はてなキーワード: 一方通行とは
だが出会いが全く言っていいほどない。
アクティブに動いているつもりではある。
家に引きこもってばかりではけしてないのだ。
だからこそ私が居るわけだが、彼らは出会い、そして結婚したのである。
私にも彼女が先日まで居たのだ。
しかし結果は虚しく、3ヶ月で振られてしまった。未だに童貞である。
そして私はその女性と添い遂げることができるのであろうか。
その時私は何歳で、まだ童貞なのだろうか。
正直焦りを感じている。
私は一般的で、まっとうな人生を送りたいと考えている。
しかし出会いというものだけは、受験勉強のようには行かないのだ。
仮に互いを思い合える関係になったとして、果たしてそれが人生の最後まで続くのかどうかという話だ。
私は一途な男なので、それをやり遂げる自信はあるのだが。
果たして人間はどのように出会い、どのように愛しあうのだろうか。
そして私に出会いは訪れるのだろうか。
ザ・インタビューズは 単なる自己承認欲求充足装置だという批判 が多い。
あきらかに自己承認欲求が強くて「インタビュー募集してます!」「質問ください!」「~に答えました!」という人が大量にいる。それにのっかって「朝ご飯は何を食べましたか」なんてたわいもない質問してる人もいる。そのしょーもない自己承認で舐めあうサイクルが不快で近寄りたくもない人がいるのは理解に難くない。
専門家が気軽にインタビューに答えているケースでは読む価値のある文章もあるのだが、どうでもいい一般人の自己承認欲求充足やりとりなんて面白くもないし、目にもしたくないって人は多いだろう。酒の席の自己語りが面白くない奴の集まりみたいなもんだ。Twitterの140文字でさえ面白い事を言えない奴が面白い長文を書けるわけもなく、意味のある情報を求めている人にとってはどうしょうもないサービスでしかない。殆どの人にとってはインタビューズは有意義な回答や文章を読める場所ではなく、文章は単なる副産物で、自己承認欲求充足やりとりが主目的だ。下らない文章書いたり読ませたりすることに時間とリソースを使うなら、tweetにfav一発してた方がよほどスタイリッシュだ。 (というのがインタビューズ批判論者の大体の考えだろう)
TLにいる人をかたっぱしからインタビューズのリストに登録してみたらあることに気付いた。リストに入れると回答数と回答率がずらーっと出るので、各人がインタビューされている回数が大体わかる。
すると、「インタビュー募集してます!」「質問ください!」「~に答えました!」という人が必ずしも被インタビュー回数が多いわけではない。むしろ自己主張が少ないのに被インタビュー回数が多い人がいる。
なのに、やたら被インタビュー回数が多い人がいるのだ。考えられる理由は、
あたりだと思う。
もしそうだったら面白いよな。こんな目立たない奴がそんなことしてるって、ばれたら恥ずかしいだろう。でも確かめる方法がないから想像してもどうしょうもないのがつまらん。しっかし複アカウントで30も50も自分に質問してシコシコ文章書いて、それが誰も読んでないってどうなんだろうね。やめるにやめられないんだろうな。個人的にはこの可能性は低いかな、と思っているけど。
完全匿名でしか聞けないなんて、この先進展しないと思うがね。妄想できればいいってタイプにはいいおもちゃかもしれない。
質問されたい自己承認欲求グループとは別に、質問したい自己承認欲求グループがいるってことだ。
質問したい自己承認欲求グループにとって、この手の特徴もなく、自己主張が少なくおちついていて、つついても特にトラブルになりそうもない人間ってのは格好のひまつぶし対象だ。
しかしこれはそんなに馬鹿にしたわけでもないと思う。どんな集団でも空気な人間というのは空気なだけに緩衝材になっている可能性がある。Twitterや酒の席のようなリアルタイムで会話や情報が流れる場では、引出しが多く言葉の回転が速い人間が目立つために空気でペースのゆっくりした人間の影響が全く見えなくなってしまうが、インタビューズのような場だと空気タイプの影響がわかりやすくなるのだろう。
ここに、インタビューズが成功した理由の一端が見えていると気付いた。
インタビューズが批判されるとき、「リア充同士の馴れ合いサービス」という視点が使われがちだが、それは少し違う。
良く考えてほしい。インタビューズは一方通行な匿名だ。「質問ください!」と言うより、質問する方がはるかに行動コストが低い。つまり、インタビューズは「質問ください!」と言っている行動力ある人間ではなく、こっそり質問している非リアや弱気な人間によって回転しているサービスなんだ。
