俺の場合は、楽天を見たら楽天の広告が出てくるし、価格comを見たら価格comで見た製品の広告が出てくるようになるし、格安SIMのサイトを見たらその広告が出てくるし、すごい分かりやすい表示のされ方だけど。
ネットの裏側の仕組みとか、IT業界の仕組みとか、そういうことは全くよくわからないのだけれど、
自分がネットで、どこかのサイトにアクセスしたり、検索したり買い物したりすると、
その結果に従って、広告が表示されたり、おすすめが選ばれたりしているらしいっていうこと位は、なんとなく知っている。
で、疑問なのだが、実際に出てくる広告とかおすすめとが、全然、自分の興味をひかないのはどうしてなんだろう?
おんなじ広告(それも買う予定もない車の広告だったりする)が繰り返し表示されたり、
いや、今、違うジャンルの本読みたい気分なんだけど、って本ばかりおすすめされていたり。
まあ、たまに「あ、あれ検索したから表示されてるのかなあ?」と想像がつくこともあるのだけれど
「でも、それ、仕事で必要があって調べただけで、もう、その話、見るのも嫌なんだけど」ってこともある。
少なくとも、自分にとっては「逆効果」としか思えないことが多いのだけれど、
世間的には「上手くいっている」ことになっているんだろうか?
まあとてつもなく素晴らしいと思える作品に出合うと
それ以外がことごとく欠点だらけに見える、ってのはよくある話なんで気持ちはわかる。
どっちも見てないけど。
いいか。
ジョージ・ミラーは貴様らに他作品を叩かせるときの比較対象としてマッドマックスを作ったわけではないんだ
比べるならせめてポストアポカリプトSFか、車ものにしてくれ、最低限。
なぜ◯◯◯◯◯◯なんだ? なぜ△△△△△△△と比べたがるんだ?
気づけ?
気づいてくれ?
よし、六秒待つ。
胸に手をあてて目をつぶれ。
六秒だ。はい。
わかったか?
わかってくれたか?
わかってくれればいい
わかったら帰れ
それだけだ
以上だ
「女性アイドルのファンは皆女の子、アイドル=女の子の憧れ」って世界観なんだね。
女性アイドルのファン=(キモい)男だらけ、と言う現実は無視らしい。
オタク男からしたら男が絡まない美少女動物園で安心、とどの方面にとっても都合良いんだろう、と言うのは分かるけど
なんかモヤモヤする。
人によって色々あると思うけど、純文学って「個の狂気」だと思ってた
まあ火花のことだけど、編集者の手で添削された小説を「純文学」として売り出すことに疑問を持つ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150717-00000046-sph-soci
そして、ある日「火花」と名前の付いた縦書きのワードファイルでメールに添付され、送られてきた。一読し「コレが載ったらウチの雑誌は完売するな」と確信しつつ、編集者として意見を伝えた。不要なシーンはカットし、登場人物を加え、4、5回と改稿。又吉は掲載の直前までゲラを真っ赤にした。
芸人が書いた小説だけに、既存の文学から外れた異質な作品を期待していた自分としては、残念以外にない
ただの小説家養成学校に通って、何とか形になった凡百の作品と大して違わなかった
よく芥川賞も商売なんだから、なにマジになってんの?的な意見を聞くけど、それは違うと思う
つまり、芥川賞は、直木賞とは違う「何か」を背負った賞として最初から運命付けられた存在のはずだ
芥川賞の選考委員はきちんとそのことと向き合っているのだろうか?
仕事ちゃんと探してんのか?
塩コショウ(またはソース)で味付けしておいて、更にソースを使うのは
些か疑問が沸いてくる。
二度漬けじゃねーか!と思う。
いや実際には塩コショウ付けない人もいるとは思うが、
下味をつけるのは大事な事だと思う。
それを付けて焼いた後、改めて焼肉ソースに付けて食べるなんて事もある。
ただ、高い店に限ってはそれでいいと思うけど、普通は違うよねって話。
とんかつ作る時に豚肉に塩コショウを付けてから小麦粉・卵・パン粉の順番で揚げるのがあるけど、
下味は重要でそのまま食べても美味しいから、普通とんかつ屋さんでは塩コショウを塗りたくってるもんだ。
同様に焼肉でも下味は重要で、塩コショウで味付けしてから焼肉をジュージューやるはずである。
要は下味が付いてるんだから、焼肉ソースはいらねえだろっていうのが、今回の疑問に繋がる。
だがしかし、下味が付いているにもかかわらず二度漬けしていいものだろうか。
むしろ焼肉ソースによって味の摩擦が生じて互いに味を殺しあわないか?という疑問が生じるだろう。
それならば、塩コショウを辞めればいいと言う人もいるだろう。
自分に対する何らかの執着ではあるだろうが
ネットにはクソもミソも一緒にしてなんとか発言者を「否定」しようとする輩が多くて困る
「自己肯定感が強すぎる」ってエントリだったら「逆だろ、弱すぎるんだろ」ってトラバがついたね
カシヲミニをかけても良い
さて、おっさんとは何か。
能力がない、あるいは低い。
効率が悪い。
いろいろあるだろうけれども。
認めようよ。
夢や希望があったって、何年か後には忘れているんだろう?
なんで自分を認めようとしないの?
感謝や褒め言葉を常に口に出してもらわないと駄目なタイプの人っているじゃん
そういう人らは、自分の方から他人をヨイショしてるのか? してないなら自己中にも程があるよな?って思ってたけど
見てるとどうやら、ちゃんと他人のヨイショもしてるようだ
俺はそういうの超絶めんどくさくて、無理に続けようとすると肝心の相手の事がもう嫌いになってしまうので、
ヨイショが続けられるのはマメだなーと思って感心してみたり、彼らにはそれは面倒じゃないのかと思ってみたり
もし彼らにはヨイショがごく普通で簡単なことなのなら、そんな普通のこともしてくれないなんて酷い!という思考も理解できる
キモいのは重々承知だけどキモがられて承認欲求満たそうとしてるわけではなくて
平和な日常にカモフラージュしていたゾンビに溢れた荒廃した世界、
絶望的な状況から逃避するため狂気に堕ちた天真爛漫なヒロイン、
各所で良くも悪くも大きく反響を呼んでいる「がっこうぐらし!」だが
そんな衝撃の展開以上にキモヲタ達に衝撃を与えたのが第2話にしてのリゼもどきの非処女発覚である。
キモヲタに媚び売って食ってるくせに業界はかんなぎ騒動から何も学んでいないのか?
2話にして発覚ということでまだ傷は浅かった、そこまで話題にはならなかったが、
円盤発売後にこの事実が発覚していたら円盤を破壊する人間も1人や2人じゃ済まなかっただろうと思う。
「こんな綺麗な日々」「先輩と同じ大学行きます」といった台詞から推察するに、
イケメンモブとリゼもどきは少なくとも好き同士、片思い経験ありの精神的非処女はセーフでも
きららだってハーレム物やラブコメ作品がないと言われたら決してそんなことはない
恋する女の子の愛らしさを描いた月刊少女野崎くんの佐倉千代やニセコイの小野寺なんかに対して
しかしこの作品はそうではない あくまでも男のいない美少女動物園だ。
惚れた腫れたの話に穢されることのない美しい世界の話だ。
この類の作品で「実はヒロインは昔イケメンモブと付き合ってましたー」なんて
ニトロプラスの原作者の作家としての実力は知らないが所詮はきららの外の人間。