はてなキーワード: デザイナーベビーとは
自分が記事を正しく読めていない、一部飛ばし読みしているところもありますが、些末な点で言いたいことがあります。
大谷翔平、長嶋茂雄、野村克也が周りより一歩も二歩も抜きんでてたのは遺伝形質(身体的特性)に加えて本人が努力したからに決まってんだろ。努力の結果が遺伝するわけがない。遺伝疾患や体格と一緒にするな。わざとか。どっかの詭弁のテンプレートにこういう例があるのか。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24957535/
そして、努力したことがのちの世代に影響する(これを「遺伝」、と言っていいかは素人のため不明ですが)かもしれません。エピジェネティクスって言うんですけどね。
ゴルトンの観察が平均に回帰した(ように見えた)のは実験の条件が一定じゃなくて子供のサイズが親のサイズよりも環境から受ける影響の方が大きかった(つまり親のサイズという変数に対して無作為抽出になっていた)からだろ。
結局これがすべてで、逆に考えると、集団ではなくひとりひとりを取り出してみてみると「遺伝子だけではその人の性質や将来はわからない」というのが素人の感想です。遺伝子で説明できる行動や性質(表現型、というのが正しいんでしょうかね)は、集団で見れば有意差ありかもしれないけれど、特定の1人を取り出した時はよくわからない差だったり、他の(社会的)要因に埋もれてしまう程度なのかなと思っています。何より、遺伝子だけでは分からない病気や障害は多いなと思っています。
ちなみに元元増田の
親の身長とその子の身長を比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。
は、「極端に身長の高い親の子は、極端に身長が高くなる確率と平均的な身長になる確率を比較すると、平均的な身長になる確率の方が高い」としておけば、平均への回帰についての正しい説明になります。
元元増田の
多遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学的操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学的操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田の議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。
というのは、一般の人が想像するデザイナーベビーは今の技術では難しい(成功が保証されない)、という意味では、人々が持つであろう感想と一致するかもなと思います。「優生学やら遺伝子操作でも、案外思い通りにならないじゃん」ということ。
(この部分は優生学の善悪の話をしているのか、可能不可能の話をしているのか、元増田と元元増田でずれはありそうですけど)
ここから先は元増田・元元増田とは関係ない話です。元元元増田の話に関連した話です。
ので、社会政策的に(ナチスドイツのように)優生学を進めていくというのはおかしなことになるのではないかと危惧します。が、実際は子供が生まれる前に出生前診断に加えて着床前診断(これは流産防止の措置ですが)をしているので、優生学の支持者どころか実行者(いわゆる「リベラル優生学」かもしれません)です。
今の日本(もっと極端な例は中国都市部)って、それなりにお金がある人しか子供が持てないので、ある意味「金がある、優れた人だけ子供を持てる」消極的優生学というべき状況が進行しているように感じます。遺伝子操作が~優生学が~というのは確かに倫理的に重要な問題ではありますが、こういう優生学が問題になるならば、今現在進行中の、より大きな、かつ社会的に解決策がありそうな問題も無視できないですよね。
左派の理想はゴリゴリの技術革新に支えられた世界だと思うけどね。
昔の未熟な医療では命を落としていた超未熟児や重病の高齢者、脳損傷者なども救命が可能になり、生命維持装置を利用できるようになった。
性転換手術も高度になり、救われる性同一性障害者が増えた。
かつては三十代半ばで高齢出産の烙印が押されていたが、産科学の進展により五十代以上の女性の出産も可能となった。
尊厳死医療、出生前診断、デザイナーベビーなど、左派としては警戒せざるをえないものも登場してきているが、基本的には左派が応援したいと感じる人々が最新の医療技術で救われていることが多い。
ここで下手に宮崎駿的な世界観が良いとか言い出すと、弱い人々も容赦なく命を落とすもののけ姫みたいになってしまい、左派の理想とは真逆の世界となる。
倫理的問題がどうとか、差別に繋がるとか言われてるけどさ、今差別がないかって言ったら別にそんなわけないじゃん?
例えば結婚相手にしても、身長とか容姿とか健康かどうかとか、子供に遺伝するかどうかとか、そういう部分もきちんと含めた上でみんな選んじゃってるわけでしょ
ただ個人の選択で、国家が旗振ってやるわけじゃないから、優生思想じみたものであっても表立って非難しづらいってだけでさ
いくらリベラル気取ってみたところで、相手の身内に精神病患者がいるとなれば、やっぱギョッとすると思うんだよ
そしてこう言うと「多様性」であるとか、「環境が変わった時に全滅する」とか、「何が有利なのかは人には決められない」とか返されるわけだけど、ぶっちゃけ全部キレイゴトでしかないと思う
前述の通り今何が有利で何が不利かはみんなきちんと考えてるし、多様性のことまで考えて子孫を残す奴なんかどこにもいないし、そんなに状況が変わって全滅するならすればいいんだよとしか思えない
それこそリベラリズムで言ったら、イエや共同体や国家の存続なんかより、今を生きる人間の人権や幸福追求の方がずっと大事なんじゃなかったのか?