匿名で質問し、記名で回答が返って来る。その回答は必ずしも自分に向けたものではないが、質問したのは自分だと質問した人だけはわかっているので、コミュニケーションを充足した気分になれるわけだ。質問する側にとっては、ノーリスクハイリターンだ。目立たないが何故か被インタビュー回数が多い人がいる現象も、それをよく表している。できるだけ行動コストが低くて済む相手に質問がなんとなく行っているわけだ。
本当のリア充なら、インタビューに答えこそすれ質問なんかしていない。Twitterで@飛ばしたり電話したりメールしたり直接会って話した方が早い。
ザ・インタビューズはリア充の為のサービスなどではなく、リア充のように充足を得たい非リア、リア充との接点を得たい非リアの為のサービスだというのが自分の今の結論だ。だからこそ非リアが声に出来なかった需要を掘り起こして成功しているのだと思っている。
オタク(ジャニ韓流腐女子)、天性の怠け者、処女こじらせ系、宗教。
そして全体的にフェミ度が高い。
紹介状の文面から大方予想がついていたので『いやだなー』と思いつつ勉強だと割り切ってあってみた。
そしたら案の定だった。
私は私よ。こんな私を受け入れられないなら別に構わないわ。
聞きたいことがあるなら聞きなさい。答えてあげるから。
私は聞かないわよ。あなたのこと。だって、私は会ってあげているんだから。
口下手な私も私なりになんとか会話をしようと努力してみたが、
ああ、あれじゃ結婚できていないわけだと思った。
少しでもいいところを探そうと思ったが…それも見出せず…
苦痛だったなあ…
一人身でいる状況なんだから…俺も同類か…はあっ…あんな風に周りに見られているのかな…俺も…
http://anond.hatelabo.jp/20110408113654
杉村太蔵のことは忘れたっていうか、彼の政治生命はもう尽きているから、まったく興味が湧かないんだけど、小泉進次郎はどうなの? 自民党の若手ホープとして、すごく期待されまくっているよね?
元総理の息子ってことで、どうしても注目度は高いし、さわやかな好青年らしき外見に加え、ペラペラと巧みな言葉を用いるから、何の成果もあげていない新人議員のわりには、マスコミで気持ち悪いぐらい持ち上げられまくってきた。
しかし、それとは裏腹に、小泉進次郎はあまり頭が良さそうには見えないし、政治には無知なんじゃないかという印象を受けてしまった。パフォーマンスがうまいだけで、実はかなり勉強不足なのではないか。
私も実情を知っているわけじゃないんだけど、この違和感はどう説明したらいいんだろう…?
第一に、彼を持てはやすマスコミに不満がある。国会議員はそこらへんの芸能人じゃないんだから、インタビューのときは厳しい姿勢で臨み、ちゃんと突っ込んだ質問をしてほしい。
現時点ではほとんど功罪がないから、果たして彼が政治家として無能かどうか、無知かどうかはよく分からない。ただ、小泉進次郎にはその場しのぎの発言が多い。というか、彼が記者に向けて、一方的にしゃべっているばかりに見える。
それも、ある政治家の人柄とか、揺れ動いている政局だとか、そういったことをネタにしているだけで、自分のやりたい政策を主張することがない。民主党の失政をあげつらって怒ることはあっても、その政策を具体的に批判するわけじゃないし、自民党はこうするつもりだというビジョンを述べるわけでもない。
つまり、杉村太蔵とは別の意味で、コミュニケーションが一方通行なのだ。彼も事前に用意したことをしゃべるだけである。
小泉進次郎は、相手とのやり取りが必要とされるもの、例えば公開討論会やトーク番組に、出演したりしてるのだろか? あれだけ人気があれば、テレビ番組からお呼びがかかっても良さそうなのに、そして、彼が出演することで自身や党の宣伝にもなるはずなのに、そういう話はあまり聞かない。
もしあれば、ぜひチェックしてみたいと思う。
ほんとに政策に詳しいのか、双方向の議論ができるのか、とっさの機転が利くのか。それは彼が他人から予想外の批判されたときにこそ試されるであろう。
全体的に準備不足のJリーグ選抜の連携ミスが目立つ試合展開だったけど、
「キングカズ」なんて言葉は、最初はネタみたいに扱われてたはずなのに
いつのまにか本人がキングにふさわしい行動をしだしたために完全に敬称になってるよね。
キングカズかっこいいわ。次期総理でもいい。投票には行かないけど。
でもその後見たネットニュースの反応コメント見たら、ほんとアホばっか。
目立ったコメントが
「東北は決して負けません」
みたいな。
お前ら、別に大して被災してねーだろ、そんな投稿が今できる状況ならさ。
本当の被災現場ってのはもっとずっと大変だろうよ。
何、被災者代表ヅラしてんだよ、そんなコメントする余裕あるなら
震災直後から思ってたんだけど、被災地に向けての全世界からの労いの言葉を、
大して被災してもいない奴らが勝手にありがとう、君たちの言葉は届いてるよ!
