の前提としてもらいたい。
オープンレター問題は「人文学」という主語で語られがちだが、オープンレターの発起人の出身大学が非常に偏っていることが気になる。
現在残っている発起人のうち、「人文学者」と呼べそうな大学教員、研究者をピックアップして、その出身大学を記すと、以下のようになる。
清水晶子氏→東京大学/ウェールズ大学卒、ウェールズ大学大学院修了
※上記はresearchmapおよびWikipediaを参照して作成している。
小宮氏、三木氏、山口氏を除いて、全員が東京大学の学部か院を出ている。
このような偏りは、東京大学が最も偏差値の高い日本の大学であるからして、東京大学出身の研究者の母数が多い、という話では説明できない。
多いと言ったって、東大は1つ、その他に研究者を輩出してきた大学は20や30はある。40や50くらいあるかもしれない。これらの大学出身者がほとんど含まれないのは、多様性やグローバル化を率先して推進してきた人々のコミュニティの形態としては極めて不自然である。
オープンレター発起人の中には、グローバルな視野を強調する研究者もいるが、オープンレター発起人のメンバーからは、そのようなグローバルさは感じられないし、むしろ内輪の狭いコミュニティですべてがまわっている印象を受けざるをえない。
(ちなみに、オープンレターに名前の挙がっている呉座勇一氏も東京大学出身であり、この度の騒動の中心人物はみな東京大学関係者だったりする。)
東京大学出身の研究者がやや特別な地位にあることは、特に根拠を示す必要を感じないので示さないが、人文学系学界では周知のことと言える。
東京大学は、「植民地」と呼ばれる非常勤先や就職先を多数確保しており、東大出身者を、研究能力とは別の力学で、優先してそこに就職させてきた。
(京都大学も当然同様の要素があるが、やっぱり「強い」のは東大だ。ただ、この強弱は分野によって違うかもしれない。)
そして、そのような天下りともいえるポストをゲットしても、それを天下り、既得権益、つまり特権とは思わず、私は東大出身で優秀だからポストを獲得できたんだ、という思考回路に陥る大学教員がたくさんいるのである。彼らの中には、東大が最も優れた大学であり、東大以外の大学出身者は「東大に入れなかった人である」、と信じている者もまれではない。そして、自分たちは偉いと信じている。このことはまったく証明する必要を感じない、周知の事実である。
東京大学出身の研究者は多く、当然のことながら、非常に尊敬できる、素晴らしい人格を持った大学教員はもちろんたくさんいる。
しかし、このような素晴らしい人格をもった東大出身の大学教員は、上記のような現状を決して否定しないであろう。
このような現状は、女性差別的なアカデミズムの慣例と同じくらい、負の影響をアカデミズムにもたらしている、このことも周知の事実だろう。
しかし、このような、誰の目にも明らかな問題構造については、誰も批判しないし、できないのである。
オープンレターが掲げた志は理解できるが、東大集団にいわれてもシラける、というのがオープンレターを読んだ初見の感想だ。
理系の状況はわからないが、おそらく似たような構造があるのではないだろうか。
つまり、オープンレターで明らかになった大学教員の醜態は、人文学者の醜態というより、東大をめぐるアカデミズムの権威主義という、文理問わず共通の、醜い醜い構造があらわになったものなのではないだろうか。
人文学ではなく、東京大学をめぐる力学を、ほかならぬ東大出身者が自省して自浄してほしい。
他大学出身者は、それこそハラスメントや今後の不利益を考慮すると、それを成すのにあなたたちの100倍勇気が必要なのだから。
ただの王様の耳はロバの耳的なお気持ちメモなので反応は求めてません。
https://togetter.com/li/1832580
https://togetter.com/li/1832482
上手く言葉にできないのだがこの件でキャッキャウフフしてる人間どもが醜すぎて吐きそう。
「不正の疑惑があったから質問してるだけですけどー」って表面の裏側にゲスな人間の表情が透けて見えてまじで気持ち悪い。
しょっちゅういろんな人とケンカして、暴力的な言葉遣いが多く、フェミニストの印象を悪くさせて
本人だけは良い気分なんだろうけれど、あなたのせいでフェミニスト息苦しいんだよくらいに思ってた。
でも、今回のニチャア・・・って感じの擬音が聞こえるような陰湿な包囲の仕方を見てて
ああ、普段から北村さんはアカデミズムの世界でこういう嫌な気持ちを味わい続けてきたんだろうなって。
世の中を良くしたいとかフェミニズムとかどうでもよくて、とにかく自分の周りの世界を全部爆破したくて仕方ないんだろうなって。
今でも私は彼女のやり方は間違っていると思っているしすきにはなれないけど、少し同情の気持ちにはなった。
そのくらい今回の件で彼女を包囲してNDK!NDK!って嬉しそうに取り囲んで騒いでる人たちが気持ち悪い。
本来なら加勢するべきかもしれないけど、今後はこの件は見てるだけで気分が悪くなるので
そんなものあったらいいのに。
賛成派も反対派も感情論で語る論者が目立つ。
もっと現実的な法律婚が強制的に夫婦同姓しかないことへのデメリット、法律婚の中に夫婦別姓が混ざることでのデメリットを感情論抜きで議論しろよ。お互いに対立する派閥を見下すことに繋がるから感情論の論者が目立つのはダメなんだよ。
それと外国人との結婚とかいう例外を議論に出すのやめとけば?例外でしかないんだろうから。
改姓で結婚する片方にだけコストがかかる、海外やアカデミズムな分野では通称が使えない、現状通称利用が不十分などの現行制度によるデメリットはあるのは知ってる。
個人のコスト面だけ考えると法律婚しないか、法律婚すると強制的に夫婦別姓になるのが一番じゃないのか?選択肢を増やすだけと言うが他の人には本当に何の影響も出てこないのか?
賛成派の意見見てるとそう思う。
戸籍制度が、日本の伝統が、と言われても、昔の事例では婿養子として男が改姓するのもあったが、発言主は改姓したのか?改姓してないとしても、嫁に全部任せっきりじゃなく嫁のサポートなりしたのか?
反対派の意見見てるとそう思う。
大人である結婚する男女より、か弱い子どもの方が大事だろ。選択的夫婦別姓の優先順位を上げることで結婚率は増えるかもしれないが、出生率が上がると言い切れるのか?結婚と子どもを持つことは完全にイコールではないが、婚外子が少ない日本においては結婚制度と子どもは密接に繋がっていると言えるのではないだろうか。
独身世帯にだけの負担がない、出生率を上げる政策、子育てしやすい政策を重視した方がパートナーがいても独身でも生きやすい社会になると思うんだが。
これはその通り。
もう一つ踏み込むなら、大野先生の言う「性的」は、単に不快だからダメなのか、
それとも「女性」なる集団の、何某かの権利を侵害するからダメなのか、
大野先生に限らず、◯◯差別の存在を訴える側が、不快感と差別の境界についての言語化を怠っている。
フェミニズムの詭弁の一つに、「その表現は◯◯差別を助長する可能性がある」がある。
・その表現の、何がどうしてどういうメカニズムで◯◯差別を助長するのか
・その表現が人々の意識を変え、◯◯差別を助長したというエビデンスはあるのか
こうした問いに、アカデミズムですら答えようとしない。
「バイデンが福島の井戸に毒を入れているのを見ました」という書き込みについて、「差別を煽動している」と断言した津田大介が、何がどのようにどうやって差別が煽動されるのか、そのメカニズムを一切語れないのと同様に。