はてなキーワード: 授業参観とは
長く離れて暮らしている弟から、「自分は注意欠陥障害で、薬を処方してもらうことになった」という電話がありまして。
兄の自分としては、はあ、でもお前俺よりはずいぶん落ち着きがある子だったよと言いたかった。
授業参観の日に頭を振ったり椅子をガッタンガッタンと揺らしたり、立ち上がったり、授業時間のほとんどの間そんなことをしていた自分をみて、母はえらく恥ずかしかったそうだ。
話を聞いてない疑惑は担任が変わるたびに持ち上がったが、成績自体は悪くなく、聞けばちゃんと答えるので、そのたびに疑惑は晴れていた。
今でも数年に一度は財布をなくすし、ヘルメットを被り忘れてバイクに跨るし、ケータイ電話を圧力鍋にかけてしまったことがある。
弟はどちらかといえば、一点に集中して他が見えないようなところがあった。
いまでも左右を確認せずに道に飛び出そうとする。
その手の病気というのは健常と異常の差は明確じゃなくて、治療の開始は日常に支障が出るかどうかというラインで決まるだろうから、薬を飲むことに関しては口はだすまい。
俺はいままでなんとかなってきたし、これまでも、これからも、ペーパーテストと、技能で居場所を勝ち取っていけばいい。
それはいいんだけどね、
「これは遺伝的な問題だから、一生子供は作らない。兄ちゃんもそうしたほうがいい」
というような旨のことを言われたのです。
俺は、自分自身が発達障害だとか精神病だとかは思っていないが、「子供は作らないほうがいい」ということは薄々感じていた。
なんとなく、なにか欠けてるような気がするのだ。
配慮や空気を読むということが。
相手がどうしたら気持ちいい気分になれるか、全員の幸福量を底上げするにはどうしたらよいか、そんなことを考えてばかりだが、嫌われてばかりだし、嫌われていたことを何年も後に第三者から聞かされるくらいに、表情が読めない。
まだ結婚もしていないし、年齢=彼女いない歴だから悩む以前の問題だ。(弟にはちゃんと恋人がいるし、今の彼女が初めてはない)
とにかく、弟が自分と同じ事を考えていたということにびっくりした。
なんか、何だろ、この気持ち悪さ。
例えばヤフーのトップに出てるビデオカメラの動画広告。こども撮り三原則ー! とかやってるやつ。
なんか小学校低学年くらいの女の子がクラスのみんなの前に立ってビデオのいいとこアピールしてる的な。
あれきっとシチュは授業参観に学級討論ぶつけた感じで「わが子らの! ちょっといいとこ見てみたい!」な親の欲望を「見るだけじゃなくて撮っときたい」っていう風に持ってくつもりなんだろうけどでもなんだろうなんなのこのもやもやする感じ。
あれターゲット間違えてね?
あるいはモノを間違えてる。
あの広告って子ども宛だよね、本来。「子どもでも撮れる! ビデオカメラ」みたいな。
いやその路線でビデオカメラが子どもの興味を引くかは別として、そういう文脈じゃね?
作った側が想定する主な商品使用者層(=購買対象層)と同じ属性のキャラクタを使ってアピールする手法でしょ。
何でそこで背後に親置いちゃったの? っていう的外れ感がすごい。不快。
「わが子の活躍をキレイに!撮りたい」という親の欲望はある程度共通だろうけど、じゃあそいつがそのままひっくり返って子どもから発される声であるかってそんなわけないやん……っていうのがすがすがしくも無視られてる感じが不快。
あとヤフーの広告と言えば新築マンションの動画広告もキモイです。「結婚!」「子どもが生まれる!」「頭金が貯まった!」「もういいトシ!」みたいなやつ。
小町でやれ、って言わないで。ここで書かせて。
で、思ったこと。
うちの小学校ではプリントで「撮影禁止です!」を謳ってるわけじゃないから、
尚のことなのかもしれないけど。
いやー、びっくり。あれって、何の文化なのだろうか。
暇だから(いや、授業参観って結構暇だよね。自分が参加できる場面があるわけじゃないし)
他の父母観察していたのだけれど、
自分の観察範囲における考察としては、ビデオ撮影してる人って父親率が高い。
たぶんさ、お母さんはやっぱり他のママさんとの繋がりがあるからさ
いわゆる女の同調圧力ってやつがね、
だから、「ビデオ撮影」っていう若干後ろめたいことはおおっぴらにはできないんだと思うんだよね。
でもお父さんって、あんま、パパ友とかないじゃん。
だから人の目とか、気にならないんだろうね。