って返事するノリが、どうにもこうにもいらだたしい。
同情し、支援したいと願うのはごく当たり前の人の心理で、
そうした言葉が全世界から沢山集まってくるのは、素晴らしい事だと思う。
ただ、当の被災者はその無償の善意に対して回答する余裕なんかなくて、
結果的に「Pray for Japan」の掛け声は一方通行に見えてしまう状況は確実に発生していると思う。
ただ、それってしょうがないことで、だって余裕が無いんだし、
そこで大して被災してもいないやつがソワソワして
「大丈夫です、Japan」とか返答することがおかしいんだよ。
阪神大震災の時や今回の震災でも、愛人の方が大事だと気付いて家族を捨てて愛人の元に走ったという人の話はちょくちょく聞く。
そんな風にならないという事は、彼にとっては 妻子>>>>(越えられない壁)>>>愛人 なんだと思うよ。
残念ながら、一方通行なんだろう。
相手からしたら日常を分かち合うつもりはないし非日常的な楽しさしか求めない「遊び」なんだって事がはっきり分かってよかったじゃないか。
取引されているのは、
・アイテム
のほぼ2種でした。
SNSのIDとゲームのIDの両方の属性を持ってます。不可分です。
譲渡、売買は規約上禁止されてます。(ヤフオクで売るところまでは介入できないと思われます)
オークションでは、現金で購入したアイテムを沢山持つアカウントが高額なようです。
・アイテム
色々な用途に使えます。アカウントと可分で、一部はゲーム内通貨ではなく、現金で購入可能です。
オークションでは、落札者にゲーム内で譲渡する方法が多いようでした。
譲渡が出来ないものはアカウント売買の際にプレミアになるようです。
パチンコ屋のように、物好きな古物商を隣で囲うシステムもありませんし、
現金獲得のチャンスとか、
データ外の何かに変換するシステムはありません。いくらつぎ込んでも一方通行です。
・宝以外はゾーニングされて奪えないということ(現実に値段のつくようなレアアイテムは奪えない)
・宝の保持コストが見た目有限であること(コンプリートしたら奪われない)
上のように時間によって達成がある程度担保されてること、現金で有利に出来る程度であることがキモになるので、
なので、奪い合いのシステムが(教育上良いかはさておき)金銭トラブルに発展することは少ないのではないかと。
真夜中に何書いてるんだろう、自分。
そちらが考える「議論の本質」とやらが今一つわからないけれども。
とりあえず並べてみるから、異論があったら提示してね。
「友達は居るのに彼女ができない人」って話題だったと思うんだ。
んで、私の意見はこれ。
個々人の相性がすべてだろ。
友人と言うのは得てして相性のいい人間となるから、そういうコミュニティを形成しているなら、彼女を作れる可能性も上がる。
あくまで、その輪の中で。
これに対して相性なんて関係ない、「対女性コミュニケーション力が皆無だったり変人だったりしても男友達はできるよ。」とカウンターがきて。
それってつまり「異性との触れ合いが圧倒的に望めないコミュニティ」に居るよねと返したら。
「え?そんなこと全然無いぞ。」と繋げられたのだよね・・・
そんで、その理由が
俺の友達にも対女性コミュニケーション力ゼロな奴とか、変人な奴とかいる。
いやそれはさ、「対女性コミュニケーション力ゼロな奴」に合コン押し付けてるだけじゃね?って話なんだけど、どうも違うみたい。
「対女性コミュニケーション力ゼロな奴」が望んで接触してると仮定しても、それは一方通行なんじゃね?とも思うんだが。
で、これらの話は、議論の本質とは違うらしいんだよな。
2,3週間前から遊ぶ約束をしてて、詳細を決めるのにメール送ってもなあなあな返事でこっちからの一方通行。1週間前に聞いても同じで、約束の3日前なっても無しのつぶてなのでどうするの?と再びメールしたら予定が立たないからやめると返事が。まあそんな気はしたけども、万が一はあるので一応その日の予定は開けておいてた自分がバカらしい。
