「けものフレンズのゲーム復活しないかな〜。今やってたらめっちゃガチャ回しちゃうわwww」
世の中の復活を望む声に押され、けものフレンズのスマホゲームは再びこの世に生を受けた。しかし、現実は非常である。初めこそ話題になったものの、オタクは新たな美少女キャラクターを見つけるとすぐにその尻を追いかけ、1年もすれば何もかも忘れ去ってしまった
「けものフレンズのゲーム終わってたの?ウケr」パンッパンッパンッ
「お前みたいな奴のせいでサーバルちゃんたちは二度も死ぬ羽目に……」
頭部を銃弾に穿たれ醜い死骸と化したオタクと、大きな帽子とリュックを身に着け似つかわしくない鉄の塊を持った少女の姿がそこにはあった
https://anond.hatelabo.jp/20170813014010
こちらの記事に影響されて、ずっともやもやしていたものを表に出してしまおうと書き始めました。上記の記事のように理路整然とはしておらず、ただの愚痴です。内容も全然違います。
大好きだったはずの宮本フレデリカさんを今は見たくもないくらいに嫌いになってしまった過程の話です。
言うまでもなく、かつて私はモバマスで宮本フレデリカさんを応援していた弱小プロデューサーのひとりでした。宮本フレデリカさんが来れば微力ながらにガチャを回し、イベントを走っていました。
アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージが始まるまでは。
3Dで動く彼女は本当に可愛かったです。贔屓目なしで3Dの出来は初期からトップクラスだったと思います。その出来のおかげか、宮本フレデリカさんのファン、もしくはプロデューサーが、デレステから爆発的に増えたように感じました。それは弱小プロデューサーとしても、とても喜ばしいことでした。心底。
さらに、速水奏さん、城ヶ崎美嘉さん、塩見周子さん、一ノ瀬志希さんというモバにおける総選挙上位、中位経験者で、集金能力の高いメンバーで構成されたLiPPSというユニットに、モバにおいて総選挙圏外常連(悪意はないです。彼女を好きだったとき、このことで何度も悔しい思いをしました)であった宮本フレデリカさんが加入することで、彼女はデレステでの人気をより明確にしたように感じました。
またtulipという名曲も手伝って、更に彼女は注目され、人気はうなぎのぼりだったように思います。
そしてその後登場した恒常SSRの衣装の可愛さ。あれは本当に完璧な出来だったと思います。当時まだ宮本フレデリカさんのファンでありプロデューサーであった私は当然課金をしてガチャも回しました。その後のスカチケでも彼女を選びました。宮本フレデリカさんのプロデューサーとして、こんなに素晴らしい出来の絵に3D、なんて恵まれているんだろうと思いました。
しかし、ここで宮本フレデリカさんを見たくもないくらい嫌になる出来事が起こりました。
それは、LiPPSから宮本フレデリカさんのファンになられた方の、ツイッターを見てしまったことでした。
その方は有名な実況者さんで、ツイッターのbioにははっきり、フレデリカPと書かれていました。そして
「貯め続けた無償ジュエルで恒常SSRフレデリカを狙う動画」(タイトルはぼかして書いています)
をYouTubeとニコニコ動画にアップし、ツイッターのTLに貼り付けていました。
私はこれを見た瞬間、ああもうフレデリカのプロデューサーをやめよう、と思いました。フレデリカのことは、本当に大好きでした。
しかし彼と同じ、宮本フレデリカさんのプロデューサーでいることに対しての拒否反応が強く出ててしまい、耐えきれませんでした。
その程度でプロデューサーをやめるなんて、と思う方もいるでしょう。けど、声高に無課金宣言して担当アイドル引いておめでとうって、私には本当に意味がわからないんですよ。頭おかしいの?とさえ思う。
なぜって、まずプロデューサーを名乗るうえで無課金って、なんの意味を為すのでしょうね?
無償ジュエルは宮本フレデリカさんのためになったりしません。例えどれほどたくさんの無償ジュエルを宮本フレデリカさんのガチャに費やしたところで、彼女の今後の活動に対する応援にはならない。すこしも。
もちろん課金は強制されるべきでないことは理解しています。無課金という楽しみ方があることも理解できます。
しかし『無課金』はあくまで、ゲーム性を楽しむ方のものだと私は考えます。アイドルプロデューサーを声高に名乗る方の遊び方とは思いません。
彼女らアイドルはあくまで集金と人気レースの世界で生きています。ゲームに課金という要素があり、かつ、その課金の結果がアイドルの待遇に反映される。それがなによりの事実です。
それならば、プロデューサーとして彼女らアイドルを応援するできることのすべてで唯一は、課金ではないかと私は思うのです。
正直名指ししたいくらいですが有名な実況者さんですから、もしこんな記事読んでいる方がいたら、察してくださるでしょう。ぶっちゃけ私怨と思われてもいいと思って書きました。それくらい、ほんっとうに嫌でした。YouTubeでのこと。この記事がその実況者まで届けばいいなとすら思います。
そしてアイドルマスターシンデレラガールズを無課金でお楽しみの、声の大きいみなさん。無課金はアイドルのためには微塵もなりません。声を大きくするくらいなら課金してからにしてください。別にその実況者だけじゃないです。声の大きい無課金って、他の人の課金にあやかった、ただのこじきですよ。たかが数百円、たかがスカチケでも課金だと私は思います。