授業参観の科目は図工だったんだ。厚紙使った工作。
先生がさ「お父さんお母さんも、そんな端じゃなくて奥のほうに入ってお子さんの様子見てください」
なんて言うもんだから、みんな自分の子どもの隣にばっちり着いたんだよ。
そしたらさー、うちの娘の隣の席の子どものお父さんが、やっぱりカメラ構えてて
「自然な感じで!そう、手動かしたままでいいよ。カメラ目線は要らないから!」って
指示飛ばしながら撮影してたのに超うけた。
見た感じ、普通のお父さんっぽいのに。どうしてそうなっちゃうんだろうね。
指示出すと言えば、他のお母さんたちも凄かった。
「同じ色の紙ばっかり使わないで、そっちの紙も出して使いなさい!」
「もっと細く真っ直ぐ切らないと、うまくいかないわよ!」
「それで完成なの?だめだめ、他の子の見てみなさい!」
「親がいかに我が子のことを思っているか、手紙を書いてください、道徳の授業で使うので」
という「要請」が来た。
で、妻が、「どのような文体にすればいいのか?」と必死に悩んでいた。
ネットを見ると、「親からの子供への手紙」というのは、ここ数年で急速に各学校の道徳現場で
広まっているイベントらしく、特に「2分の1成人式」の目玉行事になっているらしい。
(2分の1成人式とは、子供が10歳になる4年~5年生の時に行うイベント。これもここ数年で急増)
妻は
「変にあっさりした短い手紙だったりすると、子供同士で手紙のボリュームを比較し始め、
『A君の手紙は短いんだね、親が手を抜いたんだね』とイジメられたりしないか?」と
妙な心配をしていた。
そのため、「親から子供への手紙@道徳授業」の「例文」がないかどうか、
Google検索やウィメンズパーク投稿などを参考に探し始めた。
気分は「宿題を知恵袋に聞いて回答する小中学生」の気分(いけないことしている気分)である。
ネット上では、「親からの手紙を書くのが大変だった」とかいう投稿は結構あったが、
中には「文書をここにアップロードすることも出来ますが、あえてアップロードしません。
親が自分の言葉で書くのが重要だと思いますので」と「意地悪」している親もいた。
よっぽど「人力検索」「知恵袋」にヘルプを依頼しようか、と思ったが、
何とか数個の「テンプレートになりえる文書」を見つけ、やっとのことで書き上げた。
時間にすると数時間、時給換算すれば1万円以上の原稿料が欲しい。
穿った見方すると、この「手紙」、文書が短い家=愛情が薄い家を
1歳児半検診のウラの目的は幼児虐待発見、と聞いたことがあるが、この手紙も
児童虐待発見のためのウラツールじゃないか、とも考えてしまう。
虐待発見云々は考えすぎかもしれないが、手紙が短い家、親が表現力が下手な家の子供は
イジメられてしまうんじゃないか、と思うし、こういう形での「家庭対抗愛情発露競争」は
いかがなものか?と思う。
学校現場は「対抗戦ではない」と抗弁するかもしれないが、受け取る方(児童、保護者)は
ましてや、授業参観日にそれをやっているのだから、親同士の「見えない対抗意識」に火をつける。
で、不思議なのは、「2ちゃんねる」の教育板とかで、この「親から子への手紙」への
批判投稿なりが見受けられないことだ。
「親からの手紙ウザイ」とか「アホラシ」のような投稿が2ちゃんねるにちょっとはあるか、とも
33 大魔王ジョロキア(チベット自治区) :2011/02/09(水) 17:21:07.47 ID:QbApRcp40
周りは28歳じゃまだまだ、と言うかもしれない。
でもな、男は30過ぎの女はおばさん、28だって焦ってるね・・・と思ってる。
後2回バレンタインデーを終えたら30だ、30女のチョコなんて 怖くて受取れないぞ。
同級生を見てみろ、近所の○子ちゃんも、○美ちゃんも結婚した。
1人身お前だけじゃないか、将来の夢はお嫁さんと言うのは嘘か?
40女の悲惨なことはない。子供だって虐められるかもしれない。
独身の先輩も居るって?じゃあ、その先輩をどう思うんだ。
同じになりたいか?後2年もすれば、その仲間入りだ。
『焦ることない』って言ってた後輩はもう子持ちだったな。
お前は顔も普通だし公務員みたいに産休とって一生稼げる仕事でもない。
家事をありがたがる男はもういない。
は更に悲惨だ。『誰とも結婚できませんでした』と宣伝して生きてるようなもんだ。
寝入りばなに不安に思うことがあるだろう?