んでさっきその当人のtwitter見たらみんなでケーキ食べに行くの決めただとか、早いうちに自分から連絡しなきゃだとか、しかも共通の知り合いを急遽誘ったりしてる。こっちが見てるの知っててよく書けるなあってのと同時に、この人の中では自分のランク相当底辺だなあってのを認識。
前からの予定を昨日今日思いついた予定で破棄しておいて、他に誰呼んで何食べようかなーウフフみたいなの書かれてたらそりゃ心象良くない。さすがに自分はそこで黙ってはいられず、ずっと前からしてた約束ドタキャンされたしどうしようかなー暇だしどっか行こうかなーみたいに応戦。
したら数日前に中止か延期か送って返ってこなかったメールに返信来て、来週なら暇だから大丈夫だよみたいな内容。ぶっちゃけそこまでしてその人と遊びたい訳でもないし、例えそこで遊んでも素直に楽しめないだろうし、どうせまた予定が云々でドタキャンが目に見えてるから断るつもりだけど、どうせなら嫌みたっぷりに返信したいわ。普通に返すけどもさ。
まあもうこの人とは会うことないかな。
つまり、奴隷としてそこそこ自由な生活をするか、そこから抜け出して本来の意味で自由だが安心は出来ないサバイバルな生活をするのか。
社会契約は過去から築き上げられて来たもので、環境に合わせて変更も可能なのだが。
この世界では常に一定の割合で後者の人間がいる。前者の人間は彼らを犯罪者とかアウトローとか呼ぶ。真に自由な生活を手に入れるためにはそういう生きかたをしなきゃならないのかも、と。
それは犯罪者とかアウトローとか言わない。犯罪者もアウトローも実際は国籍を持ってるし、その国に送還されて社会契約によって裁かれるよ。
後者はこの世界の支配階級を相手にすることで、非常にリスクが高いが、成功すれば奴隷として生きている人間とは比べ物にならないほどの自由を手に入れられる。
どこの中二病設定だよ。
社会契約を一部破っただけなら、社会契約によって罰せられるし、全部破ったら自然に殺されて終わり。
だから俺は中国には一定の期待を持ってる。
日本国籍から中国国籍に帰化するのは割りと簡単だから試してみるといいよ。
一方通行だけど。
良い事書いた。女はどうも一方通行なところがあるからな。思いこみが激しいというか何というか・・。
君は自分で「俺は相手に迷惑をかけてるんじゃないか?」っと考え、悩んでいるぐらいだから
十分、相手の気持ちを思いやる事が出来てるよ。コミュニケーションスキルが無いわけじゃない。
無いのは彼女に空気を読む力(と、他人を思いやる力)が無いだけ。
つまんないことだが、
同席している時とはまるで違う人格のように、
僕への批判、不満、苛立、どす黒いものがうずまいていた。
「どうせ無理」「相手すると疲れる」
「いい加減見限ろうかな」なんて言葉が並ぶ。
そんな態度、おくびにも出さない、
楽しく愛し合っているかのように見えた。僕には。
「愛してるなんて、信じない」、
そういう言葉が一番傷ついた。
僕が寝ている間、僕が出かけている間、
僕が見ていることを意識してかしないでか、
僕に対する批判は続く。今も。
彼女は僕を受け入れていなかったんだ、
愛してくれてなんてなかったんだ、
腕組んで歩いたデートとかぜんぶ演技かな、
一方通行だったかなあと、落ち込んだ。
人間不信とは違うけれど、
人の裏側なんて、見せちゃいけないし、見なきゃいいし、
そういうことなのかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20100707221911
ブコメを見ていると発達障害ではないかという意見が目立つ。自分も大学院卒でADHDなのだが、状況が似ているということもあり、真面目に分析してみることにする。
まず最初に、ADHDのことを理解するのに重要なこと提示しておく。ただしこれは当事者としての分析だ。医学的な証明がされているわけではないのでご了承を。
人間は言葉を理解するときに、一時的に言葉そのものを脳の一時作業領域に記憶して、前後の言葉の関係を組み合わせながら意味として理解し吸収する。
