「人間」なんて誰か感か、所謂「正義感の強い人」の定義するところの「普通の人間」とやらになるにはかけている欠点なり何なり在るのが普通だし
「人間」に向いてるやつって何だよそれって話であって、そんなん一部の極稀にいろいろうまく行ったやつだけだと思うが。
そもそも向いていないと行けないって考えもまたアレなのでは
高校生の時は大人になるにつれて社会に飲み込まれ、純粋さ、鋭さを失うことを恐れていた
しかし、認めたくないけど大学も3年目になって大半は失ってしまった きっと年を重ねるにつれて忘れてしまったことも忘れてしまう
実際に今それを悲しいと思うこともだんだんと少なくなって、なんだかんだで友達と遊んだりデートしたりして楽しく生きている、
でも、昔の自分が、どこか、遠く、心の底で『そのままじゃダメだ、もっとどうなりたいか何者になりたいか、流れる楽しさに身を任せるのではなくてちゃんと考えろ。自分の行動の意味を、それがもたらす結果を、選んだ選択がその後の人生にどのような影響を与えるのかに自覚的になれ。』と叫んでいる。私はその声が聞こえているのに聞こえないふりをし続けてここまできてしまった。考えることは労力を使うから。自分の暗い部分と向き合って不確かな未来を考えるよりもその場その場で友達とか男の子と飲みに行って恋愛の話やらに盛り上がっている方がずっと楽で楽しいからな。
周りはなぜかありがたいことに、尊敬できる人間が多い。演劇で生きていくと決めてその夢に向かって夢中で頑張っている友人、私は普通でありたくないからと周りにどう思われようが映画やオーディションなど自分が楽しいと思ったことに躊躇なく飛び混んでいける彼女、私が作る服で目の前の人を100パーセント幸せにしたいと強い意志を持った目で夢を語ってくれた彼女、昔の自分を救ってくれた出版社で働いて同じように誰かを本で助けたいと語った彼、みんな軸があり目標がある。
私はそういう人たちに囲まれて、自分は何をしているんだろう、と思う。置いていかれている気がして、からっぽな気がして、でも追いつきたくて、日々を消費しているのが怖くて
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何かになりたいけど何にもなりたくないなぁ
私はずっと、昔から空気になりたかったよ、夏の夕暮れとか、夜の濃くてずっしりした空気とか、海の粒子とか、淡い空の色とか、そういった生きているかよく分からないけどどこにでもいつもいるものになりたかった。どこか懐かしくて、涙が出るような、あたたかくて安心するものになりたかった。
卒業するまでになれるかな。
本当は本にしたいんだけど、これまで金が無いか時間が無いかのどちらかor両方だったので自費出版出来ずに来た。
私の嗜好は元々どマイナーだし技量も無いし目立つの好きじゃないので、何百冊も刷って同人で儲けようという野望は元より無い。
けれどいつか、自分自身と少数の読者への記念として少部数贅沢な感じに仕上げてみたい。
しかし、私のその希望って、現在同人誌(その多くが二次創作だ)で儲けている・儲けようとしている人のお陰で印刷会社が利益を得ているから、叶わぬ夢ではない訳で、だから二次創作同人で金を稼ぐ事を私の立場では否定は出来ないんだな。
でもまぁもし二次創作で稼ぐのが禁止になったら、私は小学校の頃にクラスの皆で卒業文集作った時のノウハウでしこしこコピー本を拵える事にするよ。
そういうのはある程度しゃあないと思うなあ……インスタとかフェイスブックとかにしといたほうが精神衛生上良いようなきがする。
ツイッターランドはもはや自分をいかに不幸に見せてネタにするかの合戦になりかけてるし、
そういうの大嫌いって人とトラブルになる例もゴマンと見るけど、まあ無理してあそこでやるこだわるような必要はあんまりないと思う。
空リプについては、メンション飛ばすと外野から怒る人ってのがごまんといるから、なかなか必要もなしに飛ばしまくるってのも抵抗覚える人もいるし。
駄文なうえ長い。でも吐き出すところがなくてここに書く。すまん。
リアルの友人とSNSでだけしかつるまなくなって、そのSNSでうまくいかなくなってしまったっていう話です。
ある日突然ネガティブな事をTwitterで書き始めた友人(仮名 ネガちゃん)がタイムラインの大半を埋めるようになったので心配で飯に誘い出した。
