先に新着に乗ったのを昼にブクマしたのに、夜には同じような内容のトゥゲラーがホッテントリになってた。
悲しいんだけど、悲しいついでに先のをブクマしたメンツで反省懇親会開きたくなる。
やっぱりおれたちが小物で、ブコメもイケてなかったんだろうな。
有名ブクマカの人たちはすげえや、思い切ったこと書いちゃうしな。
いやあなたのも面白いよ、ただ長いから論旨が広がっててスターつけづらいってのはあるかも。
とかっつってさ。あーあ寝よ。
望む時には狙っても偶然会うことなんてなかったのに
神様に祈ってもムダだったのに
今になってこんな偶然とか
いろいろ遅すぎる
好きだった頃なら、テンション上がったのかもしれんが
冷めたものは戻らない
お前の頭おかしすぎるだろ。。。
なにやら先輩が深刻そうな顔でスパスパやっていたので、
「どうしたんですか、またスロットでスったんですか」
「もうすぐ、女が薄着の季節が、終わっちまうな」
と言った。
重度のメシマズ親を持っていた者だが美味しいマズイというのがそもそもわからんのだ。
味覚が貧しいとかじゃなく甘いものはたくさん食べれてそれ以外は普通で口に入れて刺激があると食べられないものという区別しかなかった。
俺の母がまずい上に栄養度外視した料理しか作らない家なのであれこれ語りたくなったが
羨ましすぎて脱力してきたのでここで筆を置く
そういうとこに登録してる、金や安定や社会的地位目当ての女をバッサバッサとぶった斬りたい。
でもあんまり派手にやるとすぐ目をつけられそうだから、適当に遊んだところで、
「ゆくゆくは僻地医療に身を捧げたい」「親も気になるし、いずれは故郷に帰るかも」みたいな
道義的には問題ないけど女の側からするとあんまりおいしくない話をして、
いかにあちらの方からフェードアウトさせるかという遊びを繰り返したい。
きっと楽しそう。
北山修が「自虐的世話役」という言葉を作ったのははるか昔であるが、その心性は未だに日本にあると私は考えている
諸家の名著を読んでいただいたり、下記のリンク先に飛んで頂ければ、それが私の題意を代替してくれるものだと思われる
難しい話ではない
人は、他人に情けをかける事で負担をかける事が出来ると言う事だ
日本はとくにそれが強く、「タダより高いものはない」と世間では言い換えられている
まったくもってその通りであり、日本人であれば誰であれ、程度の差こそあれ、共感に難しさを感じる事はないだろうと考える
これはまさに"怨み"の心理であり、古来より怒りよりも恨みが人を恐れさせる所以となっている
しかも、先達が言明しているように、情けや忍耐が文化や社会や宗教により承認され推奨されている所に狂気がある
「人の嫌がる事を進んでやりなさい」とは、日本語の非決定性を揶揄した冗談に過ぎなかった訳であるが
いやしかし、どうだろう
情けほど日本人が潜在的に恐れているものはないのではないだろうか
人にして貰った時の言いし得ぬ敗北感や恥じに似た「申し訳なさ」というのは、日本人版の"原罪"と言えるのではないだろうか
「申し開きも出来ない」が語源であるところの申し訳なさを感じ、ただひたすらに自らより強い者の施し受け、侮辱され屈服させられることへの居た堪れなさが良く表現されているだろう
日本人はこの絶大なる狂気/凶器を日常的に振り回すという現実に於いて、世界一陰湿で凶暴であると言えるだろう
というより、お母さんの料理がめっちゃ上手であるということがそんなにも子供にとって良いことなのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20150819/1439993011
このへん読みながらぼんやり考えた。
当のサミレさん自体は本当に不憫だと思うし、料理が下手であることを認めない母たちには確固たる落ち度がある。
どちらかと言うとこれからわたしが書くことは、メシマズ問題総体からすると本題からはずれた話になると思う。
家族全体として舌が肥えているとはお世辞にも言えなかった。
たまの外食といえば近所のファミレス一択だし、旅行先でもおいしいものを食べようという発想自体がなかった。
当然おいしいごはん屋さんなど誰一人知らないし、各地の名産品もほとんど知らなかった。
小さいころに友達の親御さんがおいしい蕎麦屋さんに連れて行ってくれたとき、
蕎麦のおいしさ以上に、自分と親のおいしいものへの知識の貧弱さが恥ずかしくて悔しくて、突然泣きだしたことがある。
当時はそんな両親がイヤでイヤで、大きくなったら世界中のおいしいものを食べまくってやると考えてた。
ただ今になって思うと、「なんでもおいしいと思える舌」って
それはもう何物にも代えられないほどの恵まれた資質ではないかとさえ思ってる。
今は大人になったのでいろんなおいしいものを知る機会もずいぶん増えたけど
この類稀なる資質は自分の子供にも受け継がせてあげたいな、とはよく考える。
話は戻ってメシマズ嫁の話だけど、
ブコメ群を見る限り、美味しいご飯を食べられないということは「子供がかわいそう」という認識のようであり、賛成する部分はある。
しかし↑のリンクに出てくる「息子」さんはそれこそわたしの言う類稀なる資質を幼少期に授かっている。
(飯をマズいと思わないだけでおいしいとも思っていなかったのかもしれないが)
これを良いことと言い切ってしまうのは抵抗があるが、必ずしも悪い部分ばかりではないのでは、とは思う。
お母さんの料理が上手すぎて、幼少の頃から美味しい料理を食べて舌が肥えてしまって
いろんなものをおいしい!と思えなくなってしまうのは生涯的な幸福という意味では損失ではないかと思う。
わたしの周りでも小さいころ「回転寿司とかマズくて嫌い」「ファミレスなんかでごはん食べたくない」という友達によく会った。
(その度、回転寿司もファミレスも大好きだったわたしは人知れず心を痛めていた)
おいしくないご飯をおいしく食べられるということも、これまた幸せではないか。
別に彼女がどこの誰でもいいんだけど。アイドルらしい女の子がマンコッコマンコッコと連呼するお好み焼粉のCMがある。
http://www.youtube.com/watch?v=fLf-HzC5cmo
まあ実際は別の言葉なんだろうけれど俺にはマンコッコにしか聞こえないし、本来はマッホッホだろうかマッコッコだろうか知らんけれどリズムさえ合っていればいいのならマンコッコに聞こえない言葉を選ぶべきじゃないのかな。
もちろんそれを理解していて炎上狙いなのだったらあまりに露骨すぎる上にマンコに聞こえるよな?とか話題にし辛すぎるからその時点で失敗してるし
ありえないとは思うけれどもし気付かずにGOしてるんだったらあまりに酷い
「お宅のCMマンコって言ってませんか」なんてクレームがつけられるはずもなく今も昼間にマンコッコを連呼するアイドルが映っている
BPOは何してるんだろう
お前とお前は、帰ってよし
ストレスチェックを導入しても、鬱病=給料泥棒の方式が変わらなければ意味ないよね…
「鬱っぽい」という結果が出れば自然と退職「させる」方向へ動くだろうから
適性検査と同じでみんな嘘でも「元気でぇ~す!」って言うだろうし