定型とADHD患者の違いはおそらく"一時作業領域"の性能だ。いわゆるワーキングメモリというやつだ。ADHD患者はワーキングメモリが少なく、言葉の意味を吸収する前に言葉の情報をワーキングメモリに詰め込まれると、吸収前の言葉の情報を追い出さざるおえなくなる。よって、話が右から左に流れていくのと同じ事になる。作業スペースの極端に少ないベルトコンベアというようなイメージかもしれない。
これを踏まえて、以下のことについて。
わたしの問いかけにも、黙ってうなづき続けるだけだった。ふとわたしは思うことがあり、話すのをふいにやめてみた。彼女はそれでも表情を変えず、一定の間隔で二、三度うなづいた。それから、はっとしたように、うなづくのをやめた。ああ、この子は、ほんっとうに誰の話も聞いてなかったんだな、と改めて思った。
これを読んで思うことは、多分途中から頑張って聞くのを諦めてるか、本気で聞こうとしてて理解できていない可能性があるんじゃないかと。だっておかしいと思わないか。聞いてる本人も時間を割いてるのに聞かないとミスをするのに、わざわざ聞いてるような仕草だけして聞かないなんて普通考えられない。向上心がなかったとしても自分の身を危うくするようなことは少なくともしないはず。
院卒の女性はもしかすると、相手の話を理解できないことも、相手に自分の症状について理解してもらえないことも理解しており、とりあえず頷いて理解したように見せその場を回避し、断片的に覚えている言葉を参考にあとで何らかの方法で勉強しようとしているのかもしれない。しかし、その方法では限界があるので結局ミスをしている可能性がある。
院卒の子は、人当たりはすごくいい。あいさつもはきはきできるし、個人的に話すぶんにはトークも面白い。口は達者だ。
この「雑談のような話は普通に理解して聞いているのに、仕事のことになると理解していない」というギャップがADHDの症状に似ている。普通の雑談なら全然問題なくても、ちょっと考えながら聞くような話だったり一方通行の話だったりすると吸収が追いつけなくなる。会話だと自分のペースで話しやすいし、言葉がとぎれとぎれになるから、ベルトコンベアを止めてゆっくり作業が出来るのと同じ事になって吸収が追いつくようになる。
もうひとつ、仕事はちゃんとやらないのに、関係ない会話は意欲的だということ。これも似ていると思う。先で書いたようにあまり複雑な話だとついていけないというのもあるし、ADHDにありがちな刺激があることを好むというのがある気がする。それを本人も分かっているか無意識に理解していて、刺激がある楽しい話を積極的にしている可能性がある。
人当たりがいいというのは、能力の違いを理解してるというのから来ている可能性があるもある。おそらく他人にすごい優しいはず。無理に厳しいことをあまり言わない。そんなことして自分にブーメランがきたときに困るから。
他にも思うことは色々あるけど、ADHDの症状と似ている主なところを話すとこんな感じかと。
ADHDって厄介で、周囲から見るとやる気がないとかサボってるとか人としての基本を問われるような理屈の筋が通ってしまいやすい。今回のもそうだけど、向上心というのも「そうかもしれない」と思わせるくらいの説得力はある。
自分の場合もそうなんだが、普段はできるだけ平気な顔するようにしている。真剣に話を聞こうとしていて、それこそ額に手をあてて眉間にシワをよせて聞いて、それでもどうしても聞き逃しが発生する。重要な話を聞いてる最中は不安で仕方ない。というのも、過去にも同じようなことを何度も繰り返してきていて、もう既に度胸みたいのもある。話を聞くたびに落ち込んでいるのは無理があるため、それをなんとかしようと自分なりに考えた結果がそれ。
ちなみに、自分がイメージしてるADHDと違うと考える人もいるかもしれないが、多動とか衝動とは確かに違う。不注意優勢に見られがちな、遅刻も多分ない。自分もそうだけど、その辺りは個人差があるのでなんとも言えない。でもどんな症状であってもワーキングメモリに影響するところはあると思う。ただここでその説明をすると長くなるので今回は書かない。
