はてなキーワード: はなとは
消されてる記事のブクマなんだけど。
lovely 増田
釣りだと思うけど一応。この増田が人の親となったとき(授かったとき)に妻にまったく同じことが言えるのなら、そう思ってていいんでないの。 2011/06/08
こういう人。
いや、悪意は無いんでしょうけどね。
・一生結婚しない人
・一生結婚できない人
・一生子供を持たない人
・一生子供を持てない人
を疎外してるよね。
注意されてる元増田は、
電車内で見た妊婦さんへの悪意と汚い言葉遣いを垂れ流していて、自分も大いに眉を潜めて読んだのだけど
lovely さんによれば、一生「人の親」にならない人間は別にこのレベルで問題ないんだって(!)。
へー、自分はこの元増田のレベルだったんですか。気付きませんでした。
同レベルなのに元増田のことを「ヒドイ人だな」とか思っちゃってました。
身の程もわきまえずにほんとごめんなさい。
すぐこのlovelyさんみたいな物言いをする人が居る。
それを見るたびに本当にどーっと力が抜けるし悲しくなる。
子供を持ったことがなくても、同じ立場になる予定が無くても、想像力で何かしたいと思うのが思いやりだと思っています。
それなのに、
「将来自分が親になった時に思い知る」とか
そういう言葉で
毎回さらっと仲間はずれにされたり心無い人の一員にされたりしてしまう。
一見、それぞれ別の立場な人への想像力や優しさを求めてるようでいて
本当に立場が違う人間を最初から排除してる。もしくは頭に浮かんでも居ない。
そもそも「時期が違うだけで同じ立場でしょ?」っていうのは、
思いやりを持つことを教えてるんじゃなくて
利己主義を期待して脅しを掛けてるだけじゃないでしょうか。
下記を読んで思ったことを一言。
ユーザーが削除したり非公開にしたツイートをユーザーに無断で転載・公開し続けるサービスは、Twitter API の利用規約に違反しており、Twitter API を利用できません。私はTwitterサポート#1829415において、現在のTogetterは規約違反との回答を得ました。(注:サポートの回答です。Twitter社の公式見解ではありません)
Twitter API を介して取得したツイートは、オリジナルのツイートが削除された時点で、Twitter API を介して取得したツイートも削除されるべきだという希望だ。
しかし、そもそも公開・削除を自分で管理したいのならば、ツイートするべきではないと私は思う。
その理由がこれだ。
That’s right. Every public tweet, ever, since Twitter’s inception in March 2006, will be archived digitally at the Library of Congress.
http://blogs.loc.gov/loc/2010/04/how-tweet-it-is-library-acquires-entire-twitter-archive/
米国議会図書館は Twitter 社と共同ですべてのツイートを保存している。(ただし、ツイートの保存と公開には、条件・制限があるが)
上記の理由で、私は Twitter を利用していない。
本当にどうでもいいこと。
ネタの設定として、TOKIO5人がバスケチームだったら、とか考えちゃってる。
ずば抜けた技術で相手をおちょくるプレーが身上。スタミナに難があり、自分で点を取りに来ることは無いがこの人をノセると厄介。
C山口(3年)
山口とともにリバウンドでチームにリズムをもたらす。紫色のバッシュを履く。
昔はもっと考えれたのに、動けたのに、というのは勘違い
若気の至りで勢いでやってきただけで、
客観的に思い返せばそう大した事なんてしてきていない
していたら、今残る物があり、それに助けられたり、
振り回されている事だろう
勿論、年齢もある
精神的、体力的に意欲的、貪欲になろう、という心を持たなくなった
心を持たないのだから、それに付随するあらゆることが
「ない」のは当然の事
だから、大げさに「できない」と騒ぎ立てる必要もない
そのうち変化があるかもしれない
忙しくて「できない」なんて考えていられなくなるかもしれない
だから、考えられる今は小休止
折角だから、それを味わっておこう
ウェブ関連のものを作るという職業柄、ウェブ上でのコミュニケーションを余儀なくされているけど、毎日Twitterに心情を書き込んだり Facebookでお互いをほめ合ったり、というコミュニケーションがどうしても肌に合わない。なぜしないのか、と聞かれるので自分なりに考えた結論を書いてみた。
絶えず流れてくる、誰がどこで何をしているか、という情報に正直うんざりしてしまう。人と繋がらなくては生きていけないというけれど、はりめぐされた情報に毎日目を通し、自分はここにいる、と主張しなければ生きていけないのだろうか、と思ってしまう。
「すごいねー」みたいな言葉を軽々しく口にする人より、簡単に人を褒めない人こそ信頼できる。相手を気持ちよくさせることよりも相手の痛いところを柔らかく突いてくるような人がセンスのある人だと思う。自分を気持ちよくさせてくれる人間しか周りにいない人はつまらない人だから。
