はてなキーワード: 天皇とは
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000003
第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
大正天皇とかはどうだったんだろ
https://hukushi.hatenablog.com/entry/2016/07/13/221057
精神障害だと取れない資格や出来ない仕事がこんなにあるなんてショック過ぎる
文系の資格ならいけるやろと思って勉強していたけれど、弁護士も司法書士も社労士も無理かあ
なんでこった
もうこれ、欠陥人間には働いてもらっちゃ困るから障害年金だけもらってニートしてろってコト!?でも到底足りないですけれど…
日本書紀や古事記に登場するヤマトタケル(草薙剣の名の由来となったエピソードなんかもある英雄枠の人)なんて、相手を油断させるために女装して近づいて暗殺を行っている。そのヤマトタケルは現代においても義士どころか神として祀られているのだよなぁ。
ヤマトタケルが実在しない人物だとしても、天皇の指示で編纂された国史(多分にフィクションが混ざっているけども)にがっつり登場して、現在も神道の神として祀られているのだから、道理があるなら暗殺も可とするのが古代から現代にいたるまで日本に顕在/潜在する思想なのでは。
日本人の中には、子どもが生まれるとお宮参りをし、結婚式は教会で挙げ、お葬式はお寺でするということに、何の抵抗も疑問も持たない人々が多くいます。
結局は、神道もキリスト教も仏教も本気で信じてはいないからだともいえますが、では、信仰心そのものがないのかといえば、そうではないようです。
例えば、仏滅の日は割引をする結婚式場があったり、友引の日は休業する葬儀場や火葬場があったりするのは、そういうことを気にする人が決して少数派ではないからです。何かの教理に基づいてはっきりした根拠を持ってそれを避けるというわけではなくても、縁起が悪そうなことはできるだけしたくないという気持ちには根強いものがあるようです。
テレビ番組や雑誌に占いのコーナーが欠かせないのも、先祖や水子のたたりを脅しの手段に使う霊感商法が成り立ってしまうのも、人々の中に目に見えない超自然的な力や霊の世界を漠然と信じる心があるからではないでしょうか。
この漠然とした気持ちがひとたび具体的な信仰の対象を得ると、驚くほどいちずな強さを見せることがあります。例えば戦国期の一向宗の門徒たちは、当時の大名たちが恐れてその顔色をうかがっていた織田信長をも敵に回し、命を賭して戦いました。キリシタンたちも、キリシタン禁制がしかれてからもその信仰を捨てることなく、拷問や死刑によって命を落としていった信者たちが大勢います。
明治から第2次世界大戦が終わる頃にかけては、天皇を現人神とする皇国信仰が日本の宗教になったともいえます。特に敗戦間際には、最後には神風が吹いて日本が勝つと信じたり、天皇のために死んでいくことが最高の名誉とされたりする世論は、まさに宗教そのものでした。
終戦とともに天皇が神の座から降り、日本の経済が発展の一途をたどり始めた1950年代後半になると、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「3種の神器」と呼ばれるようになりました。これらをそろえれば幸せになれるという日本国民の心情を表したネーミングです。
「宗教に頼るほど弱くない」と言って、真の意味で何にも頼らず、何にも左右されず、ただ自らの努力や才能、目に見える世界がすべてだと思って生きている人は、実は日本の中で(あるいは世界中どこを探しても)少数派なのではないでしょうか。