そういう部下がいる場合、腹が立つのも分かるし、どうしたらいいのか分からなくなるのも分かる。しかし、それをこの場に来て愚痴だけ言って終りにするのはあまりにつまらない話じゃないか。せっかくだから、もう少し困っていることを詳しく書いて解決策の提示をお願いしてみるくらいの方がいいと思う。
向上心がどうという話をしているけど、立場が指導者で部下がいるのであれば、部下を育てるのも仕事のはず。ここにきて愚痴だけ言って帰ったら改善する気があるのかと逆に指導者としての向上心を疑われかねない。
でも、全くその気がないと思っているわけではないので、改善策を書いてみる。よければ参考にして欲しい。
・伝えたいことをはっきりさせて短く話す
長い話を聞いてるとどうしても無理という可能性があるので、要点をまとめて短く話してみるのもいいと思う。一つ一つの理解が簡単であれば話についていけるようになるはず。
・反復して確認させる
前でも書いたように、理解速度が遅いという可能性がある。そういう場合は話していることをどこまで理解しているか確認しながらやるのはどうだろう。
・メモを取らせる
反復して確認させても、完全に理解できてるとは限らないし、しばらくしたらスッパリ忘れてしまう場合もあるかもしれない。そういう場合はメモを取らせる。そしてその時間を取る。なぜかというと、話を聞きながらメモをとるのはすごく苦手だったりするから。同時に複数のことをこなすというのはADHDだとしたら苦手なはず。
・精神論を言わない
精神論は多分言っても無駄。大学院に行ってる時点でかなり努力をしているはず。それでも追い打ちをかけるように努力だの言ってしまうと、モチベーションが下がってパフォーマンスがさらに落ちることになりかねない。
あと、これは注意して欲しいところなんだけど、社内で「ADHD」という単語を使ってはいけない。ADHDは障害として認知されてはいるけど、障害者手帳も発行されないし障害者として生きることは現時点ではほぼ不可能。それに、理解の難しい障害だし誰に伝えてもちゃんと調べてももらえない。自分の場合、親に伝えてもあまり調べてもらえていない。そのくらい関心の薄い障害ということ。本人が自分で気付かない限り知らない方が幸せだと思う。障害者だなんて言われるのはそもそも嫌なことだと思うし。難しいところではあるけど。
多分見てないんだろうけど、一個だけ言いたいことがある。それは聞いているフリをしてるように見られていること。微妙なところではあるんだけど、これは賛同できない。理解力があってもなくても、理解出来ているか出来ていないかは自分でも分かるはずなので、理解で来ていないことはできるだけ確認し直したほうがいい。そうすれば、一応聞こうとしていることは分かってもらえるはず。努力しても理解できないというように思わせることが出来る。聞いている途中でバカにされたり、教えるのを諦められたりするかもしれないけど、どちらかと言えばマシだと思う。
以上、あやふやな話で申し訳ない。
長文失礼しました。
気を使ってやれで解決するなら、世の中のことの大半は解決するかも。
だがそんなことはありえないのだから
これって要するに「気を使ってやれじゃ解決するわけない」と一言言いたいだけなんだと思うけど、
なんでそう思うのか理由を言わないと話にならないと以下略
理由も言わずに一方通行で言いたいこと言ってるだけのお前の方がどう考えてもバカだと断言できる
そもそも、「気を使ってやれの一言で世の中のことの大半は解決します。」
なんて一言も言ってないし
「だがそんなことはありえないのだから」
と言われてもそりゃそうだって話になるんだけど
それと、長文だから読まなくていい、とも言ってない
無駄の多いだらだらとした文章で読む気がしなかったとは言ってるけど
日本のワールドカップが残念ながら終わってしまった。予選リーグが始まる前はほとんど期待していなかった。しかし予選リーグが始まって試合を観戦しているとグイグイ引きつけられて目が離せなくなってしまった。
他の多くの日本人も同じだったのではないだろうか。視聴率は深夜にもかかわらず驚異的な数字をたたき出したと、何かの記事に書いてあったようにも思う。しかし、何故こんなにも日本人を虜にしたんだろうか?