誰でもモテたいと思っているっていわれるけど、多くの人に注目されたいとか、ちやほやされたいという欲求が自分にはない。ものを作る人間にとってそれはどうなの、と思うかもしれないけど、単純に人のためにものを作っているのであって、自分の利益や名誉のためにものを作る、という感覚がない。若い頃はそういう気持ちもあったのかもしれないけど、わりと今は作るということに対してピュアに向き合えるようになってどうでもよくなった。
要するに、人の注目を自分に集めることが最終的な目的である人とは基本的に合わないし、おそらくお互いに理解できない。震災後、そういうことを改めて思った。
過去の出来事を思い出して憂鬱になっていた時期もあったけど、今はそんな程度ではない。
何も考えられない。心当たりもない。
いつの間にか何に対しても興味が薄れてきて、頭の働きも鈍くなって、体も精密に動かないようになっている。
自分はもう直ぐ死ぬんだろうか。
この障害○はなんといったらいいのだろうか・・・
でしょ
っていうか別に学歴にこだわったりコンプレックス持ったりする必要はない。
さっきも言ったけどきちんとやってた人間なら高校終了レベルの知能と知識でとりあえず生きていけるようになってる。
実際には高卒未満、そしてにもかかわらずバカの自覚がない人間、が人に迷惑をかける。
仮に過去にそういうバカだったとしても「ああ、俺って中学高校レベルの知能もないなあ」って自覚した瞬間から
もうまともな人間への道が開いてる。
後はがんばるだけ。
気が向いた時に外で出来る範囲でゴミ拾いをする事にした。
利害も忘れて気楽な気持ちで拾っていると少しずつ晴れやかな気持ちになってくる。
「これはいいぞ」と思った。ただ、自分の成長のためにしているので、他人のためにしているわけではない…。
賢い人はすでにしているだろうけれど、現代の日本人には「散歩をした方が良いよ」って言いたい。
どう考えても人間は散歩をした方が良い。「散歩をしなければ人生の味はわからない」と言ってもいいくらいだ。
他にも思うところはあるけれど、散歩に関しては常識として定着した方が良いと思っている。お風呂に入るくらいの頻度で散歩もしてほしい。
悪い人ではないんだろうけど、こっちの元レスの意を全く解さない人だった
こっちに好意を持ってるのは分かるんだけどどうにもこっちの意図が明後日の方向に解釈されてて扱いに困った
他の人へのレスでも相手を困らせてたっけな
しかも言い逃げと言うか、投稿したレスを自分ですぐ削除しちゃうので
いやそういう事じゃなくて…とも返す余地を与えないっていう
実生活ではちゃんとコミュニケーションとれてるのかちょっと心配になった
それを乗り越えるための教育がまともにされてないもんな。
少しずつ苦しみや苦労を受け入れて自分を鍛える訓練をさせないと
まともにはならないよ。
隣の家の少女って、最終部よりも中盤のほうがおっきすると思う。
痛ましさよりも背徳感が優っているからなのかしらん。メグ可愛いよメグ。
ほんとう可愛かったよ。
しかし猪瀬副都知事って、小説は同一解釈にとらわれないとかなんとか言ったらしいけど、今更ながらやっぱりへみょってしまうな。
自分なんて小中学生のころ、父親の書斎にあった小説のエロイ描写だけ探して読んでた時期があったんだけども。
解釈云々はこの際いいとしても、それすら行わない読者だっていることを失念している気がする。
同時期にこっそり拝借してた週刊誌の小説なんて、それこそグラビア写真なんぞよりもエロかったし、滅茶苦茶な内容だったけどな。
エロイついでに。個人的に、星々の舟とアッシュベイビーは興奮したなあ。おちん○んおっきした。興奮しちゃうよね。
さておきああいったものを、小さかった頃の自分みたいに解釈するまで持ち込まず消費する奴って、少なからずいると思うんだけどな。
そこんところ、猪瀬さんはどう思ってるのかしらん。
あと映画の話になるけど、スピーシーズもマトリックスリローデッドも健全な青少年の育成のためには悪影響を及ぼすと思う。
とくにリローデッド。家族で見てて気まずくなったわこんちくしょう。
世にも奇妙な物語でいつか見たねずみと入れ替わる話もゆるさない。絶対にだ。
何言われたこと読めなくなった振りして同じこと繰り返してんの?
いーいー?
おーれーはー、
もーとーまーすーだーのー、
わたしの努めてる大学偏差値だけだとCかDランって言われるところなんだけど、
ちなみにこちらの就職率は単純に卒業見込みの学生と、内定獲得者の比率ね。
しかしAランとか比べたら雑魚としてもうちのレベルの大学でコレなのだから
Fラン大でそれ以上のパーセンテージというのはちょっと理解出来ないんだが。
っていうぶぶんにつーいーてー、
れーすーをーかーいーたーのーーーー
それをばかくんがー、
しつぎょうりつとかー、こうそつだいそつのまくろのはなしとかんちがいしてー、
「まちがってる(きりっ)」ってやったあげくー、
まちがいをしてきされてー、
ぼろかすにいわれてー、
ぷらいどずたずたになったとしてもー、
それはばかくんのせきにん。
だよね?