ここまでお読み頂きありがとうございました。タイトル書いてて思ったんだけどやっぱりフレデリカ嫌いって字面胸が痛いな。フレデリカさんをまっとうに応援している方が傷付いたらごめんなさい。終わりです。
追記
久々に覗いてみたらこの記事について様々なご意見を頂いていたようで驚きました。
まず、某実況者がガチャ動画を上げたことによりYouTubeとの間で金銭が発生した、という虚偽の表現(恐らくです。指摘をされたのでとりあえず。私自身はユーチューバー様の内情についてはよく存じ上げません)については申し訳なく思います。その部分については削除させて頂きました。重ねてではございますが、大変申し訳ございませんでした。そして、某実況者が完全無課金である、と発言したつもりはございません。あくまで担当である宮本フレデリカに対して、あの動画時点で無課金であったということが言いたかっただけで、他のアイドルに課金していた云々のご意見に関しては話の論点がずれているとしか言えません。
また、様々なご意見を頂き拝見しましたが、最初に書いたようにこれはただの、理路整然としない愚痴です。なんの影響力もない一個人としての愚痴。いくら整然とせず、読み手にとっては意味不明でも、私がフレデリカを見たくもなくなるくらい嫌いになった理由はこれなんです。
ファンのあまりの気持ち悪さにベイスターズが嫌いになるようなもんやろ
また誤解を解かせて頂きますと、後出しですが私はデレステにおいて有償石だけでなく無償石でもフレデリカさんを引いていおりますので、無課金で引かれたからという嫉妬は全くございません。また、端々に言葉足らずな部分があり真意が伝わっていないように思われることは確かですが、いまらさ事細かに訂正、弁解するほどの気持ちは今の私にはないですし、言い訳はここで終わりたいと思います。本当にただの走り書きに対して沢山のご意見をありがとうございました。この滅裂な愚痴をあえて公開したのは私ですので、今後も好きに読み取って、好きに書いて頂いて構いませんし、記事を削除する予定もございません。もう読んでる人もいないでしょうし。
これで本当に終わりです。お疲れさまでした。
ฒฒฒฒฒฒฒで
ずっと見てるよ
仲が良い友達が、目に障害を患っていたことを偶然知ってしまった。
その子の親友が、障害のある友達に気を使いたいのについ忘れてしまうと私に零したことを覚えていなければ、きっと分からなかっただろう。
私はなんで気づけなかったんだろう。なんであの子と同じ気づかいをできなかったんだろう。なんで言ってくれなかったんだろう。私は信頼されてなかったんだろうか。コミュニケーション障害者に気遣いなんてできないって思われてたんだろうか。言って欲しかった。言ってくれれば頑張ったのに。ただでさえみんなに迷惑をかけてばかりなのに、そんなことですら気づけなかったら嫌われてしまう。友達失格だ。もう明日からあの子と話せない。気付けなくて本当にごめんなさい。
白人男性の敬意無きイエローフィーバーに怒る中国系オーストラリア人アクティビストの記事なわけですよ。
でブコメ見たら日本人(女性に限らず男性も)やネトウヨがディスられてて意味がわからない……
異文化や個々人への敬意を忘れてはいけないという教訓を、自分の嫌いなものへの批判にダイナミックに援用しすぎではなかろうか。いやあ驚いた。さすがはてブ。
底辺が底辺を再生産する、つまり子供の生育環境がその後の人生を決定するというのは傾向として正しいと思う。ただ、底辺の中にも成り上がって金持ちになったり成功する人が一部いるのも事実だ。
それももちろんあるだろうがおそらく一番大きな差は「自分が底辺だと気付けるかどうか」そして「底辺から抜け出したいと思うかどうか」である。底辺から抜け出す努力するにはまず自覚と自分の置かれている環境の否定が必要だからである。
親が底辺だとその子供はおそらく自分の家が底辺家庭であることに中々気づけない。周りの同級生との暮らしぶりの違いを目の当たりにして自分の家庭の底辺具合に気づけたとしても教養や勉強に価値があるとは中々思えないようになっている。底辺の親はそのルサンチマンから「勉強ばっかで来てもいい大人にはなれない」などと子供に繰り返し説くからである。「俺みたいになりたくなかったら勉強しろ」と言える底辺の親はなかなかいないのではないだろうか。それゆえ底辺の環境で育った子は今の自分の幸福を底辺環境のなかに見つけることとなり、環境に甘んじることとなる。底辺が努力してないのは傾向として正しい。ただそもそも底辺には努力する理由がないのだ。
これに対して底辺の親のもとに生まれ、そこから抜け出す努力をしたのになんの経済的援助も得られないなどの理由で結局抜けられなかった人は本当に気の毒だ。ただそのように結果的に底辺になってしまった人は全底辺のうち一体どれほどの割合で存在しているのだろう。自己責任論に怒り環境の影響の大きさを主張する人々が想定する底辺は「抜け出したかったけど抜け出せなかった人」であろうが、それは実際の底辺の多数派とは重ならないのではないだろうか。インテリ層が自分の成功を可能にした環境の影響力の大きさに無自覚なように、多くの底辺も、そもそも自分が本気で底辺から抜け出そうと思ったことがないことを自覚できず自分を「抜け出そうとしてそれが叶わなかった人」に重ね合わせてしまうのだ。だから多くの底辺は怒るべきでない問題に対して怒りを感じているのだ。
たしかに抜け出したいけど環境のせいでそれが困難な人たちに対する対策はたしかにもっとあっていいと思う。そして底辺問題を本気でどうにかしたかったら底辺の自覚を底辺に持たせるような工夫が必要である。それが社会全体の幸福を増大させるとは必ずしも思えないが。
俺だったら恋に落ちる