中学校では、
また、情報高校を新設し、
C言語やエクセルVBAを通したさらなるプログラミングの奥深さ、また、情報学など、より高度な情報分野への学習をする。
まず、IT業界というのはそれ以外では喰っていけない、職人のようなものである。
しかし、そこに多くの人材がたかだか四年程度の情報科を出て、すぐ戦力に回される事態である。
それが僅かな人材で高度なことをするエリート的なものではないのが、問題だ。エリート的な少数精鋭なら、学部教育で間に合う。
そこで、ボトムアップをしなければならない。
小中9年間の教育は大変重要であり、その9年はとてつもなく長い。
その9年で少しずつ今の高校情報レベルまで押し上げ、高校からは完全に専門的な学習へ移行させるのだ。
教員は情報教員枠として小学校から専属の、必修の社会人経験を積んだPGやSE、SIerが受け持つ。
つまり現場のノウハウをもとに実用的な教育ができるということだ。
私の提案したプログラムじゃ駄目だろうが、必要なことであることは間違いないので、ぜひここを見ているカンリョーさんは検討いただきたい
母が閉経した。50歳付近。
身内の私が言うのもなんだが母は年齢の割にという但し書きがつくものの綺麗な容姿をしていると思う。
昔は授業参観などで母を同級生が見て「あの人誰のお母さん?すごいきれい」とこそこそ話しているのを見ては優越感に浸っていた。
年を取った今は、年齢を相対化した際には美しいと評価されるものの、
絶対的な美しさは評価されなくなってしまった。
この人はもう女ではなく「過去に女だった生き物」になったのだ。
そして「子供を産む」という役割を果たし終えて、
従ってセックスの価値も失って、ただただ抗うこともできず衰退していくだけの余生なのだ。
彼女が女としての役割をまっとうしたことの生きた証が私の存在なのだ。
彼女は一抹の寂しさを感じているだろうが、すでに自分の女性性に執着する必要はない、失うものはない、と逆に気が楽になっているようだ。
急激に恐怖を感じた。いつか彼女に私もなる。
そしてさらに不安なことは、そのとき「女としての責務を果たした」生きた証である子供がいる保証がないということだ。
子供を産むという機能と引き換えに庇護してもらうしかない「女」から脱却しようと、
「女」の主体化に先人たちは努力してきた。
しかし結局女自身が「欲望される体」「子供を産む体」に自身の存在価値を置いているのだから、
それを砦にして生きているのだから、いやむしろ欲望され子供を産むために生きているのだから、
永遠に私たちは「男」を主体とした客体物でしかありえないのだ。
生理がなくなり欲望されることもなく子供を産むことも無くなったときに、
唯一拠り所にできるのは「自分が責務を果たした」ことの証である子供の存在だけなのだから、
そして子供を産めるのは「この女と子供の人生に責任を果たす」という覚悟を男に持ってもらえた女だけ、
すなわち愛された女だけなのだから、
そして愛されなかった女は結婚よりも安い値段で体を提供する、つまり不特定多数に売春することでしか、
存在意義を発揮できないのだから、
結局女の価値は男によって決められるのだ。
今は30代後半でうむ人も多いから昔よりはマシになってるんじゃない?むしろ若い方が年寄りママにいびられて可哀相な気がする。
老人会の催しとかどんどん受け入れればいいのにな。
教師以外の大人が存在していれば、たとえばいじめとかモンスターペアレンツのような問題も起こる可能性はぐっと低くなるはず。
特に老人が日常的に存在する生活は児童の情操教育にも悪い事ではないはずだよね。
という事を、俺の両親、俺と二世代連続で我が子が通う小学校やPTAに提案してるんだが、一度も前向きな答えをもらったことが無い…。
何が障害になってるんだろうな。
これが体育館なら、ママさんバレーみたいな活動に貸し出してる所もあるのに。
http://anond.hatelabo.jp/20100331023100
授業参観や運動会を思い出すと分かるけど、小学校って人間の出入りに関してこれと言った手間を掛けてるわけじゃないよね。
http://anond.hatelabo.jp/20100331085338
だいたい、教室なんて貸し出すようにしたら、ネットワークビジネスだか宗教だかの目的で利用しようとする奴が現れるだろうし、
あの手の怪しげなセミナーというのは、学校同様に誰からの目も触れない閉鎖された空間だからこそ成立するんだよ。だから開催場所の大半が雑居ビルの貸し会議室の類みたいな所でしょ。
児童、教師、(セミナー以外の目的で訪れた)大人の目に晒されている場所で詐欺を働く必然性は非常に薄い。
http://anond.hatelabo.jp/20100331101829
ってか本当に老人は子供を好きなのか疑問だよな。
好きだろうが嫌いだろうが、社会に出てもずーっと老人と接触せずに生きていくわけにもいかんでしょう。ただでさえこの国は高齢社会なんだから。
早い段階で触れ合っておく方がよっぽど良いと思うが?
http://anond.hatelabo.jp/20100331194343
こういうのは具体的に何をどうすれば良いのか、どこをどうしてどうやったらどうなる、って事を決定権のある人に説明してOKもらわないと話は進まないと思うよ。
女の居場所がなくなるっつーか、「仕事のみ」人間以外の居場所がなくなる、な。
でも、独身のうちで仕事のみに生きる!みたいなのだったらいけるんじゃないか?