いうことなくなったからってー、
相手のはなしをよめなくなったふりしてー、
おなじことをりぴーとするのはー、
やめよう。
いくらばかでもー、
そんなことやってもー、
ぷらいどはー、まもれないでしょ。
じこぎまんといいますそういうの。
あいてにとってもうざいおもいをさせてめいわくかけるしー、
あいてにようしゃがなければー、
まなぼう。
な。
相互理解というといかにも対等でステキな関係っぽいけど、別にそんなんに限らずとも、
他者と密接・継続的に関われば嫌でも相手のことを知っていくし、相手からも知られていく
…という関係性のダイナミクスが存在し得ないという時点で、人工物と恋「人」として付き合うってのは、無理矢理感から逃れられないんじゃないかなあ
まあ、百歩譲ってそれを「マイノリティの恋愛関係の形」とするとして(個人的にはなんでそれを「恋愛関係」と見なす必要があるのか分からないけど)、
今度は元増田の言う「二次元が三次元を駆逐」なんてのは夢のまた夢って話になるな
もし、「相互理解を伴わない形の恋愛がそうでない恋愛を駆逐してマジョリティになる」っていうシミュレーションなり思考実験なりをぶち上げてくれるなら、
それは興味深いから読むけど
皆に責められてる気がしてきた
実際以前ごたごたがあった時は、周りも皆私を責めた
考えれば考えるほど、もうあのコミュニティには自分は近づいてはいけないんだと感じてしまう
誰も信用できないから誰にも信用されない
誰にも好かれてないし皆呆れているのだろうとしか考えられない精神状態
人を不快にさせたくないのに存在自体が不快なんだろうと思ってしまう
人の気持ちを素直に受け止められた時期もあったはずなのになぁ
わかるよ。
よく「世の中ほとんどの男女はブサイクばかり。ほんの一部の美男美女カップル以外はみんな妥協して恋愛してて悲惨」
とか言う批判を聞くけど、的外れだと思う。
もちろん相手が美しければ美しいほど良いのは確かだと思うよ、ブス専でもない限り。
でも誰かと付き合いたいっていう欲求は、単にイケメン(or美女)を隣にはべらしたいというコレクション欲とは違う。
ほとんどは、唯一無二の誰かに、唯一無二の自分を、認めてほしい、愛してほしい、っていう承認欲求でしょ。
創作物はこの点を満たすことが出来ない。
創作物のささやく愛はあくまでプログラマーや原作者が設定した作り物であって自分に対して向けられた唯一のものではない。
まあそのへん割りきって二次モノを楽しんでる人が大半だと思う。
29歳、彼氏なし、3月に飲み会で知り合った同い年の男の人と週に一回くらい会ってた。
趣味も合ったし(野球観戦)、メールのタイミングとか遊びに行く頻度とかすごく居心地がよかった。去年の初め、数年付き合った彼氏と別れて以来縁遠くなってたので舞い上がってたのもある。ただ、社会人サークルに入ってて、女の子の知り合いがすごく多いことと、電話が多いことだけ気になってた。遊ぶときも半分くらいが二人きりではなく飲み会だし。
他に女がいる? 何か隠してる?
好きになってもいいような、何か踏み切れないような気持ちのまま、まあ、会ってご飯を食べたりしているぶんには楽しいからいいかなと、会ってた。話す内容は野球のことばっかりだし。楽しかった。前の彼氏と別れてから、野球の話なんて誰ともしてなかったのに気づいた。あ、あとちょっとだけ気になっていたことがある。彼がやたらと「エコ」を気にすることだった。
最初の飲み会で一緒だった私の友人が、あの子、なんか変な商売しているらしいよ、勧誘されたひとがいるって、と、教えてくれたのだ。彼は連鎖販売取引をしていた。いわゆるマルチ。具体的なことを書くのはやめておく。反論もあるだろうし。だけど、それを聞いてすべて彼の交友関係や発言に合点がいったのも事実だ。
すぐに問い質したいような気持ちを抑えながら、数日後、一緒に野球を見に行った。
ビールを飲みながら、試合のことを話していると楽しくて、すべてがどうでもいいことのような気がしてしまう。だけど、彼の携帯には電話が掛かってくる。その場で出た彼は「目標達成のためにがんばります」などと電話口で言っている。前には妙に牧歌的な試合風景。前の席には40歳前後の女性二人が楽しそうに試合を見ていた。二人の薬指には指輪が光ってて、ああ、羨ましいなと思う。
私は、人生に大それた目標など抱いてはいない。だけど、すぐに目の前の二人のようになることは出来ないのだ。
試合は応援していたチームが勝った。
試合後、二人でご飯を食べた。彼に本業のほかになにかしてる?と聞いた。彼は悪びれなかった。販売員にはなってほしくないけど、商品はいいよ? 買ってみる? と言われた。
ごめんなさい、もう会いません。と答えた。
ああそう、みたいな軽い返事をされて、食い下がって欲しかったのか、そのまま解放して欲しかったのかわからなくなった。
帰宅して、徒労感だけ募った。
もう気持ちの整理はついてるし、見る目なかったなあと思う。目先のことに囚われて色々と目をつぶりすぎていた。だけどもう三十路で、今後こういうことが更に増えていくのだろう。
彼氏を作って結婚することがゴールではないことなんてわかりきっている。だけど私は、一生穏やかに野球を見に行く誰かが欲しい。