例えば日韓共催だった2002年のワールドカップと比べてどうか?個人的にはあの時よりも何倍も楽しませてもらったように感じている。あのときもスター選手はいた。というより、いまよりずっと多かったように思う。
今回はワールドカップの予選リーグが始まって、カメルーンとの試合が始まるまで誰が出ているのかほとんど知らなかった。登録選手も中村俊輔や中澤くらいまでなら分かるが、それ以外はほとんど知らない。本田?松井?長谷部?誰だそれはというレベルだった。
しかし、そんな無名の選手たちのプレーに魅せられた。昨晩のパラグアイ戦で敗退したときにまず一番に「彼らの試合をもう見られないのは本当に残念だ」と思った。
どうしてそんな気持ちになったのか、今日一日ずっと考えていた。そして思ったのは、彼らのプレーに「明確なチームメイトへの意思」があったからだと気付いた。
月並みな表現になってしまって、非常に伝えにくいんだけど、頑張って補足してみる。
明確な意思だけであれば、中田ヒデのスルーパスだって該当するものだが、あれとは異質なものが今回は展開されていた。
中田ヒデのスルーパスはある意味杓子定規なもので、フォワードは「中田ヒデに合わせて」動かなければいけなかった。
でも、今回のは、定石に従いながらも、チームメイト(相手)の状況にあわせてボールをまわしたり、自ら切り込んだりできていたように感じた。
要するに、メンバーそれぞれが対等な関係で、うまく補完関係がとれており、状況に応じて柔軟に役割を変えながらも、チームとしてのパフォーマンスを最大限に発揮していた。根底には、常にチームメイトへの配慮があった。
常に、というと言い過ぎだった。たとえば、パラグアイ戦で玉田がゴールエリア内で横パスをだして誰もいなかったシーン。あれは昔の日本のようでがっかりした。
チームメイトの姿が見えていないが故のミス。コミュニケーションがうまくいっていない、一方通行のパス。今大会、引きつけられたのは、こういう一方通行のコミュニケーションが少なかったからだと気付いた。
両思いのコミュニケーションが数多く行われたとは思えないけれど、数少ない機会で思いをつなげられた、そういう両思いコミュニケーションの成功率は際立って高かったと思う。残る課題は、両思いコミュニケーションの量を増やすことではないだろうか。頑張れニッポン!!!
地方のひとの東京というのは埼玉とかあまつさえ群馬とかだったりして、東京っていわれても、うっかり鵜呑みにできないんだけど、東京で車維持って正直やってられないよね。うちは郊外だけどそれでも平均で平米50万を超えているんだ。自分の家があるあたりはロケーションがいいので坪300万ですよ。もっと駅前だと坪1000万。駐車場とかいって通りに面した土地でなくては意味がない。路面店が持てる場所をつぶして駐車場をつくらなきゃいけないの。
田舎の駐車場はただみたいなもんだろうけど、こちらは固定資産税だけでかなりきつい。
一定容積以上のビルは駐車場をつくらなきゃいけないのだけど、路面店にすれば数十万の家賃が見込めるところをつぶさなきゃいけないわけじゃない。駐車場を外に借りたって2~3万するでしょ。安くても1万は越す。車の維持だけでサラリーマンの新卒月収の1ヶ月分なんかが駐車場代で消えていくわけさ。
200万の車で年間の維持費が20万、5年だと300万だろ。年で60万。
月に5万円分タクシーに乗るペースでしょ?一回1500円なら30回以上乗れるよ。
それに使い勝手。車を使いたいような時間帯にうちの駐車場の前の道の人通りが途絶えることはない。駐車場から車を出すのにもしまうのにも5分じゃすまないわけですよ。車で道にでるまでに駅まで行けるっつうの。車をだせても目的地付近でまた小さい道にはいらなきゃいけないし、それに、あちこち一方通行じゃないですか。土曜日、日曜日を除くみたいな青い看板は普段乗りなれない俺には恐怖ですよ。見えてるのに大きく一周とか。あほらしい。
繁華街は基本車を停める場所がないから、車は周辺部におとして歩いたほうが早い。看板が見える場所に車でいくのに30分あってもいけないんだぜ。20キロ移動するのに1時間じゃ収まらない。