朝早くに出社して終電で帰るような毎日じゃ、まともな家庭生活は送れない。
家事を担う人はそういう生活はできないので、そういう職場にはいられなくなる。
日本のスタンダードでは、まだ女が家事をする割合が高いから、いられないのは女。
男はいいさ、家事全部妻に丸投げできるもんな。夫のいる女がそれやったら非難轟々だ。
なるべく家族にかかわりたい男も居辛い。
早く帰って夕飯の準備でもしておこうとか、アフターファイブに映画とか、
授業参観や運動会に行きたいとか、子供が熱を出したら迎えに行かなきゃいけないとかも、
そういう職場にはそぐわない。
という気がするんですが如何でしょう
思春期以前の子供の頃から、「結婚で幸せになってる男性」というのをメディアで全然見なかった気がする
漫画でもドラマでも既婚オジサンは、世間からも妻からも子供からも馬鹿にされるかわいそうな存在
自分は当時は子供だったので、むしろ子供側に感情移入して母親といっしょに父をなじる展開にカタルシスを得ていたけど
それでも「なんか変じゃないの?」という気はウッスラとしていた
CMでも専業主婦役の女性達がニコニコしながら「亭主元気で留守がいい!」と唱和している
または、溜まってる主婦達に甲斐甲斐しく料理を出す夫を眺めながら「亭主コントロール力」を褒めたりニンマリしたりしている
音楽でも小学校6年ぐらいで聞いた爆風スランプの「45歳の地図」というのを覚えている
授業参観で子供に「親父のようにはなりたくない」と作文で読み上げられ上の子のコンパ代が自分の小遣いより高くて妻は冷たく…
みたいな内容だった
ずーっとずーっとこういうのを浴びてきた気がするんですが
こういうのって今適齢期の男達にサブリミナル効果を発揮してない?
どうかしら
※「しねしね団」のかわりに任意の勢力や団体を入れてくださっても結構
2009年5月から施行される裁判員制度。重大な刑事事件の第一審を6人の裁判員と3人の裁判官で"事実の認定""法令の適応""量刑の判断"を決定しなければなりません。そんな裁判員制度、なぜ日本でしなければならないのか、誰が得をするのか、もしかして一定数の利権の為に国民が利用されるだけなのか、反対賛成という議論ではなく、施行する事で社会がどう変わるのかをドグマ的メモとして言及したいと思います。 (半分パラノイアです)
まぁ、一般的に知らないのが当たり前だと思います。「法律なんか分からない」「私には無理だよ」というのが大多数ではないでしょうか。しかも、マスコミ、特にTVや新聞で報道される過激な犯罪、無罪を主張する被告人、嘆き悲しむ被害者遺族の姿、少年犯罪などを見て勝手に、「最近では、変な犯罪が増えたよね~」などと思い込まされているし、悪いことをすれば、全員が逮捕され刑務所に入れられると思っていたりもする。
しかし、マクロ的に見ると全く違う。むしろ逆のロジックなのかもしれない。逮捕されたところで刑務所のキャパシティが決まっているので数パーセントしか入れられない。少年院を合わせても想像以上に少ないのが現状だろう。
それからマスコミで報道される事件というのは、万人受けする記事を書く上での選別をしているので、つまらない殺しとか、話題性のない強盗とかは一切取り扱わないし、教育上使えるものを選んでいる程度だと思われます。だから実際裁判員として法廷で担当する案件はもっとえげつない事件に当たる可能性は十分にあります。
例えば、4人で銀行強盗をして帰りに仲間3人を殺したなど、マスコミでは報道していない(できない)事件を目にすることになると思うし、事件現場の写真や、証拠写真、バラバラ遺体写真も見ることになるかもしれない。言うまでもないが、これもTVで見ることはできない。
そもそも日本というのは、犯罪率や再犯率が非常に少ない国であります。重大事件といっても年間で何百件程しかないですし、その内7割が全面自供をしているので、裁判員として法廷に参加しても、7割の確立でただ見ているだけという授業参観状態になると考えられます。国民が想像している「無罪を主張している被告人」などというのは1%にも満たないですし、それがマスコミで話題になり報道されるので、人々が誤解をし勝手なイメージで司法を捉えてしまっているのではないでしょうか。