「最近みんなが冷たい、とくに誰がっていうわけじゃないんだけど、避けられている気がする」
ネガちゃんの悩みを聞いて、できるだけ励ますようにそんなことないよ思い過ごしだよってやんわり否定した。
俺よりネガちゃんはTwitter歴が長くて、アカウントもジャンルにあわせて使い分けていて、友人と呼べる人がたくさんいる。本当に気のせいだと思った。
その後しばらくネガちゃんの愚痴とか悲しいことの列挙は収まったけど半月経った頃からまた荒れはじめた。
内容は色々だけど誰かへの不満を空リプでガンガン発信して、深夜までずっと呟く。我慢できなくなってネガちゃんをミュートした。
初めてミュート機能の便利さに感動した。毎日絶望とか鬱ポエムで埋まっていた俺のTwitterが急に平和になった。
お互い仕事をするようになってからTwitterでしか話をしなくなっていたけど、ネガちゃんとは飯をよく一緒に行っていた仲で家も近い。
オタク趣味が別々になっても相手の好きなものをよく知っている貴重な友人だった。ミュートした事に僅かに罪悪感はあった。
「一緒にごはんに行きたい」
っていう返信が来た。奇跡的に気づいたのが半日くらい経った後だったんだけど、その日のうちに返信を送ることには成功した。
仕事だからそんなにすぐには返信できないし、その日の夜は予定があったから無理だったんだけど
「こんなに傷ついてるネガのことはどうでもいいんだ、ふーん、静かに怒ってます」みたいな返信がきて
ネガちゃんのプロフィール?欄が【みんなが無視してこんなに苦しい私を気遣う事もできないの?】的な内容になっていた。
ミュートにしてた俺も悪かったかもしれないけど、思い切ってネガちゃんをブロックした。
次の日、不機嫌な自分を周りに見せるのは大人として恥ずかしい、みたいな誰かのつぶやきをサブアカウント?から引用返信で送ってきてた。
返信内容に困って、まだ返信してない。
オタク趣味が合う学生時代からの友人だったから出来る限り気遣いはしてたつもり。
罪悪感より鬱呟きがTwitterに届かなくなったのを心底ホッとしたし、他人の絶望とか悲しみばっかり受信してたらこっちが折れちまうし。
【リアフレブロック】の罪悪感はたぶん忘れられないだろうけど、これで良かった。
こんな愚痴を最後まで読んでくれる人が居るかわからないけど、愚痴を垂れ流している辺り、盛大なブーメランですね。すみません。
くたばれはま子さんとかだね
誰か一緒に生きてください
金銭のやり取りがなければ同好の人と交流承認欲求狙いでネットが主になるんでない
全て無料配布は大手はまず無理だから撤退して、分厚い読みごたえのある本も無理だし、一般もサークルも激減してオフ会的な本交換会になるかも
私がお店を盛り上げてあげている感出すのって
盗人猛々しいと思うんだよなあ。
人様の商材で人様の商材を紹介、自分を売る。
もはやお前の力一切介在していないだろっていう。
利用するものは全て利用して知名度だけ吸いつくしていくスタイルは
もう少し恥ずべきことをしているという自覚を持って欲しい。
いわゆる「性の喜び」おじさんは亡くなった
8月は大岡昇平の野火。終戦記念日のある月らしいチョイスで、解説は島田雅彦。
戦場で病気にかかり部隊に見捨てられた主人公が、フィリピンのジャングルの中で生と死のどちら側に自分が属しているかあいまいになるシーンを岩井秀人が朗読する。
司会の伊集院光はこのシーンにシニカルな笑いを受信。岩井秀人も伊集院光もドロップアウト経験者。そういえばこの番組は解説はもちろん、朗読の人選もいつもかなり良い。
しかしあれだな、美しい顔を作ってお金をもうけた高須クリニックは、自らは現代における生死の最前線に居てもおかしくない医者なのに「美しい死」などという幻想を信じている愚か者で、
生も死も美しくなどなくただ現実に悲惨で臭くて場合によってはシニカルに笑うようなものでもあるということを淡々と解説する島田雅彦がナチュラル・ボーン・イケメンだというのが、なんとも皮肉で面白いものだと感じる8月。
そういえば先月7月は、ジェーン・オースティンの高慢と偏見。これも朗読者の選択よかった。ミムラが、プライド高くて底意地の悪い主人公らしくて良かった。
30分持たせるの無理があるのと違うか