というより、お母さんの料理がめっちゃ上手であるということがそんなにも子供にとって良いことなのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20150819/1439993011
このへん読みながらぼんやり考えた。
当のサミレさん自体は本当に不憫だと思うし、料理が下手であることを認めない母たちには確固たる落ち度がある。
どちらかと言うとこれからわたしが書くことは、メシマズ問題総体からすると本題からはずれた話になると思う。
家族全体として舌が肥えているとはお世辞にも言えなかった。
たまの外食といえば近所のファミレス一択だし、旅行先でもおいしいものを食べようという発想自体がなかった。
当然おいしいごはん屋さんなど誰一人知らないし、各地の名産品もほとんど知らなかった。
小さいころに友達の親御さんがおいしい蕎麦屋さんに連れて行ってくれたとき、
蕎麦のおいしさ以上に、自分と親のおいしいものへの知識の貧弱さが恥ずかしくて悔しくて、突然泣きだしたことがある。
当時はそんな両親がイヤでイヤで、大きくなったら世界中のおいしいものを食べまくってやると考えてた。
ただ今になって思うと、「なんでもおいしいと思える舌」って
それはもう何物にも代えられないほどの恵まれた資質ではないかとさえ思ってる。
今は大人になったのでいろんなおいしいものを知る機会もずいぶん増えたけど
この類稀なる資質は自分の子供にも受け継がせてあげたいな、とはよく考える。
話は戻ってメシマズ嫁の話だけど、
ブコメ群を見る限り、美味しいご飯を食べられないということは「子供がかわいそう」という認識のようであり、賛成する部分はある。
しかし↑のリンクに出てくる「息子」さんはそれこそわたしの言う類稀なる資質を幼少期に授かっている。
(飯をマズいと思わないだけでおいしいとも思っていなかったのかもしれないが)
これを良いことと言い切ってしまうのは抵抗があるが、必ずしも悪い部分ばかりではないのでは、とは思う。
お母さんの料理が上手すぎて、幼少の頃から美味しい料理を食べて舌が肥えてしまって
いろんなものをおいしい!と思えなくなってしまうのは生涯的な幸福という意味では損失ではないかと思う。
わたしの周りでも小さいころ「回転寿司とかマズくて嫌い」「ファミレスなんかでごはん食べたくない」という友達によく会った。
(その度、回転寿司もファミレスも大好きだったわたしは人知れず心を痛めていた)
おいしくないご飯をおいしく食べられるということも、これまた幸せではないか。
俺の母がまずい上に栄養度外視した料理しか作らない家なのであれこれ語りたくなったが 元増田はなんだかんだで良い母親に当たったのだ 所詮は対岸の火事なのだ 羨ましすぎて脱力し...
重度のメシマズ親を持っていた者だが美味しいマズイというのがそもそもわからんのだ。 味覚が貧しいとかじゃなく甘いものはたくさん食べれてそれ以外は普通で口に入れて刺激がある...
わたしの周りでも小さいころ「回転寿司とかマズくて嫌い」「ファミレスなんかでごはん食べたくない」という友達によく会った。 家で回転寿司と比較して十分に美味いといえる寿司...
その辺は親が普段そう言ってるからっていう刷り込みも、いくらかありそうな気がする 美味しんぼの山丘夫妻の家の子なんか、たぶんそれをもっと鼻もちならなくした感じに育つぞ