刑事事件というのは、警察が逮捕して検察庁に送られます。そこの執務室で検事が起訴するかを判断します。起訴された被告人は裁判所で裁かれる流れなのですが、この時の裁判所での有罪率が99.9%と言われています。ということは、検事が起訴すれば有罪。逆にいうと、犯罪者でも起訴されなければ無罪になるということなのです。つまり、裁判所で白黒を決めているのではなく、検察で有罪か無罪かを決め、裁判所で量刑を決めているのです。
少し話が脱線しますが、被害者遺族が法廷で被告人に質問などができるようになりました。しかし、この制度も明らかに奇妙なのです。例えば、こんなシーンを見た事ないだろうか。自分の子供を殺された母親が被告人を恨んで殺してやると涙してる姿を。しかし、実際にはこんなケースは希有で、殆どの殺人は身内殺人や遺族殺人ですから意味がないのです。しかも、色々時間掛けて参加しても最終的に無罪になれば被害者遺族は無残な事になります。このことから被害者参加の意味というのは私には理解ができないのです。
ご存知だと思いますが、国民の殆どが裁判に興味がなく参加したがらないのが現状です。これは施行後も変わらないでしょう。なのに裁判員制度は走りだしています。検察も弁護士も判事も政治家かも、これといって得をする組織がありませんし、国民も得をするとは思いません。
今までの司法村のあり方にガタがきているからか?グローバル化によって日本が静寂してるからか?いくら考えても何の為に施行するか考えつきません。個人的には、裁判官と話ができるし、法廷の雰囲気を体感できるので前向きに参加するのでいいのですが、俯瞰的に見たときにこれといった理由が思い浮かばないのが結論です。
ここからは私の理想論なのですが、裁判員制度を施行するのであれば、もっと国民が司法に介入してもいいのではと思っています。今の裁判員制度だと一生に数回しか参加できないですが、国民一人ひとりが裁判員を年に1回参加する頻度にすればいいのではと考えます。確定申告みたいに。そして、取り扱う案件も幅広くし、裁判官の人事権も参加できるようにすれば良いのではないでしょうか。つまり、社会の当たり前として考える事により色々解決すると思う訳です。具体的に何が変化するのか考えて見ました。3つあります。
一つ目は、大企業は勿論の事、中小企業や個人で仕事している人でも裁判員制度で穴が開くことを前提で仕事を組み立てようとします。そのことで働きすぎの企業体系も、仕事のあり方すら変化するのでは考えます。
二つ目は、司法村の改革です。重大事件以外も裁判員制度にすることで保守的な司法をオープンにできればと願います。
三つ目はは、国民一人ひとりの意識改革です。日本人は極めて傍観者的であり、お任せ意識が強く、何事にも関わろうとしません。昨今では、グローバル化で日本は先進国と言われていますが新興国の追随で、このままでは淘汰の可能性もあります。裁判員制度をきっかけに、銘々が少しでも自立し国全体の温床になればと妄想します。
ショッキングな事に、裁判官は法律を調べて量刑を決めていません。判例と比較して量刑を決めているのが実態です。なぜかというと、司法村で個性的な事(判例を無視した量刑)をすると左遷やクビになるからです。冒頭で述べたように、基本的に検察が白黒を決めているようなものなので、裁判所ではセレモニーが行われているだけなのです。判事にとってノルマは絶対ですし、仕事を溜めるのはご法度、勾留を却下することもできない、そんなマニュアルを見ているが如く流れ作業をしている判事なので、裁判員制度くらいでは保守的な考えは直らないだろうと思う訳です。
何が言いたいかと申しますと、例え裁判員(素人)が参加したとしても、3人の裁判官の内一人でも無罪に入れないと過半数でも無罪にならないことから、判事は絶対の権限を持っていますし永山基準は変わらず、保守的な形態は緩和しないのではと懸念します。
先ほどでも述べましたが、私としては、判事の人事権や重大事件以外(勾留判断とか)でも国民の監視下に入れることにより、ブラックボックスの司法村の透明化、国民のインセンティブ、国の温床になると考えますので、やるのであれば徹底してやるべきだと私は思う訳です。
授業参観の保護者に香水を使用させない方便に「化学物質過敏症」が使われた。
http://www.asahi.com/national/update/0214/NGY200902130016.html