前の車は新車で買って1万キロぐらいで廃車ですよ。乗らないんだもん。もったいないよね。
キツイっていうかアホらしいよね。
http://anond.hatelabo.jp/20100620114018
そうだよ・・・なんとなく語感が近い脳内単語を自動的に選んでいたらしい。何で気がつかなかったんだろう。
自分の尊敬するとある人に言われて今でも鮮明に覚えているのは、親子の愛情は一方通行でいい、ということだった。親は子供に愛情を注いでもその見返りを要求してはならない、子供はその子供(孫)に愛情を注げばそれでいいんだ、と。入院した先で同室になった人が「子供が見舞いにも来ない」と嘆いていた時に、「子供が会いたい、と思うような親ならちゃんと見舞いに来ますよ」などと身も蓋もないことも言っていたらしいが。自分も今はこの言葉に甘えさせてもらってる側だけど、近いうちに子供が出来たらむしろ覚悟する側になるんだと思ってる。受けた愛情を返す側になるからね。返す相手が違うけど。そういう家族愛だってありなんじゃないだろうか。
博士課程は推薦状が超重要なので、向こうにコネの或る先生から推薦してもらえるかどうかで状況がかなり変わる。そのあてがない場合、急がば回れで向こうの修士に進学して好成績を収め、推薦状をゲットするという手もある。というか、そのほうが確率的にはうまくいくと思う。GPAはそんだけあれば大丈夫では。どうせ今から変えられないし、悩んでもしょうがない。
年齢は、その後アカデミアに進むつもりなら、歳は関係ない。論文を書けるかどうかが勝負。(後は授業をちゃんと教えられるかどうかと、理系の場合は企業から資金を引っ張ってこれるかどうか) ただし、民間への就職も視野に入れるなら、早ければ早いほど良い。理想的には32,3歳までに博士号見込みで就職活動を始めたいところ。遅くとも35歳くらいじゃなかろうか。それ以降だと、今までに働いたことのある業界でないと雇われにくくなると思う(その歳なら、day1から働けることが期待されるので。それと、そのころには結婚して子供が出来ている可能性もあるので、新卒の給料だと生活に支障をきたす恐れがある)。何とか30歳までに進学できれば。
まずは出来ることを全部やって、忙しくても周りの人のアドバイスを聞いて回ってみてください。奨学金とか、意外なところに転がってることもあるみたいなので(日本で奨学金が取れると、合格確率は跳ね上がる。向こうの大学は今金がないので)。後は、どこかで踏ん切りをつけて前に進むしかないのではないかと。
この時期、世の先輩たちは新人に仕事や作業を教えることが増える。
そこで教える側の気を付けることを当たり前のことかもしれないけど2つ書く。
・教えた直後に理解しているかを確かめながら教える
・分からなかったことはすぐに質問させる
少人数の方が教える質は高くなる。
前提として、知識は知識の上に成り立っていることがままあり、一つの知識が理解出来ないとよほど理解力がある人ではない限りその先のことは、教わってもほとんど理解できなくなってしまう、ということがある。
「何も分からない多くの人」に教えるとき、教わっている人の理解度に関わらずテンポよく進めなければ全体の効率が落ちるので一方通行の話になりがち。
そこで理解度を犠牲にしている分、質は落ちるというわけです。
少人数に教える場合は「僕の言ってることが分からなければ何でもすぐに質問して」とでも言って、理解度を均一に保つことが容易になります。
これで先輩にありがちな「あ、それも説明しないと伝わらないか」ってことを防げます。
また質問しない新人相手には今のは分かった?ということを逐一確認すればいい。
よくある一度説明してから後で質問を受け付けるのではなく、その場で質問してもらう方が、仕事等でOJTやレクチャーをする場合には新人たちの理解度は上がるんだと思います。
ただ、どうしても大人数に教えなければならない場合、単純な仕事・作業ではなく社会人的マナーや考え方を教える場合などは当てはまらないかも知れない。
あと行き過ぎると「教えて君」を育てることにも成りかねないので、こういう場合は質問してもいい、こういう場合は調べてと言うなど別な方法が必要かも。そのやり方、いいヒントあったら教えてください。