授業参観では、香水やにおいの強い整髪料は控えて――。化学物質過敏症の人たちが学校などの公共の場で被害を受けることがないよう配慮を呼びかける動きが、全国の自治体に広がっている。患者の支援団体によると、千葉、岡山、広島の3県と21市町が、ポスターなどで啓発を進める。とはいえ、化学物質過敏症への認知度はまだ低く、自治体側には表現方法などをめぐって戸惑いもあるようだ。
「子どもによっては、保護者の整髪料や香水などに反応して息が苦しくなるなどのアレルギー症状が出るようです。鼻やのどを刺激するような整髪料や香水を控えていただくと、大変助かります」
今月初め、名古屋市瑞穂区の市立小学校が、保護者あての「学校通信」で、こんな呼びかけをした。こうした「お願い」は、初めてという。
しかし個人の趣味嗜好で他人へ迷惑がかからぬようにすることは社会人として当たり前のことであり、ことさら他人への害という問題にする必要はあるのか。ブックマーカーの意見をみると
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「授業参観、香水控えて」 学校「過敏症の子に配慮を」 - 社会
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0214/NGY200902130016.html
pollyanna 教育 「化学物質過敏症」を持ち出す必要があるのかいな。気持ち悪くなるから香水やめてでいいじゃん、と思ったり。強すぎる香水はほんと勘弁。/id:y_arim これが一番角が立たないという状況がいろいろもにょる。メタブへ↑ 2009/02/15
y_arim news, education id:pollyanna いや、これが一番角が立たない方法なんじゃないかな。「不快感」以外の客観的なエヴィデンスが示せるから。「気持ち悪くなるから」だと「個人の自由だろ」と言い返されて泥沼化するだけだと思う。 2009/02/15
もはや社会人としての常識、マナー、モラルといった不文律はとっくに有効性を失っており、科学的裏づけという客観的な証拠、その実「香水は他人に傷害を与えうる」「香水の使用者は加害者になりうる」という明らかな「損」なくして香水の使用を制限できぬところにまで日本社会は陥っているということをこの現象が示していることがわかる。
もうひとつ。任天堂DSといえば日本で1000万台以上を売り上げた携帯用ゲーム機だが、それで遊ぶためにはソフトも購入してゲーム機に取り付けなければならない。
ここで問題になっている「マジコン」はDSに取り付けることであたかも任天堂DS用ソフトと同じように振舞う任天堂非純正のガジェットである。
その仕組みはマジコンにインターネットからダウンロードした(或いは自分で吸い出した)DS用ソフトのデーターを書き込み、それをもとにマジコンはDSに対し自分がそのソフトであるように振舞うのである。
もしユーザーがソフトを買わずに「マジコン」を選べばそれだけ任天堂やDS用ソフトメーカーの売り上げが減ることになる。昨年中国のマジコン製造業者は不正競争防止法違反で摘発されたが、依然としてマジコンユーザーは後を絶たぬ状況であるらしい。
『パワプロ』開発者が質問にブチギレ! マジコンユーザーに一喝
http://getnews.jp/archives/5406
最近流行しているマジコン(?)に対して、『実況パワフルプロ野球』シリーズから派生した『パワプロクンポケット』シリーズの開発関係者が激怒していることが判明した。ニンテンドーDS用ソフト『パワプロクンポケット11』の公式サイトには、ファンからの質問コーナーが存在し、すでに質問の募集は終了しているが、多くの質問が寄せられた。そのなかに、マジコンに関する質問があり、その返答で激怒しているのである。つまり、公式にコナミのゲーム開発者がマジコンに言及している、珍しいケースである。
■神奈川県 の 1丁目の20番さん 13~15歳 の質問
Q: 今回のぱわぽけはしっかりマジコン対策しましたか?
A: そう言う事はいうな!買えよ!俺らの仕事や時間を無駄にする奴は消えてしまえ!!
Q: 具田君と話していて思ったのですが、マジコンについてどう思いますか?
A: その商品自体はグレーらしいけど、それを利用して正規に購入していないゲームで遊んでばかりいると色んな人たちが困ります。まず売り上げが確実に落ちるからね。売り上げが落ちると人数や制作期間を短くしなくては立ち行かなくなるわけで、ゲームの質がどんどん落ちていくだろうね。そんなものばっかり使うと、そのうちゲームなんて発売されなくなるよ。レストランで食い逃げするようなものだからね。…そうなればパワポケもおしまい…
はてなブックマーク - 『パワプロ』開発者の貝田さんブチギレ! マジコンユーザーに一喝 ≪ ニュース | 未来検索ガジェット通信
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://getnews.jp/archives/5406
okoppe8 こういう時代だから、不正利用には「カッコ悪いよ」という価値観で対抗するしかないからね。がんばって欲しい。 2009/02/16
痛いニュース(ノ∀`):「パワプロ」開発者、中学生の「マジコン対策しましたか?」の質問にブチギレ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1217616.html
107 : すずめちゃん(catv?):2009/02/16(月) 20:17:56.44 ID:6voUB1Qg
まさに一般人がR4とか使ってるからな
家族いる奴がだよ
子供とかに与えてるんだろうなぁ
131 : すずめちゃん(北海道):2009/02/16(月) 20:21:49.02 ID:0mq+bojW
マジコンとかコピーとか昔は知ってる人だけ知ってるってなもんだったのに
ちゃんと購入しないと韓国みたいになるのに。
136 : すずめちゃん(アラバマ州):2009/02/16(月) 20:22:24.58 ID:B82kqRgn
151 : すずめちゃん(アラバマ州):2009/02/16(月) 20:23:37.04 ID:YFx6/g9r
こないだパートのおばちゃんが
って言ってた
178 : すずめちゃん(関西地方):2009/02/16(月) 20:25:23.79 ID:GRK9hiuE
遊びに来た弟の友人とか、ほぼマジコン使ってるよ。
「お母さんが新作すぐDLしてくれんねん、頼んだろか?」
って親からして腐ってる。
347 : すずめちゃん(dion軍):2009/02/16(月) 20:43:03.83 ID:ADrYZjia
そこには「エロで稼ごうなんて下衆な発想」っていう
364 : すずめちゃん(神奈川県):2009/02/16(月) 20:44:47.00 ID:SyJWWKRp
>347
マジコンという選択肢がありながら店屋で金を払ってソフトを買うという行動は利己主義に反している。自己中心的に考えれば自分の行動でメーカーが損をしても、それで自分が得をすればいいからだ。
「それでも」製作者へ対価を支払うのが社会人としての責任であり求められるモラルであるはずだ。しかし、マジコンの普及はそうしたものが軽視されている日本社会の実態をやはり映している。
だからダウンロード違法化というのはモラルが有効に機能していない社会における実効的な対策ということになる。ダウンロードが明らかな「損」ということにならなければそれは防げないのだ。
「モラルなき行動は嘆かわしい」とかもうそんな段階はとうに過ぎ、モラルがないことを前提にルールを作り直していくしかない。そんな感じなんだなーとこの二つのニュースをみて思った。
つい先月の出来事
高校一年の妹の授業参観が金曜日の昼からあると聞いた俺は、大学を抜け出して
見に行った。両親は仕事でいけないと前の夜に話していたので好都合。
教室に着くと昼休み終了ギリギリだったらしく、妹は友達と席で談笑中
俺「(手を振ってる)」
妹「( ゚д゚ )」
妹の友達は何やら騒いでいたが、妹は( ゚д゚ )のままだったwww
クスクスという笑い声と、妹と俺とに集まる視線を感じながら授業は終了。
妹「何でお兄ちゃんが来るの!?信じらんない!」
俺「ヒドス(´・ω・`)」
妹の友達「○○(妹の名前)のお兄ちゃん何ですか~。いつも○○が話してますよ」
俺「何て何て??」
妹の友達「ウチのクラスの男子よりずっとかっこいdふじこjkl;」
妹「(友達を羽交い締めながら)お兄ちゃんは早く帰って!!」
俺「はい(´・ω・`)」
家に帰ると真っ赤な顔で親に愚痴る妹がいたww
なんだかんだでブラコン&シスコンな兄妹です
http://anond.hatelabo.jp/20080603202014
授業参観、なるほどそういう感じかー。
「最低限の社会人らしい格好」というのがいまいちピンと来なくて。
http://anond.hatelabo.jp/20080603203052
離婚や訴えてやる!ではなく、書類の作成代行をお願いするために詳しく話をしにいくという感じです。(既に第三者から話は通ってる)
やっぱり「お仕事を頼みに来ました」という印象を与えるのが好ましいのかな。
…聞いておいてあれだけど、できれば足を運ぶ必要がないように電話でなんとか出来ないか聞いてみる事にしたよ。
どうにもならなかったら参考にさせていただきます!
自分の小学校は一学年一クラスしかなかったから六年間ずっと同じ34人(途中転校生はいたけどね)だった。
中学は二手に分かれたけど規模自体は似たようなもの。ヘタしたら高校まで12年間同じクラスなんてヤツもいたかもしれない。
体育館もプールも図書室もなく、給食もないのでみんな弁当持参。弁当を用意できない生徒のために、クラスごとに日直がオーダーを取って近くのパン屋さんに仕出ししてもらっていた。
自分は母親が元から父親のために弁当を作っていたので毎日弁当持参していて、年に一度母が風邪を引いたりした時パンの注文をするとものすごく珍しがられた。
反対に、毎日パンを注文してる男の子がいた。そのTくんはパン屋さんが休みの金曜日になるとコンビニでおにぎりを買って食べていた。6年間ずっとその調子だった。
私はどちらかというといじめられっこの部類に入っていて、T君もクラスではマイノリティに属してた。
ある日クラス委員の男の子が私の弁当を取り上げて、Tくんの目の前に置いた。
「おまえいつも弁当食うの遅いし、残すんだからTにやってもいいよな」
Tくんは机の上の私の弁当を薙ぎ払うように叩き落した。もう20年近く前のことだが私は忘れない。
私の大好きなほうれん草の玉子焼きが足元に落ちてきたのも。
多分6年間のうちに一度か二度だけ、Tくんがお母さんに作ってもらった弁当を持ってきたことがある。
やっぱりクラス委員のやつが「お、Tめずらしく弁当持ってきてるじゃん。ハンバーグうまそう」と言って、メインのおかずだったハンバーグ(多分冷食だった気がする)を取り上げて一口で食べてしまった時の、Tくんの顔を私は忘れない。
Tくんは私をよくバカにしてからかって、隣の席になった時は私の机に机をごつんごつんとぶつけて「こっちくんなよ!」と言うことがあったけど、席順で回ってくる日直の日、夕焼けが見える教室で最後の片づけをしながら「いつもごめんな。でもこうしないとあいつらに仲良くしてもらえないんだ」とうつむきながらぽつりとこぼしたことを私は忘れない。
「あいつら」はクラス委員のグループだった。Tくんはその中の一人とよく昆虫や電車の話をしていた。
Tくんには年の離れた兄と姉がいて、授業参観は彼らが来てた。若いお父さんお母さんといわれてもおかしくないくらいの年かさだった。
几帳面というか神経質で、字のきれいな子だった。成績はクラス委員のヤツと多分同じくらいだったはずだ。
Tくんは遠くの中学校へ進学した。
同窓会にTくんは来ないだろう。
私は「行かない」と言った。クラスの女子はみんな優しかったけど、私はあの時も今も伝えたいことがうまく伝えられなくて空回りしてた。「変わった子」だった。学校が大きければ比率が同じでも「変わった子」は一人じゃないんだって気付いたのは高校に入ってからのことだ。
「あいつらに会いたくない」と遠回しに言ったら「でも今会ったらきっと違うよ」と明るい声で返ってきた。
違うんだ。あいつらにはいつまでも、あの愚かな、私の弁当を取り上げ、Tくんを追い詰めたヤツらでいてほしいんだ。そうじゃなきゃ私はあいつらを許さなくちゃいけなくなる。自分のやったことなんてきっと忘れてるだろうけれど、でもあいつらが「いい人」になってしまったら私はどうすればいいんだ。
万が一しでかしたことの一つくらいは覚えてて、「ごめんな」なんて言われたら、謝ってこられたら私は許さなくちゃいけなくなるじゃないか。怒りに任せてぶん殴ったら、気を済まさなくちゃいけないじゃないか。私は気を済ませたくなんかないんだよ。
吉田秋生の「櫻の園」に出てきた部長の言葉に私は心から共感する。
だから私は同窓会には行かない。
キョウコはいつも自信に満ちていてとても美人なクラスメイトだったから、私はとても憧れていた
キョウコは髪が生まれつき茶色で、色白で、瞳の色も薄い茶色をしていたから
暇なクラスメイトたちが、父親が日本人じゃないとか母親がガイジンと浮気して出来た子だとか
中学生らしい胡散臭い噂を毎日こそこそと、でもキョウコに伝わるように話していた
それは酷く不快な噂のはずなのにキョウコはちっとも気にしていない素振りで毎日笑っていた
避けては通れない授業参観というイベントが9月のある日に実施された
冴えないクラスメイトの親の中に、キョウコに良く似たとても綺麗な女性がいた
けれど皆の視線を集めたのはその美しい容貌ではなくて、サングラスで覆われた瞳と車椅子と言う姿だった
デリカシーの無い男子が指を指してヒソヒソと話し、それをクラスのリーダー的役割を担っていた女子達が制した
けれどその女子たちも実は興味津々と言ったカンジでちらちらとキョウコの母親を盗み見ていた
それとは対照的に、キョウコは決してその姿を見ようとはしなかった
国語の授業が始まり、淡々とそれでも父兄をやや意識しつつ担任が進行する中で
たまに教室に響くキィキィと言う車椅子の音がとても重く感じられた
なにがどうなって、キョウコの母がああいった姿になったのか
病気なのか、事故なのか、もしかしたら生まれつきなのか、そんなことはまったくわからなかったけれど
むくむくと膨れ上がる好奇心と、奇妙な罪悪感に、あの時クラス全員が支配されていたのだと思う
先日、同窓会の出欠を問う葉書がポストに届いているのを見つけて
その時私は15年振りにキョウコのことを思い出した
栗色の髪の美しい少女
キョウコがいた、あの日の授業参観のことを
キョウコは今何をしているのだろう、そしてあの母親はどうしているのだろう
キョウコは同窓会に来るだろうか
来たらまず何て声を掛けよう
そんなことを思いながら「出席」の文字に丸をうった